(新旧のLDやBDデイスクより;ピアノ・ソナタ集;K475&457、K.570&333)
13-9-2、 グルダ/ベザイディンオート/イム・ドンミンのピアノソナタ集、
A、フリードリッヒ・グルダの幻想曲ハ短調K.475およびピアノソナタハ短調K.457、
1990年6月14日、コンツエルト・ハウス、ウイーン、
B、クリステイアン・ベザイデインオートのフォルテピアノ・リサイタルから、ピアノソナタヘ長調K.570、2011年2月24日、王子ホール、
C、イム・ドンミンの ピアノ・リサイタルから、ピアノソナタハ長調K.333、2006年11月29日、カザルス・ホール

−最初のグルダの幻想曲の演奏は、全体としてゆっくりとしたテンポであったが、各部では思い入れが多い鋭い変化を見せながら、標題通りの幻想的な味わいの曲のように緩急・強弱織り交ぜて多彩な変化を見せつつ見事に弾き上げていた。続くベザイディンオートは、このソナタを特徴づける澄みきった透明な音調を良く現し、フォルテピアノが良く響く多彩な演奏であった。韓国のイム・ドンミンは、素晴らしいテンポで淡々と弾く素直な語りが印象的であった−

(新旧のLDやBDデイスクより;ピアノ・ソナタ集;K475&457、K.570&333)
13-9-2、 グルダ/ベザイディンオート/イム・ドンミンのピアノソナタ集、
A、フリードリッヒ・グルダの幻想曲ハ短調K.475およびピアノソナタハ短調K.457、
1990年6月14日、コンツエルト・ハウス、ウイーン、(LDより)
B、クリステイアン・ベザイデインオートのフォルテピアノ・リサイタルから、ピアノソナタヘ長調K.570、2011年2月24日、王子ホール、(NHKクラシック倶楽部)
C、イム・ドンミンの ピアノ・リサイタルから、ピアノソナタハ長調K.333、2006年11月29日、カザルス・ホール、(NHKクラシック倶楽部)
(ソニーLD、SRLM-2032、2011/10/25のNHKクラシック倶楽部よりBD-43.8に収録、および2009/09/15のNHKクラシック倶楽部よりBD-17.6に収録、)

            9月号の第2曲目は、ピアノソナタ集の寄せ集めのようになってしまったが、初めにグルダの幻想曲ハ短調K.475及びピアノソナタハ短調K.457の映像をお届けする。このHPとしては彼の二度目の映像であり、音源はレーザーデイスクによる記録で1990年6月14日、ウイーンのコンツエルト・ハウスでの映像である。第2曲目は、最近よく活躍しているフォルテピアノの名手、クリステイアン・ベザイディンオートのフォルテピアノによるピアノソナタヘ長調K.570である。このフォルテピアノ・リサイタルは既にアップ済み(11-10-1)であったが、NHKが勝手に放送時間の都合で割愛したものを、後日に放送したので、ここに改めてアップするものである。第3曲目は、06年ショパンコンクールで第3位に入賞した韓国のイム・ドンミンの ピアノ・リサイタルから、ピアノソナタハ長調K.333であるが、この放送のクラシック倶楽部の放送のメインは、ショパンのスケルツオ全4曲であったので、ピアノソナタは時間的に第2楽章が割愛されてしまっていた。しかし、それでもアップすべき良い演奏であると思われたので、ここにご紹介するものである。

第一曲目のフリードリッヒ・グルダの演奏は、「グルダ・プレイズ・モーツァルト&ジャズ」というレーザー・デイスクで、「Mozart No End and the Paradaise Band 」という副題がついて、彼の弾くモーツァルトとジャズとがともに収録されていたものであった。モーツァルトは彼が編曲した小品を挟んで、第二曲目に幻想曲ハ短調K.475に続けてピアノソナタハ短調K.457が演奏されていた。既にアップ済みの彼のImperial DVD Classicによるピアノ・リサイタル(11-11-1)は、収録時期・場所の情報がなく、これとは明らかに異なる映像である。このLDのタイトルから推して、恐らく気分的にも異なった感覚、すなわち、「今日はジャズも弾いてやろう」と言う意気込みが加わっていた筈である。

