(古いVHSの録画から;2つのピアノ協奏曲K.271&K.537とアリアK.505)
14-11-2、1)アラン・ギルバート指揮N響とアンヌ・ケフェレックによるピアノ協奏曲変ホ長調K.271、1998年4月23日、NHKホール、2)プレヴィン指揮とピアノおよびロバータ・アレクサンダーのソプラノによるによるコンサートアリアK.505、1998年5月20日、NHKホール、3)エーリヒ・ベルゲル指揮とブルーノ=レオナルド・ゲルバーのピアノによるピアノ協奏曲ニ長調K.537、
1988年、パリ室内管弦楽団、

−K.271については、ダブって集録したため、アップ済みのソフトであったが、フランスの名花の華やかできらめくような演奏を改めてご確認頂きたい。K.505については、プレヴィンの指揮とピアノで、独唱のフレーズにピアノが相槌を打つようにバランス良く集録された映像であり、アレクサンダーの表情豊かなドラマテイックな歌い方も良くとても楽しめた。ゲルバーのK.537協奏曲は、第1・2楽章は堂々とした風格のあるしっかりした演奏であったが、不注意によるテープの容量不足のため、第3楽章がカットされるという不始末のソフトで残念だった。ここに深くお詫びしたい−



(古いVHSの録画から;2つのピアノ協奏曲K.271&K.537とアリアK.505)
14-11-2、1)アラン・ギルバート指揮N響とアンヌ・ケフェレックによるピアノ協奏曲変ホ長調K.271、1998年4月23日、NHKホール、2)プレヴィン指揮とピアノおよびロバータ・アレクサンダーのソプラノによるによるコンサートアリアK.505、1998年5月20日、NHKホール、3)エーリヒ・ベルゲル指揮とブルーノ=レオナルド・ゲルバーのピアノによるピアノ協奏曲ニ長調K.537、
1988年、パリ室内管弦楽団、
(1998/07/18、NHK教育TVN響アワーをS-VHS254に収録、および1994/05/22、クラシカ・ジャパンの放送をS-VHS130.5に収録)


          ピアノ協奏曲第9番K.271「ジュノム」の全映像のアップロード完成を願って古いS-VHSテープ254に収録されていたアンヌ・ケフェレックのピアノとアラン・ギルバート指揮のN響定期の演奏を探していたところ、このテープには、思いがけずプレヴィンの指揮とピアノによるソプラノのアレクサンダーが歌ったコンサートアリアK.505と、別項でヘブラーのピアノによるピアノ協奏曲第17番ト長調K.453がワルベルク指揮のN響定期の映像とが収録されていた。ジュノム協奏曲K.271の音源は、池辺真一郎さんと檀ふみさんによる古い「N響アワー」(1998)という1時間番組で「モーツァルトのラブレター」というテーマで行われており、その中でフランス人の美人ピアニストの演奏するK.271とコンサートアリアのK.505が選ばれるという実に洒落た番組であった。従って、今回はこの2曲と、先月に予告していたブルーノ=レオナルド・ゲルバーのピアノによるピアノ協奏曲ニ長調K.537を加えて三本立てでアップロードしたいと考えた。これによってK.453、とK.505およびK.537については、全映像のアップがこれで完了することになると思われる。

       このN響アワーの原テープを見て、作業を開始したが、K.271のデータベースを確認すると、何とこの演奏はソフト紹介(5-8-2)においてこれ1曲でアップロードが写真入りでなされていた。どうやら2005年7月に再放送されたものをD-VHSで集録してそのままアップしたものであり、写真を見ると映像もDVD並みの優れた状態で立派に報告されていた。そこでは「ジュノムの名に相応しいフランスの名花の華やかできらめくような演奏」と誉めすぎのような副題がつけられていたが、池辺先生のご推薦でもあり、記憶に留めて頂きたい演奏であった。いつも入念にチェックしながら作業をしている積もりであるが、最近、記憶忘れ的な間違いが時々あるのでお許し頂きたい。そのため、ここでは、K.271については、5-8-2を改めて見て頂くことにして、第2曲目のK.505に進みたいと思う。





        「モーツァルトのラブレター」と称して池辺さんが取り上げた第二曲目は、アンドレ・プレヴィンの指揮とピアノで、N響との協演で、黒人歌手のロバータ・アレキサンダーが歌ったコンサートアリア「どうしてあなたを忘れられよう」K.505であった。この曲は、まさにモーツァルトとスザンナを初演したナンシー・ストレースとの関係を表すような濃密なラブレターを思わせる曲であり、彼女がウイーンから故郷のロンドンへ帰るお別れコンサートで協演するために作曲されているので、モーツアルトが描いた二人の女性への曲・ラブレターという意味で対照的な面白さを紹介する曲であった。





