(最新の市販DVDから;新全集以前の最も古い映像の「イドメネオ」(1970)の映像)
14-6-3、ベンジャミン・ブリテン指揮、イギリス室内管弦楽団およびイギリス・オペラ合唱団によるオペラ「イドメネオ」K.366、
1970年5月に初放送、BBC制作、英語版、

−この映像は新全集が刊行される以前に制作された最も古い映像であり、かつ、作曲家・指揮者・ピアニストとして活躍していたベンジャミン・ブリテン(1913〜1976)によって編集された唯一の英語版であった。内容的にはミュンヘン初演稿に基づいているが、各幕の始めにナレーションをつけたり、アリアやレチタティーボの一部を省略したりし、TV放送用に分かりやすくまとめられたBBCの映像であって、英語圏の方々には字幕なしで理解できる魅力的な映像となっていた−


(最新の市販DVDから;新全集以前の最も古い映像の「イドメネオ」(1970)の映像)
14-6-3、ベンジャミン・ブリテン指揮、イギリス室内管弦楽団およびイギリス・オペラ合唱団によるオペラ「イドメネオ」K.366、
1970年5月に初放送、BBC制作、英語版、
(配役);イドメネオ;Peter Pears、イリア;Heather Harper、イダマンテ;Anne Pashley、エレクトラ;Rae Woodland、アルバーチェ;Robert Tear、
(2014/05/13、Decca DVD BBC 0743258)

   6月号の第三曲目は、オペラ「イドメネオ」の新盤であり、このオペラでは最も古い影像なのであるが、最新の発売のDVDとして取り上げるものである。この「イドメネオ」は、新全集が刊行される以前に演奏されたもので、作曲家・指揮者・ピアニストとして活躍していたベンジャミン・ブリテン(1913〜1976)によって編集された版(英語版)とされているのが珍しい。字幕をEnglishに設定すると、英語の字幕通りにアリアは歌われ、レチタティーボの部分も字幕通りに発声されるので、文字通り英語版で分かりやすい。このオペラには、古くから「ドイツ語版」も存在していたので、ブリテンが恐らくこのオペラ全体を監修して、英訳を二人のプロに翻訳させ、英語版としてBBCのTV放送用に仕上げたものであろう。




イギリス・オペラ・グループの制作とされているが、イギリス室内管弦楽団とイギリス・オペラコーラスをブリテンが指揮して1969年9月に録音したものがベースであり、1970年5月にBBCが初めてTV放送をしたと書かれている。どうやらイギリスの誇る作曲家ブリテンと有名歌手ピーター・ピアーズのBBCのシリーズものの一環のようである。このオペラには版の問題があり、新全集以前ではいわゆる「ごちゃ混ぜ版」としていろいろなことが行われていたようであり、日本語字幕は付いていないが、注意して新全集と対比しながら、筋や曲番を丁寧に追う必要がある映像であろうと思われる。著名なピーター・ピアーズ(イドメネオ役)を含めて、歌手陣もこのHPでは初めてのメンバーである。5月号でやっと8映像のこのオペラ「イドメネオ」の総括を報告したばかりであるが、この映像がこの総括に追加すべき意義があるかどうかを見定める必要があろうと思われる。




この映像は最初にアナウンサーによる解説があり、序曲の開始とともにイドメネオの物語のイラスト風の画面に制作者・出演者などの紹介があり、トロヤ戦争などの物語の背景や、第一幕のあらすじなどの説明があった。序曲はゆっくりとした穏やかなテンポで開始され、音はモノラルであり、カラーではあるが古さを感じさせる映像であった。 序曲が終わると、そこはクレタの城中の一角か、トロヤの王女イリアが囚われの身のせいか、衛兵たちに囲まれて登場し、悲しげにレチタティーボで身の上の心境を語っており、引き続き第一曲のアリアを歌っていた。王女としての気品があり、良く通る声が美しく、そのまま第一曲「お父様、お兄様、さようなら。私はクレタの王子イダマンテを愛してしまった」とハイトーンで歌っていた。




