(古いS-VHSから;宮崎のアイザック・スターン・コンサート)
15-2-2、アイザック・スターン指揮とVn、徳永二男室内アンサンブルによるヴァイオリン協奏曲第3番K.216、徳永二男のVnと川崎雅夫のVlaによる協奏交響曲K.364(第二楽章)、およびスターンのVnとイエフイム・ブロンフマンのピアノによるヴァイオリンソナタハ長調K.296、
1996年3月18日、第1回宮崎国際室内音楽祭、県立芸術劇場、

-第1回宮崎国際室内音楽祭のメインゲストとして活躍したアイザック・スターンの健在ぶりを報告するソフトであり、スターンの教育者としての活動振りを伝えるとともに、ヴァイオリン協奏曲第3番K.216、およびイエフイム・ブロンフマンのピアノによるヴァイオリンソナタハ長調K.296を紹介するものである。協奏曲もソナタも老練なスターンの元気な姿を見せるものであるが、1920年生まれのスターンは、この年76歳であり、テンポを落としたアンサンブルを楽しむ枯れた演奏スタイルとなっていた-

(古いS-VHSから;宮崎のアイザック・スターン・コンサート)
15-2-2、アイザック・スターン指揮とVn、徳永二男室内アンサンブルによるヴァイオリン協奏曲第3番K.216、徳永二男のVnと川崎雅夫のVlaによる協奏交響曲K.364(第二楽章)、およびスターンのVnとイエフイム・ブロンフマンのピアノによるヴァイオリンソナタハ長調K.296、
1996年3月18日、第1回宮崎国際室内音楽祭、県立芸術劇場、
(1996/04/21、NHKの芸術劇場の放送をS-VHSテープ188に収録)

      私とアイザック・スターンとのお付き合いは、高校2年生の時から始まっており、当時、学生時代の兄貴がスターンのメンデルスゾーンの協奏曲のSPレコード(3枚組)を買い、とても良いと感じて、次いで発売されたチャイコフスキーの協奏曲(SP4枚組)を私が買ったということから、始まっている。手回しの蓄音機にラジオとピックアップを連動させた兄貴が組み立てた自家製電蓄で、何回も何回も聴いたものであった。スターンは、当時、米コロンビアの若き名手としてデビュー仕立ての頃であり、それ以降は第一人者として、目覚ましい活躍をなさっていた。それなりのお年になって、日本でも音楽祭を指導するようなお立場になられ、まだまだ元気な巨匠のお姿が収録されているビデオを見るのは、とても懐かしい思いがする。



        この宮崎のアイザック・スターン・コンサートは、どうやら2日間にわたって行われたようであり、そのうちモーツァルトの演奏曲だけを抜き出して、今回お届けするものであるが、その前に、同じ1996年4月21日NHK3chのステージ・ドアで、ヴァイオリニストの千住真理子さんがアイザック・スターンを紹介するという番組があった。千住さんは、昨年でヴァイオリンを始めて20年になるが、スターンは60周年を祝っていた。丁度10年前に若き千住さんが、スターンの「子供のための音楽会」を開いたときに、スターンにインタビューを行っており、その時に言われた言葉が忘れられないと語っていたが、それは「自分の信念を聴かせる-これが演奏家の役目です-」と言う言葉であったという。



           この番組でもスターンは、作曲家は音楽を一つ一つの音符で現すが、その音符を音にして一つ一つを繋ぐのは演奏家の仕事であり、作曲家が考えたことを音にするためには、音符一つ一つを問い詰めて、繋いで行かなければならない。演奏をするたびに反省をし、譜面を良く見ると必ず新たな発見がある筈だ。「芸術家とは常に演奏に謙虚さを持つ必要があり、音楽を把握するために永遠に旅をする人である」と、技術だけのサーカスの芸人とはここが違うと語り、千住さんに私の言葉を正確に伝えて欲しいと述べていた。このように、ここでは簡単に述べているが、一言一言が、極めて重い言葉であった。この千住さんとの対話は、スターンの教育者としての最高の一面を見せていた。


    第一回宮崎国際室内音楽祭の映像では、第一曲目がバッハのヴァイオリン協奏曲第1番で始まっていたが、広い県民会館ホールの舞台では、スターンの弾き振りで、弦とチェンバロの総数15名くらいの室内楽団で、演奏が行われていた。続いて第二曲目となり、やはりスターンの弾き振りにより、ヴァイオリン協奏曲第三番ト長調K.216となっていたが、スターンは今度はトウッテイには参加せず、弓で軽く指揮をしながら、いきなり第一楽章のアレグロの第一主題が開始されていた。このアレグロの主題は、オペラ「羊飼いの王様」K.208の第3曲アミンタのアリアの転用でお馴染みであり、オーケストラ全体を良く見ると、コントラバスが二台チェロが三台で2ホルン、2オーボエ、2フルートの構成で、弦楽器も増え、中規模に近いオーケストラの布陣になっていた。今回は徳永さんの顔も見え、長いアリア風の主題をトウッテイで柔らかく演奏していたが、続いてオーボエとホルンが導く第二主題となって弦楽器が軽快に進めてオーケストラによる第一提示部が威勢良く終了していた。