       このコンサートアリア「どうしてあなたを忘れられよう」K.505のテキストは、自作のオペラ「イドメネオ」K.366から取られたイダマンテ(男性)のテキストを、彼と彼女を入れ替えて女性用の歌に差し替えたものである。モーツァルトのストレースへの思いを最も良く伝えるテキストとして選んだものと思われ、愛情のこもった情熱的な詩である。この曲は、オーケストラ伴奏付きのレチタティーボで始まり、ロンドとされたアリアは、前半がアンダンテでA-B-Aで進行し、後半がロンド形式のA-B-A-C-Aで書かれたアレグレットとなっている。曲はモーツァルトが指揮をしながら弾いたピアノのオブリガートが付いていることに特徴があり、ソプラノのパーツとピアノとオーケストラとがきわめて睦まじい対話の形で、あたかもピアノ協奏曲のように作曲されており、モーツァルトのコンサートアリアの中では最高の作品であると見なされている。



        短い弦楽のみの前奏のあとレチタテイーヴォが「どうしてあなたを忘れられよう」とアンダンテイーノで静かに始まり、アレキサンダーは表情豊かに歌いだし、アレグロ・アッサイになってオーケストラの高まりとともに次第に盛り上がってから、「ああ、悲しみに私は死ぬ思いです」と歌ってレチタテーヴォを優しく終えていた。続いてロンドに入りオーケストラがアンダンテで開始され、直ぐに独奏ピアノが静かに前奏のように憂いに満ちた第一主題を歌い出すと、ソプラノのアリアが「怖れずに、いとしい人よ」と美しくアンダンテでゆっくりと歌い始めていた。続いてピアノの華やかなパッセージが続いてから、優雅な新しい主題がソプラノで歌われて、次第に高まりを見せていた。フェルマータで一休みした後、最初の主題に戻ると、ピアノのキラキラと輝くような変奏を伴奏にして、ウットリさせるような甘さでアリアが繰り返されていた。



フェルマータの後に、ロンドのアレグレットの部分に入ると、ピアノがオーケストラの伴奏で新しいロンド主題を奏でて繰り返してから、ソプラノのソロが「心優しい人は」と同じ主題を歌い始め、ソロが第一のエピソードに入ると、ピアノが独唱のフレーズごとに相づちを打つように掛け合っていた。再びロンド主題に戻ってからソロが続けて「残酷な運命の星よ」と第二のエピソードに入り、ピアノもオーケストラもソプラノと互いに重なり合って素晴らしい展開を見せていた。アレクサンダーは、ゆとりのある声で、表情豊かに堂々とこのロンドを絶唱し、最高の盛り上がりを見せていた。もう一度ロンド主題に戻って穏やかな調子に戻ってから、終曲に入りソプラノのソロが早いテンポで力強く歌い出し、素晴らしい歌唱力を見せつつ、時にはコロラチューラの技法を交えて急速に進行して結びとなっていた。
        この映像は、N響定期からこの曲のみを抜粋したものであり、前後の曲との関係が明らかでないが、指揮者でピアノを弾くプレヴィンとソプラノの目と目が合う距離のようであったので、歌とピアノのバランスが絶妙で、独唱のフレーズごとにピアノが相づちを打つように掛け合う様子がとても印象的であった。日本語字幕があったのも有り難かったし、アレキサンダーの表情豊かなドラマテイックな歌い方も良く合っており、この曲の数少ない映像としては、記憶に留めるべきものであると思われた。

        一方の先月に予告していたブルーノ=レオナルド・ゲルバーのピアノによるピアノ協奏曲第26番ニ長調K.537「戴冠式」は、ゲルバーの本HPの初登場であるので、彼を紹介しておく必要があろう。かねて自分よりも若く、アルゼンチン生まれの若い天才ピアニストが三人もいるなと思ってきた。改めて調べてみると、1941年生まれのアルゲリッチと1942年生まれのバレンボイムであり、ゲルバーは1941年生まれであった。いずれもブレノスアイレスでは神童であり、若くしてヨーロッパで勉強して、直ぐに名ピアニストとしてデビューしている。いずれも良い先生に師事していたようだが、ゲルバーは子供の頃、小児麻痺を患った経緯があり、渡仏したのは19歳の時でマルグリット・ロンの下を訪れ、彼女に「私の最後で最高の弟子」と言われるほどの薫陶を受けたという。直ぐに61年のロン・テイボーコンクールで3位に入賞し、以降ヨーロッパ中心に、広く活躍を続けてきたとされる。来日経験も多いが、ベートーヴェンばかりを弾く気むずかしい人という印象があり、モーツァルトとは縁遠い人という記憶が昔からあった。



