(最新のクラシカ・ジャパンから;アーノンクールの初の演奏会形式による「コシ」)
15-4-3、ニコラウス・アーノンクール指揮、ウイーン・コンチェントウス・ムジクス、アルノルド・シェーンベルク合唱団よるオペラ「コシ・ファン・トウッテ」K.588、
演奏会形式(セミ・オペラ形式)による上演、2014/3/17、アン・デア・ウイーン劇場、

−このアーノンクールの演奏会形式の「コシ」は、私に取っては、音楽が最優先である今回のような歌もオーケストラも指揮者と一体になった優れたセミ・オペラ形式のオペラなら、先に見た「ドン・ジョヴァンニ」と同様に、音楽への配慮が不足した気に入らない演出のオペラを見るよりも、遙かに望ましく充実感を得ると感じざるを得なかった。この一連のダ・ポンテ・オペラのシリーズは、演出家優先の現状のオペラ界には、大きな一石を投ずるものと思われる−

(最新のクラシカ・ジャパンから;アーノンクールの初の演奏会形式による「コシ」)
15-4-3、ニコラウス・アーノンクール指揮、ウイーン・コンチェントウス・ムジクス、アルノルド・シェーンベルク合唱団よるオペラ「コシ・ファン・トウッテ」K.588、
演奏会形式(セミ・オペラ形式)による上演、2014/3/17、アン・デア・ウイーン劇場、
(配役)フィオルデリージ;マリ・エリクスメン、ドラベラ;カテイア・ドラゴイェヴィチ、フェランド;マウロ・ペーター、グリエルモ;アンドレ・シューエン、デスピーナ;エリーザベト・クールマン、アルフォンゾ;マルクス・ウエルバ、
(2015/03/26、クラシカ・ジャパンの放送をHDD1に収録、)

4月号の第3曲目のオペラ部門では、前号に引き続き最新版のニコラウス・アーノンクール指揮、ウイーン・コンチェントウス・ムジクス、アルノルド・シェーンベルク合唱団によるオペラ「コシ・ファン・トウッテ」K.588であり、2014年の3月にアン・デア・ウイーン劇場で、演奏会形式(セミ・オペラ形式)により上演された最新の映像である。3月号でこのオペラシリーズの「ドン・ジョヴァン」(15-3-3)をアップロードしているが、これと全く同じスタイルのオペラであり、出演した若い歌手のうち3人が、このオペラにも出演している。主役だったドン・ジョヴァンニ役のアンドレ・シューエンが、今回はグリエルモ役を、前回のドン・オッターヴィオ役のマウロ・ペーターが、今回はフェランド役を、そして前回のツエルリーナ役のマリ・エリクスメンが、フィオルデリージ役をやっており、前回のオペラで良く歌っていたので、今回も非常に期待されている。



アン・デア・ウイーン劇場のセミ・オペラ形式では、舞台の前にオーケストラ・ピットがあって指揮者の姿がよく見え、舞台上には机や椅子や譜面台などの小道具があり、背景はいつものオペラスターの顔写真であるから、「カフェー風」とされるこのオペラの第一場は、普通のオペラの開始と変わらない。アーノンクールが拍手とともに登場して、メガネをかけて全体を見渡し、力強い和音と共に序曲が始まった。オーケストラで「コシ・ファン・トウッテ」と刻むように和音が続けられて序奏が終わり、序曲がプレストで軽快に進み出すと舞台の方も動きだし、アルフォンゾが椅子やテーブルを動かして何かを用意しているように見えたが、序曲の終わりにはチェスのコマ並べをしていることが分かり、賭が好きな登場人物たちのオペラが既に始まっているように見えていた。



