(頂いたLDのアップ;コリン・デーヴィスを偲んで「レクイエム」(1984)ほか)
13-5-3、コリン・デーヴィス指揮バイエルン放送交響楽団・合唱団による「レクイエム」ニ短調K.626、1984年夏、ヘラクレス・ザール、ミュンヘン、 およびクーベリック指揮のバイエルン放送交響楽団と合唱団による「テ・デウム」K.141(66b)、1981年、ヴュルツブルグ聖キリアン大聖堂、

−デーヴィスのこの「レクイエム」は、ソリストにマテイスやシュライヤーなどの最高の人たちを迎え、合唱団も力強く素晴らしい演奏であったが、コンサート・ホールでの演奏会形式であったためか、教会の大聖堂での録音に較べて響きが薄く、あっさりと淡々とした演奏に感じた。比較の意味で聴いたデーヴィスの最新のオペラ劇場でのもの(2004)は、オーケストラの規模も大きく合唱団の人数も多く画質・録音ともに素晴らしく迫力があったと思われる−

(頂いたLDのアップ;コリン・デーヴィスを偲んで、「レクイエム」(1984)ほか)
13-5-3、コリン・デーヴィス指揮バイエルン放送交響楽団・合唱団による「レクイエム」ニ短調K.626、1984年夏、ヘラクレス・ザール、ミュンヘン、(出演者)S;エディット・マチス、A;トウルデリーゼ・シュミット、T;ペーター・シュライヤー、B;グイン・ハウエル、およびクーベリック指揮のバイエルン放送交響楽団と合唱団による「テ・デウム」K.141(66b)、1981年、ヴュルツブルグ聖キリアン大聖堂、
(2012年12月、柳さんから頂いたLD、パイオニア・クラシックス、PILC-9503、およびドリームライフ、DVD DLVC-8097)

     5月号の第三曲は、コリン・デーヴィス(1927〜2013)の最初の「レクイエム」K.626の演奏であり、追悼記念として今回、急遽、設定したものである。この演奏は映像で初めて見ることが出来た「レクイエム」であったが、私はLDを買い損ね、放送でも収録機会が無く諦めていたものであった。今回、柳さんから分けて頂いたLDの中に含まれており、アップする機会を待っていたものである。この一番古い映像の「レクイエム」を、デーヴィスの訃報を聞いてからアップ出来ることは、思わぬ偶然ではあったが、非常に不思議なご縁であると言わざるを得ない。この演奏はバイエルン放送交響楽団と合唱団によるミュンヘンのヘラクレス・ザールでの演奏会形式による演奏であり、ファンの多いエデイット・マテイスやピーター・シュライヤーの顔が見える珍しい演奏でもある。
        なお、宗教曲小品でアップし忘れていた「テ・デウム」ハ長調 K.141(66b)が、クーベリック指揮の同じバイエルン放送交響楽団と合唱団による演奏を見つけ出したので、合わせてここにアップしておくことにした。



         今回の古いレーザーデイスクの映像では、ミュンヘンのヘラクレス・ザールという有名なコンサート・ホールで演奏されているが、一見してこのLDは画像全体が非常に暗く、古色蒼然とした感じがした。調べてみると1984年夏の約30年前の古い映像でデーヴィスが58歳という若さの時の映像であり、初期の時代の画像であるとお考え頂きたい。このホールは、私が最初にモーツァルト旅行をしてミュンヘンを訪れたときに、ここでコンサートを聴いており、非常に印象のある懐かしいホールであった。映像の始まりは、舞台上に既にオーケストラと後方に合唱団が勢揃いしており、4人のソリストと指揮者コリン・デーヴィスが、丁度、入場してくるところから映像が始まっていた。
デーヴィスはまだ白髪ではなく若々しいスタイル。全体を見渡してからさっと指揮に入り、イントロイトウスがゆっくりと開始されていたが、ファゴットが続いてバス・クラリネットがゆっくりしたテンポで静かに響きだし、トロンボーンが逞しく響いてから、弦の悲痛な響きに先導されて厳かに「イントロイトウス」の合唱が始まった。オーケストラをよく見ると、右奥のテインパニーの前にコントラバスが2本おり、どうやら中規模の編成のオーケストラのように見えていた。



         合唱団がバスから順にソプラノまで混然と始まって、深く弦の引きつるような伴奏に乗って堂々と進行し始め、エト・ルクス・ペで全員の斉唱となっていた。一瞬、和やかな音調となってホッとするが、やがてソプラノのエデイット・マテイスのソロがレクイエムの開始を告げるように朗々と歌いだした。彼女はあのベームのCDでも歌っていたが、綺麗な声と可愛い姿が目を惹き明るいソロがひとしきり響いてから、再び厳粛な合唱が堂々と進みだした。後半部に入ると、二つのレクイエム主題による力強い二重フーガとなり、モーツァルトらしさを示しながら進行していた。デーヴィスは口ずさみながら両手を大きく挙げてしっかりと指揮をしており、実に悠然とした響きで堂々と進行し、開曲の最後を豊かに盛り上げていた。