                  映像では太って足を引きずっているゲルバーと指揮者ベルゲルがゆっくりと入場し、着席するところから始まっていた。この曲の第一楽章は、実に軽快なメロデイで弦楽器が第一主題を軽やかなテンポで高らかに歌い出していくが、オーケストラはよく見るとコントラバスが2本で標準的な規模であり、2トランペットとテインパニーが加わっていた。やがて管楽器が加わり、テインパニーも響いて次第に盛り上がり、オーケストラが快調に進行してトランペットも参加して祝祭的な気分が盛り上がってきた。ベルゲルの指揮は極めて伸び伸びとしており、続いて明るい第二主題も弦楽器で軽やかに提示され、調子よく軽快に高まりを見せ、途中からさらに新しい主題も加わって歯切れ良く力強くオーケストラが進行し、長い祝祭的な第一提示部を終えていた。



        独奏ピアノが登場し、始めから装飾を付けながら第一主題をサラリと弾き上げ、直ぐに華麗なパッセ−ジに引き継がれていくが、ゲルバーのピアノは堂々とした落ち着きを見せてピアノの粒建ちが良く、スムーズに進行していた。しかし、新しい主題とともにゲルバーのピアノは技巧を示しながら華やかに、そして変奏を加えながら走り回るようなピアノが進行していた。第二主題に突入してもピアノの勢いはオーケストラとともに軽快さが継続し、歯切れ良く盛り上がって提示部を終結していた。
         展開部では、提示部の終結部のモチーブが展開主題となって、独奏ピアノが強烈な和音を重ねながら力強く進行するが、ゲルバーのピアノはオーケストラと対等以上に堂々と力強く華やかに弾きまくりとても充実感がある展開部であった。再現部では、オーケストラで第一主題から始まるが、直ぐにピアノが引き継いでピアノのパッセージに入り、ゲルバーのピアノが中心となり、第二提示部の忠実な繰り返しのように進んでいた。第二主題も独奏ピアノが弾きっぱなしで活躍し、カデンツアでは、聴き慣れたものであったが、凄く力強く馬力のある感じで弾きまくっていた。



         この曲の第二楽章は、いかにもモーツアルトらしい愛らしいラルゲットで、A-B-A'の三分形式の歌謡調の美しい楽章。独奏ピアノが呟くように刻む単調なピアノが美しく、オーケストラで繰り返された後、独奏ピアノが変奏するようにころころと転がるように弾き進むフレーズが実に快い。ゲルバーのピアノは芯があり、しっかりと刻印を押すように明確に響いていた。再び冒頭主題が再現されてから、独奏ピアノで始まる中間部の主題は対照的にリズミカルであり、ゲルバーは装飾音を付けながら明るく多彩に弾いていた。ゲルバーは大柄な割には、意外に緻密でゆっくりと進行しており、期待通りにゆったりと丁寧に弾いており、好感が持てた。曲は結びに入って、冒頭の主題が再びさらりと繰り返されていたが、カデンツアもなく意外に静かに終了していた。



        この曲のフィナーレは、独奏ピアノにより軽快に飛び出すロンド主題がいかにもモーツアルト風の軽やかなアレグレットであり、オーケストラがこれを引き継いで、これぞモーツアルトのロンドであると思わず呼びたくなる名調子で始まる。しかし、この主題がなかなか次ぎに現れず、どうやら、ロンド形式というよりもロンド主題のような第一主題を持つ展開部を持たないソナタ形式であると考えた方が良い気まぐれな楽章となっていた。しかし第一主題がオーケストラで飛び出したところで、残念ながらテープの残量がなくなり、映像は中断してしまった。誠に申し訳ないのであるが、テープ切れが発生したので、ここで終わることをお許し願いたい。

        ゲルバーの演奏は、従って第一・第二楽章でしか評価できないが、ゲルバーのピアノは、堂々とした大家の趣があり、大な流れに沿ってゆとりを持って進む大河のようなムードがあった。しかし、良く映像を見ていると、細かな点でも配慮が行き届いており、勢いに乗って進む速いパッセージなども充分に良くこなしており、落ち着いた表情でこれら2つの楽章を終えていた。残念ながら第三楽章は聴けなかったが、堂々とした充実感のある「戴冠式」の演奏が聞こえていた。ゲルバーのコレクションはまだ残されていると思われるので、今後に期待したいと思われる。

(以上)(2014/11/14)


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