(懐かしいS-VHSの紹介、アンドリュー・デーヴィスの「テイト帝の慈悲」K.621)
13-2-3、アンドリュー・デーヴィス指揮グラインドボーン管弦楽団および合唱団による「テイト帝の慈悲」K.621、1991年グラインドボーン音楽祭、BBC制作、

−全6種類ある映像で最後にアップしたこの古い91年グラインドボーン音楽祭のBBCによるTV映像は、ポネル以来の伝統的な演出とも異なり、また、最近の背広姿の現代風な演出とも異なって新鮮な舞台を提供しており、ラングリッジの風格ある皇帝役を中心にイギリスの若手女性歌手陣が健闘していた。抽象的で簡素な舞台造りも、時代背景を表す衣装も考え抜かれて自然で馴染み易く、エレガンスな独自の異色的な魅力ある「テイト」を作り上げていた−

(懐かしいS-VHSの紹介、アンドリュー・デーヴィスの「テイト帝の慈悲」K.621)
13-2-3、アンドリュー・デーヴィス指揮グラインドボーン管弦楽団および合唱団による「テイト帝の慈悲」K.621
、1991年グラインドボーン音楽祭、BBC制作、
(配役)テイト;フイリップ・ラングリッジ、ヴィッテリア;アシュレー・プトナム、セスト;ダイアナ・モンタギュー、セルヴィリア;エリザベート・シミトウカ、アンニオ;マーテイン・マーエ、プブリオ;ピーター・ローズ、
(1993/03/31、NHKのクラシック・シアター「魅惑のオペラ」をS-VHS3倍速で収録)

       2月号の第3曲目は、1991年グラインドボーン音楽祭のオペラ「テイト帝の慈悲」K.621であり、アンドリュー・デーヴィス指揮グラインドボーン管弦楽団および合唱団による演奏である。この映像は、このHPでは3番目に古い映像であったが、このオペラとしては最後の6番目にアップするものであり、91年のモーツァルト・イヤー時の演奏であるにも拘わらず、余り印象に残っていなかった。指揮者のアンドリュー・デーヴィスはこのHP初登場であり、主役の中ではテイト役のラングリッジしか知らず、殆どがイギリスの若手歌手たちによる演奏だったので、入手当時に深く見ていなかったようである。このオペラは最近は背広姿の映像に支配されており、これは古くさいオペラセリアの祝典劇を現代でいかに見せるかが最近の問題になっているので、演出者の考え方によりその方向性が定まるものであろう。この時期ではかなり斬新な舞台を見せていたグラインドボーンの映像は、果たしてどのようなスタイルをとるか、改めて見直してみたいと考えていた。

   オペラのタイトルと91年グラインドボーン劇場の文字が僂梁燭し狆譴侶物周辺を背景に写し出され、出演者の名前が紹介されてから、いきなり序曲が始まった。画面では古いローマ時代風のモザイクの壁画が写し出される中で、三和音に続いて行進曲風な第一主題やオーボエやフルートが美しい第二主題が現れて、序曲が佳境に入っていた。モザイク画が何を意味するかを考えているうちに、小編成の響きの序曲が進行し、実に美しく響いていたが、終了とともに舞台が現れ、椅子一つの抽象化された舞台上で、先王の娘のヴィッテリアと皇帝テイトの親友でヴィッテリアを愛しているセストとが、言い争いをしていた。



      彼女は皇帝が異国の王女ベレニーチェと結婚しようとしていることに憤激して復讐を考えて、いくらセストに頼んでも実行してくれないので怒り出していた。彼女がテイトに復讐を迫る理由の長い二人のレチタティーヴォが続き、鎧の胸当てを着けた男装のセストが懸命に彼女の短慮を諌め、考えを変えさせようとしたが、彼女は「私の敵を誉めるのか」と爆発し、立ち去ろうとした。しかし、セストがしがみつき、遂に泣きながら「何でもお命じして下さい」と歌い出すと、ヴィッテリアは「皇位を奪った男に死を」と二重唱が始まって、終わりのアレグロでは声を揃えて美しく歌っていた。



