(新しいDVDと古いVHSから;2つの交響曲第39番変ホ長調K.543)
13-12-1、ゲオルク・ショルテイ指揮シカゴ交響楽団の交響曲第39番変ホ長調K.543
、1985年2月、ロイヤル・フェスティヴァル・ホール、ロンドン、およびジェフェリー・テイト指揮イギリス室内管弦楽団の交響曲第39番変ホ長調K.543、1988年、BBCスタジオ、ロンドン、およびデニス・ラッセル・デイヴィス指揮のカメラータ・アカデミカ・ザルツブルグによる「アダージョとフーガ」ハ短調K.546、モーツァルテウム・大ホール、2001年モーツァルト週間、ザルツブルグ、
 

−ショルテイの演奏は、テンポが決して早めでなく、変な癖もなく、落ち着いたしっかりした譜面通りの演奏をしており、伝統的で力強い豊かなものを感じさせる後味の良い立派な演奏であると思った。これに反し、テイトはピリオド演奏の影響を直接受けながら、彼の独自のバランス感覚による解釈を付加させているように思えた。ラッセル・デイヴィスのK.546は、体全体でオーケストラを揺するように動かした激しい演奏で迫力があった−


(新しいDVDと古いVHSから;2つの交響曲第39番変ホ長調K.543)
13-12-1、ゲオルク・ショルテイ指揮シカゴ交響楽団の交響曲第39番変ホ長調K.543、1985年2月、ロイヤル・フェスティヴァル・ホール、ロンドン、およびジェフェリー・テイト指揮イギリス室内管弦楽団の交響曲第39番変ホ長調K.543、1988年、BBCスタジオ、ロンドン、およびデニス・ラッセル・デイヴィス指揮のカメラータ・アカデミカ・ザルツブルグによる「アダージョとフーガ」ハ短調K.546、モーツァルテウム・大ホール、2001年モーツァルト週間、ザルツブルグ、
(2013/09/09、新宿タワー・レコードで輸入盤DVD購入ICAD-5100、および2001/06/14、CS736CH、D-VHSテープによるLS3モードにより録画)

             12月号の第1曲目のショルテイの交響曲第39番変ホ長調K.543は、チャイコフスキーの交響曲第4番ヘ短調とペアになった最新のDVDであり、シカゴ交響楽団を振ってロンドンで収録したもの(1985年2月)である。古いスタイルのステレオ録音であり音は余り冴えないが、映像はカラーでしっかりしている。これ一曲では物足りないので、同世代の映像として、ジェフェリー・テイト指揮イギリス室内管弦楽団の同じ曲の演奏を取り上げ、比較考察の対象とした。この映像は、クラシカ・ジャパンの放送の内田光子とJ.テイトによる対話シリーズの「シンプリー・モーツアルト」(1988)の第2編に属するもので、内田光子を中心とする第1編(K.545、1-3-4)および第3編(K.491、1-6-3)は既にアップロード済みであったものである。このテイトの演奏のアップによって、この交響曲第39番は、ジンマン・ドイツ室内楽団(1991)とムント・N響(1991)のモーツァルト・イヤーの2演奏を残すばかりとなった。



             ショルテイ・シカゴ交響楽団といえば、この曲の組合せのように、金管楽器が炸裂するチャイコフスキーの派手な交響曲などがお似合いであると思っていたが、モーツァルトの交響曲と抱き合わせのコンサートをするとは余り思っていなかったので、このDVDを購入したときはかなり躊躇した。しかし、91年のモーツァルト・イヤーにおいて、ウイーンの没後200年のシュテファン寺院の追悼記念の「レクイエム」の指揮者に選ばれたり、91年ザルツブルグ音楽祭でウイーンフイルと「魔笛」を振るなど、ベーム・カラヤン亡き後のウイーンの音楽界に登場し、長老指揮者として活躍し始めた時は、正直言って驚いたものである。従って、モーツァルト演奏に向かない指揮者として評価し無視してきた小生にとって、現時点で1985年の古いショルテイ・シカゴの組合せで第39番を改めて聴くのは、過去のイメージとどう異なるかいささか心配でもあった。



