(ベルリン・ライプチヒ旅行11日間のご報告)
12-4-1、4月のベルリン・ライプチヒ旅行で見た三つのオペラと二つのマタイ受難曲、

−映像でしか見ることのなかった有名なオペラ劇場に初めて訪問し、「ホフマン物語」は初めてライブで見たオペラ、「魔笛」は初めての軍団対決の演出、「セヴィリアの理髪師」は昆虫の世界に擬人化した演出に度肝を抜かれた初めてずくしのオペラ観劇でした。聖トーマス教会のマタイは厳粛そのものの伝統的響きに沈黙でした−

12-4-1、4月のベルリン・ライプチヒ旅行で見た三つのオペラと二つのマタイ受難曲、

1、はじめに−旅行前の準備で見たもの−

         今回の旅行ではベルリンのコーミッシェOPで「ホフマン物語」、ドイツ・オペラ・ベルリンで「魔笛」、ライプチヒOPで「セヴィリアの理髪師」を見ることになっているが、外国でオペラを見るときは、字幕があっても英語なので、分かっているオペラでも、念のためストリイを事前に確認をしていた方が間違いが少ない。「魔笛」以外はここ二・三年は見ていないオペラなので、予習のためソフトのストックのチェックを行い準備してみた。D-VHSで録画した時代には、定年後のオペラ三昧を夢見て、オペラがあると必ず収録していたので、どれを見ようかと楽しみであった。
        「ホフマン物語」については、LDではプレートル・ドミンゴ(1981)の有名なもの、自分で収録したものには、シャイとスカラ座(1995)のシコフ・レイミイ・デッセイの歌ったものと、オランジェ音楽祭の野外劇場のもの(2000)があったが、前二者を確認しておけばと用意した。一方、「セヴィリアの理髪師」についてはとても沢山あり、加藤浩子先生の「これぞベルカント」と言われたフローレスのものを初めに見たいと探した結果、シャイとスカラ座(1999)のものであることを確認した。LDではキリコと若きバルトリが歌ったシュトウットガルトの映像(1988)があり、CDで大事にしているアバド・ポネルのもの(1972)の映像もあったが、最近では、改訂版が上演されていると言われるので、サンテイ指揮チューリッヒOP(2001)など新しいものに的を絞り、事前に予習をしておこうと考えた。

         息抜きで楽しみながらオペラを見るのは久しぶりであるので楽しかったが、例えばシャイの「ホフマン物語」では、第二幕と第三幕が入れ替わっていたりしてまごついて、ライブでこんなことがあれば大変だという思いがした。一方、フローレスのベルカントの素晴らしさについては成る程と感心したが、古い音友社のオペラ解説本(1979)を参照しながら見ていたが、ロッシーニの新改訂版と旧版とのアリアの違いについては、余り気がつかず、後日の宿題とすることとした。
          また、マタイ受難曲については、私の頭はリリングのCD(1978)により刷り込まれており、このCDのアリアの冒頭のスコアが入っているCD解説書(皆川達夫)をいつもポケットに入れて聴くことにしている。私のデータベースにはD-VHSではリヒター・シュライヤーのミュンヘンのもの(1971)、鈴木雅彦とBCJのBS102で放映されたもの(2003)、グッドマン・ミラー演出とされたクラシカ・ジャパンで放送されたもの(1994)のほか、今回聴くことになるビラーさんのトーマス教会におけるもの(1998)がBDで最近になって収録されていたものがあったので、ビラーさんと鈴木さんのものを予習していくことにした。前回の旅行で聴いたトーマス教会でのビラーさんのマタイは後ろ向きで聴いていたが、1998年の映像では、祭壇に合唱団やオーケストラが整列し良く見える形の演奏であったので、いわゆるコンサート用の収録であろうと思われ、この旅行で聴く聖金曜日の演奏や前日の木曜日での演奏はどうなるのか、楽しみであった。


