(最新のHD録画より;アーノンクールの三大交響曲、K.543、K550&K.551)
15-6-1、ニコラウス・アーノンクール指揮ウイーン・コンツエントウス・ムジクスによる三大交響曲;交響曲第39番変ホ長調K.543、交響曲第40番ト短調K.550、および交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」の新録音、
2014年7月5日、シュテファニエンザール、グラーツ、シュテイリアルテ音楽祭2014、

−今回のアーノンクールのウイーン・コンツエントウス・ムジクスとの小規模な楽器編成による39番、40番、41番の連続演奏会は、各所で彼独自のオリジナルなアクセントのついたピリオド演奏であったが、休みなく3曲が連続演奏されるなど、非常に密度が高く緊張感がみなぎる格調の高い充実した古楽器演奏であった。どうやら「器楽によるオラトリオ」と、最近、彼自身が名付けている演奏の実験的な試みで成功のように見受けられたが、形を重視する余り、観衆に負担を強いているのではないかという心配もあった−

(最新のHD録画より;アーノンクールの三大交響曲、K.543、K550&K.551)
15-6-1、ニコラウス・アーノンクール指揮ウイーン・コンツエントウス・ムジクスによる三大交響曲;交響曲第39番変ホ長調K.543、交響曲第40番ト短調K.550、および交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」の新録音、
2014年7月5日、シュテファニエンザール、グラーツ、シュテイリアルテ音楽祭2014、
(2015/05/11、クラシカ・ジャパンの放送をHD1に収録、)

今回のクラシカ・ジャパンの放送におけるアーノンクールと彼のウイーン・コンツエントウス・ムジクス(WCM)によるモーツァルトの三大交響曲は、グラーツのシュテイリアルテ音楽祭2014年7月5日におけるシュテファニエン・ザールで行われた演奏会ライブである。今回の演奏は、さっと見た限りでは、コントラバス2本の小規模な楽器編成による39番、40番、41番の連続演奏会で、各所で彼独自のオリジナルなアクセントのついたピリオド演奏には変わりないが、しかし休みなく3曲が連続演奏されるなど非常に緊張感の高い濃縮された古楽器演奏であった。どうやら「器楽によるオラトリオ」と、最近、彼自身が名付けている演奏を実践したものであるという印象が強かった。

彼の三大交響曲の最近のCD録音は、ソニー・クラシカルから同じWCMとの録音であるが、2013年の録音として昨年発売されたばかりであり、2015年レコード芸術5月号における「名曲名盤500」においては、3曲ともトップに推薦された記念碑的なCDのようである。2位がブリュッヘンの三大交響曲(これはレコード大賞受賞)であり、CD界では、というより「レコード芸術」誌では、この二つの古楽器系の新録音の進出により、ベーム・カラヤン・クーベリックなどのアナログ時代の名盤と順位を入れ替えたことで大きな話題を呼んでいた。



また、アーノンクールのこのCDについては、2014年の11月号のこのHPのソフト情報の14-11-1)で写真入りで紹介しているが、アーノンクールがこの年のレコード芸術11月号の「今月のアーテイスト」に選ばれて、彼の新録音の三大交響曲の「器楽によるオラトリオ」説がトップの話題にされていた。これは、山崎睦氏のザルツブルグでの海外取材記事が中心であったが、この報告文だけでは今ひとつ、アーノンクールの本当の意図が明確でなく(彼自身の文書が残されていない)、残念に思っていた。しかし、この山崎氏が取材した2014年ザルツブルグ音楽祭の三大交響曲と今回のグラーツの演奏は、時期が全く同じなのでほぼ同一演奏に近い「器楽によるオラトリオ」演奏であり、39番フィナーレと40番の連続演奏、40番がクラリネットが入った第二版であること、40番で小ト短調の25番と同様にホルンが4本いた(写真では3人写っていた)ことなどが、この記事により改めて確認できたので、非常に参考になった。そのため、今回は映像と譜面をよく見ながら、このオラトリオ的演奏を注意深く聴いてみたいと考えた。今回は40番と41番も連続演奏されており、休みなしの大変な演奏のように見受けられた。