            そこへアイザック・スターンの独奏ヴァイオリンが、正面を向き直して、改めて勢いよく第一主題を弾き始めた。スターンのヴァイオリンは、装飾音を加えながら実に明るく弾きだすが、続いて直ぐに第三の新しい美しい主題を晴れやかに弾き始め、それから早い技巧的なパッセージを見事に示して貫禄を見せていた。続いてオーボエとホルンの重奏で第二主題が提示されて、独奏ヴァイオリンが再び元気よく弾みをつけるように活躍しながら後半を盛り上げて行き、オーケストラとともに素晴らしい提示部を完成させていた。
           独奏ヴァイオリンが新しい主題を弾き出して技巧を散りばめたような展開部は、独奏ヴァイオリンの一人舞台のようであり、繰り返してから、トウッテイ、独奏ヴァイオリン、オーボエなどの順に主題を展開しており、スターンが指揮にヴァイオリンにと一人で大活躍していた。フェルマータの後、一息ついて始まる再現部では、トウッテイと続いて独奏ヴァイオリンで第一主題の後に第三の主題が弾かれ、続いて第二主題がほぼ型通り出て展開されてからカデンツアとなっていた。スターンは各主題の一部を回想するように技巧を散りばめて、表情豊かに歌いながらオリジナルと思われるカデンツアを仕上げていた。



            第二楽章のアダージョでは、はじめにトウッテイで4小節の主題を奏でるが、直ぐにスターンの独奏ヴァイオリンがオクターブ高く繰り返し、ソロの存在感を示してからピッチカートの伴奏で独奏ヴァイオリンがこの美しく透明な主題を明るく歌い、変奏を加えながら繰り返していた。この楽章ではオーボエに代わってフルートが用いられており、フルートとホルンの重奏と独奏ヴァイオリンが交互に第二主題を提示し繰り返されていた。続く第一主題前半による短い展開部は独奏ヴァイオリンの一人舞台であり、続けて始まる再現部においてもスターンの独奏ヴァイオリンが中心で再現されていた。短いカデンツアは回想風のもので、これもスターンの一人舞台。最後はコーダのあとにも独奏ヴァイオリンが第一主題を弾きだして終わるという回想風の珍しい終わり方をしていた。



   第三楽章はRONDEAUと仏語で書かれたアレグロ楽章であり、この楽章においては、前段でA-B-A-C-A-とロンド形式の形で進んでから、続く中間部にアンダンテとアレグレットの部分が挿入されており、変則的な規模の大きなロンド形式になっていた。フィナーレは、まずオーケストラで耳慣れたロンド主題がオーケストラで軽やかに提示されてから、続いてスターンの独奏ヴァイオリンがロンド主題を繰り返していく。ここでもスターンが早いテンポで指揮とヴァイオリンの一人舞台で軽快に進め、その後は新しい主題を独奏ヴァイオリンが提示する形で進んでいた。ところがロンド主題を終えてフェルマータの後、曲は一転して中間部のアンダンテとなり、独奏ヴァイオリンが弦のピッチカートに乗って軽やかに美しい新しい歌を歌い出し繰り返された。続いて曲調はアレグレットに変わって、再び独奏ヴァイオリンが民謡調の別の歌を歌い出し、更に独奏ヴァイオリンが珍しく重音奏法の新しい主題を提示して繰り返していた。曲は再び始めのロンド主題に戻って、この楽章は静かに終わっていたが、ここでもスターンは軽々と技巧的なパッセージを繰り返し、即興的な変化を試みるような新鮮味を出して一気に進んでいた。

    終わってみればこの演奏は、スターンのヴァイオリンを弾きながら指揮を取る演奏は、老練な巨匠にとってはいとも簡単なことなのであろうが、独奏ヴァイオリンの存在感を明確に示しながら一人舞台の場馴れした名人芸には驚かされた。若い頃のスターンはヴィルテイオーゾ的な演奏スタイルが良く似合っていたが、今は、ゆったりとしたテンポで、室内管弦楽団とアンサンブルを楽しむという室内楽的な演奏が定着しており、バランスの良い落ち着いた演奏を見せていた。
          各楽章を通じて、落ち着いたテンポで丁寧に、悟りきったように穏やかな表情で、美しい音を響かせるスターンの姿には、この年齢にならなければ達し得ない深い味わいを見せていた。