       そこへ親友のアンニオが現れれ「皇帝が君をお呼びだ」とセストに知らせると、ヴィッテリアが皇帝を罵るので、アンニオがこれを諌めて「王女との結婚は諦めた」と話し出したので、セストとヴィッテリアは驚いた。そこでヴィッテリアはセストに「事を起こすのは中止よ」と告げ、セストに向けて「私を喜ばせたいのなら、その煮えきれない気持ちを捨てて頂戴。」とラルゲットで美しく歌い出した。そして後半では激しいアレグロのコロラチュアのアリアに装飾を着けながらセストとアンニオにも向けて力強く歌っていた。一方、アンニオはセストに「君は妹のセルヴィリアを僕の妻にと約束してくれた。あとは皇帝の同意を得て欲しい」と頼み、二人は民謡風の三拍子の小二重唱を歌ってお互いの友情を確かめ合っていたが、とても美しい二重唱であった。



        場面が変わってトランペットが鳴り響き行進曲が始まって、ローマ皇帝テイトが衛兵や貢ぎ物を献上する人々とともに登場し、皇帝の威厳を暗示する儀式があり、全員によりティートを「祖国の父」と讃え、さらに「正義の人テイト」と声を合わせて皇帝を讃えて歌っていた。テイトは「この年貢物を、ベスビオの廃墟の人々に捧げよう」と決断し、善政を説くので一同は感動していた。



        再び行進曲の後に、彼はセストとアンニオだけを残して、他を下がらせた。セストが妃の選定について皇帝に尋ねると、彼は「ローマはローマの娘を王座にと望んでいる。愛の絆が駄目なら、私は友情の絆を深めたい」と言い、「君の家系から王妃をと思うがどうか」と告げて二人を仰天させた。意見を聞かれて、彼らは皇帝に逆らうことは許されず、思わず口ごもる。アンニオは逆らえずにセルヴィリアを王妃に相応しい方と誉めてしまうので、逆に、皇帝から本人に伝えるよう頼まれてしまった。そしてテイトは「王座は苦しい人を助け、友の位を高めるしか、喜びはない」と彼のアリアを歌い出していた。



          アンニオが愛するセルヴィリアに「お妃だ」と伝える苦しみと、彼女の驚きと苦悩を歌った二人の愛の二重唱は、木管のオブリガートを伴って実に美しく歌われ、とても印象深かった。行動力のあるセルヴィリアは、テイトのところに駆けつけて「私の心はアンニオのもの」と告白したので、テイトは驚くが、意に従わぬのは罪だが、彼女の一途な正直な心を誉め讃え、「皆がこれほど忠誠に尽くすなら、苦しまずに済む」とファゴットの前奏で明るくアリアを歌って正直な彼女を許していた。




          一方、ヴィッテリアは、セルヴィリアが妃に選ばれたと知って、再び嫉妬の余り腹を立てていたが、セルヴィリアに会って「今度はあなたの番よ」と彼女に言われて、侮辱されたと嫉妬していた。そしてそこに現れたセストに、再び、私を好きならテイトを殺して王座をと言い出した。セストはそこでも彼女の短慮を戒めるが、彼女はいきり立ち神殿に放火をと言って、セストを意気地なしと侮辱したので、遂にセストは決意して、「命令通り私は行きます」とアダージョで歌いだした。クラリネットのオブリガートが美しく、後半のアレグロもドラマテイックに歌われて素晴らしかったが、この映像では拍手は不思議に一切ないので、やや興ざめに感じた。この映像は、劇場の舞台だけを借りてテレビ映画風に作成されていることに気がついた。