           このLDの第一曲目は、グルダが独奏ピアノの曲に編曲したピアノ協奏曲第26番ニ長調K.527「戴冠式」の第二楽章であったが、グルダが非常に丁寧に 一音一音噛みしめるように、余り装飾音も付けずに、素直に弾いていたのでとても好感が持てた。終わると凄い拍手にグルダは、思わずマイクを手にしてサンキュウと挨拶していたが、独り言のように「モーツァルトは、愛そして死について、知り尽くしていました」と一言述べて、幻想曲ハ短調、と言ってマイクを置き、ゆっくりしたテンポで弾き始めた。



           このグルダの幻想曲の演奏は、全体としてゆっくりとしたテンポで進め、各部では思い入れが多い鋭い変化を見せながら、標題通りの幻想的な味わいの曲のように緩急・強弱織り交ぜて多彩な変化を見せながら見事に弾き上げていた。この曲の和音やパッセージの強弱の力強い変化などを堂々と弾いて、グルダならではの逞しい響きを聴かせていた。DVDでのグルダの演奏ともスコアを見ながら聴き比べてみたが、ほぼ同じテンポ感であり装飾の部分が即興的なのか、多少、異なっていたように思われた。

        曲は5つの部分に分かれており、最初のアダージョで、グルダは、非常に重苦しい主題をゆっくりと弾きだし、主題が右手から左手に移ってから次第に暗い表情が徐々に和らいで瞑想的に進んでいた。途中からはまるで無言歌のように静かに進んでから、おどけたような表情で静かに閉じていた。続いて曲はアレグロとなって力強い付点和音の強烈な響きとともに激しい嵐のような速いパッセージが続いていくが、途中から歌うような動機で進み暫く明るく進んでから、カデンツアのような技巧的なパッセージで終結した。そして曲はそのまま四分の三拍子のアンダンテイーノに移って暫く叙情性に富んだロマン的な穏やかな部分となり、繰り返されて安らぎを得たような気分となっていた。最後に、ピウ・アレグロの部分に入り、冒頭の激しい音型が何回も繰り返されて力強いドラマテイックな盛り上がりを見せていた。そして最後にはプリモ・テンポになって、いつの間にか初めのアダージョが始まっていたが、冒頭の暗さから穏やかな明るい曲調になって静かに収まっていた。終わってみればこの幻想曲は、ベートーヴェンが参考にしたと言われるように、緩急・強弱の変化が著しく、ロマン派を思わせる激しいピアノ曲であって、それが緩急緩急緩と大きく5つの部分に分かれ、曲調が目まぐるしく変わる実に幻想風な曲であった。
     グルダは、弾き終わると拍手に応えるように、サンキュウと言い、これで「モーツァルト・ノー・エンド」というLDの副題の意味がお分かりでしょうと呟いていた。彼のこの演奏で言いたいことは、この言葉のようだった。



  グルダは一呼吸置いて、直ちに続くピアノソナタ第14番ハ短調K.457の第一楽章のアレグロを開始した。冒頭の第一主題では、重々しい緊張した上昇する和音で始まるが、同じハ短調のせいか先の幻想曲の暗いアレグロの気分を引きずっているかのように響いていた。グルダはこの主題をじっくりと力強く弾いており、緊張感に満ちた表情で無心に激しく弾きこなしていた。やがて軽やかに右手で歌い左手で繰り返すように応答する第二主題に入り明るさを取り戻していたが、提示部を鮮やかなパッセージで締めくくるとグルダは、ここで繰り返しを行って、冒頭から始まっていた。グルダのこの曲に対する熱い思いを再確認する意味では、この繰り返しはとても有意義であった。
        展開部では、第一主題の冒頭部の上昇音形が繰り返し繰り返し緊張感を増しながら展開されており、フェルマータで一呼吸置いて再現部に移行していた。ここでは再び冒頭の主題で始まるが、直ぐに提示部と異なって変奏スタイルであったが、第二主題ではほぼ型通りの印象であった。グルダはDVDの演奏と異なって、今回は最後の反復記号を無視し、直ぐにコーダに入って力強く曲を結んでいた。