2、コミッシェ・オーパーの「ホフマン物語」−豪華なグランドオペラのような印象−

   東ドイツ時代に有名であったフェルゼンシュタイン以来の伝統がどうなっているか期待されたコミッシェ・オーパーであるが、この歌劇場のDVD(例えば「フィガロの結婚」(1976))に見られる豪華なオペラ劇場の雰囲気は今も健在であり、期待が高まっていた。指揮者、演出者、ならびに当日の配役は次の通りであるが、残念ながら、一人も知った名前は見つからなかった。指揮者は、後日にゆっくりと調べたいが、キンボー石井・江藤氏とも取れる日本人二世のように思われたが、生憎、指揮者の風貌や姿も自分の席からは見えず残念であった。演出は詩人ホフマンの時代感覚よりも新しい現代風の演出であったが、このような幻想的な物語のオペラの演出では、恐らく目新しいものであろうが、これまで見たものとはそれほどズレがあるとは思わなかった。プログラムには2007年2月4日のプレミア以来、39回目の上演とされていた。標題からして「Hoffumanns Erzaehlungenn」とドイツ語一色であったが、この劇場はドイツ語上演を守っているようだった。しかし、当方はフランス語が一切分からないので、何語で上演されようと一切関係がない。



                        指揮者;Kimbo Ishii-Eto、演出者;Thilo Reinhardt、2012/04/03、
(配役)ホフマン;Timothy Richards、ニクラウス;Susanne Kreusch、リンドルフ/コッペリウス/ミラクル博士/魔法使い;Ashley Holland、オリンピア;Louise Fribo、アントニア;Karen Rettinghaus、ジュリエッタ;Nadja Stefanoff、

      この劇場では5幕構成とされ、早速、序曲風に奏されたエピローグの活気ある前奏で始まっていたが、座席は頭上に二階席がある一階後部のやや左側の座席で、指揮者が見えずに残念。大きな舞台で、左右に座席がある酒場風景で大勢の合唱が賑やかであった。リンドルフ役は遠目では悪役振りは分からないが、どうやらプログラムでは各幕で全てに悪役で登場するので見分け易いと安心した。詩人ホフマンも遠目ではメガネをかけている程度しか分からないが、威勢の良いはっきりした声であった。



      楽しみにしていたオリンピアのフリボーは、真っ白な白髪がいかにも人形らしく見えていたが、後ろの席では期待していたコロラチューラの美しい声が余り響いてこなくて、しかも器械人形でなく人間的に聞こえて残念であった。この舞台では第二幕と第三幕が入れ替わって、白いドレスに朱手袋のアントニアが美しい声を聴かせて印象的であった。第三幕は冒頭のホフマン物語の二重唱が実に美しく印象的。赤いドレスの長身のジュリエッタが魅力的であったが、最後に騙されたと分かるホフマンの姿がしっくりせずに物足りなかった。舞台ではそのまま第五幕のエピローグに続いていたが、最後の部分は字幕がないので、幻想力のない小生には、ホフマンの言いたいことが分からず仕舞いに終わり、酔っ払いのなれの果ての姿で幕となっていた。
                       全体としての印象は、コミッシェ・オーパー的なふざけたものではない堂々とした5幕スタイルのグランド・オペラ風に見えており、ドイツ語上演ではあるが、水準が高い劇場であると感じた。ただ、席が後ろで頭がふさがっており、この席では良い印象になるはずがないが、女性3役に一人でも馴染みがあれば、豪華な演出だったので違った印象になるのではないかという気がした。

3、ドイツ・オペラ・ベルリンの「魔笛」−黒い夜の女性軍団と白い太陽の僧侶軍団との対決−

      ドイツ・オペラ・ベルリンDOBと言えば、私はこの劇場の「こけら落とし公演」のLDを持っていた。その録音年月を調べてみると1961年9月24日であり、何と白血病で倒れたフェレンツ・フリッチャイの亡くなる前の最終公演を納めた「ドン・ジョヴァンニ」であった。東ドイツ側のシュターツOPに対し、西ドイツ側のオペラ劇場のDOBとして、戦後建設された劇場であり、外観・内部ともに直線形のモダンなオペラハウスと言われていた。最近ではティーレマンやケント・ナガノが歴代指揮者として振っていた筈である。
      地下鉄がストップして乗り換えができなくなり、慌ててタクシーで10分前に劇場に駆けつけたため、モダンな外観の写真を取り損なってしまった。写真左は休憩直後の喧噪振りであり、ボックスシートなどがない座席も直線的な配置の劇場を示している。写真右はカーテン・コール時のものであるが、夜の女王の黒装束の三人の侍女を支える背後の大勢の黒い女性集団が写されており、冒頭の三重唱の場面と最後の女王が自滅する最後の場面で、この集団が現れて異様に思ったので、写真を示してみた。また、対照的に直線的なピラミッドを背景にした白い装束の大勢の僧侶集団の場面も印象的であったが、左側の一本の木は、最初からパパゲーノが首を吊ろうとする最後まで置かれていたのが面白かった。