     はじめに山崎氏のレコ芸11月号に掲載された、7月21日のザルツ祝祭劇場での演奏会では、オーボエの配置に着目しながら管楽器群が最後列に、ホルン4本(写真では3本)、ファゴット2本、オーボエ2本、トランペット2本となっており、その前列にフルート2本、クラリネット2本、とテインパニーが並んでいたが、氏は第39番では普段、オーボエの定席である場所にクラリネットがおり、休憩の後の41番になって初めてオーボエが定席に戻ったと指摘していた。これら3曲の管楽器の配置については、非常に関心のあるところであり、今回の演奏でどうなるか着目していたが、何と今回の7月5日のグラーツの演奏では、ホルンが3本で3人の奏者しかいないほかは、7月21日と同じ奏者が同じ席で演奏していることが判明した。今回の演奏では、オーボエ奏者は第39番では、最後列に着席していたが、41番では本来の席に着いていた。



     アーノンクールの三大交響曲の連続演奏の映像は、今回で3回目であり、第1回は19991年ヨーロッパ室内楽団との楽友協会ホールの古楽器演奏(62歳、1-4-2)、第2回はモーツァルト・イヤーのウイーンフイルとの来日公演でサントリー・ホールでのモダン楽器演奏(77歳、7-3-1)、第3回は、今回のWCMとのグラーツ演奏(85歳、15-6-1)となる。
7-3-1の紹介の時には、第1回との比較を考慮して書いているので、今回はウイーンフイルとの比較を考えて述べてみたい。またこの新しい映像を見聞きして、前回よりも画面が美しいし、一曲一曲、遙かに丁寧に聴いたつもりであるが、この2つの演奏の間には、8年ほどの時間差があり、オーケストラの違いもあった。最初に比較したときは直感的に、85歳になった老巨匠の方が、前回よりも細部のこだわりにも似たアクセントが強くなったと感じたが、これはオーケストラが手慣れたWCMのメンバーだからであろう。彼固有のオリジナルなアクセントは第2回よりもやや強くなっているものの、全体の響きはオラトリオを意識したピリオド演奏により近くなっていると感じた。私の耳の方も、当然ながら、古楽的奏法には丸くなっており、彼のCD演奏を初めて聴いた時のような拒絶反応に近いものは今はないが、新しい映像の方は、彼の主張も何となく理解できそうなので、私にはモーツァルトをそれなりに楽しめる一つの個性的な演奏であると思われた。以下は、今回のアーノンクールらしさを感じた点を各曲ごとに取り出して整理したいと考えたものである。



  コンサートは、交響曲第39番変ホ長調K.543から始まる。この日のWCMはコントラバスが2台で左側奥におり、総勢は凡そ35人位の中規模編成か。この曲の序奏のピリオド奏法の標準は全体的にテンポが速く、また冒頭部のテインパニーの響きを意識し、トウッテイの和音の後の2小節目の32分音符の急低下する弦楽器の部分がもの凄く早いが、アーノンクールの序奏部は、32分音符の部分はもの凄く早いが、トウッテイの行進部は比較的ゆっくりと始まっていた。指揮台を置かず前後左右に動きながら両手で指揮をする方法は変わっていないが、序奏部のテインパニーの付点リズムの進行は堂々として盛り上がりを見せ、テインパニーの激しい響きが2本のコントラバスをベースにした全体の響きを圧倒しており、ウイーンフイルよりも古楽器奏法的な響きになっていた。
続いて歌うような第一主題はやや早めのテンポであるが、弦が小規模のせいか、前回の遅く柔らかなウイーンフイルの音よりも厳しい鋭い音に聞こえていた。経過部の「英雄」の主題に似た部分では一息遅れて出たり、終えるときにも一息入れる彼独自の目立ったテンポの変化があったが、特に第70小節の一息入れる試みは、前回以上に激しくなっているように思われた。提示部の繰り返しは、ごく自然体で行われていたが、繰り返してからは勢いがどんどん増して、高揚してから展開部に突入するのはとても颯爽として心地よい。
この楽章は、器楽によるオラトリオ的な奏法では、アダージョで開始される序奏が極めて重要な意味を持ち、あたかも独立した楽章のようなまとまりを持つ必要がありそうであるが、この演奏では特別に意識されて丁寧に重厚に演奏されていた。