序曲が終わるとYシャツ姿のフェランドが大声で歌い始め、続いてもう一人のグリエルモが怒ったように歌い出して二重唱となっていたが、そこにしたり顔で歌うアルフォンゾを加えて喧嘩腰の第一曲の三重唱にと発展していた。どうやら恋人たちの悪口をアルフォンゾに言われて、若いフェランドとグリエルモが腹を立てたらしい。剣は持たないが口喧嘩は達者なアルフォンゾが、「女の貞節なんて不死鳥みたいなものだ」と第二曲のアリアを歌い出し、恋人たちの貞節の証拠はあるかと詰問すると、男二人はむずむずと答えようがなく、「賭けようか」との声にあっさり「望むところ」と賛成をした。そして男二人は始めから勝ったようなつもりになって第三曲の二重唱のセレナーデを歌い出し、アルフォンゾも加わって「愛の女神に乾杯」をし、恋人たちの貞節を賭けるという怪しげな酷い物語が威勢よく始まっていた。この第一場は、舞台にオーケストラがいる演奏会形式でなく、「セミ・オペラ形式」だったので、普通のオペラと全く変わりない様子で進行し、拍手で終了していた。



続いてクラリネットとファゴットの美しい前奏とともに派手な紺色のドレスと赤のドレスを身につけた格好の良い二人の姉妹が登場し、楽譜の表紙に描かれた恋人たちの写真を互いに見せ合って、まず姉の方がやや軽薄そうに恋人たちの噂を歌い出すと、妹も負けじと歌い出して、やがて二人の美しい第四曲の二重唱になっていた。そしてアレグロになると二人は「何と幸せ」と歌って、ふざけながらこれで心変わりしたら愛の神様の罰が当たると歌っていたのが面白かった。フィオルデリージとドラベラの姉妹は、表情豊かにゼスチャーを交えて歌っていたので、海辺の庭園の背景はなく譜面台を前に立って歌っていたが、オペラと全く同じように理解出来、拍手を浴びていた。



二人は手相を見たり、何かが起こりそう、心がうずくなどとレチタテイーヴォでふざけていた所へ、アルフォンゾが姿を表し、「酷い運命だ」と大袈裟に第五曲を歌い出した。女二人は恋のほろ酔い気分が一変に醒め、心配で質問攻めにするが、「国王の命令で急に戦場に行くことになった」との返事に複雑な表情。合図で男二人が先のYシャツ姿で泣きながら恐る恐る現れ、恋人たちに近づくと、女二人は行かないでと喚きだし、第六曲の涙の別れの五重唱が始まった。剣で胸を刺してから行ってと言われて、男二人は喜びながら、泣かないでなどと慰めつつ、芝居とは夢にも思わない姉妹の悲しい嘆きの五重唱となっていた。ここで続く第7番の男二人の二重唱は省略されて、別れの合図の太鼓の音が遠くから聞こえてきて、舞台には黒の制服で統一した男女の大勢の合唱団が登場し、第8番の「軍隊万歳!」の合唱が始まっていた。別れを悲しむ姉妹を前に、合唱団はにこりともしないで真面目な顔つきで行進曲を元気よく歌っていたので、見ている側は、実に、おかしくて笑いがこみ上げてきた。



合唱団が立ち去ると、ピッチカートの伴奏で「悲しくて死にそう」と姉妹が歌い出す第九番の手紙の五重唱が美しく実にゆっくりと始まったが、アルフォンゾ一人が可笑しそうに笑いながら呟いていたが、この美しい五重唱は二組の恋人たちが抱き合うだけで演技が不要であり、演奏会形式でも何も問題がなく、これが「コシ」だという決定的な美しい音楽の場面を作り上げていた。再び勢いよく合唱が始まって男二人がついに出発し、女二人が残されていた。元気を出してとアルフォンゾが二人を慰めていると、ピッチカートの前奏が始まって、第十番の「風よ、穏やかに」の飛びきり美しい小三重唱が始まっていた。このオペラを象徴する表面は美しいが皮肉な笑いがこめられたとても美しい重唱が二つも続いて、オーケストラも含めたアンサンブルの美しさを、改めて感じさせていた。アルフォンゾは一人になると、わしも役者だなとほくそ笑み、伴奏付きのレチタティーヴォで、「女のために100も金を賭けるなんて」と笑いながら歌ってこれからの作戦を考えていた。