          続く「キリエ」では、テンポは幾分早まって、キリエで始まる男声合唱に続いてクリステで始まる女声合唱が追いかけるように始まり、冒頭から壮大な二重フーガの形で早めに進行していた。キリエとクリステの二つの主題によるこの二重フーガは、大合唱にもかかわらずそれぞれの声部の重なり合いが明瞭であり、特にクリステのエと伸ばすパーツが絶えず何処かの声部で歌っているように聞こえていた。後半のキリエの大合唱でも堂々として壮大に歌われて、合唱団の水準の高さを感じさせていた。デーヴィスは、最後のフェルマータのあとのアダージョのキリエ・エリースンを、少しテンポを落として重々しく歌わせていた。



          続いて「セクエンツイア」に入って、第一曲目の「怒りの日」では、強奏のトウッテイ。いきなりテインパニーがけしかけるように響き、弦が鋭くうねるように鳴り響いて、「デイエス・イレ」と叫ぶように歌う激しい勢いの大合唱で始まり、女声と男声が交互に激しくぶつかるようにリズミックに進行していた。デーヴィスも大声で叫ぶように「怒りの日」をむき出しに全身で激しい指揮振りを見せていた。再びこの強奏のトウッテイを繰り返してから、後半にはいって「人々の怖れはいかばかり」では、バスと上三声が掛け合いながら交互に反復しつつ進む合唱となり、その迫力は壮大なものがあり、最後は4声の大合唱でこの激しい「怒りの日」は結ばれていた。



           第二曲の「トウーバ・ミルム」では、一転してトロンボーンの柔らかな明るい音色のソロが厳かに響いてから、バスのハウエルがトロンボーンを伴奏にじっくりと朗々と歌い出し、一瞬、新たな明るい気分にさせられた。続いてテノールのシュライヤーが端正な顔立ちを見せて声を張り上げて明るく力強く歌い始め、アルトのシュミットに歌い継がれて、終わりにソプラノのマテイスが高らかに歌い出し、締めくくるように明るく歌っていた。最後には四人のソリストたちによる豊かな四重唱になって静かに終息していたが、この曲はいつ聴いても、激しいレクイエムの中では、心を落ち着かせてくれるオアシスのような素晴らしい曲であると思った。デーヴィスは、実に穏かに全てを心得ているかのように丁寧に指揮をしており、トロンボーンもバスも四重奏も素晴らしく、このレクイエムのオアシスを引き立てていた。



          第三曲の「レックス・トレメンデ」では、激しいフォルテの弦楽器とトロンボーンの付点音符の前奏に続いて、「レックス」の大合唱が三度続いてから、先の「怒りの日」よりももっとリズムの激しい斉唱が始まり、迫力に満ちた大合唱が続いていた。デーヴィスはここでも歌いながら激しく指揮をしており、合唱が力強く進行していたが、最後には音調を急変させて、ピアノの女性の合唱で「お許し下さい」とかすれるように歌い、男性もそれに続いて応えてから、最後には四重唱で悲痛な声で祈るように歌われて、徐々にテンポを落としながら消えるように終結していた。



          第四曲は、ソリストたちにより歌われる「リコールダーレ」で、チェロとバスクラリネットによるしっとりしたしめやかな感じの前奏に続いて、アルトとバス、ソプラノとテノールとが順に厳かにゆっくりと歌い出す平穏な曲で始まっていた。しかし、中間部からテンポがやや速まって4人がそれぞれ歌い出して非常に豊かな響きの深みのある四重唱となっていた。激情の溢れるレクイエムの中にあってソリストたちの四重唱は平穏で厳かな雰囲気を醸し出しており、一息、休息出来る場面であった。



          第五曲の「コンフターテイス」では、ジャラン・ジャンジャン/ジャラン・ジャンジャンという全オーケストラの荒々しい伴奏で男声合唱が激しく雄叫びを上げるように歌い出してから、一転して救いを求めて悲鳴のように聞こえるソットヴォーチェの女声合唱が対照的に歌われ、そして再び始めから全体が激しく繰り返されて、聴くものを呆然とさせられた。男性声部と女性声部の対照の妙の凄さには驚くものがあり、間をおかず弦の三連符の伴奏で、4声が一緒になって「死に際の苦しみを救ってください」という悲痛な叫びが繰り返されて、激しく胸に迫るものがあった。