そこへイダマンテが兵士たちと同じスカート姿の男装の衣裳で登場。イリアへの愛の気持ちを告白し、イリアから厳しく問われると、第二曲で「私の罪ではない」と答えつつ「君が望むならこの胸を突き刺して欲しい」とイリアへの強い愛を歌っていた。そしてイダマンテが命じて捕虜のトロヤ人の足枷が外され、第三番の平和を喜ぶ合唱が始まった。二人のクレタ娘の二重唱、トロヤの男性の二重唱も交えて、全員が「愛の勝利だ」と平和の慶びが大合唱されていた。




   そこへアルバーチェが登場し、イドメネオ王が海難で亡くなったという情報を伝えた。喜びの直後に来た絶望的な悲しみに襲われた二人の様子を、居合わせたエレットラがじっと見ており、嫉妬に燃える彼女は、自分の強力な味方を失うことになり、狂ったように絶望的な苦しみの第四曲のアリアを歌っていた。歌っている最中に雷鳴が聞こえ始めて場面が変わり、嵐で怯えた人々が右往左往して、「お慈悲を、神々よ」と祈るような第五曲の海辺における嵐の場面の合唱が歌われていた。




「 私は何とか助かった」とイドメネオ王が一人で杖を持って海浜で立ち上がっていたが、心は生贄になる最初に出遭った男の悲しげな亡霊のことを思って、アンダンテイーノの第六曲を歌い出していた。その時、不幸な生け贄が近づいてきた。部下を従えたイダマンテが登場し、見かけた不幸な老人を発見した。言葉を交わし名乗りあって親子であることが分かり、二人は愕然とする。「無慈悲な神よ、ここで会わなければ良かった。」と語って立ち去る父を見送って、イダマンテは、何故かと気が狂わんばかりであった。ここで、イダマンテの第七曲のアリアは省略されて、「ネプチューンを讃えよう」という住民たちによる第九曲の大合唱となっていた。通常は第八曲の行進曲に続いて帰還する兵士たちを迎えて喜び合う二重唱などを含んだ大合唱が続くのであるが、ここでは、冒頭の合唱が繰り返されて簡潔に終了し、新全集によるインテルメッツオも省かれて第一幕が終了していた。




    第二幕がアナウンサーのあらすじ紹介で始まっていたが、映像は宮殿の中か、衛兵が守っており、バレエ音楽K.366のラルゲットの音楽により開始されていた。イドメネオが登場し、二人きりであることを確認して、アルバーチェに早速、海神に生け贄を約束して助かったことを話し、最初に会った男がイダマンテであることを告げ、助言を求めていた。アルバーチェは、王子をエレットラの祖国アルゴスに逃げさせることを進言し、第10a曲のアリア「これが運命なれば、王と王子だけは守り給え」と祈るように歌っていた。





続いてイリアがイドメネオに面会を求め、明るい表情でイドメネオにイダマンテが留守中に解放してくれた礼を述べ、第11番のオーボエとファゴットのオブリガートが美しいアリアを歌っていた。イドメネオは、オーケストラ伴奏付きのレチタテイーボで、捕らわれの身だったのに何故喜びを歌うのかと不思議に思い、もし彼女がイダマンテを好いているのなら、三人がネプチューンの犠牲になってしまうと気がついた。しかし、海神の怖れを歌うイドメネオの第12番のアリアは省略されていた。




イドメネオの退場と入れ替わりに、王子と祖国に逃げることになったエレットラが登場し、心を弾ませながら喜んで第13番のアリアを明るく歌っていたが、これは彼女の愛に喜ぶ女性らしさを示す唯一のアリアとなっていた。アリアを歌い終わる前に、第14番の行進曲が聞こえて来て、エレットラは出発の合図だと喜び、大勢の人々や兵士たちが登場して来た。そして、第15番の「海は穏やかだ」という美しい合唱が始まって「さあ出発だ」と歌っていたが、この合唱の中間に、エレットラのアリアの続きが明るく歌われていた。
イダマンテが登場し、そこにイドメネオが二人を見送りに現れて、イダマンテを激励していた。イダマンテは、父に別れを告げ、エレットラが感謝を捧げるそれぞれの思いを歌う第16番のアデイーオの三重唱が始まった。イダマンテがイリアとの別れを思い、エレットラが幸せを感謝して歌っているうちに、空模様が次第におかしくなってきた。






