(懐かしいLDより;プリッチャード・グラインドボーンの「イドメネオ」K.366)
12-9-3、ジョン・プリッチャード指揮ジョン・コックス演出の歌劇「イドメネオ」K.366、ロンドンフイルハーモニー管弦楽団、1974年グラインドボーン音楽祭、

− 新全集と異なる映像であると余り大きな期待を抱かずに改めてこの映像を見て、結果的に、「声」の部分の前後が、全映像の中では、一番、説得力があったかと気付かせてくれるものを持った映像であると思った。ウイーン版のK.489とK.490を含むテノールの活躍が、非常に効果的であったことも印象に強く残っている。また、わずか2時間でそれなりの内容を見せる進め方にも好感が持てた−

(懐かしいLDより;プリッチャード・グラインドボーンの「イドメネオ」K.366)
12-9-3、ジョン・プリッチャード指揮ジョン・コックス演出の歌劇「イドメネオ」K.366、ロンドンフイルハーモニー管弦楽団、1974年グラインドボーン音楽祭、
(配役)イドメネオ;リチャード・ルイス、イリア;ボゼナ・ベトレイ、エレットラ;ジョゼフイン・バーストウ、イダマンテ;レオ・ゲーク(T)、
(1990年09月23日;東芝EMI TOLW-3567~8、LD2枚組) 

            9月分の第三曲目は、懐かしいLDより、1974年のグラインドボーン音楽祭のプリッチャード指揮の「イドメネオ」をお届けしたい。この映像は先のレヴァイン・ポネルの映像に続いて2度目に見た映像であったが、この映像の方が遙かに古く、新全集以前に上演されていた伝統的な映像であった。1974年のライブで、画像の質が古く、音もモノラールであり、簡素な舞台であることもあって、初めはメトのレヴァイン盤に較べかなり見劣りがすると感じたが、じっくりと味わうにつれて、小規模なりの良さがあり、むしろこの方が色々な面で自然であり、モーツァルトがイメージした舞台に近いと思うようになってきた。



             しかし、旧全集時代には普通だったようであるが、この盤にはウイーンにおける改訂稿と初演時のオリジナル稿とが恣意的に混ぜ合わせられている。例えば、イダマンテはテノールでウイーン版がベースであり、前半の4曲がカットされるなど思い切った省略があり、イドメネオが瀕死の姿で浜に流れ着いた状況から、舞台が始まっていた。また第2幕の冒頭のアルバーチェのアリアを省略して、そこにテノールのイダマンテとイリアのためのレチタテイーヴォとそれに続くイダマンテのロンド(K.490)を入れ、さらに第3幕のイダマンテとイリアの二重唱をK.489のテノールとソプラノのものに置き換えている。配役はイドメネオ役のルイスとエレットラ役のバーストウしか聞いたことがなかったが、特に不満はない。調べてみると、プリッチャードがLP時代に2度、56年と64年にグラインドボーン音楽祭で録音しており、このLDで同じ音楽祭で3度目の録音である。さらに、彼は83年に、ウイーンフイルと録音しており、よほどイドメネオが好きなのだと思われた。



若々しいプリッチャードの姿がオーケストラピットに現れ、直ちに序曲が開始された。幾分、速めのテンポで威勢良く進行する様子が画面で映されていたが、序曲を背景に出演者の紹介が始まり、最後にはストリーの概要が英文で示されていた。序曲が終わると、直ちに第5曲の嵐の場面が始まり、画面では荒れ狂う空と海を背景に、住民の男声4部の合唱が雷鳴に怯えながら「神よ、お慈悲を」と激しく歌っていた。映像で見るように、手前の円筒内は広場や宮殿内となり、円筒の外側は海浜になったり、建物が見えたり、時にはネプチューンの顔が見えたり背景が映っており、極めて簡素で小規模な舞台作りであった。



