(古いS-VHSと最新DVDによるホロヴィッツの芸術)
13-1-2、ウラデミール・ホロヴィッツによるピアノ協奏曲第23番イ長調K.488、ジュリーニ指揮ミラノスカラ座管弦楽団、1987年3月、アバネラ・スタジオ、ミラノおよび「ホロヴィッツ・イン・モスクワ」よりピアノソナタ第10番ハ長調K.330、1986年4月20日、モスクワ音楽院大ホール・ライブ、

−ピアノ協奏曲イ長調は、録音のためのスタジオ演奏であったので、生演奏のライブのような緊張感はなく、楽章単位の区切った演奏で、ホロヴィッツによるホロヴィッツのためのお遊び的な演奏とでも言おうか。一方の「ホロヴィッツ・イン・モスクワ」では新たに購入したDVDは弱音のピアノの録音が不完全で欠陥商品であったが、幸い、古いS-VHSの映像が残されており、故郷に帰ったホロヴィッツの歓迎された様子が残されていた。ピアノソナタもいささかマイペースの気ままな演奏であったが、ピアノの強・弱のニュアンスを大切にするこのピアニストらしい軽快な演奏になっていた−

(古いS-VHSと最新DVDによるホロヴィッツの芸術)
13-1-2、ウラデミール・ホロヴィッツによるピアノ協奏曲第23番イ長調K.488、ジュリーニ指揮ミラノスカラ座管弦楽団、1987年3月、アバネラ・スタジオ、ミラノおよび「ホロヴィッツ・イン・モスクワ」よりピアノソナタ第10番ハ長調K.330、1986年4月20日、モスクワ音楽院大ホール・ライブ、
(1990/9/23の放送をS-VHS3倍速で収録、および2011年11月25日、銀座ヤマハ店にて、ソニー、DVD-VIDEO、SIBC-47および1995/06/03/NHKクラシック・シアターをS-VHS3倍速で収録)

新年の第二曲はあのウラデイミール・ホロヴィッツ(1904〜1989)の残された二種類の最晩年の映像から、まず1987年3月のピアノ協奏曲第23番イ長調K.488の映像をお届けし、続いてピアノソナタ第10番ハ長調K.330の映像を、1986年4月20日のDVD「ホロヴィッツ・イン・モスクワ」からお届けする。このHPの新年号にホロヴィッツをと思い立ったのは、レコード芸術の2012年6月号の「名演奏家ランキング&名盤集のピアニスト編」で、30人による評論家により、過去の90人に及ぶピアニストたちの中で最高位にランクされていたのがこのホロヴィッツだったからである。彼は戦前にトスカニーニの指揮の下に録音したチャイコフスキーやラフマニノフの協奏曲でヴィルトゥオーゾ的な演奏をして、SPレコードに収録がなされ、伝説化されたピアニストであると私は考えていた。しかし、彼の長い間の休みの後の復帰第一号の1965年カーネギー・ホール・コンサートのCDが、彼の名盤の第一位に選ばれていたのは意外であった。映像に映る冗談を言いながらピアノに向かう老巨匠の姿は、最晩年の定年後のお遊びに近い演奏であろうが、モーツァルトはこれらの中からしか残されていないのでやむを得ないと思われる。


最初のピアノ協奏曲第23番イ長調K.488は、1987年3月にイタリアのミラノにあるアバネラ・スタジオで収録されたもので、指揮者はカルロ・マリア・ジュリーニの指揮でミラノ・スカラ座管弦楽団とのスタジオ録音であった。映像は狭いスタジオでのピアノの調律から始まっていたが、そのうちにホロヴィッツがワンダ夫人とともに高級車で登場し、一緒にスタジオに案内されてきた。
応接室で録音技師にホロヴィッツがスコアを広げながら、ここで「ラの音」を出したいが良いかと主張し、早速、ジュリーニが心配そうな顔で駆けつけて来て、大した問題ではないがここで音を変えると説明し、ジュリーニも了解したようであったが、気ままな巨匠らしい一コマであった。ホロヴィッツは上機嫌で冗談を言いながらスタジオに入り、ピアノの前で上着を脱いでピアノに向かっていたが、指が温まっていないと暫く「ピアノソナタの方が好きだ」と言いながら第12番ヘ長調のソナタを冒頭から弾いて笑いを誘っていたが、いかにも彼らしい姿であった。