そこへ入れ替わりに軽装の若いデスピーナが登場して「小間使いなんて最低!」とぼやきながら、チョコレートの朝食を作り「私は香りだけ」と嘆いていると、そこに血相を変えたドラベラが現れ、差し出した朝食を投げつけて「お下がり!」と言い、ヒステリックに一人にさせてと言いながら、半狂乱の第十一番のアリアを歌い出した。早いテンポでパロディックに気が狂ったように激しく歌うこのアリアは、いささか大袈裟であったが、ドラベラの重要なアリアで拍手が多かった。デスピーナが驚いて「一体何が起こったの」と聞き出すと、「何だ、そんなことか」「恋人たちは直ぐに帰ってきますよ」と平気な顔。そしてあの二人が居なくても男は沢山いるので、むしろ浮気をして楽しむべきよと言いだす始末。そして「男や兵士に貞節を期待するなんて」とふざけた第十二番のアリアを歌い出し、「男なんて皆同じよ」とからかうので、姉妹は呆れて居なくなってしまい、デスピーナは大拍手の人気者となっていた。



アルフォンゾが作戦を成功させるには、抜け目ないデスピーナに餌をまいて味方にしようと近づくと、デスピーナはお金には目がないようで、姉妹の様子もよく知っていた。姉妹を元気づけるために、姉妹を慕う二人のアルバニア人に引き合わせたいと彼女に告げると、「彼らはお金持ち?」と大声を上げて関心を寄せ、第十三番の六重唱が始まった。まず男二人は赤の印のついたワイシャツ姿でアルバニア人になった積もりで登場し、デスピーナに挨拶をして四重唱になり、彼女は二人を見て品定めをしていたが、「どこの国の人?」と変装しているとは気がつかず男三人は一安心であった。

そこへ「何という騒ぎです!」と姉妹が登場してデスピーナをたしなめ、見知らぬ若い二人の男性がいるのに驚いて追い払おうとして六重唱が続き、大騒ぎしていた。
怒りを隠さない姉妹に対して、アルフォンゾが伴奏付きのレチタティーヴォで「わしの無二の親友がいる」と驚いて見せ、改めて姉妹に二人のアルバニア人を紹介したので、男二人は安心して「アモール」と二重唱で愛を歌い出す始末。



        姉妹は「帰って」と相手にしなかったが、男二人が余りにもしつこいので、フィオルデリージが遂に大声を上げて怒りだし、激しい伴奏付きの怒りのレチタテイーヴォで「私の心は、恋人たちに捧げている」と断り、その勢いで「岩のように微動だにしない」と第十四番のアリアを歌い出していた。そして変装して侵入した二人のアルバニア人に対し怒りを歌い、後半にはピウ・アレグロになると、自分たちは愛に忠実だとコロラトウーラのアリアとなって姿勢を示し、大きな拍手を浴びていた。ここでも、顔の表情と少しの体の動きがあれば、演技不要の素晴らしい場面が続いていた。



   もう少し優しくしてやって欲しいとアルフォンゾが姉妹に頼み、グリエルモがフィオルデリージに対し「僕たちの悩みにも耳を貸して」と、第十五番の「愛らしい瞳よ」と歌い出しアリアで彼女を口説き出していたが、終わりに長い足や立派な髭があると男の体の自慢を始めたので、女二人はたまりかねて逃げ出してしまった。男二人は賭はかったとばかりに大笑いしてアルフォンゾをからかい、そのまま第十六番の大笑いの三重唱となっていたが、アルフォンゾは、作戦はこれからだと男二人に言い聞かせていた。続いてフェランドは、第十七番の「恋人の愛の息吹は心に安らぎを与えてくれる」とドラベラへの愛を歌っていたが、これは素晴らしいアリア。うっとりして聴き惚れてしまうが、やはり演技不要・演出不要の場面が連続していた。
心配になったアルフォンゾがデスピーナに意見を聞くと、彼女は女二人が愛されていることが分かっているので、きっかけさえ作れば上手くいくと答え、デスピーナはこれまでもう1000人の男を騙してきたから、二人のお嬢さんが相手なら訳がないと格好の良さが目立っていた。