        第二楽章は、アダージョであるが、珍しくロンド形式のスタイルであり、三つの主要主題はいずれも珠玉のように美しく、繰り返しはあるものの必ず変奏されて出てきており、A-B-A'-C-C'-A"と続いて繰り返し記号が一切使われていないのも珍しい。
        ロンド主題がソット・ヴォーチェで穏やかにゆっくりと現れ、ひときわ高まりを見せた後、早速、第一のエピソードが温和しく現れて、細やかな動きを見せながら、丁寧に弾かれながら盛り上がりを見せて、再びロンド主題となっていたが、ここでは見事に変奏されていた。グルダのピアニッシモの美しさやスタッカートの明瞭さが目立っていた。続く第二のエピソードは、ベートーヴェンの「悲愴ソナタ」の第二楽章の冒頭部分によく似た主題であり、展開されて見事なアルペッジョの後に、再び変奏されて繰り返されさらに幻想的に発展してから、再びロンド主題が再現されていた。この楽章は、モーツァルトのアダージョ楽章の中でも飛び抜けて美しい楽章であろう。恐らくベートーヴェンの悲愴ソナタの第二楽章にも通じるものがあると思われる。
        フィナーレはアレグロ・アッサイのロンド・ソナタ形式であり、ハ短調の三拍子のシンコペーションのリズムをもつ第一主題が真っ先に現れて急速に進行するが、やはりこの主題も幻想曲のどこかのイメージに通ずるものがある。勢いよく進行した後に、フェルマータで突然に二度も力強く停止する不安げな感じを持った主題であった。第一のエピソードでは伸びやかではあるが急速に推移するが、やがて再びロンド主題が登場し、再度、フェルマータの停止があった。第二のエピソードも軽快に流れていたが、途中から変奏されたロンド主題が登場し、これが三度目となるフェルマータによる停止があり、この楽章の激しさを伝えていた。

          グルダは、幻想曲から一気に、このハ短調ソナタの全楽章を弾きこなしており、緊張感溢れる素晴らしい熱演を示していたが、今回、改めて聞き直して見ても、最初の幻想曲とこのハ短調のピアノソナタは、どの楽章も幻想曲の5つの部分のどこかに繋がりがあることを改めて感じた。従って、グルダのように、二つの曲を一体的に扱って演奏する方が、曲の意味を良く分からせるのかも知れない。この演奏の力強さと言い、技巧的な表現の緻密さといい、さすがグルダであると思われるリサイタルであった。



           九月号の第二曲ピアノソナタ集の第二曲目は、クリスティアン・ベザイディンオートのフォルテピアノ・リサイタルからの演奏で、ピアノソナタ第17番変ロ長調K.570であった。先にも述べたとおり、この演奏は、2011年2月24日に王子ホールで開かれた彼のフォルテピアノ・リサイタル(11-10-1)での一曲であり、NHKの時間の都合で割愛されたものが、別の番組で復活したものである。この時の彼のフォルテピアノの演奏は、緩急、強弱自在な弾き方で、パッセージが美しいばかりでなく、フォルテピアノに重要な透明感の溢れる響きを持っていたので、是非、この曲の演奏を追加したいと思っていた。
            私のピアノソナタの聴き方は、既にグルダのピアノソナタ集(11-11-1)でも述べてきているが、第一にテンポ感が好みに合っていなければならず、特に早すぎるのは困ることである。第二には、丁寧に弾いてくれる心のこもった演奏でなければ嫌であり、技巧を見せる余り細部が雑になるのは困りものである。第三に、音がクリアーでなければ困りものであり、スタッカートが明瞭に弾かれ、ピアニッシモにおいてもフォルテッシモにおいても音が濁らないように弾いて欲しい。これらの三つが備わっていなければなかなか好きとは言いづらいのであるが、バレンボイムや、グルダや、へブラーなどはこれらの要件を満たしてくれているし、ピアニストの心情が分かってくると、ピリスや内田光子など多少の癖があっても、慣れるに連れて次第に好きな演奏になってくるし、安心して聴けるピアニストの仲間になってくれるものである。