ジュリーニがマイクで録音室と連絡をしていたが、準備が完了したと皆に告げ、第一楽章の第一主題が弦五部の弦楽合奏でやや速めのテンポで始まった。そしてこの主題が木管だけで完全に反復されていたが、クラリネットが入った木管合奏は非常に充実していた。第二主題も弦楽合奏で優美に入り、木管とともに反復されて経過部に移行し提示部を終えていたが、美しい前奏のようなソナタ形式の提示部であった。やがて独奏ピアノが第一主題を颯爽と弾きだし、自由な形で反復して管弦楽による経過部が示されてから、独奏ピアノが早いパッセージを高らかに弾き出して軽快に進みだした。ホロヴィッツの調子は良さそうであり、続いて第二主題も独奏ピアノが呟くように提示し始め、管弦楽が反復していたが、ピアノは主題の下降音形だけをオクターブで弾いて加わっていた。ヴァイオリンとピアノの掛け合いが続いてから、ピアノの早いパッセージが始まって一気にコーダに入り提示部が終結していたが、ホロヴィッツのピアノはオーケストラと対等以上に頑張っており、さすがと思わせていた。


展開部は新しい主題で弦楽器で開始され、ピアノが走句で弾き継いだ後に、木管がこの主題をピアノと弦を相手に3度も繰り返し、独奏ピアノが華やかに速いパッセージを繰り広げていた。再現部では、弦と木管で第一主題が始まり、独奏ピアノが装飾しながら繰り返し型通りの経過部の後に、独奏ピアノが第二主題を提示し木管で再現されていた。独奏ピアノはこの後もパッセージを連ねて進行し、展開部での主題もピアノが再現して盛り上がった後にカデンツアに突入していた。ホロヴィッツは、さすがに新しい耳慣れぬカデンツアを弾いていたが、後の解説によるとブゾーニの作曲したものであった。



      ホロヴィッツの体調を気遣ってか、ここで休憩が宣言されていたが、この時間を利用して、レコード会社の記者団への質問の時間に充てられていた。記者団に囲まれてホロヴィッツは上機嫌であったが、ワンダ夫人が駆けつけて、失言を押さえようとしているように見えた。モーツァルトの音楽について聞かれ、「彼の音楽は一番好きだ。No1だ。」と答えていた。「私は彼の音楽を古典派としてより、もっと自由に捉えている。それもいい趣味でね。」と語りだし「カザルスが言ったように、モーツァルトはショパンのように、ショパンはモーツァルトのように弾く」とご機嫌で煙に巻いていた。しかし「モーツァルトだって間違いをしている」と口を滑らして心配したが、「私は直感的に弾いているから説明は出来ないが」と答えていた。カデンツアのことを聞かれ、「ブゾーニのカデンツアだ。短いが美しい。」と一言添えた。「新しい世代のピアニストについて質問され、「私はよく知らない」と返事をしたが、ワンダ夫人が「それは第5ヶ条よ。アメリカ人の黙秘権。その質問には答えないわ」とピシャリと退けた。


          記者の一人が「何人かのピアニストが、”ピアノ演奏の危機”を唱えているが?」と質問を仕掛けると、ホロヴィッツは直ちに「それは”作曲家の危機”だろう」とピアニストではないと否定した。ジュリーニの指揮については「彼との演奏はとても楽しい.だから選んだのだ。指揮者よりもオーケストラの方が重要だ」という返事だった。オーケストラについては「ベルリンフイルはいいね。ウイーンフイルもコンセルトヘボーもいい。」しかし「シカゴは余り良くない」「クリーブランドは悪くないが、ニューヨークは、全然駄目だ。オペラはまあまあだが」と言いかけ、ワンダ夫人に「いつも同じ質問ね」と勉強不足を指摘されて、質問は終わりとなっていた。
          

