(懐かしいLDの紹介、エストマンの「テイト帝の慈悲」K.621)
13-1-3、アルノルド・エストマン指揮「テイト帝の慈悲」K.621、ドロットニングホルム宮廷劇場管弦楽団と合唱団、
1987年、ドロットニングホルム宮廷劇場、スエーデン、

−このエストマンの2番目に古い「テイト」の映像を見直して、入手した頃に較べて、ローマ時代を印象づける舞台設定とか美術・衣装などがこの木造の狭くて古い舞台に合っており、エストマンの演奏も極端に過ぎる部分が少なく、それなりに落ち着い見て居れる映像であった。好みを言わせてもらうと、テイト・アンニオ・セルヴィリアなど北欧の人たちが好演しているのに、セスト・ヴィッテリアが今ひとつの感じであったが、背広姿の忙しない最近の舞台よりもしっくりした映像に見えた−

(懐かしいLDの紹介、エストマンの「テイト帝の慈悲」K.621)
13-1-3、アルノルド・エストマン指揮「テイト帝の慈悲」K.621、ドロットニングホルム宮廷劇場管弦楽団と合唱団、
1987年、ドロットニングホルム宮廷劇場、スエーデン、

(配役)テイト;ステファン・ダールベリ、ヴィテリア;アニタ・ソルド、セスト;ラニ・パウルソン、セルヴィリア;ピア=マリー・ニルソン、アンニオ;マリア・ヘーグリンド、プブリオ;イエルケル・アルヴィドソン、
(1991/10/10、フイリップスLD、PHLP-10022-3)

新年の第三曲は、再びオペラに戻って、エストマンの古いLDの「テイト帝の慈悲」K.621を取り上げた。エストマンのオペラは、彼の個性的な古楽器演奏が肌に合うか否かで決まってしまうが、演出や舞台は18世紀そのものの伝統的なものなので安心して見ていけるものである。この映像は、全6種類ある映像のうち、これが第5番目にアップする映像であが、レヴァインの映像に続く二番目に古い映像で1987年のものである。セストとアンニオの役がカストラートに割り振られて作曲されており、女性が歌うと映像では常に違和感が伴わざるを得ないが、CDで聴くと女性4役の区別がなかなかつかないので、映像の方が遙かに分かりやすいと考える。
このオペラはプラーハで祝典劇として目的達成後に、ウイーンでは1794年に、またロンドンでは1806年に上演されるなど、モーツァルトのオペラでは演奏回数が多いオペラとなっていた。じっくり聞くと良い曲が多いので、「イドメネオ」に次ぐ彼のオペラ・セリアの傑作として認めてあげたいのであるが、この映像を改めて見、どういう風に評価できるだろうか楽しみにしたいと考えている。



映像では懐かしいこの宮廷劇場の緞帳が現れ、木槌の音とともにエストマンが入場し、いきなり序曲が開始されていた。トウッテイで厳粛な感じで重々しく開始された後、速めのテンポで弦がスタッカートで軽快に走り出してから、フルートやオーボエが続いてファゴットが特徴ある音形の主題を歌い出し、順調に進んでいた。序曲が堂々と終了すると拍手とともに幕が開き、場所は宮廷内の部屋か、ヴィッテリアがセストを相手にクドクドと文句を言い、言い争いのレチタテイーボが始まっていた。



どうやらヴィッテリアは、皇帝テイトが先王の娘である自分を選ぶべきところを異教徒のベレニーチェ妃を王妃に迎えることに腹を立てていた。そして彼女は自分に思いを寄せているセストを利用して、自分に王妃の座を与えないテイトに対し復讐を計画していたが、テイトの側近でもあり仲良しのセストが実行しようとしないので苛立っていた。セストが口先ばかりとヴィッテリアに責められて、逆らえないセストは、「あなたのためなら何でもやる」と第一曲を歌い出し、やがて二人がそれぞれの思いを語る二重唱となって、セストは最後には彼女からナイフを受け取っていた。