メッザ・ヴォーチェと指定された静かな弦の合奏でアンダンテのフィナーレに入って、フルートとファゴットによるおどけた伴奏がとても美しく響いていたが、二人の姉妹が「たった一時で運命が変わってしまった」と嘆きながら美しい二重唱が始まって、今や苦しみで一杯と悲しんでいた。そこへ突然にアレグロになって、男二人が現れて制止するのも聞かずにテーブルの上のグラスに入った砒素を飲み込んでふらふらになり脇にあった椅子に座り込んでしまった。さあ大変。女二人はそれを見て驚いてデスピーナを呼んで大騒ぎ。現れたデスピーナは一目で全体を理解し、姉妹に倒れた男たちを優しく介護しろと言い、アルフォンゾと私は医者と薬を見つけてくると立ち去った。



姉妹は恐る恐る男二人に近づいて、脈を測ったり熱があるか触ってみたりしてとなる筈であるが、ここでは立ったまま字幕のセリフと音楽だけで、次第に男二人に興味を示し、優しくなってきた様子を示していた。そこで再びアレグロの3/4拍子になり、アルフォンゾの背広を着たデスピーナのお医者さんが現れて、訳の分からない言葉で話し出した。彼女は何を飲んで、服毒の様子を聞き出し、手にしていた楽譜の本がメスメル磁石替わりになって、椅子で目をつぶってぐったりしている男二人に近づいて、音楽に合わせて二人に磁石をあてがうと、それが凄い効き目で、男二人は目を開けて「ここはどこ」と動き始めていた。



アンダンテに音楽が変わると二人は動き出して、やがて目を覚まして起ち上がりやっと気が付いたようだった。そして介抱してくれた恋人たちに近づいて僕の女神様と囁きだしたが、ここからその相手は新しいカップルになっており、見事な六重唱が続きフェランドはフィオルデリージに、グリエルモはドラベラに愛を囁いていた。再び音楽がアレグロになり、それから男二人は気違いのようにしつこくキスを求め出して賑やかな六重唱に変わり、驚く女二人がビックリして大騒ぎになり、毒のせいだと言われても次第にそれが女二人の怒りになっていった。音楽が早いテンポに変わり、攻勢がさらに激しくなると、女二人は遂に爆発し大騒ぎの末に、第一幕が賑やかに終わりとなっていた。
本来ならこのフィナーレは、デスピーナのお医者さんの変装の出番であり、演出家の腕で舞台は笑いの連続になるのであるが、この舞台でも字幕と簡単な動作と素晴らしい音楽のお陰で、演出家の演出がなくとも、楽しい舞台の雰囲気が出て大笑いと大騒ぎの中で第一幕が劇的に終了しており、この演奏会形式は成功していると実感させられた。



        第二幕に入ってデスピーナが姉妹を相手に「恋愛なんて適当にするものよ」と教え込み、イチジクを食べていてもリンゴを捨てては勿体ないという。デスピーナは「今はあの男達は二人とも控えめで礼儀正しく温和しくしている」と話して、お嬢さん方だって生身の人間でしょうと言い置いて「女も十五歳にもなれば」とアンダンテで第十九番のアリアが始まっていたが、直ぐに調子の良いアレグレットになってデスピーナの本領発揮のアリアになって、二人の姉妹はあきれ顔。観客は大喜びで、デスピーナは終わると大拍手を浴びていた。姉妹は彼女の話をどう思うと語り合っていたが、突然ドラベラが「私はあの黒髪さんを取るわ」と第二十番の二重唱を歌い出し、フィオルデリージが「私は茶髪さん」と声を揃えた仲の良い楽しい二重唱に発展し、ちょっと楽しみたいわと口を揃えて歌い、やっと二人は気が晴れたような明るい声を出していた。