準備が出来たと録音者からの合図があって、第二楽章のアダージョが、独奏ピアノのモノローグでゆっくりと美しい主題をメランコリックに開始した。そして、第二ヴァイオリンの分散和音のシチリアーノのリズムに乗って、第一ヴァイオリンとクラリネットがそしてフルートが美しい旋律を歌い出していた。再び独奏ピアノが始めの主題を丁寧に変奏しながら酔ったように進み、このメランコリックなシチリアーノを歌っていた。ピアノの出番からオーケストラになるとホロヴィッツはおどけて手を振りながら調子をとり、終始、ご機嫌な様子であった。
          中間部ではファゴットの分散和音に乗ってフルートとクラリネットがテンポを変えて合奏しながら新しい主題提示をするが、ピアノと木管との掛け合いが美しく続き、この楽章の最高の場面が続いていた。再びピアノが冒頭の主題を再現し変奏しながら進行するうちに、もう一度、ホロヴィッツの軽やかなピアノと弦と木管の見事なアンサンブルが登場し、最終部でのピッチカートの伴奏でピアノがゆっくりと歌い上げる場面は実に美しく、ピアノとオーケストラとの一体感をまざまざと示していた。


           再び休憩となり、プレイバックを聴きますかとの誘いでホロヴィッツとジュリーニが並んで、第二楽章の冒頭から聴き出した。最初の独奏ピアノの音に満足しながら、ホロヴィッツはテンポが良い、シチリアーノだとご機嫌であった。そして後半に入って、オーケストラの後に独奏ピアノが弾き出すところで「ここが好きだ」(77小節目)と言い、続く独奏ピアノと木管の掛け合いの部分を聴きながらごきげんであった。そして、装飾音を勝手に入れた最後の部分まで聞き入って、「完ぺきだ。おめでとう」と隣のジュリーニと固く握手を交わしていた。



        フィナーレはお馴染みのロンド主題が、独奏ピアノで軽快に飛び出し、明るく輝くようなアレグロでオーケストラに引き継がれていくが、進むに連れて新しい楽想が独奏ピアノとともに次から次へと飛び出してきて、思い出したようにこのロンド主題が何回か現れる華やかで長大な楽章であった。映像では最初に現れる第一の副主題の独奏ピアノでホロヴィッツが音を外し、もう一度、初めからやり直しになっていたが、二度目にはホロヴィッツも慎重に進め、失敗した第一の副主題も難なく通り過ぎて、見事なパッセージで軽快に進んでいた。続いて第二の副主題がフルートで現れ、直ぐに独奏ピアノに引き継がれさらに変奏されて疾走していた。最後にコーダ風の第三の副主題が現れて木管で反復されていくうちに、ロンド主題が独奏ピアノで現れてオーケストラで再現された。しかし、独奏ピアノの一撃とともに直ちに第四の副主題がピアノで現れて木管と相づちを打ちながらピアノが転げ回り、続いてクラリネットが新しい第五の副主題を提示して独奏ピアノが引き継いでいた。ここで独奏ピアノが冒頭のロンド主題らしきフレーズを匂わせてから、第一の副主題がピアノで現れ木管と応答して直ぐに木管の第二の副主題に入り、これが独奏ピアノに引き継がれフルオーケストラに発展して盛り上がってから最後に冒頭のロンド主題が登場した。最初と同じように独奏ピアノで始まりオーケストラで繰り返されていたが、最後にコーダ風の第三の副主題が現れて長大なフィナーレが終結していた。
この楽章は、冒頭から勢いがあり、独奏ピアノが絶えずリードして技巧的なパッセージで繋げていく変則的なロンド形式で、83歳のホロヴィッツも大変であったが、さすが最後まで大きなミスなく到達し、終わってから大変だったと言う表情を見せ、録音の成功を喜んでいた。

1曲を連続して聴いたコンサートでなかったので、曲全体のイメージが沸かず、ホロヴィッツのための、ホロヴィッツの第23番であり、この老巨匠のお遊び的なコンチェルト演奏と理解すれば良いと思う。常に冗談を言い、若い人たちをからかいながら存在感を示すホロヴィッツの姿を見て、彼らしい語録が見つからないか丁寧に映像を見たのであるが、傍らにワンダ夫人が見張っており、期待された脱線は見当たらなかった。