     第二楽章では、弦のみで繰り返される第一主題は標準的なテンポであったが、管楽合奏に導かれる第二主題のテンポが前回のウイーンフイルのそれよりも早めに、しかも激しく進行しており、続くファゴットとクラリネットとフルートとがカノン風に美しく歌う第三の主題と関連づけているように思われ、全体的に今回のWCMの弦楽器の豊かさと管楽器の深い響きが良くミックスして、クリアーなアンダンテ楽章となっていた。
古楽器系のメヌエット演奏は、早いのが取り柄と言った極端に早い単調な演奏が一般的で概して好きになれない演奏が多いが、アーノンクールはメヌエットの演奏に独特の配慮を見せ、初めのメヌエットでは早めのテンポと大胆なリズムで急速にメヌエット部を進行させていた。対象的にトリオ部ではテンポを大きく落として十分に、特にクラリネットをほのぼのと歌わせ、続く弦楽合奏との音色の対比を図る独特の感触で、彼らしい雰囲気を持っていた。そして繰り返し後には再びメヌエット楽章に戻っていたが、最後のメヌエットでは譜面通りに珍しく繰り返しを省略せずに丁寧に演奏していたのに気がついた。この演奏ならピリオド色は強いが、ついて行けるという感触を持った。



フィナーレでは軽快な第一主題に続いて、それから派生した同じテンポの第二主題とも軽快に流れ、素晴らしいアレグロ・アッサイとなってモーツァルトらしい勢いで疾走しており、前回とは余り大きな変化には気付かなかったが、ここでは大編成のウイーンフイルと中小規模の今回の演奏の響きの違いが大きく目立っていた。この展開部でもこれらの主題が響きわたり、再現部でも同じような主題が躍動するようなフィナーレに作曲されているのであるが、アーノンクールは最後の繰り返しをキチンと行っており、やや単調な感じのする楽章を最後の再現部の繰り返しで盛り返し、意表を突くような終わり方を確認し、続けて第40番の第一楽章のモルト・アレグロを開始していた。

第39番変ホ長調交響曲の指揮ぶりでは、前回のウイーンフイルとの演奏では、細部の細かな点で今回のWCMのような訳にいかず、モダン楽器によるピリオド奏法を売り物にした、やや神経質な指揮振りであり、それが顔の表情などにも表れていたが、今回の演奏は、最初のうちは、まさに新しい解釈とも言える「器楽によるオラトリオ」演奏を意図したためか、胸を張って新しい演奏に向かっていたように見えていたが、実際には全てを知ったWCMを相手に、生まれ育ったグラーツでのいつもの会場の演奏であるので、自分の信念は貫きながらも、細部は勝手を全て知り尽くした団員たちに任せたような穏やかな指揮振りであった。



        続く第二曲目は第40番ト短調交響曲K.550であったが、アーノンクールの演奏は、第39番のフィナーレが終わると、両手を広げたまま一呼吸おいて、拍手を呼び起こす間をおかずに、直ぐ第40番のあの有名な弦楽合奏だけの第一主題へと進んでいた。この演奏では全体を通じて少し早めのテンポの厳しい表情で一貫しており、休憩を入れた前回よりも隙のない締まった演奏であった。第一楽章は速いテンポの第一主題で進んで、いわゆるため息の主題が休みなく厳しく続き、第一ヴァイオリンで始まりクラリネットが引き継ぐ第二主題に入って初めてホッとする状態が続いていた。アーノンクールは、前回も前々回のヨーロッパ室内楽団でもクラリネットの入った第二版を使っていたが、いずれもこの曲の始まりは、暗い翳りを持ったモルト・アレグロであり、アーノンクールは、この曲の幸せそうな指揮振りに反発を感じて、ウイーン交響楽団のチェリストを退団したという話があるくらい、この曲の冒頭の運びには神経質になっていたように見えた。その他、今回の演奏においても、提示部の繰り返しを行うときや展開部に入る冒頭などでパウセを置いて入るアーノンクール独自の指揮振りがここでも気になった。さらに展開部でもため息動機による対位法的な展開が非常に激しく繰り返され、再現部に入っても冒頭の第一主題は息が抜けない厳しい展開であった。