そこでアルフォンゾが姉妹に声を掛けて誘うと、木管六重奏のとても甘いセレナーデが聞こえてきて何かが始まりそうであった。そのうちに男二人の「微風よ、聞いておくれ」という第二十一番の二重唱が始まり、愛の神様に味方してくれと歌っており、合唱団も舞台に上がってこれを続けて歌っていた。しかし、雰囲気が良くなって4人が顔を合わせても、男二人は緊張して声が出ない。そこで甘い前奏とともにアルフォンゾが男二人の手を取り、デスピーナが女二人の手を取って、先生を復唱する第22番の四重唱が始まったが、4人を引き合わせても声が出ない。たまりかねてデスピーナが過去のことは忘れようと、新しい組み合わせのカップルを指導していた。



お互いに馴れぬ相手に矢張り言葉が出なかったが、フィオルデリージが思い切ってフェランドに少し歩こうと、手を繋いで二人で散歩に出かけていた。それを見てグリエルモは心配で気が気でなくなり、死にそうだと頭を抱えても、ドラベラがまたからかうのねと相手にしない。しかし、グリエルモがドラベラに赤いハート型の紙切れの贈り物を見せると思わぬ反応があり、山が動き出したと感じさせていた。二人はハートを下さい、望んでも駄目です、と言い合って甘い二重唱になっているうちに、いつしかドラベラはその気になってしまい、ハートを受け取ると返事をしてしまった。そしてドラベラが夢中になって歌っている隙に、グリエルモは彼女の楽譜の裏のフェランドの顔写真と、新しいハート型の赤い紙切れとをすり替えて交換してしまっていた。二重唱が終わる頃には、普通の演出では二人は次第にその気になって、終わりには二人は抱き合ってしまうのであるが、今回の舞台では、二人は立ったままで新しい喜びを歌っており、抱き合うことなく終わって、ドラベラは楽譜を持って何も気づかずにそのまま退場していた。



さて一方のフィオルデリージは、大蛇だ、大トカゲだと言ってフェランドから逃げてきたが、フェランドが真剣になればなるほど、彼女は私の心の平安を乱さないでと訴え、最後には何処かへ行ってと叫んでいた。フェランドはここで歌われる第24番のアリアを省略して、恨めしげにフィオルデリージから離れていった。
フィオルデリージは、遂にフェランドがいなくなったので、弱みにつけ込んでくるフェランドが居ない方が良いとレチタテイーヴォを一人になって歌いながら、珍しいホルンの伴奏とともに「愛しい人よ、お許し下さい」と第25番のアダージョのロンドを歌い出していた。いつの間にかフェランドを好きになり始めた心の過ちを罰してくれと、愛の神様に願うこのアリアは真剣な表情で歌われ、後半は早いテンポになり、彼女も次第に激しく感情を表して歌い続け、ホルンのオブリガートも素晴らしく、最後には客席からブラボーの歓声と大拍手が送られていた。



   「我々は勝ったぞ」とフェランドが、フィオルデリージが自分から逃げ出したことをグリエルモに語って、ドラベラはと聞いた返事に自分の写真を見せられて半狂乱。男二人は取っ組み合いになりそうに騒いでいたが、フェランドは興奮して伴奏付きのレチタテイーヴォで彼女に復讐しようと怒りでしたので、グリエルモがフェランドを慰めようと、タンテイア、タンテイアと歌い出し、第26番のアリア「女は男をいつも悩ませる」と歌っていた。一方のフェランドは伴奏付きのレチタテイーヴォで彼女に「裏切られ、踏みにじられても」と歌い出し、第27番のアリアで、「それでも僕は彼女を愛している」と切ない男心を半狂乱で歌っていた。