      続いて最新のDVD「ホロヴィッツ・イン・モスクワ」で沢山の曲の中からモーツァルトのピアノソナタハ長調第10番K.330を頭出しして聴き始めたが、私は、一瞬、耳が悪くなったのかと錯覚をした。映像は当時の水準としては申し分ないのであるが、どうやらピアノの弱音がとても聴きづらく、弱音を自分で意識的に補って聴かねばならないような録音であった。この人の演奏は、聞き慣れたショパンにせよシューベルトにせよ、気ままにテンポを変えたり強・弱の変化を付けたり恣意的な演奏をしがちで、ホロヴィッツ独自の解釈で演奏することが多いので心配をしていたが、このモーツァルトもやはりそうであった。このソナタでは、冒頭から強・弱のコントロールが強すぎる演奏のせいか弱音が良く聞こえず、放棄せざるを得なかった。
        しかし、幸い、古いS-VHSの中に全く同じ映像が残されており、これはDVDのような音声の欠陥はなく、映像では、故郷に帰ったホロヴィッツの歓迎された様子が残されていた。ピアノソナタの部分も、いささかマイペースの気ままな演奏であったが、ピアノの強・弱のニュアンスを大切にするこのピアニストらしい軽快な演奏が、良く捉えられており安心をした。



       ピアノにやや前屈みに向かい両手の動きを見つめて無心に弾く老巨匠を映像が追いながら曲は始まったが、今度はモーツァルトらしい軽快なテンポに乗って第一主題も第二主題も明るく流れており一安心をした。しかし、この演奏を譜面を見ながら聴くと、ある音を強調したり伸ばしたり、この人独自の弾き方をごく自然に行っており、それがこの巨匠らしい演奏なのであろう。提示部を終えてホロヴィッツは繰り返しを行っていたが、二度目にはかなり自由に弾いているように思われた。展開部では新しい主題が流れて新鮮な印象を与えながら推移していたが、再現部では型通りの形で再現され、淡々と進めていたが、最後の数小節を高めに弾いて、巨匠らしい味付けをした終わり方をしていた。

第二楽章では、ドルチェの美しい主題が淡々と流れて、ホロヴィッツはごく自然体で玉を転がすように進み反復していたが、続くエピソードも静かにゆっくりと流れてこれも自然体で反復されていた。第二部に入って、短調の舟歌のようなしみじみとした深い調べに入り、これも淡々と反復されて、第三部に入り再び始めに戻っていたが、ホロヴィッツの結びの沈んだ感じの終結部は味わい深いものがあった。
         フィナーレは、軽快で流れるような主題が走り出し、明るく楽しげなアレグレットになって、ホロヴィッツは勢いよく早いパッセージを続けていた。第二主題も軽快そのもので、ホロヴィッツは勢いを増しながら躍動するかのように進行していた。短い軽やかな展開部を経て再び初めの主題に戻り、曲は明るく盛り上がって終息していたが、ホロヴィッツは衰えを見せることなくピアノに向かい、健在振りを発揮させていた。

演奏後の聴衆の拍手の様子や反応は素晴らしく、ホロヴィッツは何回も立ち上がって挨拶を繰り返さなければならず、故郷の聴衆の思い入れの姿を映像はよく捉えていた。この曲で一旦休憩に入ったが、この聴衆の盛り上がりは、他のスカルラッテイのソナタや、ホロヴィッツお得意のスクリャービンの練習曲、ショパンのマズルカなどでも同様であり、聴衆の反応には熱狂的なものがあった。

        ホロヴィッツのモーツァルトのソナタを聴いて、ワルター・ギーゼキング(1895〜1956)のソナタを聴いていたときに、彼の言葉として「ザッハリッヒカイト(客観的)に」という言葉があったことを思い出した。ホロヴィッツのモーツァルトのソナタは、まるでギーゼキングの演奏と対極にあるような自由な演奏に思えたからである。ギーゼキングは当時のモーツァルト演奏が余りにもロマンテイックな解釈で自由に弾かれていたことを指して戒めに用いた言葉と受け取っていた。
        ホロヴィッツは先の協奏曲の記者団との会話でも「私は彼の音楽を古典派としてより、もっと自由に捉えている。それもいい趣味でね。」と明確に言っており、これがホロヴィッツのモーツァルトなのであろう。しかし、このような古い演奏は次第に聴かれなくなっている昨今において、このような演奏が主流であった戦前の演奏は、貴重なものと思われる。

(以上)(2013/01/16)


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