(頂いたLDのアップ;ペライアのピアノ協奏曲第21番K.467と第27番K.595)
13-5-2、マレイ・ペライアとヨーロッパ室内管弦楽団の弾き振りによるピアノ協奏曲第21番ハ長調K.467および第27番変ロ長調K.595、1990年3月14日、シーメンスヴィラ、ベルリン、

−素晴らしい弾き振りのピアノ協奏曲の映像であった。第21番は極めてシンフォニックな曲調であるが、レハーサルでペライアの指示が細かすぎていささか心配であったが、オーケストラはピアノと対等に渡り合っており、ペライアの独奏ピアノも見事なパッセージを弾きまくり、力強いタッチを見せて曲を盛り上げていた。一方の第27番K.595は、晩年のメランコリーに富んだ神秘的な色合いを佇ませ、澄み切った透明な音調を持っているが、ペライアのこの演奏は実に良くこの曲調を反映しているように思われた−

(頂いたLDのアップ;ペライアのピアノ協奏曲第21番K.467と第27番K.595)
13-5-2、マレイ・ペライアとヨーロッパ室内管弦楽団の弾き振りによるピアノ協奏曲第21番ハ長調K.467および第27番変ロ長調K.595、1990年3月14日、シーメンスヴィラ、ベルリン、
(2012年12月、柳さんから頂いたLD、ソニー、SRLM 2030)

       5月号の二曲目は、マレイ・ペライア(1947〜)のLD(1990)から、彼がヨーロッパ室内管弦楽団と弾き振りをしたピアノ協奏曲第21番ハ長調K.467および第27番変ロ長調K.595をお届けする。私のS-VHSの映像記録では、2001年の1月に、K.467のレハーサルと実演という形で736chの映像で収録されていたが、K.595については未収録であった。一方、私はペライアとイギリス室内楽団のピアノ協奏曲CD全集(1976〜84)を持っているが、今回の弾き振りの方がかなり新しいので、比較する形でじっくりと味わってみたいと思う。今回のこのLDの各曲の最初には、30分ほどのレハーサルと評論家のデニス・フォーマンとのインタビユーがあったので、珍しいと思ってペライアの話し言葉を加えてご紹介したいと思っている。



            ところでピアノ協奏曲も各曲の映像が揃ってきているので、ペライアの映像がどうなっているか少し調べてみると、私のデータベースでは、1999年の6月に、ピアノ協奏曲第12番と第20番のイギリス室内管弦楽団との映像が収録されており、録音年月を見るとこれはどうやらCDとほぼ同じ時期の録音(7700)のようであった。さらに、私の記憶では、彼がアバドとベルリンフイルでの第20番の演奏(9705)がS-VHSに残されており、この演奏が第20番ニ短調K.466 の決定盤的存在であったという印象が強かった。これらの一連のペライアの演奏を、次回の6月号にまとめて紹介することをお約束したいと思う。ペライアはスペイン系のユダヤ人でニューヨーク生まれ。1972年のリーズ国際コンクールで優勝して以来、活躍を続けているが、バルサムやホルショフスキーやR.ゼルキンなどが彼の先生であることから、安心できるピアニストの一人と言うことが出来よう。


           レーザーデイスクは、いきなりペライアがYシャツ姿でピアノに向かい、ピアノ協奏曲ハ長調第21番K.467の第三楽章の後半の部分を弾き振りしている様子が写し出されていた。オーケストラの面々はリハーサルとあって、てんでんばらばらな色合いのシャツ姿で演奏していたが、表情は真剣で明るい練習風景であった。コンサルタントのデニス・フォーマンが「第21番ハ長調は特に傑出した協奏曲であるが、ペライアは、どう捉えているか」という質問をしていた。ペライアは「第一楽章のシンフォニックな要素、変化に富んでいながら一貫性を保っている。感動的な第二楽章、終楽章の魅力や華やかさなど、とても言い尽くせない」と言葉を選びながら、丁寧に答えていた。
          フィナーレのレハーサルが続いていたが、フォーマンが「このフィナーレは実に魅力ある主題が飛び出して、しかもユーモアがあり、「フィガロ」的であるが、もっと洗練されている」と語り出すと、ペライアも同感して自らピアノを弾いて見せながら、「ここでは思わぬ展開をする」など、答えは明瞭で、センスの良さを感じさせていた。また、リハーサルにおけるペライアの指示は実にきめ細かく、例えば第三楽章の第一主題のスタッカートへの細かな指示、インテンポでと言う指示、伴奏にならずに自由に弾けなどと、もっともな指示を出しており、第二楽章ではピアノは遅くなるが、オーケストラは遅れないようにという指示などは的確であるように思った。