アルフォンゾは、男二人に対しドラベラは陥落したがまだ賭は終わっていないと説明し、勝負はこれからだと準備をしようとしていた。一方、ドラベラが新しい恋人の口説き方が上手いとデスピーナに自慢していると、フィオルデリージが現れてフェランドを好きになりかけて困っていると本音を話してしまった。ドラベラは喜んだが、フィオルデリージが余りにも真剣なので、いっそ降参した方が気が楽よと語り「恋は盗人」と第28番のアリアを嬉々として歌い出していた。このアリアの恋の楽しさを歌う楽しげな旋律には素晴らしいものがあり、大拍手であった。しかし、フィオルデリージは皆が私をそそのかすと悩んでいたが、ふと思いついてデスピーナを呼んでグリエルモの洋服と剣を取り寄せて、戦場に会いに行こうと考えた。そして「もう少しの辛抱で」彼に会えると第29番のアリアを歌い出すと、そこへフェランドが現れ私は死んでしまうと応戦し、激しい二重唱になって「殺してから行ってくれ」と歌うフェランドに根負けしてしまった。そしてフィオルデリージは断り切れず、遂に「神様、助けて下さい」と陥落し、オーボエの悲しげな音とともにフェランドを許してしまっていた。普通の演出では二人は最後には抱き合ってしまうのであるが、ここでは二人は立ったままで抱き合いましょうと歌うだけで、残念ながら、軍服もなく、剣もないこの場面は、演出なしなので、何か寂しい気がした。



   この場面を陰から見ていたグリエルモは半狂乱。フェランドにも「おれの方が男前だから」とからかわれて仕返しだと息巻いていたが、やはり恋人たちを愛している男二人は結婚式だとアルフォンゾに言われて力なく従い、アルフォンゾに第30番のアリアとなる勝利の詩を聞かされて、最後には三人で「コシ・ファン・トッテ」と合唱していた。一方のデスピーナは、お嬢さん方は結婚式の準備を始めて、公証人を頼まれたとはしゃいでいた。



フィナーレに入ってアレグロ・アッサイの軽快な音楽が始まって結婚式の準備が開始され、デスピーナが大活躍しており、合唱団も用意に忙しかった。アンダンテになって合唱団が二組の新郎と新婦への祝福の歌を合唱し、4人が順番に入場し、整列していた。4人の嬉しい四重唱の後、音楽はラルゲットになり、フィオルデリージがこのグラスの中に全ての思いを沈めましょうと美しく歌い出し、フェランドやドラベラも続いて最高の場面になっていたが、ピッチカートの伴奏でグリエルモ一人が毒づく面白い四重唱になっており、複雑な様子が見えた。



そこへ突然に公証人を装った背広を着たデスピーナが登場し、結婚誓約書を読み上げていたが、途中でアルフォンゾが皆にサインをさせて進んでいたが、その時にあの「軍隊万歳!」の合唱の音楽が聞こえてきた。一同は顔を見合わせて不吉な予感。見に行ったアルフォンゾが、姉妹の恋人たちが帰って来たという。さあ、大変。



           二人のアルバニア人に隠れてもらい、どうしたらよいか考えているうちに恋人たちが元気よく帰ってきたが、姉妹は一言も口がきけず何か様子が変。公証人も結婚証明書も見つかって、「どうか死を」と謝るばかりの姉妹の前に、再びアルバニアの男二人が現れた。ここでアルフォンゾが全て姉妹を騙していたことが分かり、姉妹に赦しを求めると共に、アルフォンゾはこれで恋人たちは利口になったから、元の鞘に戻ればもっと幸せになれると語っていた。姉妹は反省しきりの表情で、姉妹の心からの赦しの二重唱が歌われて、男二人も素直な表情でそれに答える二重唱が自然に歌われていた。さらに、4人の表情や並び方から様子を見ると、どうやら問題なく元のサヤに戻ったように見え、最後の合唱になっても4人はキチンと真面目に歌っていたので、リブレット通りのハッピイ・エンドの形で終幕となっていた。



演奏会形式の映像であったが、客席での大変な拍手を受けて、終了後の舞台ではカーテンコールが繰り返し行われ、指揮者アーノンクールも列の中央に加わって、盛んに歓迎の拍手を貰っていた。この姿は、演出付きのオペラの終了時と何も変わることがなかったと報告しておきたいが、それは、ある意味でこのオペラは、演奏会形式に最も馴染み易いオペラだったからと言うことも出来よう。