  この交響曲第39番変ホ長調K.543のコンサートは、ロンドンのロイヤル・フェスティヴァル・ホールで行われており、まだ元気の良さそうな風貌のショルテイは、右奥に4台のコントラバスを置いた大規模なオーケストラで堂々と演奏していた。この曲は、第一楽章がテインパニーが響く壮大なアダージョの序奏で始まるが、ショルテイは堂々たる付点リズムを持った大和音と華麗なゆったりとした下降音階を伴った弦の流れで序奏を開始した。付点リズムの和音との間を埋める32分音符の下降する弦は、急がずに静かに進行させる伝統的な序奏部の進め方であり、ゆっくりとリズムを刻みつつフルートと下降する弦とが対話しながら穏やかに盛り上がりを見せつつ進行し、終わりも堂々たる大和音の連続で穏やかに明るく序奏が結ばれていた。

   素晴らしい序奏に続くアレグロでは3拍子の第一主題が、弦楽器で軽快に提示され木管も加わって勢いよく進んでから、「英雄」交響曲を思わせる力強いファンファーレが堂々と開始され、序奏にあったような和音と下降音階との対比が実に明解に響いていた。続いて現れる第二主題も第一ヴァイオリンにより歌うように提示され、フルート・クラリネットと弦との優美な対話が一きわ冴えて、ピッチカートを伴った厚い響きも豊かに進んで後半では盛り上がりを見せて主題提示部を終えていた。ショルテイはここでこの提示部の繰り返しを行わず、伝統的にいきなり展開部へと突入していた。展開部では提示部の結尾主題が何回も執拗に繰り返され力強く展開されて再現部へと移行していた。ショルテイは再現部においても、終始、堂々と力強さを持って型通り進んでいたが、この曲のダイナミックな迫力を強調させた緩急自在な力強い演奏を見せていた。この楽章はショルテイがシカゴ交響楽団を力強く歌わせた極めて伝統的な奏法によるものと感じさせられた。



  第二楽章では、アンダンテのゆっくりした楽章であり弦楽合奏の美しいメロデイでゆったりと始まる。曲は二部分型式か、三つの主題から構成されており、譜面を見ると提示部の前段に繰り返しが二つあり第一の主題を構成していたが、ショルテイは弦楽合奏の二つ目の繰り返しを省略して演奏していた。ここで木管の導入に導かれて弦4部が第二の主題を波を打つように提示していき、管と低弦との見事な対話がひとしきり繰り返されて頂点に達してから、ファゴット、クラリネット、フルートが互いに重なり合って第三の主題を提示して、前半の第一部を形成していた。第二部では第一の主題が第一部同様に弦楽合奏で始まるが、直ぐに管楽器の合奏が加わり、次第に弦楽器群と管楽器群が交互に波を打つように進行し始めた。第二の主題も変形されて弦楽器群と管楽器群が波を打つように力強く進行し、終わりに第三の主題が管楽器群により互いに重なるように現れて素晴らしい合奏を行ってから、最後に第一の主題に戻って静かに歌われてこの楽章は終息していた。ショルテイは、長身で全身を使って、優雅な顔つきでこの美しい楽章をこなしていたが、弦と管のアンサンブルが素晴らしく見事なアンダンテ楽章であった。    続くメヌエット楽章では、ショルテイは実に良いテンポで堂々と厚みのあるメヌエットを進行させていた。このメヌエット部分の壮麗さと対照的にトリオでは二つのクラリネットの美しいデユオにフルートが加わって素晴らしい響きを聴かせていたが、繰り返しの後、再びメヌエット部分が再現されていた。