        立ち去ったセストに唇を許し、これでやっとテイトへ復讐が出来ると、暫く悪女振りを見せたヴィッテリアが考え込んでいる所に、プブリオとアンニオが駆けつけ、「陛下がお呼びです。皇后さまです」と彼女に告げた。ヴィッテリアは驚いて「行きます」と答えたが、直ぐに「セストは?」と大声を上げていた。そしてセストがいないかと半狂乱になって周囲を探し始め、「もう手遅れか」と歌う混乱したヴィッテリアのソロと、彼女の気持ちを測りかねて驚く男たちの二重唱が、奇妙な対象を示して余り噛み合わない面白い三重唱のアンサンブルとなっていた。
しかし、時既に遅く、セストは迷い苦しみながら放火を命じ、遂に人を刺してしまった後悔の念に燃えながら、王宮の階段で立ち止まり、激しいレチタテイーボ・アッコンパニアートを凄い迫力で歌っていたが、後悔しても時既に遅く、セストは裏切り者となったと自戒していた。



         セストが逃げる姿をアンニオが見つけたが、探しているうちに不審火だとセルヴィリアが駆けつけ、裏切りだと騒ぎながらプブリオも集まって来てフィナーレが始まっていた。ヴィッテリアも駆けつけてセストを探していたが、剣を持ったセストに合い、テイトが刺されたことを聞き、「言わないで」と念をさして立ち去っていた。テイトが刺されたことが広まって、フィナーレは心配する四重唱から、さらに駆けつけて来た群衆全員の合唱になり、「悲しみの日」を連呼する群衆の合唱で、混乱の中で第一幕は終了していたが、映像では、残念ながら、幕も下りず拍手もない味気ない幕切れとなっていた。





   第二幕は白くて太い一本の柱がある舞台で始まった。アンニオは逃亡しようと隠れていたセストを発見し、「皇帝は無傷でお元気だ」と知らせるが、テイトの胸を刺したと信じ込んでいるセストは耳を貸さない。そこでアンニオはセストに繰り返し皇帝に会ってきたと説明し、アリアで「テイトの元に戻れ、悔いを示せ。」とセストを諭していた。セストはアンニオには正直に「私が首謀者だ」と告白していたが、アンニオに言われて「逃げるべきか止まるべきか」と迷うものの、遂には逃げようとしてヴィッテリアに出合い、「逃げて」と言う彼女に別れを告げていた。



    そこへプブリオが現れ、二人を見つけてセストを逮捕しようとしたが、セストはヴィッテリアに「君の憐れみが欲しいんだ」と一人で歌い出し、続いてヴィッテリアの後悔と不安な気持ちを歌う二人の二重唱となっていた。これに彼を逮捕しようと急き立てるプブリオも加わって、二人とプブリオとの三人三様の複雑な気持ちを歌う三重唱に発展した。そして遂にセストはプブリオに逮捕され連行されてしまったが、この三重唱を開始するセストの歌には、オーボエのオブリガートがついており悲壮感を高めていた。



         王宮の広場に場面が変わり、民衆の合唱が始まって「テイトは助かった。王宮は救われた。」と神に感謝していたが、中間部でこれを受けたテイトのソロがあり「わが運命は、ローマにより守られ決して不幸ではない」と歌い、再び、合唱が厳かに美しく繰り返されていた。
         プブリオはテイトにセストの犯行を提訴するが、テイトは信じない。プブリオがそれを戒めて「民衆は処刑を待っている」と進言をし、アリアで「誠実な心の人は裏切りには気がつかない」と歌っていた。そこへアンニオが登場し「セストは死に値するが、彼にどうかお慈悲を!」とアリアでテイトにすがっていた。しかし、セストを信じてアンニオの話にも耳を貸さぬテイトは、皇帝として元老院の判決文に署名する前にセストの友情を信じて「彼なら私に告白する」と考えて、彼に合おうと決断した。






       プブリオがセストを連れてくると、捕らわれて苦しみ抜いたセストは「これがあのテイトの顔だろうか」と歌い、苦悩に溢れるテイトは「これがあのセストの姿だろうか」と呟き、プブリオは務め上「テイトはまだ彼を愛している。テイトに早く署名させよう」と呟いて、それぞれが万感を込めて苦悩を歌う有名な三重唱となっていた。何も語らぬセストに対し、テイトはプブリオを下がらせ二人きりになって「お前は私の死を本当に願うのか」と質すが、セストは「野望なんかない」と答え、恐ろしくて打ち明ける勇気もなく、許しを請うだけでヴィッテリアの企みを口にせず、死を覚悟してあの「別れの歌として名高いロンド」をアダージョで歌い出し、ホルンと弦の悲しげな伴奏で「絶望して死にます」とアレグロで歌って沈黙を守っていた。