そして突如として、海と空が急に荒れ始めて大騒ぎとなり、第17番の海を怖れる人々の合唱が始まった。この嵐は神の祟りか、この罪は誰の罪かと大騒ぎする民衆に対し、イドメネオは遂に罰せられるのはこの私だと白状し、神は間違っていると叫ぶ。すると嵐はますます激しくなり、沖合には怪獣の姿が見え隠れして大変な騒ぎとなり、第18番の「逃げろ」と言う激しい合唱によって、民衆が逃げ惑い大混乱の中で第二幕が終りとなったが、映像と音響によるもの凄い迫力の中での終幕となった。

  第三幕でもアナウンサーによるあらすじの解説の後に、イリアのレチタテイーボが始まって、美しいオーケストラの前奏に乗って第19番の「心地よい、優しいそよ風よ」がイリアによって歌われ、澄んだ美しい声が良く伸びて魅力的だった。イダマンテが登場し、二人だけの長い愛の会話の後、イダマンテがイリアに死を覚悟で怪獣との戦いに赴紅ことを告げ、「死なないで」の言葉とともにイリアから「愛しています」の言葉を受けて、初めてイリアとのソプラノ同志の愛の告白の二重唱が始まった。第20番のこのアリアは後半になって声を揃えて愛を誓う言葉となっていたが、そこへ突然にイドメネオとエレットラが現れた。




そこでイドメネオは困惑し、エレットラは嫉妬するが、イダマンテが「ただ一人でさすらいの旅に出よう」と歌い始め、イリアがどこまでもついて行きますと答え、イドメネオとエレットラも加わった四人の心情を思い思いに歌った四重唱第21番が歌われた。ドラマテイックなこのアンサンブルは、セリアでは珍しく第16番の三重唱に次ぐものであり、非常に感動的な場面であった。アルバーチェが登場し、大司祭が王に会いに来ていることを告げ、そこで王宮に危機が来ていることを嘆き悲しむレチタティーボが歌われていたが、続くアルバーチェの第22番のアリアは省略されていた。




  場面が変わり、大祭司が登場して、海の怪物が暴れ回って犠牲が大きくなっていると王に報告し、第23番の激しい伴奏付きレチタティーボで歌い出し、ネプチューンに捧げるべき生け贄は誰かと激しく王に迫った。イドメネオは生け贄がイダマンテであることを告げた。「何と恐ろしい誓いか」と第24番の悲痛な合唱が始まる。舞台では続いて第25番の行進曲が始まり、祭壇の準備が行われていた。そしてイドメネオが海神の怒りを静めようとして、ピッチカートとともに「聞き入れたまえ、海の神」と静かに祈るカヴァテイーナと司祭たちの祈りの合唱第26番が始まり、それが丁寧に復唱されていた。






 そこへ突然、イダマンテが怪物を退治して凱旋してくるが、彼は全ての事情を知って神事の祭壇に自ら進み、父の前でひざまずく。王子の死を恐れぬ態度と、父から受けた命をお返しするという覚悟の言葉と、イリアへの今際の息子の進言を聞いて、イドメネオは遂に「死んでくれ」と決断した。そして、刀を振り上げようとしたその瞬間に、イリアが祭壇に駆けつけて、生け贄は私ですと身代わりを志願し、雄弁になって自らが犠牲になるとネプチューンに訴えていた。この第10場は、新全集より長大であり、イダマンテやイリアが先を争う場面が加わっており、神に裁断を求めて、最後にイリアが刀を捧げて死を覚悟した途端に、大音響と共に場面は暗闇となり騒然となっていた。