     第二楽章のアンダンテでは非常に早いテンポで第一主題がスタートし、後半に弦で始まり木管に移行する32部音符の3度動機の上下の変化が実に美しい。第二主題も同様なテンポで進行していたが、この動機が次第に支配するようになり、展開部以降にも現れて、寂しげなアンダンテに思わぬ装飾効果が加わっていた。アーノンクールは提示部の繰り返しも、末尾の繰り返しも、前回や前々回と同様に丁寧に行っており、前楽章の動的な動きを、この楽章でしばしの安らぎと慰めを与えるかのように進行していた。
メヌエット楽章では、第39番の時と同様に、メヌエット部は速いテンポでリズミックに力強く演奏されて軽快に進行していた。一方のトリオでは、反対にゆっくりしたテンポに代わり、弦が先行しクラリネットなど木管全体がこれを受ける温和な調べにかわり、続いて低弦で始まってホルンによるファンファーレが印象的であったが、今回の演奏では、ホルン奏者が3人いてホルンを吹いていたので、特に後半のホルンの美しい深い響きがどう分担されたか気になるところであった。アーノンクールは、ここでも最後のメヌエットでは繰り返しを行っていた。

 

フィナーレの初めの主題は、第一楽章の冒頭の主題と対応しているスタッカートが耳につく早い大地主題であり、アーノンクールは伸びやかに弦楽器を歌わせており、フィナーレになってやっと明るさを取り返したように進んでいた。弦楽合奏でなだらかな第二主題が明るく現れてから、これを受けるクラリネットのくすんだ響きが印象的であり、次第に盛り上がって提示部を終えていたが、再び第一主題が繰り返されて颯爽と提示部を終えていた。しかし、アーノンクールは、展開部でも第一主題を執拗に変形しながら繰り返し激しく展開しており、ここでも厳しい緊張感を生み出していた。再現部に入ると冒頭主題がそのまま再現されて再び明るさを取り戻していたが、アーノンクールはここでも末尾の繰り返しを丁寧に反復して再現しており、オーケストラを十分に歌わせてさり気なく終結していた。何とも暗い感じのト短調交響曲であり、1曲目が大らかさを持っていたのに対し、2曲目のこの曲は、暗さと厳しさを兼ね備えたような演奏に終始していた。



しかし、フィナーレの終始後、休息なしに直ぐに第3曲目の第41番ハ長調ジュピター交響曲K.551の堂々たる三つの和音が続けて堂々と開始され、続く短いフレーズの荘重な響きが二回繰り返されてゆっくりと進行していた。アーノンクールは疲れも見せずに正面から取り組んでいたが、映像をよく見ると、クラリネットがいた席にオーボエが移動しており、ホルンが3人のままであった。フェルマータのあと、フルートとオーボエが二重奏で主題を変形して軽快に繰り返したあと、躍動するように堂々と進行し、これが「ジュピター」であると感じさせる堂々たる響きを見せていた。続いて第一ヴァイオリンがお馴染みの第二主題を提示して行き経過部を経て小休止の後、大音響とともに激しく爆発するが、アーノンクールは堂々と淀みなく前へ前へと進めていた。そしてピッチカートに導かれて軽快に楽しく流れる副主題が嵐を収めるように続いて提示部を終了したあと、再び冒頭の三和音の主題が再現されていた。この繰り返しを良く聴くと、指揮者の特徴が浮き彫りになるような気がしており、アーノンクールはこれが本番であるかのように、重厚なしっかりした響きで前へ前へと進行させていた。
展開部では軽快な副主題が力強く、繰り返し繰り返し形を変えて展開されており、長大な格式ある展開部を形成していたが、やがて再現部に入り、冒頭の三和音から格調高く再現されていたが、アーノンクールのこの第一楽章は少人数のピリオド編成にも拘わらず常に堂々としたしっかりした響きを聴かせており、三大交響曲のオラトリオ的演奏の最後の交響曲の導入楽章の締めを果たしていたように思われた。



