(最新の市販BDから;2010エクサン・プロヴァンス音楽祭の「ドン」)
15-2-3、ルイ・ラングレ指揮、ドミトリー・チェルニャコフ演出、フライブルク・バロックOよるオペラ「ドン・ジョヴァンニ」K.527、
2010エクサン・プロヴァンス音楽祭、2010年7月、

−ドンナ・アンナが騎士長の娘で、エルヴィーラとは従姉妹同士の関係にあり、ツエルリーナが彼女の最初の結婚時の娘として描かれ、ドン・ジョヴァンニがエルヴィーラの夫と言う形で、登場人物のほぼ全てが騎士長家の家族として読み替えがなされた新しい「ドン・ジョヴァンニ劇」であった。そのため奇想天外な形で物語が展開され、中途では支離滅裂となって中抜きせざるを得なくなったが、最後に思わぬ展開を見せた「現代のドン・ジョヴァンニ劇」であった−


(最新の市販BDから;2010エクサン・プロヴァンス音楽祭の「ドン」)
15-2-3、ルイ・ラングレ指揮、ドミトリー・チェルニャコフ演出、フライブルク・バロックOよるオペラ「ドン・ジョヴァンニ」K.527、
2010エクサン・プロヴァンス音楽祭、2010年7月、
(配役)ドン・ジョヴァンニ;Bo Skovhus、ドンナ・アンナ;Marlis Petersen、 レポレロ;Kyle Ketelsen、エルヴィーラ;Kristine Opolais、オッターヴィオ;Colin Balzer、騎士長;Anatoli Kotscherga、ツエルリーナ;Kerstein Avemo、マゼット、David Bizic、
(2013/10/22、市販BD購入、BelAir Arte 760115-304802)


   この2010年エクサン・プロヴァンス音楽祭の「ドン・ジョヴァンニ」の映像は、かねてからおかしな演出の「ドン」とされており、まともな映像の方が先行して、最後に3月号として登場することになった。演出者チェルニャコフの考え方は、舞台を現代風な資産家の一家として、騎士長の邸宅を中心に展開される。どうやら、登場人物のほぼ全てが騎士長家の家族として読み替えがなされており、ドンナ・アンナが騎士長の娘であることは良いが、ツエルリーナが彼女の最初の結婚時の娘として描かれている。彼女はエルヴィーラとは従姉妹同士の関係にあり、ドン・ジョヴァンニがエルヴィーラの夫と言う形で家族が構成されており、レポレロは騎士長の親戚というやはり身内の関係になっているようだ。

      このような奇想天外な設定で展開される物語が、果たしてどのような形で進行するのか、興味深かったが、一見したところではオペラは通常の形で進行しており、最後のカーテンコールで演出者に対しても拍手が寄せられていたようなので、何とか辻褄合わせには成功したものと思っていた。ところが、3月号へのアップを決めてから、改めて初めから見直したのであるが、真に残念ながら、途中からどうしてもこの演出の真意が分からなくなり、最後まで見通す意欲が萎えてきた。演技をし、歌っている歌手の皆さんには、真に申し訳ないが、こういう自分にはナンセンスな演出に出遭うと、私には理解してあげようとする意欲さえ失ってしまう。この読み替え劇は、矢張り無理筋であり、リブレットの言葉が意味をなさなくなり、美しい音楽まで色褪せて聞こえてしまう。そうなると私には「ドン・ジョヴァンニ」ではなくなり、見たり聴いたり先へ進もうとする意欲が次第になくなってしまう。第一幕のフィナーレで、あのマスクの人の美しい三重唱が空虚になって意味をなさなくなってからは、美しく豊かな筈のメヌエットまでも貧しくなり、その後は単なるドタバタ劇に過ぎなくなってしまった。


    しかし、第二幕のフィナーレになって、騎士長の登場によって一挙に緊張感が走り、状況は一変した。場面は序曲の冒頭の音楽によって、登場した騎士長は何と石像でなく生きており、舞台は一番最初の場面に戻ったのである。家長の騎士長が正面の席に着き、ドン・ジョヴァンニを除く6人が、定められた席に着き、騎士長は「ドン・ジョヴァンニ!」と大きな声で呼びかけていた。そして、ドン・ジョヴァンニだけは驚き、うろたえながら騎士長と言葉を交わし始めていた。
      この場面に至るまで、この舞台劇は、ナンセンスな意味をなさない中抜け状態であり、ここから舞台が改めて始まったように見えた。そのため、これまでとは異なる変な進め方であるが、改めてこの映像を見直しして、このオペラ「ドン・ジョヴァンニ」の映像を、初めから丁寧に見ていくことにしたい。




     映像の最初に戻り、指揮者のルイ・ラングレが入場して、オーケストラの準備が整った瞬間に幕が突然開いて、舞台には豪華な一室の家族会議の席が写し出されていた。家長が登場し、室内の様子を見ておもむろに着席すると、いきなり、オペラ「ドン・ジョヴァンニ」の序曲の冒頭の和音が始まった。続いて弦が不気味に震える和音の序奏部が動き出すと、字幕で紹介のあった親族一同7人が入場し、互いに挨拶を交わし、いつものように着席して、まさに親族会議が始まろうとしていたが、音楽がモルト・アレグロの早いテンポの弦が響き出すと、幕が下りて画面はオーケストラの演奏風景が映し出されていた。古楽器によるピリオド奏法の序曲が小気味よく早いテンポで進行し、画面では、出演人物のお互いの関係まで丁寧に紹介されていた。序曲は勢いよく軽快に終了し、続いて第一曲が開始されて、舞台にはレポレロが一人、ブツブツ言いながら歌い始めていた。そこへ騒がしい物音が聞こえ始め、下着姿のドンナ・アンナと衣服を着ようとしているドン・ジョヴァンニが飛び込んできて、互いに言い争いを始めて、二重唱からレポレロも加わって三重唱になっていた。