   フィナーレはアレグロの早い出だしの第一主題で軽快に始まり、これまでの楽章と一転しフルオーケストラで明るく躍動するように進行していた。ショルテイはこの速い動きを全身を使って勢いよく進行させており、始めの主題から派生した第二主題を、同じテンポで軽快に進め、フルートとファゴットの美しい対話を経て盛り上がりを見せ、提示部を終了していた。しかし、繰り返しを省略して続けて展開部に突入し、展開部では冒頭主題の旋律を何回も繰り返して展開していたが、高弦と低弦とが追いかけ合い鋭く対立しながら波を打つように進行していた。再現部では始めの通り疾走するテンポで軽快に型どおり進めており、ショルテイはここでも繰り返しを無視して、伝統的な手法で、一気に駆け抜けるようにこの楽章を完成させていた。
   全楽章を通して聴いてショルテイの演奏は、テンポが決して早めでなく、休止や抑揚など変な癖もなく、落ち着いたしっかりした譜面通りの演奏をしており、伝統的で力強い豊かなものを感じさせ、まずまずの後味の良い立派な演奏であると思った。私はこのハンガリー出身の指揮者のモーツァルトを余り聴きもせずに、長い間、誤解していたのかも知れない。



              続く第二の交響曲第39番変ホ長調K543は、ジェフェリー・テイト指揮、イギリス室内管弦楽団の演奏であり、これは1988年BBCの制作したTV映像「シンプリー・モーツァルト−交響曲編」と題されたスタジオ収録の映像であった。 画面はいきなりリラックスしたスタイルのジェフェリー・テイトが語り初めていた。「40年前にモーツァルトの交響曲の演奏について語れと言われたら、きっと卓越した指揮者たちの遺産について話したでしょう。ビーチャム、ワルター、ブッシュやそれと反対傾向のトスカニーニやクレンペラーについて説明したはずです」と語りだした。しかし、最近になってモーツァルトの演奏の伝統は変質し始めた。第一に、演奏者は、作曲家の自筆譜研究の成果に関心を寄せ、第二に、17〜18世紀の作品を専門とする室内楽団が増え始め、18世紀のオーケストラに近い音のバランスで演奏するようになって来ており、また、この10年の間に、当時の楽器の複製を用いる演奏も増えてきているなど、この40年間に演奏に大きな変革が起こっていることを述べていた。



今回のイギリス室内楽団でも、少なくとも管楽器は古楽器に近いタイプのものを用いており、幾つかの弦楽器は古楽器ですが、新しい弓と奏法で弾いているという。ただし、全体の音のバランスは管楽器に重心が置かれており、18世紀の楽団に近いバランスであると言う。そしてモダン楽器でも演奏は可能であり、現代の弓では音が緊密で、管楽器は音色が平均化されているので、そこで現代楽器を用いる際にもっと個々の線をいかすような注意が必要であると言い、特にモーツァルトの場合には、バランスを明確にして、個々の線を生かし、良く歌わせれば良いのですと語っていた。
次いでモーツァルトの時代にフォルテピアノとクラリネットが新たに加わった。この第39番の交響曲ではオーボエの代わりにクラリネットを用いた最初の交響曲作品で、このクラリネットの音色を生かすため特別に変ホ長調の調性が用いられていることに特徴がある。そして自らピアノ弾きながら、クラリネットの豊かな音色について触れ、変ホ長調は、神聖で儀式的なものと調和しており、「魔笛」などの調性でもあり、変ホ長調はホルンやトランペトなどにも輝きを与えるので、演奏する際にこの点を考慮する必要があると語っていた。そして場所を変え、オーケストラの前に椅子を持ち出して、その上で指揮を始め、冒頭の序奏部の演奏を開始した。そして指揮をしながら、適切なテンポを見出すこととオペラと共通する歌的な資質を表現することが、演奏者にとって最も難しい課題であると述べ、旋律が歌っていなければモーツァルトとは言えないと語っていた。そしてこの交響曲は、第38番の「プラーハ」と同様に遅いテンポのアダージョの序奏で始まることも特徴の1つであり、遅いテンポとはどのくらいの早さか、について、フンメルとツエルニーの示したメトロノームの速度記号を示してピアノで弾いて見せていた。そして18世紀のスタイルを示しながら、自分はこれらを参考にして、この程度のテンポでやりたいとアダージョとそれに続く第一主題のテンポをピアノで示してからオーケストラでも演奏をして見せた。これらは中庸を得た実に良いテンポであり、納得させられた。続いてファンファーレの後、序奏部での下降する弦が速いテンポで繰り返して現れ、管楽器が明確にリズムを刻むことが重要であると述べていた。