   映像はベルリン・シーメンスヴィラからのものであったが、観客の拍手は無く、いわゆるライブ演奏ではないようだった。ペライアがピアノの前に立ったまま両手で指揮をし始め、ピアノ協奏曲第21番ハ長調K.467の第一楽章のアレグロ・マエストーソが始まった。弦五部のユニゾンで始まる行進曲風の第一主題が明るくリズミックに始まって、弦五部と金管やテインパニとの応答が続いてから、トウッテイによる経過部がリズミックに進行していた。オーケストラは、コントラバスが2台の中規模な二管編成であった。指揮者のペライアは、トランペットとテインパニーが刻むリズムに注意を払いながら堂々と進めており、途中からオーボエやフルートが明るい響きを見せる副主題が登場して、終始明るい響きの中でトウッテイの行進曲が堂々と進行し、第一主題のみでオーケストラによる提示部を簡潔に終了していた。
      それからピアノに向かったペライアの独奏ピアノのアインガングが、ファゴットとフルートに導かれるようにして明るく始まり、トリルを繰り返しているうちに、オーケストラによる第一主題が始まった。そして独奏ピアノがこの主題を力強く引き継いで、華やかなパッセージで威勢よく進行していたが、ペライアのパッセージは、繊細で明るく音が際立つように軽快に弾かれていた。やがて独奏ピアノがト短調交響曲の冒頭を思わせるような副主題を繰り返して明るく印象づけてから、軽快な第二主題が独奏ピアノで歌うように現れた。そしてピアノがオーケストラと競い合うように素晴らしいパッセージを見せながら急速に進行し、次第に高揚しながらオーケストラとともに提示部を締めくくる盛大でシンフォニックなエピローグとなって、展開部へと突入して行った。


        展開部では独奏ピアノのペライアの独奏ピアノで始まり、新しい主題で絢爛たるピアノの技巧が示されていたが、独奏ピアノはオーケストラとも対等に競い合い、大胆で力強いピアノが響いていた。再現部では提示部とは主題の順序が異なっており、オーケストラで第一主題が呈示された後、独奏ピアノがこれを引き継いでから、直ぐに第二主題がピアノで再現されたり変則的であった。後半には第一主題のトウッテイによる提示の後独奏ピアノがパッセージを重ね、オーボエやフルートが明るい響きを見せる印象深い副主題が現れたりしていた。最後のカデンツアでは、ペライアのオリジナルで第二主題を中心にお気に入りのパッセージを思い出すように流暢に弾き流していた。再び、オーケストラが冒頭主題のリズムを提示してから、静かに終了していた。


          第二楽章は弦楽合奏で始まる美しい静かな素晴らしいアンダンテ楽章。初めに第一ヴァイオリンが、コントラバスのピッチカートと第二ヴァイオリンとヴィオラの三連符による豊かな伴奏に乗って、美しいテーマを歌い出し、その甘い調べにはつい引き込まれてうっとりしてしまう。やがて木管も加わって、指揮者であるペライアは静かな美しいオーケストラの世界をゆっくりと描いていた。やがて独奏ピアノが自ら左手で三連符を弾きながら登場し、ゆっくりしたピッチカートの豊かな伴奏に乗って右手でこの主題を明快に弾きだした。ペライアのピアノは一音一音、丁寧に明確に弾かれ、ひとしきり美しく歌ってから華やかなトリルにより終結していた。このピアノの粒立ちの良さは実に快く響き、ペライアの丁寧な弾き振りとテンポの良さには、しばしうっとりとさせるものがあった。中間部に入って新しい主題がピアノによって示されるが、この中間部におけるピアノとオーケストラとの対話はなんと美しく響くことか。ペライアはここでも一音一音ゆっくりと確かめるように丁寧に弾いており、三連符を奏でるオーケストラとの対話は実に素晴らしかった。再び冒頭の静かな第一部の主題に戻るが、ここでは始めから独奏ピアノとオーケストラで始められ、幾分、変奏されて進行するが、独奏ピアノの方も装飾を交えて弾かれており、ごく短いコーダの後にひっそりと静かに終息していた。カデンツアはなく、この楽章を一貫してピッチカートの三連符が響いており、落ち着いた爽やかな感じのする美しいアンダンテ楽章であった。