       そこへテイトの側近の一人のアンニオが登場し、「テイトがベレニーチェ妃との結婚を諦めた」と二人に告げ、セストがテイトに呼ばれていると告げていた。ヴィッテリアはそれを聞いて直ちにセストに暗殺の中止を伝え、望みが出てきたと第二曲の激しいコロラチューラのアリアを歌い出した。恋人の言いなりにならざるを得ないセストの姿と対照的に、彼女にはふてぶてしさを漲らせた傲慢な嫉妬深い女性の姿が見え隠れしていた。後半のアレグロではドラマティックな歌唱力を見せていた。セストが呆然として彼女が立ち去るのを見送っていると、そこへ再び弟分のアンニオが、セストの妹セルヴィリアとの結婚の許可をセストからテイトに誓願してくれと頼んでいた。そこで、お互いの二人の友情を誓い合う第三曲の小二重唱が歌われていたが、これは短いながら民謡風の素晴らしい曲に聞こえていた。



          場面が変わりトランペットによるファンファーレが鳴り響き行進曲が始まって、ローマの地方の領主たちが贈り物を携えて入場し、皇帝の居室には大勢の側近たちが集まってきており、続いて皇帝を讃える民衆たちの合唱が始まった。「ローマの運命は、神々が守り給う。テイト帝の正義と力でわれわれの名誉を守り給え」と合唱が歌い終わると、テイトはこれらの貢ぎ物はヴェスビオ火山の被災者の救済に充てようと挨拶し、再び皇帝テイトを讃える合唱が続き、行進曲が始まって、セストとアンニオを残し、退場してセレモニーが収束していた。



           テイト帝はセストとアンニオを前にして、「心ならずもベレニーチェの王妃はローマのために断念した。王妃はローマ人の身内から選びたい」と言い、セストに妹のセルヴィリアを妃に迎えたいがどうかと告げたので、二人は仰天した。セストはアンニオに約束しているので答えられないが、一方のアンニオは皇帝の命令であり、彼女こそ相応しいと、逆らえずにセルヴィリアを誉めてしまうので、テイト帝は丁度良いとアンニオに、セルヴィリアに伝えるよう命じてしまう。そしてテイト帝は、「これが皇帝の勤め」と互いの絆を高める喜びを第6曲として歌っていた。
さあ大変。アンニオが愛するセルヴィリアにお妃だと伝える苦しみを味わい、彼女の驚きと苦悩に満ちた第七曲の愛の二重唱が始まった。木管のオブリガートを伴って、二人の愛の深さを確かめ合う実に美しい二重唱であるが、テンポが速すぎた。行動力のあるセルヴィリアは、テイトのところに駆けつけてご命令なら従いますが「私の心はアンニオのもの」と告白した。テイトは意に従わぬのは罪だが彼女の正直な心を誉め、皆がこれほど正直で忠誠ならと第8番のアリアで「王座の周りの全てのものの心が誠実なら」と歌い出して、正直な彼女を許していた。



           ヴィッテリアは、次にセルヴィリアが王妃に選ばれたと知って嫉妬の余り腹を立て、セストに、私を好きならテイトを殺して王座をと再び唆し、「即刻行ってカンピドーリオの丘に火をつけよ」と命じていた。テイトへの友情が強いセストは、ヴィッテリアの執拗な命令に逆らえず、その苦しみを第9番の前半のアダージョでクラリネットの悲しげなオブリガートとともに、「命令通り、私は行きます」と歌うが、後半のアレグロではコロラチューラの素晴らしいアリアを強く歌い上げ、最後には「私は戻って来ます」歌って大アリアに発展し、大変な拍手を浴びていた。




            セストを見送ったセルヴィリアが「テイト、私だって綺麗でしょ」と独り言を言っている所に、プブリオとアンニオが駆けつけ、「陛下がお呼びです。皇后さまです。」と告げた。ヴィッテリアは喜んで「参ります」と答えたが、直ぐにセストは?と大騒ぎし、もう手遅れだと混乱。ヴィッテリアの半狂乱のソロと、喜びを伝える二人の男たちとの第10番の三重唱が奇妙な対象を示す面白いアンサンブルとなっていた。続いて、迷い苦しみながらカンピドーリオに放火をし、遂に人を刺すよう命じてしまったセストが凱旋門にたどり着き、必死の形相で第11番の伴奏付きのレチタテイーボで裏切行為を心から悔やんでいたが、時既に遅く遠くの丘では炎が上がっていた。