           今回のベザイディンオートは新しい人なので、私の好みに合う方かどうか、スコアを見ながら、改めて慎重に聴いてみた。この曲は、晩年の1789年の二月にウイーンで作曲されているが、この時期のモーツァルトを特徴づける澄みきった透明な音調が始まっており、簡潔さの中に各楽章の性格の均衡と対照が見事な作品となっている。ベザイディンオートは、ピアノの前で譜面を確かめて一呼吸いれてから、ゆっくりした和音とその分散和音が上下する第一主題を開始した。ベザイディンオートのフォルテピアノは、小さな音であるが鮮明に良く響き、彼は急がずに丁寧にはっきりと弾いていた。やがて強烈な二つの和音の後に経過的なエピソードが現れて華麗なパッセージが続いてから、第一主題の和音が左手で現れるとても分かり易い第二主題が登場すると、くるくると回転するかのような華やかなパッセージが続き、コデッタで提示部が完結していた。ベザイディンオートは、ここで冒頭から弾き出したが、彼の随所で入れる装飾の変化が譜面を見ていると面白く、古楽奏者たちの得意な繰り返しの妙を見事に実践していた。繰り返しでこれだけ変化が多いと、暗譜でも弾けるのであろうが、時には譜面を見る必要があるものと思われる。
            展開部では、経過的なエピソードが繰り返し登場してから、続いて第二主題の前半部が上品にさらりと展開されて、晩年の作風の特徴を垣間見せて、再現部へと突入していた。ここでは、後期の簡潔な造りを実践しているかのように、提示部の再現そのものであり、ベザイディンオートは最後の繰り返し記号を省略して、そのまま静かに終結していた。


            第二楽章は、ゆっくりしたアダージョで呟くような主題で始まるが、形式はロンド形式でA-B-A'-C-A"コーダの形を取り、最初に出てくるABCでは三部形式で主題が繰り返されていた。それぞれの主題が絶えず反復されて分かり易い。ベザイディンオートはゆっくりした歌うようなロンド主題を繰り返しを省略することなく丁寧に弾いていた。続く第一のエピソードは唐突に始まる悲痛な感じのする軽い旋律であるが、テンポが少し速まって繰り返された後に、再び初めのゆっくりしたロンド主題に戻される。第二のエピソードは明るく澄み切った感じで淡々と進み対象的であったが、晩年の作風を感じさせるものがあり繰り返されてから、長いフェルマータの後に再び始めのゆっくりした主題に戻り、さり気なく静かに結ばれていた。


            アレグレットのフィナーレは、これも軽やかなロンド主題で始まり、ベザイディンオートは、軽快に両手を鍵盤上に走らせる。この楽章は譜面を見ると良く分かるが、テンポと性格は異なっているが形式上は、前の第二楽章とはほぼ同じ繰り返し部が多いロンド形式であった。ベザイディンオートは、最初のロンド主題を軽快に、明るく、丁寧に黙々と弾いていたが、続く力強さを感じさせる第一エピソードに続いて、簡潔さを印象づける第二のエピソードなどでは、ベザイディンオートは、あっさりと軽く流すように弾いていた。この楽章の呟くように終わる最後のフレーズが印象的であった。

ベザイディンオートへの期待は、好ましい三つの条件をフォルテピアノで満たしていることに加え、大柄な体格で小さなフォルテピアノに向かい、譜面を見ながら生真面目に弾く姿がユーモラスなばかりでなく、テンポ感覚が抜群であり、しっかりした明快な音を出し、ニュアンスに富む装飾音などのセンスも良いことにある。レコード芸術の最新号のよれば、彼のピアノソナタ集のCD録音が進行中であるようだし、まだ聴いていないピアノ協奏曲の録音にも着したようであるので、大いに彼の検討を期待したいと考えている。