     第二楽章はアンダンテ・カンタービレで、厳かな感じのうねるように響く美しい第一主題が第一ヴァイオリンで静かに提示され淡々と進むが、オーケストラの流れが厚くて重厚な響きがし、木管群も良くこれに応えるように音を響かせていた。続く第二主題も重々しく弦がうねるように進行するが、木管も負けじとこれに参加しフルートもファゴットも存在感を示すように歌っていた。アーノンクールはこのソナタ形式の提示部の繰り返しを行ってから展開部に移行していたが、再現部では第一主題が変形されて弦の各声部で出てくる豊麗な32分音符の流れとフルート・オーボエ・ファゴットなどとの対話の部分が長々と続き、第二主題でも素晴らしい弦と管の対話があって、アーノンクールはこの曲独自の絶妙の世界を築き上げているように思われた。
第三楽章では、始めのメヌエット部は早めのテンポで、強弱の変化を激しく付けながら壮麗な響きを見せていたが、終わりの二つのオーボエによる二重唱が良く歌われ妙に印象的であった。トリオでは前半はゆっくりとしたテンポで少しおどけた感じで進んでいたが、後半から終楽章の主題が力強く示されて、しっかりとし歩を見せていた。再びメヌエット部に戻ると、アーノンクールは、ここでもメヌエットの繰り返しをスコア通り行っており、休息せずに直ぐにフィナーレ楽章に突入していた。



フィナーレではド・レ・ファ・ミの四つの音から作られるモルト・アレグロの堂々たるフーガ主題に始まり、この主題を追って威勢の良い主題が次々と提示され繰り返されていき、次第に元気良く壮大に進められていた。アーノンクールは両手を広げて丁寧にリズムを取りながらオーケストラを盛り上げるようにこのフィナーレを力を込めて指揮をしていたが、オーケストラの方もこれに応えるように颯爽として堂々たる響きを見せていた。アーノンクールは提示部を繰り返して力強さを示しながら展開部へと移行していたが、ここでは冒頭主題によるフーガ的展開が、繰り返し繰り返し丁寧に行われ、その都度壮大さを増していた。再現部に入ってもこの壮大なフィナーレ主題が、展開部の続きのように対位法による展開がなされていた。
          アーノンクールは再現部においても繰り返しを行い、続く最後のコーダでは、4つのフーガの主題だけで各声部が構築される複雑な多声的なフーガであり、オーケストラ全体が次第に力強く盛り上がりを見せて、高揚しながら高らかに終結していた。丁寧に繰り返しが行われたため、非常に長大ではあったが全体が盛り上がり、素晴らしい感動的な演奏で終わったため、歓声とともに凄い拍手が湧き起こり、場内は集中から解放されて暫くは興奮の状態で拍手が続いていた。アーノンクールはさすが疲れた表情を見せながら挨拶を繰り返していたが、冒頭に述べたように、花束持参の小父さんがアーノンクールに何か囁いて赤一点の奥さんに手渡していたのがお愛嬌であった。



かくして、アーノンクールの意図した三大交響曲の連続演奏会は終了したが、第39番の大きな序奏に始まり、4楽章、4楽章、4楽章と3曲が続き、最後に全体のフィナーレとも言うべき大規模なフーガ形式のコーダで終結するという展開は、考えて見れば、確かに当初から仕組まれたような側面を持っている。テキストのない「器楽によるオラトリオ」と、アーノンクールは名ずけたいようであり、山崎レポートでは、3曲を連続演奏すべき論拠を整理しているようであるが、果たして観客にはどういう印象を与えたであろうか。山崎レポートでは、ザルツ音楽祭の演奏では観衆の評価が高かったので、マエストロは上機嫌で取材に応じたことになっていたが、本当に休息なしの連続演奏会であったなら、このビデオのように所要時間は2時間にも達し、生理的要求にも耐えられなくなりそうである。

   この三つの交響曲は、1778年の夏に約1ヶ月半の短期間で一気に書かれているが、変ホ長調、ト短調と続いた後の最後の交響曲は、やはり記念碑的な長調作品で完成させたいという思いがあったに違いない。その結実はこの曲の終楽章に現れているが、磯山先生はこれをソナタ形式の原理とフーガの原理、新しいものと古いものの渾然とした統一体であると述べている。近年、一つのコンサートで、この三大交響曲を一気に演奏することが多くなったが、演奏者の側でもこのモーツアルトの執念のような思いに気が付いて、このようなプログラムが多くなったのであろう。このホームページでも、これでアーノンクールが3回とホグウッドのものやサイモン・ラトルの新しいものがあり、いずれも古楽器指揮者であることが共通して面白いと思った。私には、連続演奏をして新味を出したい巨匠の気持ちが分からないわけではないが、押しつけがましくなると、ブロムシュテットのようなやり方や伝統的な演奏の良さが思い出されてくるような気がする。


(以上)(2015/06/05)



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