               宮崎国際室内音楽祭の映像の第三曲目は、徳永二男のVnと川崎雅夫のVlaによる協奏交響曲K.364の積もりであったが、映像として収録されていたのは、残念ながら、第二楽章だけであった。この演奏では、指揮者を兼ねている徳永が、オーケストラと向き合って、一呼吸おいてからオーケストラと一緒に物憂げで静かな第二楽章の第一主題を弾き出したが、途中から客席の方を向いて、独奏ヴァイオリンで主題を変奏しながらうっとりした表情で第一主題を弾き出した。やがて独奏ヴィオラの川崎が、ヴァイオリンの真似をするようにすすり泣くように弾き出し変奏しながら繰り返していた。続いて短い第二主題になって独奏ヴァイオリンが弾き出すと、独奏ヴィオラがこれを追い掛けるように弾き始め、二人は互いに顔を見合わせながら競い合っているように進んでいた。それから徳永と川崎はお互いに細心の注意を払いながら、優しい音色を合わせながらゆっくりと進み、やがてオーケストラが間を取ってから、両楽器は半小節遅れのカノン風に進んでしばらく合奏となっていた。続いてホルン伴奏でヴァイオリンのフレーズを今度はヴィオラが一小節遅れでカノン風に追いかけるように進んでトリルで合奏してから、トウッテイとなってようやく提示部が終わっていた。
             どうやら展開部はなく、再び冒頭の第一主題が今度は独奏ヴァイオリンにより変奏しながら再現され、独奏ヴィオラも変奏しながら続き、やがて合奏になって変化を見せていた。美しい第二主題に入ってからは、追い掛け合ったり、模倣のし合いを繰り返し対話しながら進んで、提示部の単なる繰り返しではないいろいろな変化のある再現部となっていた。カデンツアでは、スコア通りに第一ヴァイオリンから始まり、ヴィオラがカノン風に続き、両楽器が重音で重なるように進む繊細な美しいものであった。ヴィオラの川崎はヴァイオリンに負けないようにいつも懸命な様子が窺われたが、ヴァイオリンの徳永は常にゆとりがあり、柔らかく滑らかな音色で常に先行していた。この演奏では、この楽章の憂いに溢れる表情豊かな美しさには格別のものがあり、二つの楽器が実に落ち着いて綿々と進行する姿には深く感動させられた。






             この音楽祭の映像の第四曲目は、アイザック・スターンのヴァイオリンとイエフイム・ブロンフマンのピアノによるヴァイオリン・ソナタハ長調K.296であった。この曲は、モーツァルトがマンハイムに旅行中に作曲された5曲中の4番目の曲で、「1778年3月11日マンハイムにて、テレーゼ(ビエロン)のために」と手紙に書かれている。二楽章の他の5曲と異なりこの曲はピアノソナタと同様の三楽章構成を取り、ヴァイオリンは控えめに扱われているが、第2・第3楽章の繊細な強弱の表現はヴァイオリンの持続する音があって初めて生きるものとなっている。

              第一楽章は、ソナタ形式であり、主題法や形式にハ長調のピアノソナタK.309ととても良く似た形になっている。ヴァイオリンとピアノによる晴れやかな軽快な第一主題で始まるが、後半はピアノが主体となって繰り返され、ヴァイオリンとピアノがかけ合う経過句がしぱらく続く。転げ回るブロンフマンのピアノに対し、スターンのヴァイオリンがいつも従属するように進み、いかにもモーツァルトらしい可愛げな第二主題に入ると、スターンのヴァイオリンの飛び跳ねるような伴奏がとても新鮮に聞こえていた。二人は提示部を繰り返していたが、ピアノが優勢のまま展開部へと進んでいた。ここではヴァイオリンが旋律をピアノが伴奏を受け持ち、短い展開部を終えると、再現部に入り、ここでは比較的忠実に、提示部を再現していた。スターンはここでは譜面を見るためメガネをかけていたが、練習不足のせいか細かな点で不揃いな面があり、名人同士でも難しいものだと思った。





           第二楽章は、A-B-A'の三部形式で、ピアノが穏やかなアリエッタ主題を提示し繰り返していくが、この主題はクリステイアン・バッハのアリア「甘きそよ風」から取ったもののようである。中間部分ではスターンの伸びやかなヴァイオリンのオクターブの旋律がピアノの分散和音で支えられて表情豊かな優雅な演奏で、とてものどかで美しいアンダンテであった。








            フィナーレは、伸びやかな広がりを見せるロンド主題が軽快に始まり、ピアノとヴァイオリンが晴れやかに競うようにして賑やかに進む。ロンド主題は、毎回、ピアノで先導されるが、常にヴァイオリンと交替しながら反復されていた。ロンドを構成する二つのエピソードもスターンの独奏ヴァイオリンがとても生き生きと活躍しており、全体として明るいトーンの伸びやかなロンド楽章であった。スターンは、第二・第三楽章ですっかり主導権を取り戻し、さすがと思われる名人芸を披露していた。

                         この室内楽音楽祭では、この曲以降はシェーンベルクの「聖夜」およびブラームスのピアノ五重奏曲が演奏されており、スターンは登場せず、徳永二男室内アンサンブルのメインゲストの加藤さんや漆原さんなどが中心になって演奏されていた。1920年生まれのスターンは、この年76歳であり、まだまだお元気でソリストを務めておられたが、教育者としての活動が主体になって来ており、今回のインタビューでも、ソリストとして大成するための含蓄ある言葉を残していたように思われた。


(以上)(2015/02/18)


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