指揮者;Matthias Foremmy、演出者;Gunter Kreomer、2012/04/04、
(配役)ザラストロ;Ante Jerkunica、タミーノ;Clemens Bieber、夜の女王;Kathrina Lewek、パミーナ;Heidi Stobar、パパゲーノ;Simon Pauly、パパゲーナ;Martina Weischenbach、モノスタトス;Jorn Sohomer、

   指揮者フォレミーも演出者クレーマーも初めての方であり、この演出は1991年9月24日のプレミエ以来20年後で281回目の上演とプログラムに書かれていた。この劇場で「魔笛」と言えばこの演出となり、これは恐らく今でも古さを感じさせぬドイツを代表する人気演出なのであろうと考えられる。演出の意味が良く分からぬまま見ていたが、最後の夜の女王の自滅の部分が、大勢の黒装束の異様な女性集団が夜の女王軍の壊滅を意味していたように思われ、結果的に太陽のザラストロ軍の白い僧侶軍との対立を構図とした演出であると想像された。


     左のカーテンコールの写真は、左からパパゲーノとパパゲーナのコンビ、三人の少年たち、黒い三人の従女、タミーノとパミーナ、ザラストロと黒い夜の女王とモノスタトスなどの主役のメンバーが並んでいた。黒装束と白装束の対立で、結果的に白装束が勝利していた。口を開けた白くて巨大な動物の白骨と黒装束の一味に追われた白い王子姿のタミーノが、三人の黒い侍女に捕らわれて、美しい娘を助けるため夜の女王から依頼されて、悪の殿堂であるザラストロ一味の僧侶軍団に勢い込んで乗り込んだが、ここは余りフリーメソン調が厳しくない白く明るい世界。タミーノはパミーナが生きて元気でいることに安心し、親分のザラストロに導かれて試練の上パミーナを獲得することに成功した。一方、夜の女王は言うことをきかぬ娘の反逆を知って怒り狂い、最後には太陽の世界の僧侶軍団に戦いを仕掛けて敗れてしまうというストリーが背景のお話のようであった。リブレット通りに進むタミーノやパパゲーノやパミーナなどの子供たちを喜ばす歌や演技に見とれているうちに、時差の睡魔に襲われて、あっという間に休憩になっていた。白装束の活躍する第二幕も表面的にはメルヒェン風に楽しく進んでいたが、最後の夜の女王軍が大勢で地下に沈む壊滅の姿で、やっと全体のシナリオが見えたようで、最後は白装束のザラストロ軍の勝利とタミーノとパミーノの二人の祝福を祝う大団円になっていたようだった。
     劇場で配布されていた今年の4月から6月迄の「Kunstlerbiographien」によると、出演者全員がいわばDOBの専属的立場であり、ザラストロもタミーノも、長い間この劇場でこの役をやっていた。最も元気の良かった若い夜の女王のKatheryn Lewekは、アメリカのNYから来たオペラ基金の給費生であり、将来有望な金の卵であると思われた。パミーナのストーバーもアメリカのオペラ劇場でパミーナやスザンナを歌ってきたリリックなソプラノであった。パパゲーノのパウリーもDOB会員であり、熟達したパパゲーノを演じていたようであった。

4、ライプチヒ・オペラの「セヴィリアの理髪師」−グートの先鋭的な擬人化演出−

ライプチヒ・オペラといえば、私はモーツァルトのダ・ポンテ・オペラ三部作のジョン・デユー演出・ゲヴァントハウスの演奏のものを全て紹介してきた。これらの映像は、クラシカ・ジャパンで放送されたものであり、市販DVDでは見かけないものであったので、恐らく非常に貴重なコレクションの紹介であったと思われる。三作品はいずれも1954〜55年当時のもので、演出者の意向に沿っていずれも現代風に読み替えた異色の演出であり、このオペラ劇場の専属的歌手陣により演奏されていた。恐らくドイツの各歌劇場と競い合いながら研鑽・努力を積み重ねたもので、小ぶりの舞台でアンサンブルが良く、動きの速い活気のある特徴を発揮した舞台を上演していた。私はローカルな歌劇場の宿命として、ここでは先鋭的な舞台を特徴とした新鮮で活気ある新しい舞台を上演することを狙ったものと考えてきた。今回のオペラの演出者クラウス・グート(1964〜)の名を聞いて、私は17年前の最新鋭の演出の舞台を目指す伝統は、今でも続いていると直感していた。