            嵐が静まると、海から「やっと助かった」とイドメネオ王が登場する。しかし、生きて帰った喜びも反面に、ネプチューンとの約束の罪の意識に怯えながら「悲しげな亡霊の姿を見ることになろう」とアンダンテイーノで歌い、後半は絶望的なアレグロで歌っていた。そこへ父の死の悲しみに溢れたイダマンテが登場し、助けようとして二人が親子であることを確認し合った後、すがりつくイダマンテを振り払うように「わしにここで会わねば良かったものを」と語って立ち去ってしまった。イダマンテは喜びも束の間に、立ち去る父を呆然と見送る不思議な対面劇であった。愛する父に会えたのにどうしたのかとイダマンテが、レチタテイーボを歌って、第7番のアリアは省略されて第一幕は終了となっていたが、イダマンテのアリアの省略は、ソプラノ用に書かれていたからであろうか。



第二幕は、ウイーン版のイリアとイダマンテの伴奏付きのレチタテーボで始まり、イリアがイダマンテとエレットラの関係を知って身を引こうとすると、イダマンテが「どうしてあなたが忘れられようか、これが私の初恋だ」とイリアに迫り、第10番b=K.490のテノールのアリアを歌い出した。この曲はヴァイオリンの美しいオブリガートの前奏で始まり「愛しい人よ、僕の心は君のもの」と歌う素晴らしい曲で、後日に作曲されたピアノ伴奏付きのコンサートアリアK.505と同文異曲の対をなす名曲とされている。この美しいイダマンテのアリアは実に朗々としっかりと歌われて凄い拍手を浴びていたが、アリアを歌い始める前に、肝心のイリアが席を外して一人で歌っており、空振りに終わったように見えて残念であった。



             イダマンテが立ち去ると、イドメネオとアルバーチェの二人が登場し、王が生贄によりネプチューンに助けられた話をし、生贄はイダマンテなので何とか助けてくれと懇請する。イダマンテを他の土地に行かせて民衆の中に隠せば良いと二人の考えは一致し、エレットラとアルゴスの地に生かせようと話し合った。ここで歌われるアルバーチェのアリア第10番aは省略されていた。続いて、落ち着かぬイドメネオの前にイリアが現れて、王に初対面のご挨拶をした。囚われの王女が明るい表情で「平穏である」と第11番のアリアを歌っていたが、この曲のオーボエや木管のオブリガートが美しく素晴らしいアリアとなっていた。王はイリアの明るさを不思議に思うが、これは王子への思いだと悟り、もしそうなれば生贄は三人になると、ネプチューンを恨む第12番のアリアを歌う。これは勇ましい行進曲のような序奏を持った本格的なコロラテウーラ・アリアで朗々と歌われ、最後にはカデンツアが付いていた。凄い拍手で迎えられ、この曲でLDは第二面に移行していた。



                     一方、イダマンテと本国のアルゴスに帰れることになったエレットラは、伴奏付きのレチタテイーボで「私は出発します」と素直に喜んで、第13番のアリアを優しい笑顔で歌っていた。イリアさえいなければ状況は変わると「愛しい人よ」と歌う愛のアリアであったが、まだ終わらないうちに遠くから心地よい第14番の行進曲がゆっくりと聞こえてきた。家来たちが集まってきて、「海は穏やかだ」と第15番の合唱が明るく盛大に始まった。中間部ではにこやかなエレットラがソロで「そよ風よ吹け」と笑顔で優しく歌い、再び全員による合唱が「いざ行こう」と歌われていた。



            そこへイドメネオとイダマンテが登場し、父から「行くのだ。名声を上げて帰国せよ」と命ぜられ、イダマンテは「その前に口づけを」と歌い出して第16番の別れの三重唱が始まった。王は「これが運命なのだ」と息子とエレットラに告げ、そして王は息子の無事を祈り、息子はイリアとの別れを悲しみ、エレットラは思わぬ旅の喜びを歌いながら、アディーオと別れを告げているうちに、その半ばで急に雷鳴が轟き、空と海が荒れ始め、嵐となってそのまま大勢の第17番の合唱に突入した。

            群衆は「ネプチューンの怒りだ、お許しを」と歌っているうちに、「海神を怒らした罪人は誰か」と繰り返して叫び始め、遂にイドメネオは「罪深いのは私一人だ」と告白して「わしを罰してくれ」と叫んでいた。嵐はさらに激しくなり、そして終幕の群衆の第18番の「走れ、逃げろ」と叫びながら、走って逃げ惑う合唱となっていたが、背面にはネプチューンの怒った絵姿が浮かび、イドメネオが大司教とただ二人で呆然と立ち尽くしている騒ぎの中で第二幕が終了していた。