この「コシ・ファン・トウッテ」の物語のキーポイントは、考えて見ると変装物語であり、着せ替え物語であって、衣裳などの演出技術が重要なオペラであると考えてきた。しかし、どんなに変装技術が巧みであっても、恋愛をしている女性が自分の恋人を見誤る筈がないことも事実であるので、女性役はそもそも騙された振りをしていなければこの物語は成立しないことになる。従って、この物語は、始めから無理筋を承知で、それに触れないことを前提としたオペラであるので、そもそも変装の演出自体が意味を持たず、逆に言うと、どんな演出をしても余り変わらないと言うことになってしまう。最近になって、このオペラの新しい演出が増えてきたが、このオペラは、人間の恋愛関係を描いたオペラなので、時代が変わろうと、地域が変わろうと、大きな矛盾がなく、むしろ背広姿の現代物にも合うオペラと見なされてきたが、このようなことを考えて行くと、このオペラは演出を無視した演奏会形式のオペラに最も馴染み易いオペラと言うことが出来そうである。



アーノンクールによる今回の演奏会形式によるオペラの映像の特徴を整理しておくと、次のように要約することが出来ようか。
1、 セミ・オペラ形式の演奏会形式のオペラだったので、舞台で演じられる普通のオペラと異なる感じが少なかった。
2、アン・デア・ウイーン劇場におけるセミ・オペラ形式だったので、舞台とオーケストラ、歌手とオーケストラとの距離が身近に感じられ、声と楽器が良く溶け合ってアンサンブルが良く、特にそれがこのオペラにとって相応しかった。
3、この劇場のせいか、指揮者のアーノンクール、コンサート・マスターのエーリヒ・ヘーベルトや、通奏低音のフォルテピアノ奏者およびチェロの奏者が良く映っており、普通のオペラの映像では出来ないことが印象に残った。
4、 歌手陣が、グリエルモ以外は、譜面を見ており、譜面の全てを記憶する重圧から解放されており、それ以上に演出家や強制される演技から解放されて、非常に豊かな表情で伸び伸びと歌っており、それが音楽面で最良の効果をもたらしたものと思われる。
5、 これらを通じて、やはり、音楽を最優先にする演奏会形式のオペラの特徴が現れていたし、この映像を見る側にも、舞台の動きを追うことからかなり解放されて、譜面やリブレットを確認しながら音楽を楽しむ新たな効果があったように思われる。

     アーノンクールの指導を得て選ばれた若き歌手たちについて一言。ドン・ジョヴァンニを歌っていたアンドレ・シェーンは、グリエルモの成功でドン・ジョヴァンニを歌ったのかもしれないが、押し出しも良く譜面を見ずに堂々と歌える花形の歌手であった。フェランドのマウロ・ペーターは演技から解放されて、またアルフォンゾのマルクス・ウエルバは歌詞の記憶から解放されて伸び伸び歌っていたように見えたが、充分に役をこなしていたと思われる。二人の姉妹もお揃いで演技や記憶から介抱されてまずまずの歌い振りであったが、フィオルデリージ役のマリ・エリクスメンは少し線が細いように思われた。デスピーナのエリザベート・クールマンは男役時の低音に驚かされたが、演技なども得意な上手な歌手と思われた。三部作で「フィガロの結婚」だけを見ていないが、それがどんな配役になるか楽しみである。

以上に述べたとおり、私に取っては、音楽が優先の今回のような歌もオーケストラも指揮者と一体になった優れた演奏会形式のオペラなら、先に見た「ドン・ジョヴァンニ」と同様に、音楽への配慮が不足した気に入らない演出のオペラを見るよりも、遙かに望ましく充実感を得ると感じざるを得なかった。この一連のダ・ポンテ・オペラのシリーズは、演出家優先の現状のオペラ界には、一石を投ずるものと思われる。


(以上)(2015/04/20)


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