     演出者グートについても、私はダ・ポンテ・オペラ三部作を全てアップロードしており、一作目は「フィガロの結婚」であり、アーノンクール指揮の06年ザルツブルグ音楽祭時の映像である。やや現代風の感覚の舞台で、天使が出て来て人間関係を鋭く描いた映像と言えば、お分かりになる方が多いと思われる。彼の二作目は「ドン・ジョヴァンニ」であり、ビリー指揮の08年ザルツブルグ音楽祭時の映像で、森の中の傷ついたドン・ジョヴァンニを描いたウイーン版の演出のものといえばお分かりいただけるだろう。第三作目は「コシ・ファン・トウッテ」であり、アダム・フィッシャー指揮の09年ザルツブルグ音楽祭の映像で、超モダンな衣裳や室内での活気ある舞台で人間関係重視の演出のものであった。このようにグートは06年から今日まで、ザルツブルグ音楽祭を制覇している48歳の気鋭のいわば最高ランクの演出家である。



       今回のライプチヒ旅行で、いつも素通りしてしまうオペラ劇場で「セヴィリアの理髪師」が見られることを知って喜んでいたが、演出者がグートと聞いて複雑な思いがした。それはどんな舞台を見させられるのか、見当がつかなかったからであり、モーツァルトよりも遙かにドタバタが多い喜劇なので、三部作以上に度肝を抜かれる舞台であろうと覚悟して見に行った。実際に見せられたのは、何とバルトロ博士は蜘蛛の姿であり、彼の家が蜘蛛の巣で、これを中心に舞台が動いていた。登場人物たちは蜘蛛に捕らえられる昆虫たちに擬人化されており、紅一点のロジーナは美しい蝶、アルマヴィーヴァ伯爵は歌が上手いキリギリすか、元気の良いフィガロは大きなトンボ、と言った風に哀れな虫の姿の衣裳を着せられて、歌う姿は何とも哀れであった。リブレットを昆虫の世界に読み替えられるという演出家の勝手な思いつきのアイデアに翻弄されたオペラであり、初めは驚くばかりだったが、次第に手の内が分かってくると腹立たしくなり、この演出のために折角の良い歌を、不愉快な思いで聴かねばならぬ羽目になった。ここまでいい加減なお笑い気分の演出をされると、いくら喜劇の世界でも行きすぎに目をつぶりたくなる。



       今回の演奏の指揮者はイギリス人の若いウイリアム・ラーシーで、アメリカやカナダのオペラ劇場で実績を積んだ方のようである。出演者たちは以下の通りであり、DVDなどで知った歌手は見当たらなかった。

指揮者;William Lacey、演出者;Claus Gute、オーケストラ;Gewandhaus Orchestra、
(出演者)アルマヴィーヴァ伯爵;Timothy Fallon、フィガロ;Morgan Smith、ロジーナ;Jean Breekhulzen、バルトロ博士;Martin Winker、ドン・バジリオ;Milcho Borovinov、

    初めてのライプチヒのオペラ劇場では正装の人が多く、コートなどは預け、ハンドバックだけのスタイルであり、ベルリンとは違うという地方都市ならではの格式の高さがあったので驚いた。19時開始なのに外は明るく、オペラ座の中央にはピンク色の「Der Barbier von Sevilla」とドイツ語でオペラ名が記されていたが、出演者は7人中アメリカ人が4人と国際色が豊かでイタリア語で上演され、客席にドイツ語字幕が用意されていた。今回のプログラムの表紙の絵は、見るからに「蜘蛛の巣」での騒ぎを暗示したものになっており、今回のグート演出の特異性を象徴するものであった。また、その解説の写真は、第二幕の蜘蛛の巣に取り込まれた6人の主役を示している。



オペラは颯爽とした序曲に続いて、第一幕の冒頭では舞台一杯に広がる一輪の白いチューリップとその葉が広がっており、それに寄生するアブラ虫のような虫たちに扮した楽士たちが群がり、序唱を歌っていた。やがて、太ったキリギリスのようなアルマヴィーヴァ伯爵が現れて、カヴァティーナを歌い出しており、昆虫の世界に擬人化した舞台を見て、演出家グートにしてやられたと思った。舞台はリブレットに合わせてトンボ姿のようなフィガロが登場し、やがて美しいチヨウの姿のロジーナや、家主の蜘蛛の姿のバルトロが現れていた。初めは驚いてどうリブレットに合わせるか、音楽はそっちのけになり、興味を持って見ていたが、妙な格好をしながら歌う歌手たちを見て気の毒になり、やはりこのようなおかしな演出は、一度は見ても二度と見たくない性質のものであると思った。