               幕が上がって美しい前奏に続いてイリアが心を和ませる甘い声で第19番の「そよ風よ、私の心を伝えて」と明るくイダマンテへの愛のアリアを歌い出して第三幕が始まった。そこに突然に「死を覚悟して海の怪物を退治に行く」とイダマンテが現れたので、イリアは「死なないで」と真剣に訴えたので、二人の気持ちは近づいた。そこで、ウイーン版によるソプラノとテノールの第20番bの愛を語り合う二重唱K.489が始まった。初めはイリアが続いてイダマンテが愛を歌い出したが、次第に熱のこもった二重唱になり、終わりには二重唱で愛を誓い合う場面となっていたが、二人が抱き合ったところで、急いで入ってきたエレットラとイドメネオがそれを目撃してしてしまっていた。

               イドメネオがイリアを前にしたイダマンテに「出発しろ」と声を掛けると、イダマンテは初めて反抗して「もう父上とは言いません。しかし、どうして私を避け、私を嫌うのか」と問いかけたが、「出発するのだ」というのが答えだった。そこでイダマンテがイリアに思いを残しつつ「一人でさすらいの旅に出よう」と歌いだして、4人がそれぞれの苦しい心情を歌う第21番の苦しみの四重唱が始まった。イリアは「私も王子の死ぬ所へ連れて行って」と歌い、イドメネオは「非常なネプチューンよ、」と海神を罵り、エレットラは「もう我慢が出来ない」と復讐を誓って、互いの非常な運命を嘆き合う四重唱となって発展し、終わりには皆でこれ以上の苦しみはないと歌っていた。
イドメネオが一人残ると、そこへアルバーチェが駆けつけ、宮殿の前に民衆たちが集まっていますと伝えた。アルバーチェは、シドンは死と破壊が一杯でどうなるのだろうかと心配してレチタテイーボを歌い、せめて王子か王をお救い下さいと第22番のアリアを歌って、王宮のことを死を覚悟で心配していた。

                王宮の前では、祭司長が群衆を引き連れて登場し「王よ、街は死の海だ。神殿へ行こう。生贄は誰だ」とイドメネオに鋭く迫る激しい伴奏付きの第23番のレチタテイーボが歌われた。もう隠せないと知ったイドメネオの「生贄は息子だ」との答えに、音楽が変わり、一同は「おお、恐ろしい誓い」と驚き、悲しみの第24番の合唱がゆっくりと歌われ始めた。それを受けて中間部では高僧が「神よ、王子に罪はなく、非道な誓いを許せ」とソロで歌い、再び悲運の合唱が繰り返されてた。

              続いてゆっくりした第25番の行進曲が静かに始まり、生贄を捧げる祭壇の用意が始まった。続いて「受け給え、海の神よ」とピッチカートによる美しい伴奏でイドメネオが祈りを捧げ、第26番の神事の儀式を行っている途中で、突然に行進曲と共に「イダマンテが勝利した」という合唱とともにイダマンテが登場してきた。しかし、彼は白装束で父の苦悩と儀式の意味を既に察知しており、「今になって分かりました」と父の前にひざまづき、手に最後のキスをして「頂いた命をお返しします」と第27番のレチタテイーボを歌い、覚悟して祭壇に頭を垂れた。「許せ、息子」と王はひるむが、息子に逆に励まされ、覚悟を決めて「死んでくれ」と刀を振り上げようとした時に、「お止め下さい」とイリアが飛び込んできた。

              イリアは皆の静止の手を振り切り、「王よ、生贄は私です」と雄弁にギリシャの敵である自分を説明し、諌めるイダマンテの手を振り切って「海神よ、私を捧げます」と祭壇に跪いた。この劇的な場面に荘厳なトロンボーンが鳴り響き、ネプチューンの影が映って、第28番aの地下から大きな天の声が響きわたった。「イドメネオは王位を退き、イダマンテが王となり、そしてイリアを妃とするがいい」何たる驚きであろうか。このような劇的なシーンはかってオペラの世界で経験したことがあったろうか。イダマンテの健気な姿やイリアの捨て身の迫真の行動が、神々たちを動かしたに相違ない。モーツァルトが用意した4つの「声」のうち、一番短い「声」を使っていた。