続いて第二主題では、弦と管の対話型で進むが、クラリネットが優雅な和音和音を繰り返して、低弦のピッチカートが自由な音色を生み出させ、最後のコーダでは、トランペットとテインパニーが祝祭的な色彩を強めて、突然の大音響が響かせて、勢いよく提示部を結んでいた。

第二楽章では、フンメルもツエルニーもともに4つ振りで108拍/分のテンポを提示していたが、テイトも同様にゆったりとしたテンポの2拍子で進めていた。弦楽器だけの2つの繰り返しを持つ第一の主題は、丁寧に繰り返され、第一楽章と同様にここでも旋律を良く歌わせ、注意深くフレージングすることが重要と言っていた。続いて管の経過句に導かれて短調の第二の主題が突き上げるように長々と続いて感情の発露があり、続いてヴィオラと管が対話を重ね、やがて第三の主題となるファゴット、クラリネト、フルートとカノン風に続くエピソードが美しく響き渡っていた。そしてこれらの楽想が繰り返されるように綿々と進んでから、初めの主題に戻っていたが、管も加わって、静かに歌われて楽章を閉じていた。

第三楽章では、ツエルニーとフンメルは、それぞれ、260拍/分および240拍/分のテンポを提示していたが、とても早くて演奏できず、18世紀後半のメヌエット楽章のテンポは、今なお、論議の的になっているようだ。テイトは、テンポは1小節を一振りにして、トリオをレントラー風にしたいと言い、舞曲と儀式の両方の要素を持つように設定したと語っていたが、小生にはやや速めのテンポに聞こえた。トリオはクラリネット2声の優美なデュオとフルートの絶妙な応答に細心の配慮をと言っていた。また、テイトはトリオの後のメヌエットの反復について述べ、通常二度目は反復を省略するが、この曲では反復が指定されており、この楽章は堅固で重要な楽章と見なして演奏すべきと語っていた。新全集では、トリオの末尾の繰り返し記号にフェルマータとDa Capoの記号が付いていたが、これがメヌエットの反復指定なのだろうか。テイトは二度目のメヌエットでも繰り返していたが、これは私には初めて気がついたメヌエット演奏であった。



第四楽章のテンポは、2/4拍子の純粋かつ単純な2拍子の急速な楽章で、二人とも152拍/分でとても活気のあるテンポであるが、テイトはこれより少し遅めの演奏をすると語っていたが、聴感上は、速めのテンポに聞こえていた。第一主題ではヴァイオリンの技巧が、まるで協奏曲のように、十分披露できるように気をつけ、ピアノとフォルテで出来るだけ歯切れ良く奏し、エネルギッシュに進行させるようにする。第二主題は、第一主題と素材が共通な単一主題ソナタ形式で、ハイドン風な構成美を生かし、後半部ではフルートとファゴットとの対話を浮き出させることが必要と語っていた。展開部では冒頭主題の執拗な繰り返し、高弦と低弦との対話、縦横無尽の転調などで忙しく、最後の経過句ではクラリネットとファゴットが担当し、ファゴットが珍しく主旋律を奏でることに注意して欲しいと語っていた。最後に、通常、第一楽章は前半だけ繰り返すが、フィナーレでは、後半も繰り返すべきであり、最後のフレーズで休止が入るので独特のユーモアが生ずるので注意して欲しいと語っていた。



    テイトの言葉はかなり要約しているが、この交響曲の演奏上の彼なりの配慮を率直に述べており、とても参考になった。彼はフィナーレまできて、最初の第一楽章の序奏から全体を通して4楽章とも演奏していたが、いろいろ感ずることを述べてきたが、細かなことは忘れて、この交響曲の豊かな響きをリラックスして楽しんで欲しいと笑顔を見せながら語っていた。彼は1943年生まれなのでこの録音時は45歳で、レガートべったりの古典的な解釈に対して辛口のモダン楽器演奏を試みていたと思われるが、ベーム・カラヤン・バーンスタインなどの先輩指揮者と、ホグウッド・アーノンクールと言った新しいピリオド演奏の影響を直接受けながら、彼の独自のバランス感覚による解釈を打ち出していると思われる。