             セストが「守り給え、神々よ」と歌い出した所で第12番のフィナーレが始まり、セストを追ってアンニオが駆けつけ、セルヴィリアが火を見て驚き、プブリオも誰が裏切ったかと騒いで、フィナーレの五重唱の合唱が始まっていた。混乱の中で火の煙の中を人々が逃げ惑い、プブリオは犯人を探していたが、ヴィッテリアはセストを見つけて「自白しないで」と念を押していた。裏切りだと騒が拡大し、テイトが襲われたと言う報せに、全員による悲しみの日の合唱が続き、混乱の中で恐ろしい合唱の終了とともに第一幕が終了していた。





          場外の広場で第二幕が直ちに始まり、アンニオは逃亡しようとしていたセストに出合って「セスト、皇帝は生きている」と告げていた。そして、信じようとしない後悔で動転していたセストに、「テイトに戻れ、悔いを示せ。」と諭しながら、第二幕の冒頭のアリアを歌いだした。逃げようとするセストはヴィッテリアに合い、「逃げて」と言う彼女に別れを告げ「君の憐れみが欲しいんだ」と歌い出し、ヴィッテリアの後悔と不安な気持ちとの二重唱となり、続いて二人を見つけセストを「来たまえ」と逮捕しようとするプブリオとの複雑な第14曲の三重唱となって、最後にはセストは「今でも慕っています」と彼女に語りつつ、プブリオに遂に連行されてしまっていた。



           場面が変わり王宮の広場では大勢の人々が集まり「神々に感謝を捧げよう」と助かったテイトを囲み「王宮は救われた」と神に感謝する第15曲の民衆の合唱が始まった。この曲の中間部ではテイトのソロが入り「私は人々が祈ってくれる限り不幸ではない」と歌って元気な姿を見せ、再び合唱が繰り返されていた。プブリオはテイトにセストの犯行を提訴し元老院がそれを求めていると告げるがテイトは信じない。プブリオが「不実を知らぬ純粋な人は、裏切りに気付かないのです」とアリアを歌い出し、テイトに署名を進言した。そこに現れたアンニオの話も「彼は死に値するが」と歌って、テイトにお慈悲をと繰り返すばかり。テイトは「何と恐ろしい裏切り行為か」と元老院の判決文を見たが、どうしても信じられず、署名する前に伴奏付きのレチタテイーボで「セストを呼べ」と大声を出して命じていた。



             そこへプブリオがセストを連れてくると、苦しみ抜いたセストは「これがあのテイトの顔だろうか」と歌い出し、苦悩に溢れるテイトは「これがあのセストの姿だろうか」と呟やいて二重唱になり、プブリオは早く署名させようと、それぞれが万感を込めて歌う第18曲の三重唱となっていた。
            セストは恐ろしくて2人だけになってもテイトに真実を語る勇気がなく、「死を望む」と答えて第19番の有名な別れのロンドをアダージョで歌い出し、ホルンの悲しげな伴奏で「絶望して死にます」とアレグロで歌って沈黙を守っていた。素晴らしいセストの懺悔の訴えのアリアであった。友情と法の裁きの板挟みになった皇帝は、理由を告げぬセストに対し心を鬼にして「処刑だ」と厳罰を科して第20曲の「皇帝は厳格であるべきだ」と厳しいアリアを歌っていた。




            続いて闘技場へとの兄の判決を知ったセルヴィリアがアンニオとともに、妃であるヴィッテリアしか「助ける人はいない」と絶望的な第21曲のアリアを歌いながら、必死になってセストの助けを求めていた。
           張本人のヴィッテリアは、セストが自分のために口を閉ざして死を迎えようとしている誠実さを知り、深く良心の呵責を覚えていた。そして、自分だけが后妃になろうとしていた心を深く反省し、セストの罪を軽くするため「今こそ誠意を示すとき」と全てを諦めてテイトに告白しようと決断をした。この「王妃の座よ、さようなら」と歌う伴奏付きのレチタテイーボは大変な迫力に富んでいた。そして静かな伴奏に乗って第23番の有名なロンドを歌い出す。始めに「結婚の女神はもう降りてこない」と全ては夢に終わった気持ちをラルゲットでゆっくり歌い出し、バセットホルンが響き始めるとアレグロになって激しく絶望的な気持ちを歌っていたが、ヴィッテリアの役は荷が重いのか、残念ながら低音の伸びが悪く、最高のアリアが聴けずに終わっていた。