       以上の通り、憧れていたライプチヒまで行って、不快になるようなオペラを見てきたわけであるが、モーツァルトのオペラの世界はまだ苦々しい程度で済んでいるが、他の作曲家のオペラでは、このように不快な思いをするほど演出家に邪魔されて、音楽を楽しめないようになっていることを改めて知らされた。日本の演出家は遅れているので、このような目に遭うことは少ないが、特にドイツでは酷いようである。


5、トーマス教会でバッハの二つのマタイ受難曲−伝統に忠実な正当派の厳粛なマタイ−
−現地で見たマタイが、帰国した日本のパソコンで、美しい画像で見ることができたのには驚いた−

    オペラの世界の話から、一転してマタイ受難曲BWV.244の話に飛ぶが、私にとっては、音を楽しむ共通の「音楽」の世界の話であるから、個人的には全く違和感はない。私のようにキリスト教の信仰の世界には関心は少ないが、音楽の面では関心があるものにでも、聖トーマス教会で、年に一度の聖金曜日(4月6日)に、深い信心を持って参加する方々と同じ音楽を聴けることは、実に有り難い話である。バッハの教会音楽の世界は広く深いが、その本質の一端に触れるためには、この教会でマタイを体験しなければならないと聞き、また今回は木・金の2回も続けて聴けるとあって、喜んでこのツアーに参加した。ご案内をいただいた皆さまにはカトリックと異なるルター派の教会のことなどお教えいただくことが多く、ただ感謝・感謝するばかりである。



     マタイ受難曲をオペラのように聴くことは、不信心と思われるかもしれないが、人間が神に祈るときに自然に手を合わせて祈ると同様に、この音楽を深く聴くと、不信心なものにも自然に手を合わせて祈らざるを得ない大きな力を持っているようだ。私は聖書を深く読んだことはないが、リブレットが聖書にある受難劇であり、それにバッハが登場人物たちに劇的なレチタテイーヴォとアリアを作曲し、二つのオーケストラと左右の合唱団がダイナミックにやりとりするところなどはオペラ以上の迫力があり、重い最後のキリストの言葉などは、信仰のないものにも意味が分からなくとも身震いするように心に響くものがある。CDやDVDでこの曲を聴いても感動を覚えるのであるから、バッハが眠る聖トーマス教会で本物を聴いたら、いかばかりか想像が付くであろう。私は09年の加藤浩子先生のバッハ・ツアーでこの世界を初めて体験したのであるが、お迎えが来る前にもう一度味わいたいという一心で今回参加したが、何度聴いても素晴らしいものは素晴らしいとしか言いようがない。例によって、指揮者、ソリストなどのデータを以下に記す。4月5日も6日もプログラムとソリストは共通であった。

指揮者;Georg Christoph Biller、合唱団;Thomanerchor、オケ;Gewandhaus-Orchester、
(ソリスト)ソプラノ;Christina Landshamer、アルト;Matthias Rexroth、福音史家;Wolfram Lattke 、テノール;Martin Lattke、イエス;Klaus Mertens、バス;Gotthold Schwarz、



           4月5日は二階席で、丁度、バッハオルガンの真下の最前列であり、下の様子はよく見えたが、右側のパイプオルガンのある演奏席は大きな柱の陰になり、わずかに第一オケのコンマスの姿と後ろの合唱団が見えるだけであった。オーケストラは兎も角、ソリストたちの姿が見えないのはオペラではあり得ない話であるが、聖書がリブレットであるので信者たちには子供の頃から一字一句知っている話なので、そこがオペラを見ることと、本質的な宗教劇の違うところなのであろう。殆ど演奏席を見る必要がないので、私は今回もリリングの解説書を目で追いながら、教会でなければ聴くことのできない深い音の響きを楽しんだ。