             全員が呆然となって辺りを見渡している間に、エレットラが一人狂気のように早口で何ごとか悲しみを語り始め、第29番aの狂乱のアリアを歌って風のように逃げ去った。このレチタテイーボもアリアも短縮していたが、激しいアリアに拍手が多かった。

              美しい前奏とともにイドメネオ王が厳かに入場し、第30番のレチタテイーボで「やっと平和が到来した」と布告し、「新しい国王の誕生だ」と冠と剣をイダマンテに渡し、その王妃としてイリアを皆に紹介した。そしてしみじみとレチタテイーボで「クレタに平和がやって来た、わしも実に幸福だ」と歌い、第31番aの「心の安らぎ」を歌い、平和の喜びのアリアを心から歌っていた。そこへ終わりに、第32番の民衆の大合唱が始まり、神を讃え、新しい王と王妃を祝い、平和が来た喜びを讃えるハッピーエンドの合唱が続いていた。合唱団にも初めて笑顔が戻っており、素晴らしい全員の笑顔で喜びを讃えつつ終幕となっていた。なお、この曲の最後に2フルート、2オーボエ、2ファゴット、2ホルンの木管8重奏にテインパニーの短いエピソードがあり、王子と王妃が手を繋いで入場して祝福されていたのが印象的であった。

              舞台の最後は盛大な拍手で迎えられていたが、この映像では出場者全員の挨拶があっただけで、出演者のカーテン・コールは省略されており、LD制作者たちの字幕紹介が続いて終わりになっていた。

              今回改めてこの旧全集による古いプリッチャードの「イドメネオ」を見て、ウイーン版の採用が全面に出ていたと感じたが、実に巧みに「良いとこ取り」をしており、最後のイリアの「私を捧げます」と生贄に自らなろうとした勇気と行動が神々の心を打ったに違いないと思わせる劇的なシーンもあって、細かなところにこだわらなければ、オペラ全体を理解するには短くて内容的には優れた映像であると思った。新全集が出版されたのは1972年であるが、この映像は1974年のものであるにもかかわらず、旧全集というか、恣意的に継ぎ接ぎを加えたウイーン版であった。LDの収録時間は3面で2時間05分15秒であり、曲のカットや、随所でレチタテイーボやアリアの短縮が行われていた。私の持っているハンス・シュミット・イッセルシュタットのCDは1972年の収録で、イダマンテが男声で歌うウイーン版であったが、新全集の31曲はほぼ収録されており、3CDの収録時間は3時間07分43秒であったので、約1時間も演奏時間が異なることになる。

全8本のオペラ「イドメネオ」の中では最も古く、新全集に則していない唯一の映像はこれだけであるので、この映像の版や省略の問題はこれ以上触れないし、これだけでも他の映像とは比較にならぬものと思われる。ただし、ウイーン版の自然さを説得力ある形で見せてくれたことを大いに評価したい。演出など舞台についても、小規模な劇場に見合ったこじんまりした欲張らない舞台であり、出演者たちの静止画に近い動かない舞台も古いオペラセリアに良く合っていた。

               出演者たちでは、やはりイドメネオのルイスが際立った存在感を見せ、舞台を牽引するとともに豊かな表情や演技を示していた。バーストウはCDでしか聞かず映像では初めてであったが、最後の狂乱の場では、他の場面の優しい女性像と異なる凄い表情や動きで、幅の広い演技を見せていた。イダマンテとイリアは、恐らく新しい人の抜擢であろうが、それぞれ場に合った歌や演技を披露してくれ、特に「声」の直前の二人の動きなどは初めて見るもので、見所がある二人であると思った。

新全集と異なる映像であると余り大きな期待を抱かずに改めてこの映像を見て、結果的に、「声」の部分の前後が、全映像の中では、一番、説得力があったかと気付かせてくれるものを持った映像であると思った。また、わずか2時間でそれなりの内容を見せる進め方にも好感が持てた。ウイーン版のK.489とK.490を含むテノールの活躍が、非常に効果的であったことも印象に強く残っている。

(以上)(2012/09/28)


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