              そこへこの騒ぎを聞きつけて、家長の騎士長がガウン姿で駆けつけて来て、ドン・ジョヴァンニと「娘を離せ」と取っ組み合いとなり、騎士長が殴りつけるとドン・ジョヴァンニが突き飛ばしていた。その時騎士長の頭が書棚の隅に当たり、その打ち所が悪かったか、頭から血を出して倒れ込んでしまった。さあ大変。騎士長は次第に虫の息になり、下着姿のドンナ・アンナは大変だと誰かを呼びに飛び出していき、残されたドン・ジョヴァンニとレポレロは、コソコソと逃げ出してしまっていた。



           それから数日後、喪服姿のドンナ・アンナとオッターヴィオが、遺影の置かれた祭壇に姿を見せ、ドンナ・アンナは伴奏付きのレチタテイーヴォで父の死を嘆き悲しんだ後に、オッターヴィオに「この血にかけて、復讐を」と第2番の二重唱で歌いかけ、彼に復讐を誓わせていた。しかし、あの場面に立ち会っていたドンナ・アンナとしては、父の死は偶発的なものであり、その原因も自分の浮気のせいであることを知っていた筈なので、いつものオペラとは事情が少し違っており、やり過ぎという感じがした。


                     このような親族同士でお互いに知り合っているという奇想天外な設定で展開される物語であるが、冒頭の場面も事故死のような形で始まり、続くエルヴィーラの第3番のアリアも、自分の亭主の浮気に対する言葉やアリアにしては、余りにも厳しすぎるような気がした。 しかし、これ以降も、互いに親族であることが災いしてか、演出とリブレットの矛盾がどんどん拡大していった。例えば、第5番でツエルリーナがドン・ジョヴァンニに対し親しげであるのは良いが、知っている筈のマゼットが第6番で大袈裟な敵対行動を取ったり、さらに第10番のドンナ・アンナのアリアが、激しいだけに全くナンセンスに聞こえ、リブレットとの乖離にうんざりしてしまった。このように、自分としては、冒頭に述べたとおり、第一幕の半ばから、前向きにこの映像を見ようとする意欲が薄れてしまっていた。そのため、大幅に中抜きをしてやっと何とか辻褄が合いそうな、第二幕の騎士長の登場の場面から、改めて、ここに再開したいと思う。










場面は第二幕のフィナーレに入り、ドン・ジョヴァンニが夕食をとり、エルヴィーラとレポレロが悲鳴を上げて戻ってくると、騎士長の家長が、「ドン・ジョヴァンニ!」と叫びながら登場し、序曲の冒頭の音楽が始まっていた。そして食事に招待されたからやって来たと述べ、全員が席についていたが、ドン・ジョヴァンニだけは驚いて立ったまま、言葉を交わしていた。騎士長は、この招待の返礼に、「今度はわしの所に来るか」と問うた。レポレロが断りなさいと言うのを聞かずに、ドン・ジョヴァンニは「行こう」と返事をしていた。騎士長はつづけて「約束の印に握手をしよう」との声に握手をすると、ドン・ジョヴァンニは、冷たさに驚き、猛烈な激痛が全身に走ったのか苦痛に顔をしかめ動けなくなっていた。騎士長は「改心せよ」と迫るが、ドン・ジョヴァンニは苦痛に苦しみながらも「イヤだ」と言ってはねのけ、押し問答が繰り返されていた。騎士長が「時間がない」と立ちあがると、ドン・ジョヴァンニは苦しみで倒れてしまい、絶叫しながら体を震わせておとなしくなってしまった。レポレロも大声を上げながら、倒れてしまっており、地獄落ちのもの凄い音楽が鳴り響いていた。それを見て、騎士長は驚いたことに、メガネと付け髭を取りはずして、そのまま静かに立ち去っていた。

 

            画面は明るい六重唱が始まっており、倒れて訳の分からぬことを言っているレポレロを始め全員が集まって、早口の六重唱になっていた。そしてめいめいが自分のやりたいことを述べてから、最期の全員の合唱で終わりとなっていた。

             しかし、この「ドン・ジョヴァンニ」には他のオペラには見られなかった凄い話が残されていた。それはドン・ジョヴァンニは地獄で酷い目に合わず、まだ生きていたことであった。一方の騎士長については、最期に出てきた騎士長は、変装をした替え玉だったか、或いは生き残った家長であったかは判断できなかった。と言うのは、レポレロとドン・ジョヴァンニの二人だけで会話していた場面で、時々、本が好きな家長が本を探しに舞台に現れたのを、目撃していたからである。このオペラでは、演出者だけが知る不可解さが残り、少なくとも、事故はあったかもしれないが、殺人事件はあり得なかったと思われる。その意味で、この舞台は、殺人劇ではなく、女たらしの酷さだけが問題の現代の別なドン・ジョヴァンニ劇に生まれ変わっていたと言うことが出来よう。

            このオペラの8人の出演者は、このHPの初登場者であり、エクサン・プロバンス音楽祭もこのHPでは、馴染みの少ない音楽祭であった。そのため、初めから親しみの沸かないオペラであると考えていたが、 意味をなさぬ中抜けのある雑な演出に辟易していたところに、フランス風な思わぬ見せ所が最後にあって、趣の異なる見せ所となっていた。この演出には、恐らく賛否両論があると思われるが、これはスタンダードなやり方でなく、やはり奇をてらう類いの演出と見なさざるを得ないと思われる。

      (以上)(2015/02/21)


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