           そして切れ目なしに続いて第六曲の「ラクリモサ」がヴァイオリンの切々たる音で静かに始まる。デーヴィスはテンポを落とし、冷静に淡々と一音づつ進め、合唱が少しずつクレッシェンドで次第に高まりを見せ、8小節を超えてさらに高まりを見せながら高揚し続け、終盤にバス・クラリネットとトロンボーンが厳かに響いて、大合唱により最後の燃焼に達していた。終わりのアーメンの合唱が実に厳かに結ばれ、起伏の大きかったセクエンツイア全体が締めくくられていた。この映像では、ここで一呼吸置いて、オッフェルトリウムに入ろうとしていたが、私のレクイエムへの集中力の限界はここまでで、休息せざるを得なかった。
          デーヴィスのこの最初の「レクイエム」は、ソリストにマテイスやシュライヤーなどの最高の人たちを迎え、合唱団も力強く素晴らしい演奏であったが、コンサート・ホールでの演奏会形式であったためか、教会の大聖堂での録音に較べて響きが薄く、あっさりと淡々とした演奏に感じたので、ここで比較の意味で デーヴィスの最新のオペラ劇場での「レクイエム」(2004)(9-3-2)を聴いてみた。前回も書いているが、デーヴィスの穏やかでゆっくりと進める彼特有の暖かみのあるまろやかな演奏の基本は変わっていなかった。新録音の方がコントラバスは4本で合唱団の人数も多かったようであるが、デーヴィスの「レクイエム」の全身から滲み出てくるような安定したテンポと暖かみのある指揮ぶりは、同じであったが、新録音のせいかオペラ劇場のせいか響きが良く、素晴らしい映像と音響に安心して浸ることが出来た。従って、このLDの「レクイエム」は、白髪でないデーヴィスを見ることが出来る唯一の映像であり、またエデイット・マテイスやピーター・シュライヤーなどの映像の少ない古い人の全盛期の姿を見たい方に、是非、お薦めできる貴重な映像と位置づけることが出来よう。

     同じバイエルン放送交響楽団とその合唱団のほぼ同時期の演奏と言うことで、続いて、 「 テ・デウム Te Deum laudamus(神よ、あなたを讃える)」ハ長調K.141(66b)を、ここにお送りする。この曲は、おそらく1769年末に、ザルツブルグで4部合唱、トランペット4、(テインパニー)、バス、オルガンの構成で書かれており、227小節の演奏時間約7分の小品である。「テ・デウム」とは、この語で始まる讃歌の一つで、別名「至聖なる三位一体の讃歌」とも呼ばれる。現存する31行の歌詞は、属先生の声楽編に全文が訳されているが、5世紀初めにまでさかのぼることが出来るようであり、作者は確認されていない。モーツァルトのこの作品は自筆楽譜が不明なことが問題であり、ミヒャエル・ハイドンの同名曲との強い類似性から疑いをもたれてきたが、近年、レオポルドによる注釈を書き入れたパート譜が発見されて、自作と認められている。


モーツァルトの曲付けは、その内容に従って四つの部分に区分される。
第一部(テ・デウム);アレグロ、4/4拍子(第1節〜第19節、新全集1〜63小節)、
第二部(テ・エルゴ);アダージョ、4/4拍子(第20節〜22節、新全集 64〜69小節)、
第三部(エテルナ・ファク);アレグロ、3/4拍子(第23〜30節、新全集70〜142小節)、
第四部(インテ・ドミネ);アレグロ、 4/4拍子、(第31節、新全集143〜227小節)、



       演奏はラファエル・クーベリック(1914〜1996)指揮のバイエルン放送交響楽団とその合唱団であり、1981年にミュンヘンのヴュルツブルグ聖キリアン教会でライブ収録されていた。当日のメインはモーツァルトのハ短調ミサ曲K.427(417a)であり、このテ・デウムK.141(66b)は、ミサ曲の前に、クーベリックの指揮でこのオーケストラと合唱団によって演奏されていた。クーベリックはまだ67歳ですこぶるお元気であり、続くハ短調ミサ曲を含めて力強い指揮をしており、彼の非常に貴重な映像になっていた。



第一部はハ長調アレグロで始まり、トランペットの響きとヴァイオリンのきびきびした明るい伴奏に支えられて合唱が始まり、「神よ、われらは賛美する」と高揚しながら合唱が進み、南ドイツ特有のひなびた風情を保ちつつ、「聖なるかな、聖なるかな」と力強く賛美の歌が展開されていた。
続く第二部はアダージョとなってトーンが変わり、「願わくば、尊きおん血をもってあがない給いししもべ等を助けたまえ」とゆっくりと進んでいた。そして第三部ではアレグロで3/4拍子になって、「彼らをして諸聖人とともに、永遠の栄えのうちに数えらるるを得しめ給え。」とホモフォニックな曲調を一層つきつめた後に、第4部となって、最後の一節「主よ、御身にわが望みの空しからぬよう、頼みまつる。永遠に。」と先行部分と対比的に、淀みない二重フーガで構築され見事に力強く展開されて終結部となって、全曲が結ばれていた。

       これらは13歳の少年の作としては驚くべき的確さで形式処理がなされており、アインシュタインが「イタリア旅行出立直前の最高の教会作品」と評価したのがうなずける合唱曲になっている。

(以上)(2013/05/20)


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