九月号のピアノソナタ集の第三曲目は、韓国のピアニスト、イム・ドンミンの ピアノ・リサイタルからのピアノソナタ第13番変ロ長調ハ長調K.333であるが、この演奏は、2006年11月29日のカザルス・ホールの最後の貴重な録音であるにもかかわらず、第二楽章が割愛されており、これは奏者にとってもお客さんにとっても非常に腹の立つ行為であり、誠に残念に思っている。イム・ドンミンは、ショパンコンクールの三位入賞者のようであるが、今回のこの演奏では、ピアノソロの三条件を満たしていたようだし、K.333もとても明るく、丁寧に弾かれており、好ましく思ったピアニストの一人であった。
             このピアノソナタ変ロ長調K.333は、プラートとタイソンらの研究によって、1783年の末にリンツで、リンツ交響曲ハ長調K.425に次いで作曲されたと推測されている。リンツ交響曲は従来の作品と較べて堂々とした風格を備えた力作とされているが、このソナタも従来パリソナタと言われてきた仲間の曲と較べれば、第一・第二楽章は完全なソナタ形式でしっかりとした揺るぎない構成であり、フィナーレの末尾にはカデンツアが付くなど意欲的な試みが見られ、完成度が高い優れた作品と考えられている。


      ピアノに向かうイム・ドンミンは、1980年ソウル生まれの英才で、モスクワ国立音楽院で学びながら2005年のショパンコンクールで入賞し、その後はニューヨークのマネス音楽院で学びながら国際的な演奏活動を続けているという。カザルスホールに登場し、着席して一呼吸の後、さりげなく、このピアノソナタを弾き出した。 この曲の第一楽章の第一主題は、滑らかに歌うように流れるアレグロの主題で始まるが、イム・ドンミンのピアノはコロコロと鳴り響くように走り出し、軽快なパッセージもすいすいと美しくこなされて軽快に走り出した。やがて大きな和音で開始する第二主題も明るく軽やかに進み、後半にはスラーとスタッカートの効果が明らかな特徴あるエピソードが現れて弾むように軽快に進み、楽しく提示部が結ばれていた。しかしイム・ドンミンは、予想を裏切って提示部の繰り返しをせずに、展開部に進んでいた。展開部では第一主題の冒頭部が繰り返し様々に展開されていたが、イム・ドンミンは、淡々として乱れなく進行して再現部に向かっていた。再現部では、提示部で示された三つの主題が順序よく、幾分引き伸ばされた形で再現していたが、イム・ドンミンは、ここでも冷静に淡々と弾いており、全く乱れのない弾きぶりであり、好感が持てた。



             第二楽章は省略されて、いきなりフィナーレになったが、この楽章はアレグレット・グラツィオーソであり、形式はロンド・ソナタ形式か。いきなり踊るように飛び上がるロンド主題で軽快に始まり、ひとしきり繰り返されてから新しい主題とロンド主題が交互に次々と登場するABACABAの形をとるが、Cの部分が展開部とも解釈できるので、ロンド・ソナタ形式と呼ばれているが、この曲の特徴は、後半に大きな備え付けのカデンツアがあることであろう。
              ロンド主題が登場する毎に、新しい軽快なエピソードが登場して、次々と、次第に明るさを増していくような構成であり、軽快に進んでいたが、途中で一際盛り上がってから、長いフェルマータとともにカデンツアが現れる。これは24小節にわたる固定されたカデンツアで、ピアニストの表現力を試す場所としてごく自然に用意されていた。イム・ドンミンは、進むにつれて軽快さを増して明るく進行し、カデンツアでもさり気なくこの難所を乗り切り、再びロンド主題に戻ってから一段と盛り上がってから堂々と終結していた。

             イム・ドンミンは、後半になるに連れて調子を上げており、このフィナーレは、全く申し分のない出来のように思われた。従って、第二楽章が割愛されたのはいかにも残念であり、NHKの中途半端な放送時間に対し、苦情を申し上げておく。
   イム・ドンミンは、この後、ショパンのスケルツオを連続して4曲演奏していたが、それぞれの曲を深く掘り下げて明快に表現しており、粒立つようなピアノの音色とスピード感の溢れた演奏が印象的であった。今後の活躍を期待したいピアニストであった。

(以上)(2013/09/16)


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