 この日、ホテルに帰って日本語チャンネルがないか探していたら、突然、聞き覚えのある音楽が聞こえてきた。風呂上がりなので恐らく12時を過ぎていたであろう。それは何と今聴いて来たばかりのマタイであった。ライプチヒでの深夜のテレビで、よく見ると指揮者はヘレベツヘであり、どうやらスタジオで収録した映像のように見えた。一見した限りでは、BCJの演奏スタイルのように古楽器風で、ソリストを含めて十数人の合唱団による演奏のように見えた。キリスト教徒にとってこの日から重要な日が始まるが、私はテレビでマタイを改めて聴けるとは全く思いがけず、驚くばかりであった。第一部が終わって休憩中に時差が加わった睡魔に襲われてそのまま就寝してしまったが、このライプチヒでは予想もしないことが起こるものだと不思議な感じがした。



       4月6日(金)はトーマス教会では聖金曜日礼拝(9:30〜11:00)、受難礼拝(15:00〜16:30)の行事の後、19:00からこの日のためのマタイ受難曲が前日と同様のメンバーで実施された。座席は二階の演奏席の直ぐ下の右側の一般席で、祭壇の方を向いており、音楽は頭の上から聞こえていた。照明の関係で、直ぐ脇の柱に皮肉にも指揮者の指揮をする影が映っていた。この席では二つのオーケストラの重量ある響きが良く聞こえて来ており、音楽を聴くには良い席であるが、斜め後ろを振り向くと、一部のオーケストラと合唱団が見えるだけで、目をつぶって受難曲によって響く音や言葉を噛みしめて聴くには良い席であるような気がした。私は今回もリリングの解説書に目を通しながら、リブレットの意味内容を確かめつつ聴いていた。
         4月8日(日)には、トーマス教会では、復活祭早朝礼拝(6:00〜7:00)のの後に、復活祭礼拝(9:30〜11:00)が行われ、また夕刻には復活祭夕礼拝(18:00〜19:00)、夜には復活祭音楽演奏会(20;00〜22:00)が行われ、復活祭をお祝いする一連の行事が行われていた。また、ライプチヒの街中では、7日(土)、8日(日)、9日(月)には、お店は一斉に休みとなる復活祭一色の様子となり、博物館などが休みとなって支障が出てほどであった。


        なお、帰国してから同行者のパソコンのMACのプロから、「現地で見たものが、もうパソコンで見ることができる」と連絡してくれた。

ライプチヒ・聖トーマス教会合唱団とゲヴァントハウス・オーケストラの「バッハのマタイ受難曲」(2012/04/06)

         これはドイツのAlte-LivewebのTVビデオであり、どう言う仕組みか私には分からないが、この映像のPropertyを開くと、
プロトコル;Hyper Text transfer Orotocol、ファイルの種類;Firefox HTML、Document、プレイヤー;Adobe Flash Player10、
となっており、新しいwWIN7であれば、内蔵されたものばかりのようである。
        現地では、確かに教会の前に録音車が置かれており、当日の2階は、撮影の準備のため、器械の準備などで大変であったことを思い出す。ビデオ撮影が行われていたのは知っていたが、こんなに早く、しかもパソコンで速報されるとは思わなかった。私はパソコンと大型のハイビジョンTVを、HTMLで結んでいるので、パソコンの映像がテレビに入力されると、入力切替だけで画像が出るし、TVはメインアンプと接続されているので、オーデイオ再生も可能である。しかし、このビデオプログラムは、頭出しが、第一部と第二部の二つしか聴けず、この長大な曲が頭出し二つでは不便でしょうがない。そのためこれをBDに録画しようとしても、BDレコーダーにはHTML入力端子がなく、パソコン内でBDにダウンロードしたいのであるが方法が分からず、そのままになっている。アリアごとに頭出しがなければ不便で、途中から再生できないので、いずれ、BD化したいと考えている。





       参考までにパソコンの画像を、デジカメで写したものを、以下に数葉添付してみる。私の感じでは画像は鮮明で、ハイビジョンと変わらないが、デジカメの写りが悪く、何かしら、工夫が必要であると感じた。

作文を終え、アップロードを行ってから、4月16日の夜、聖トーマス教会で聴いたように、我が家のヴィジュアル・オーデイオ装置で、全曲を通して聴いてみたが、二日間にわたって聴いたこのマタイが、最上の席で再び聴け、今度はオペラのようによく見えて、再び、深い感動をもたらした。技術は進歩するものであるが、このように身近な世界で、昔は考えられなかったようなことが実現していることに、改めて深い感動を覚えるものである。

(以上)(2012/04/16)


目次5にもどる 目次4にもどる
目次3にもどる 目次2にもどる
目次1にもどる 私の新ホームページへ


名称未設定