   イダマンテとイリアの愛の葛藤に感動したネプチューンは、愛が勝利したことを確信して、全員が呆然として天を仰いでいる中で、イドメネオの罪を許し、イダマンテがイリアを妃として王の座に着くように神託が下っていた。この声は最も短い第28a番が使われており、イリアの捨て身の身代わりが功を奏した、このオペラの実に感動的な場面が展開されていた。これを聞いて一番面白くないのはエレットラであり、直ぐに半狂乱のアリアを歌い出した。これは夜の女王のアリアのように激しいアリアであったが、最後には悲鳴のような声となり、彼女は暗闇の中に吸い込まれたように立ち去っていたが、舞台はそのまま最後の喜びの場面に移行していた。






   イドメネオが王としての最後の命令だとして、平和になったことを宣言し、新しく王位につく王子と王妃を改めて紹介し、ハッピーエンドの最後の合唱が始まった。祝福の合唱の中で王冠の戴冠が行われ、二人はお揃いのガウンを着せられて、全員から祝福されながら、新しい治世に進もうとしていた。皆が手を繋いで笑顔で賑やかな中、二人は皆から祝福を受け、このオペラの幕切れを飾る非常に印象的な音楽と舞台の中で終幕となっていた。

    この映像を見終わって、新全集以前に作られており、音声がモノラルであったり映像の質的な面や登場人物の動きなどから、最も古い映像であることを改めて認識させられたが、8つの全ての映像を見終わって総括を済ませた後に見るという皮肉な結果になってしまった。この映像が今回初めての英語版であることを、その特徴として真っ先に報告しなければならないが、過去にドイツ語版や今でも話題になることがあるリヒアルト・シュトラウス版の存在、さらには見逃した高橋英郎先生の日本語版があったことなどを考慮すると、まだ見たことのないこれらの版を見ることなしに、8映像でこの歴史あるオペラを総括することにどれだけ意味があるか疑問になるところであろう。従って、この英語版の映像は、8映像の新全集の枠内でまとめざるを得なかった、この総括の範囲を超える枠外の映像であると言わざるを得ない。

    この唯一の英語版の特徴は、ウイーン版との「ごちゃ混ぜ版」ではなく、ミュンヘン初演稿の枠内で完結させた版であり、各幕の始めに語りを入れたり、新全集のミュンヘン初演版に比較すると、第7番、第8番、第8a番、第12番、第22番の各アリアを省略し、第二幕の冒頭にバレエ音楽K.367からラルゲットのオーケストラ演奏を加え、長すぎるレチタティーボの一部を短縮した英語に翻訳した版と言うことになる。これはこのオペラを分かりやすく、TV用の画面にする必要な措置とも考えられ、序曲とナレーションを除き約2時間30分という短い舞台に収めている英語圏の方々にとっては、字幕を見ることなしに理解できる、非常に分かりやすい魅力ある映像であると言うことができよう。

   また第三幕の声の第9場、第10場などの決定的場面では、第10番のイリアが雄弁であり、ほぼリブレット通りに丁寧に進行していたが、声は第28a番の最も短い版を使っており、ネプチューンらしき像も背景にあって、この映像独自のように思われた。
    映像全般を通じて、宮廷の内部のほぼ固定された場所を上手く使って劇が進行しており、指揮者やオーケストラが顔を出さず拍手も無いいわゆるライブでない映像であったが、反面、登場人物の動きや歌にミスがない放送用の作品として一つの見識を示した映像であったと思われる。

   出演者のP.ピアーズは、著名な俳優であり、堂々たる王の貫禄が示されていたが、やや大味でクローズアップが少ないせいか父親としての優しい演技が不足していたように思われる。イダマンテはスカート姿の英国風兵士がよく似合った風貌で男声役として見応えがあり、この兵士姿は女性役のイダマンテとして一つの行き方であると感心した。イリアもエレットラも初めて見る方々であったが、それぞれ王女としての気品や風格があって、まずまずの出来として楽しめた。登場人物の描き方が、王室の権威、王と王子と王女との関係を描くことだけに重点が置かれ、父と子、男と女の人間的関係の描き方が不足しているように思われたが、それはこの劇を取り上げた時代の古さや解釈の仕方などを現していると言えよう。

(以上)(2014/06/08)


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