            第三楽章は、華やかなスタッカートの付いた主題で始まるアレグロ・ヴィヴァーチェ・アッサイの展開部を欠いたソナタ形式であり、オーケストラでロンド主題に似たな明るく軽やかな第一主題がトウッテイで始まった。主題は直ぐに繰り返されてから、弦と木管の交換があって、フェルマータの後に独奏ピアノが短いアインガングで登場し、改めてこのロンド風な主題を軽快に弾きだした。再びオーケストラに主題を渡してから、独奏ピアノによる流れるような16分音符の副主題が走り出し、ペライアは勢いよく軽快にパッセージを弾き進めていた。オーボエに続いてフルートも加わった木管合奏で示された第二主題が提示されると、直ぐにピアノに引き継がれ、再び16分音符のピアノの走句が続いて、快調なピアノのペースとなり、オーケストラと対話したり従えながら進行していた。再びフェルマータの後に再現部に突入して、独奏ピアノがロンド風な冒頭主題を弾き出すが、今度は順序を変えてソロ、トウッテイの順で第一主題が再現されていた。再び独奏ピアノが走り出し、第一主題・第二主題と独奏ピアノが鍵盤上を走り回るように駆けめぐって頂点に達し一気にカデンツアとなっていた。ペライアの弾くカデンツアはルドルフ・ゼルキンのもので、非常に短くあっさりとした回想風のものがテンポ良く弾かれ、最後は輝くようなピアノの音階の上昇で華やかにこのフィナーレを終結していた。

    このピアノ協奏曲は、極めてシンフォニックな曲調であるが、ペライアの指揮はこのモーツァルトの特徴をしっかりと捉えており、比較的ゆっくりしたテンポも良く安心して聞くことが出来、ペライアのピアノも非常にクリアーで透明感がある音を良く響かせていた。レハーサルでペライアの指示が細かすぎていささか心配であったが、オーケストラはピアノと対等に渡り合っており、第一楽章では実に堂々として軽快に、第二楽章では優美に美しく、フィナーレではおどけたような早いテンポで進んでおり、ペライアも負けじと見事なパッセージを弾きまくり、力強いタッチを見せて曲を盛り上げていた。拍手が無い映像で寂しい感じがしたが、非常に整った映像であり、ペライアの研ぎ澄まされた感性と知性を発揮させた完璧な演奏振りにはさすがと驚かされた。



   LDの第二曲目はピアノ協奏曲第27番変ロ長調K.595であり、始めはベルリンのカンマームジークザールで収録されたレハーサルで、いきなり第三楽章の第一主題で始まっていたが、評論家のフォーマンが登場し、この曲の特徴についての話になっていた。第一楽章は、神秘的でメランコリックな表情で始まるが、ペライアは変わっているのは第二主題だと語りだし、ピアノを弾きながらここでは長調から短調へと絶妙に調性が入り交じっており、ムードと調性がこれほど変化する曲は珍しいと語っていた。第二楽章については、装飾音の付け方の話になり、ペライアは繰り返すと装飾が不足がちなので控えめに補足していると語り、ベースに微妙な音が多いのでやり過ぎてはいけないとし、K.451で、モーツァルトがナンネル用に装飾を付けた譜例などを弾いて見せていた。第三楽章のロンド主題は、「コシ」のデスピーナのアリアとリート「春への憧れ」K.596の合作だとピアノで弾いて見せていた。この最後の協奏曲は、演奏するたびに新しい発見があり、スコアを見るたびに興奮するとペライアは語っており、またオーケストラについても、指摘するたびについてくるのでとても新鮮な反応があり、協演していてとても楽しいと語っていた。



           ペライアはレハーサルで見せていたように伸び上がって右手一本で、静かな波を打つような伴奏を付けながら第一楽章の第一主題を開始した。弦がお馴染みの旋律を弾き始め、管楽器群の応答によって進行する長い第一主題の特徴的なパターンが繰り返されていき、続いて第一ヴァイオリンとフルートが対話しながら歌われていく副主題が流麗に現れる。ペライアの指揮はさらに続き、美しい流れるような第ニ主題を提示していくが、後半のチッチッチと泣く特徴ある部分で調子を取りながら長い提示部を元気よくこなしていた。ペライアの独奏ピアノが装飾を加えながら第一主題を元気よく弾き始めるが、ピアノの音は粒だっていて弦楽器と良く混じり合って美しく流れていく。そして時には右手で細かなパッセージを弾きながら左手を上に上げて指揮をするような名人芸を見せていた。続く副主題もピアノで煌めくように弾かれ、続いて第二主題も美しく進行し、後半のチッチッチとなる部分をピアノで遊びながら表情を付けて弾いており、オーケストラが独奏ピアノと交錯しながら明るく進み、提示部を盛り上げながら締めくくっていた。



           展開部はピアノが第一主題の冒頭部をオーケストラと交互に執拗に繰り返しながら進むが、オーボエとピアノが歌い出し、ピアノの弾くパッセージをファゴットやフルートそして弦楽器が飾って進んでおり、レハーサルで繰り返し練習していた所が実に印象的で美しかった。再現部では独奏ピアノが途中から参加し、そのままオーケストラを従えながら独壇場のようにパッセージを重ねており、副主題に続いて第二主題も美しく再現されていた。終わりの長いカデンツアは馴染み深いモーツァルトのものを弾いていた。