第一楽章の序奏部では、ホグウッドのようなテインパニーを響かせたテンポの速い下降弦のピリオド演奏的な解釈を否定して、むしろ伝統的な落ち着いたテンポで推移しており、第一楽章でも中庸を得た実に良いテンポで進めて提示部の繰り返しを行っていた。第二楽章でも最初の弦楽器による2つの繰り返しを丁寧に行い、メヌエット楽章では、トリオのあとのメヌエットの反復をホグウッド同様に行っていたのが珍しかった。フィナーレは速いテンポで提示部の反復、フィナーレ末尾の反復を行っており、ピリオド演奏に近い解釈を取っていた。彼は適切なテンポを取ることと歌うことの重要性を強調していたが、私は彼の演奏には暖かさがあり、安心して聴ける指揮者の一人であると感じさせた。



    今回のテイトの交響曲の後に、クラシカジャパンによるモーツァルト週間の映像で、デニス・ラッセル・デイヴィス指揮のカメラータ・アカデミカ・ザルツブルグによる「アダージョとフーガ」ハ短調K.546の演奏が行われていた。この曲はアップ済みであるが、この演奏はデータベースでは4回も集録してあり、自分でも聴き慣れた演奏であったにも拘わらず未アップであったので、予定外の突然のことであるが、ここで簡単に映像を見た感想を申し上げて、この演奏をアップロードしたことにしたいと思う。



    この曲は自筆作品目録に、1788年6月、二つのヴァイオリン、ヴィオラ、バスのための短いアダージョとフーガと書かれており、ここでフーガとは、1783年12月にウイーンで書かれた二台のクラヴィーアのためのフーガハ短調K.426であることが書かれている。そのため、この曲はこれまで、二台のピアノ、オルガン、弦楽四重奏、弦5部の弦楽合奏など いろいろな形で演奏され、レコードが残されてきた。しかし最近の学説では、フーガにチェロとコントラバスの声部が分かれている箇所があるため、オーケストラ用に書かれた作品とされている。この曲はどういう動機で何のために書かれた作品かは分かっておらず、この時期に書かれた、小セレナードK.525、音楽の冗談K.522、などと同様に、私的な演奏会用に書かれたのであろうとされているが、詳細は不明である。



                 曲は冒頭のアダージョでは、ハ短調の付点音符のついた引き摺るような重苦しい感じの荘重な曲であり、一方のフーガでは、馴染み易いフーガ主題がバス・チェロの低音で提示されてから、ヴィオラ・第二・第一ヴァイオリンの順で4声のフーガが展開されていくものであり、後半ではさらに同じ主題を上下に転回した新しい主題でフーガが第二展開されている。二台のピアノで聴くよりも、弦楽合奏の方が各声部の分離が一層明瞭であるとされる。

     アダージョでは、荘重なバロック的付点の付いた主題で鋭く開始されるが、全体は大きく二部に大別され、冒頭の主題が何回か繰り返されるような感じで進んでから、改めて短調で再現する箇所が第二部の始まりであり、終始、重苦しく悲痛な暗い感覚が最後まで続いていた。一方のフーガでは、主題が完全な形で全声部に渡って何回も鳴らされ、反行形、部分動機、対位声部の動機などが多種多様な形で組み合わされて現れ、複雑さを増すとともに、まるで繰り返し訪れる波のように力強くうねりながら押し寄せていた。この部分のチェロやコントラバスの迫力は他には聴かれない激しさを持っており、ラッセル・デイヴィスは、体全体でオーケストラを揺するように動かしていた。この曲は、矢張り弦楽合奏で聴いた方が迫力があって面白いと思った。


(以上、2013/12/13)



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