        友情と法の裁きの板挟みになったテイトは、理由を告げぬセストに対し悩んだ末に「アレーナへ」と厳しい判決をプブリオに伝え、「気高き神々よ」と厳しさに対する赦しのアリアを歌って、退場していた。
         場面が変わってヴィッテリアが現れ、プブリオに対し皇帝の判断を求めたが、二人だけになって長い話をしていたが、私は聞いていないと答えたので、「二人だけならセストは白状した」と判断していた。しかし、アレーナへとの兄の判決を知ったセルヴィリアがアンニオとともに現れて、「新しい皇妃である貴女から、セストが慕っている皇妃から、日が沈む前にセストの助命をお願いして欲しい」と絶望的な表情でアリアを歌いながら、必死でヴィッテリアに助けを求めた。このアリアも聞き込むと実に美しいアリアであり、彼女の強い兄への思いがヴィッテリアにも伝わっていた。



           ここで一人になった張本人のヴィッテリアは、セストが自分のために口を閉ざして死を迎えようとしている誠実さを知り、深く良心の呵責を覚えた。そして「自分を愛するセストを見捨てて、自分だけが皇妃の座につけるものだろうか」とレチタティーヴォ・アッコンパニアートで自問自答しながら深く反省し、悩んだ末に全てを諦めてテイトに告白しようと決断した。そしてあの有名なロンドを歌い出し、始めに「全ては幻に終わった」とラルゲットでゆっくり歌い出し、クラリネットの低い音が響き始めるとアレグロになって激しく絶望的な気持ちを歌い、絶望的な覚悟の歌を披露しており、彼女の低音の声も良く伸びていた。




            場面が変わって華やかな前奏とともに、アレーナに大勢の民衆が集まっており、湧き上がる大合唱の中で、皇帝テイトが入場し「偉大な皇帝テイト」と歌われていた。アンニオとセルヴィリアがテイトに跪いてセストの赦しを求めるが、「もう遅い」と相手にしない。そこへ罪人として縄を掛けられたセストが引き出され、テイトが罪状を読み始めたところに、突然に、ヴィッテリアがテイトの足下に駆け寄り、「私こそ罪あるもの」と跪いて「罰してくれ」と告白を始めた。



            テイトは大いに驚きそして困惑したあげくに、激しいレチタテーボで理由を質し「私は何度裏切られたのか」と問うと、ヴィッテリアは「私がセストを唆した張本人です」と言い、その理由は「陛下の善良さに復讐したのです」と告げていた。テイトは、愕然として改めて反省し驚きつつも、「他人の裏切りにあっても自分の仁慈は常に変わらないこと」をレチタティーヴォ・アッコンパニアートで自問自答した挙げ句、、皆を許すことに決断し「セストは自由の身に」と宣言し、続けて「私は不変であり、全てを知り、万人を赦し、全てを水に流す」と全員に告げた。この言葉に集まった一同は驚き、テイトの人徳に感じ入り、まさにこのオペラ最大の迫真劇となっていた。



         フィナーレに移行して、前奏とともに皇帝の徳行を讃える合唱が始まり、セストもヴィッテリアも、思わぬ結果にテイトの寛大な心に深く感謝し「死ぬまで忠誠を誓います」とテイトを讃え、セルヴィリアとアンニオの二人の深い感謝の二重唱が清らかに響き、プブリオも加わって感謝と感激の六重唱に発展し、「神々よ、ローマと陛下の聖なる日々を」という民衆の大合唱となっていた。そして、大勢の人々の歓喜と賞賛の中で、テイトもローマの平和を願って終幕となっていた。