           第二楽章は、独奏ピアノが弾き出す心にしみこむような優雅なピアノでゆっくりと始まるが、続いてペライアが座ったままで右手一本で指揮を取り、オーケストラが主題を繰り返していた。そこで独奏ピアノが語り出すピアノはいかにももの寂しく響き、淡々と静かに進行するピアノは透明感に溢れていて美しく素晴らしい。オーケストラのあとに続けて始まる中間部では、ピアノの一音一音をクリアーに弾くリズミカルな新しい主題が登場し、まさに幻想的なピアノの世界であった。ここではオーケストラとピアノが渾然一体となっており、ペライアは淡々と弾き進んでいた。モーツァルトが最後のピアノ協奏曲として悟りを拓いていたように聞こえる悲しげな幻想的な世界を、ペライアがオーケストラの動きと良く調和させながら、ピアノで静かに繰り広げていた。始めの歌うような主題に戻っても、その流麗なピアノの響きは変わらずに、音の粒だちや間の取り方に変化の工夫を見せながら、静かに終息していた。無心にピアノに向かうペライアの淡々とした世界と、左手を振ってオーケストラを指揮するペライアの姿とが交錯していた。



            フィナーレは踊りだしたくなるような軽快なロンド主題でペライアの独奏ピアノで始まり、オーケストラが引き継いだ後に再びピアノソロで現れる。この主題はリートの「春へのあこがれ」K.596として記憶されているが、続く経過部の後に現れる副主題も暫くして現れる新しい第二主題も、似たような踊るような主題が続いてから、再びロンド主題になっていたが、良く聴くとロンド形式の第二エピソードに相当する部分が無いようだ。短いカデンツア風のパラフレーズが続いて再びロンド主題が現れたときには、この楽章の再現部の第一主題に相当しており、この楽章はロンドの性格を持った展開部を欠いたソナタ形式と解釈でき、全体はABA'BAのようになりそうであった。
            再現されたロンド主題のあとは同じように副主題も第二主題も続けて現れるが、何れも独奏ピアノが先導しオーケストラを従えて駆けめぐるように活発に動き、ペライアのピアノの独壇場の姿で一気呵成に短いカデンツアまで到達していた。そして終結部ではもう一度ロンド主題が独奏ピアノで現れてオーケストラがひとしきり活躍して静かに曲が閉じられていたが、スタジオ録音のせいか、映像はそのまま終了となっていた。

           ペライアの弾き振りで、モーツァルトの晩年のピアノ協奏曲第27番変ロ長調K.595を聴いて来たが、この曲は何と憂いの多い曲なのだろうか。晩年の彼の困窮振りや体調のすぐれない様子をあらわしているかのように、メランコリーに富んだ神秘的な色合いを佇ませ、澄み切った透明な音調を持っており、ペライアのこの演奏は、実に良くこの曲調を反映しているように思った。第一楽章のメランコリックなもの悲しい音調や、第二楽章の憂いを含んだもの哀しいラルゲットでのピアノの幻想的な響き、フィナーレの明るいロンド主題にも翳りがあって、憂いを晴らさないままに終わっていた。やはり晩年のどうにもならない暗い面を晴らすことが出来ない曲になってしまったのであろう。

           なお、この第27番変ロ長調K.595は、既に全7組の映像のアップロードを終えて、このペライアによる弾き振りの新しい映像が追加された形となったが、この演奏は、この曲の憂いの多い曲調を実に良く捉えた素晴らしい映像になっており、ワルター・クリーンやギレリスの映像と並んでベストに近い演奏であると思われる。バレンボイムの映像と同様に、この演奏もスタジオ録音でライブの意外性はないが、ミスのない極めた整った演奏である上に、彼が病気で演奏活動を中断する直前の円熟した演奏であることを追記しておきたい。

         私たちは協奏曲と言えば、指揮者とソリストがお互いに協力したり主張をぶつけ合って成立するものだと理解しているが、今回初めてアップするペライアは、弾き振りについてどのように考えているのだろうか。今回のレハーサル風景の映像を見て、ペライアには、オーケストラに対しピアノと対話が出来る様に、「伴奏では駄目だ、自由にやってくれ」と注文を付けることが多かった。バレンボイムなどは、指揮者がいれば自分の意思通りにはならぬ邪魔な存在と考えるのであろうが、ペライアはどのように考えるのであろうか。次回にはペライアとアバド・ベルリンフイルの協演する映像をお送りする予定なので、この疑問について私なりの客観的な評価をしたいと考えている。

(以上)(2013/05/16)


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