          場面が変わって宮廷内の広場に全員が集まっており、荘厳なオーケストラの前奏が響き初めて、湧き上がる大合唱の中でテイトが讃えられ着席して、その前にセストが引き出されていた。皆々が心配する中で、テイトが大声で罪状を語りかけた時に、ヴィッテリアがテイトに対し大声で語り出し、「私がセストを唆した張本人です」と告白した。テイトは驚きそして困惑したあげくに、理由を質すが、それは「陛下の善良さ」に復讐したのだと告げられて、テイトは愕然とする。そして改めて反省した上で、他人の裏切りにあっても自分の仁慈は常に不変であることを語って、全員の前で判決文を破り捨て、その場で「全てを知った今、改めて万人を赦し、全てを水に流す」と決断した。沸き上がる歓声の中で、これはまさにテイトのこのオペラ最大の伴奏付きレチタテイーボによる迫真劇であり、全員を驚かす堂々たる舞台であった。



            フィナーレになって、セストもヴィッテリアも、思わぬ結果にテイトに深く感謝し、セストが「死ぬまで忠誠を誓いますと」とテイトを讃えて歌い出し、続いてセルヴィリアとヴィッテリアとアンニオの三人の深い感謝の三重唱が清らかに響いていた。そして「神々よ、ローマと陛下の聖なる日々を」という民衆の大合唱の中で、テイトは祝福されて、画面の中では大きくクローズアップされて、終幕となっていた。


この古い映像の見直しを終えて、このエストマンの「テイト」は、決して悪くはないと改めて思った。彼の映像の最後のアップロードのせいか、彼の指揮振りもこれまでのように余り違和感を感じさせる場面が少なく、アンニオとセルヴィリアの二重唱が速すぎると感じたり、第一幕のフィナーレのテンポが遅すぎて、おやと感じた程度であったからである。
何よりも良かったのは、この古くさいオペラ・セリアを生かすような舞台設定がこの劇場に合っており、出演者たちの衣装や姿が当時を連想させて、自然に感じられたことであろうか。背広姿の人間ドラマを描こうとした辟易する映像を見慣れてきたせいか、私にはこの時代を反映した舞台造りと音楽が安心感を覚え、素直に受け入れることが出来たと考えている。

この映像の出演者たちは、アメリカ人のセストを除き全てが北欧で活躍する歌手陣のようであるが、全員がそれぞれ持ち味を発揮しておられたように思う。私の好みで申し上げれば、テイト役のダールベリが最も無難に演じ歌っており、最後の第25番の伴奏付きのレチタテイーボをうまく演じたことで、この劇をまとめ上げたように感じさせた。ヴィッテリアのアニタ・ソルドは悪女役をうまくこなしておられたが、第23曲のロンドが今ひとつの感じであった。セストのパウルソンは全力で歌って演じていたと思うが、第9番のアリアも第19番のアリアも残念ながら物足りなさを感じざるを得なかった。

           今回のこの映像の見直しの作業の評価には、私はテーマが共通するので見ておきたいと思ったメトロポリタン歌劇場のライブビューイングの映画オペラ「皇帝ティートの慈悲」(2012)を見たせいもある。この古いオペラセリアで、映画のせいが多分にあるが、ポネルのローマ時代を想定した演出・美術・衣装をベースに、登場人物全員が体当たり的な歌と演技を披露し、完ぺきなまでに劇に音楽に没頭させられ、この映画の素晴らしさに圧倒され、深く感動を覚えたばかりであったからである。今改めてこれを考えると、オペラはライブが良いのは当然なのであるが、ライブの良いとこ取りを映画の最新技術では完ぺきに成し遂げられると言うことであろうか。そして、過去の6組の「テイト」の映像の中でどれに近いか考えてみると、このエストマンの映像が舞台演出と言い、時代背景と言い、古楽器風の演奏と言い、最も良く似ていると感じており、改めてこの映像の良い点が再認識させられたという風に感じている。

(以上)(2013/01/24)



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