        この映像では、拍手も華やかなカーテンコールもなく、映画と同様に出演者紹介が字幕で行われていたが、最後にRM Artsというビデオ制作者の協力の下にBBC-TVが制作したと書かれてあり、さらにレチタテイーボ・セッコ補作者としてスティーブン・オリヴァー氏の名が書かれてあった。これがこの映像の第一の特徴であろうか。タイトルには1991年グラインドボーン音楽祭とされていたが、映像の目的はTV映画の制作であり、この劇場の上演された舞台の素材を利用して撮影し、録音されたものであるが、冒頭の序曲や幕間などに於いても指揮者やオーケストラや聴衆の姿は一切見られず、いわゆる通常の舞台のライブ収録とは異なっていた。そのせいか、カメラが固定されず自由でミスのない映像となっていたが、クローズアップが多い割には画像の質が上がらず、残念に思われた。なお、83年グラインドボーン音楽祭のハイテンクとナンの「イドメネオ」もRM ArtsとBBC-TVによる映画的映像であり、主役のテノールのイドメネオがラングリッジでこのオペラと共通であった。

        レチタテイーボ・セッコ補作者の名前があることは珍しいが、冒頭のヴィッテリアとセストの対話とか、第一幕のフィナーレ直前のセストのレチタテイーボとか、第二幕後半のヴィッテリアの悔悟の独白など、理由説明のレチタテイーボが追加されていたように思った。恐らく、殺人まで犯そうとずるに至った理由などの説得性を高めるために行った補作なのであろう。このオペラは動作がない静的なオペラなので、理由説明はレチタテイーボに限定されるが、現代のスピード演出でともすれば省略されることが多いレチタティーボを追加し補作することは非常に珍しいことと思われる。

         デーヴィスの音楽は、一貫してテンポが良く歯切れの良い現代風な演奏であった。舞台演出はニコラス・ヒトナーによるとされていたが、音楽の演奏スタイルに合った背景や照明を重視する抽象的な現代風な演出であったが、登場人物の衣装が見事に古い時代を説明しており、甲冑の胸当てで男を表したり、皇帝の姿を場面により変えたり、写真でお分かりの通り、抜群の優れたセンスで登場人物を描いており、見事に古いローマ時代を連想させるものであった。最近の新しいこのオペラの映像は、現代風の背広姿の衣裳で人間関係を重視した現代的な読み替えオペラが続いて、アーノンクール・クシェイ(2003)(7-11-3)メスト・ミラー(2005)(6-7-1)、およびカンブルラン・ヘルマン夫妻(2005)(11-10-2)と三つの映像を見て来たが、今回の映像の方が、少しの工夫で時代性を良く表しており、とても馴染み易く理解しやすいと思われた。

        テイトを歌ったフイリップ・ラングリッジ(1938〜)は、イギリス生まれでイドメネオ役で早くから知られ、イギリスばかりでなく、ザルツブルグ音楽祭やスカラ座などで活躍していた人で、今回のテイトも堂々たる皇帝役として歌も演技も傑出していた。ヴィッテリア役のアンシュレー・プトナムは、鋭い顔つきで気まぐれな悪女役を無難にこなしており、第23番のアリアも良く歌っていたが、やや線が細い感じであった。セスト役のダイアナ・モンタギューは大柄でズボン役が似合っていたが、他の映像のトロヤノスやカサロヴァなどと較べると迫力に乏しいのはやむを得ないが、しっかりと役をこなしていた。この三人の活躍と演出の良さにより、この映像は他の映像にない存在感があるものと思われる。

この「皇帝テイト」の音楽は、従来から早書きのつまらない作品のように評価され、第9番と第19番のセストのアリア、第23番のヴィッテリアのアリアだけが有名になっている。しかし、最近、回数を重ねて口ずさめるように聞き込むと、例えば第3番や第7番の二重唱や第10番、第14番、第18番の三重唱などは、実に末期のモーツァルトらしく美しい木管のオブリガートがあったり、オーケストラと声との充実したアンサンブルが聴かれて、改めて感動することが多い。今回のこの映像についても、古い簡素なグラインドボーンのオペラとして、余り期待しないでいたが、画面の状態がもう一つ物足りないものがあったが、他の映像にない優れた主張を持った堂々とした作品であったと考えることが出来よう。

(以上)(2013/02/08)


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