(最新のHDD紹介、アバドのレクイエムK.626と西川尚生先生の解説)
12-12-3、西川尚生先生の「再起をかけたレクイエム」とクラウデイオ・アバド指揮、ルツェルン音楽祭管弦楽団、バイエルン・スエーデン放送合唱団による「レクイエム」K.626、、2012/8/10、ルツェルン音楽祭、

−このレクイエムの最近の研究成果では、従来の自分の死を予期した悲しみの曲として捉えるよりも、「明日に向けた希望の曲」として考え、教会音楽家として新しいスタートをしようとしていたモーツァルトの姿があることを教えてくれた。アバドの二度目の今回の映像は、演奏会形式であるせいか、悲壮感に満ち溢れたレクイエムと言うより、気のせいか、余り暗くない、再起への希望を思わせる淡々としたレクイエムのようにも聞こえる−

(最新のHDD紹介、アバドのレクイエムK.626と西川尚生先生の解説)
12-12-3、西川尚生先生の「再起をかけたレクイエム」とクラウデイオ・アバド指揮、ルツェルン音楽祭管弦楽団、バイエルン・スエーデン放送合唱団による「レクイエム」K.626、
2012/8/10、ルツェルン音楽祭、
(配役)ソプラノ;アンナ・プロハスカ、アルト;サラ・ミンガルト、テノール;エリック・タデイ、バス;ルネ・パーペ、
(2012/11/4「ららら♪クラシック」の放送を、BDRecorder-HDDに収録、)

    第三曲目はオペラの代わりにアップするクラウデイオ・アバドの「レクイエム」であるが、これは彼の音楽祭とも言える2012年8月のルッツエルン音楽祭における最新映像であり、彼はこの曲2回目の映像となる。この音楽祭におけるコンサートの映像を見ると、最初の曲は何とベートーヴェンのエグモントの劇音楽であり、ソプラノのユリアーナ・バンスが歌うものであり、レクイエムは休憩後の第二曲として演奏されていた。オーケストラには多彩な顔ぶれが集まっており、レクイエム冒頭のバスクラリネットはあのマイヤー女史が吹いていたので驚いた。合唱団はバイエルンとスエーデンの放送合唱団でこれも最高であり、ソリストではソプラノがアンナ・プロハスカであり、バスはルネ・パーペというお馴染みの面々であった。レクイエムの解説は、西川尚生先生の「教会音楽家として再起をかけたレクイエム」と盛り沢山であり、そのためオペラの代わりに、本年の最後を飾るソフトとして、この放送を取り上げたものである。
   この映像の第一部は、この番組の進行役である作曲家の加羽沢美濃と作家の石田衣良の他にモーツアルト研究家の西川尚生(慶大教授)との対談により進められていた。モーツァルトは死の床にあっても「レクイエム」を書き続けていたという悲惨な物語が従来の定説であったが、今回のテーマは、このレクイエム伝説に光を当て、このレクイエムは「モーツァルトの悲壮な曲ではなく、将来への希望の曲であったのではなかろうか」と言う一面を、新たな研究成果から考えてみようとする番組であった。

   モーツァルトの晩年、すなわち35歳の死から3年くらい前から、謎が多いのであるが、彼の晩年には、作曲家として大きな方向転換をしようとしていた。それを考える上で重要な作品がレクイエムであるという。 モーツァルトはザルツブルグでは、幼少から大司教のために教会音楽を書くことが仕事であった。その頃作曲した作品数は、彼の全作品中1割近くを占めていたという。しかし、モーツァルトはザルツブルグでは音楽家は尊敬されていないこと、オペラハウスや劇場もなく、歌える歌手もいないと不満を持っており、次第に創作に自由がなく周囲の音楽水準が低いことに我慢できなくなった。そして25歳で故郷を飛び出してウイーンで活躍を始め出したが、当初はウイーンでは熱狂的に迎えられ、オペラ「後宮」が成功したり、自作自演のピアニストとして大人気であった。
   一方、ウイーンではスヴィーテン男爵との出会いがあり、当時としては貴重なバッハ・ヘンデル体験をして、対位法的作風の熟成に務め、「プラハ」交響曲の第一楽章とか、「ジュピター」交響曲のフィナーレ楽章で素晴らしい成果を見せ始めていた。そして、モーツアルト独自の作風が熟成し始めてきた。実は、この対位法的作風が一番使えるジャンルが宗教音楽だったのである。


   1788年32歳の時に、露土戦争にヨーゼフ二世が参戦して以来、ウイーンでは戦争と不況一色となり、オペラの注文もなく、貴族たちとのコンサートもなくなって、モーツアルトは困窮に苦しみ始め、演奏会激減のピンチをどうして音楽家として克服すべきか悩んでいた。しかし、カトリックの教会ではミサがあり、宗教音楽の分野では内容が良ければ需要があるため、モーツアルトはシュテファン教会に申請して1991年に無給の副楽長のポスト得ており、晩年にはモテット「アヴェ・・ヴェルム」のほか、キリエなどの宗教曲のスケッチや断片が、沢山、残されているという。死の半年ほど前に、モーツァルトは謎の人物からレクイエムの作曲依頼を受けたが、モーツァルトはこれを金になる千載一遇の快挙と受け止め、この作曲に前向きに取り組んだ結果が、この音楽の中に示されているという。





      このレクイエムには、他の作曲家が真似が出来ぬ対位法の高度の技法が活用されているばかりでなく、彼の新しい活動に向けての明確な意思表示がなされているという。例えば、この曲の冒頭の「主よ哀れみ給え」の旋律には、「自分は教会音楽の正当な継承者であること」を自負して、ヘンデルの作風を真似た伝統的な形を用いている。また、当時としては斬新な「ドラマチックな教会音楽を書けること」を強調しており、例えば「怒りの日」や「レックス」などの各所の合唱曲やオーケストレーションでその凄さをアピールしていると言える。そのため、このレクイエムは、従来の自分の死を予期した悲しみの曲として捉えるよりも、最近の晩年のモーツァルト研究成果としては、「明日に向けた希望の曲」として考え、教会音楽家として新しいスタートをしようとしたモーツァルトの姿があることを、晩年の研究成果は示しているという。第一部では、このレクイエムは、新しい活動のための「名刺代わりの作品」と考えて、改めて、「レクイエム」聴いて欲しいと言うことであった。


   第二部のレクイエムの映像は、この「ららら♪クラシック」では、時間の関係で、第1曲のイントロイトウスから第8曲のラクリモサまでであったが、この全曲については、別途、2012年の音楽祭コンサート記録として収録していた。指揮者クラウデイオ・アバドの二度目の「レクイエム」であったが、最初のアバドの「レクイエム」は、カラヤンの没後10周年を記念したコンサートであり、アバドがベルリンフイルを率いてザルツブルグの大聖堂で1999年7月16日にライブ(11-7-1)で収録されていた。私は何回も通ったこのザルツブルグの大聖堂で、通常のミサ曲を演奏する以外のコンサートは初めてであり、ドームの下の4つのパイプオルガンと、オーケストラ、合唱団、ソリストなどの配置がどうなるかがかねて気になっていたが、この映像を見て解決した。マッテイラ、シャーデ、ターフェルは、カラヤン健在時から、ザルツブルグ音楽祭で歌っていた歌手陣であり、ベルリンフイルもカラヤンの名は懐かしい筈で、記念すべき忘れられぬ重厚な「レクイエム」となっていた。







                今回の新しい映像では、最近この音楽祭の映像でお馴染みになった、明るいルッツエルン文化会議センター・ホールで、音楽祭管弦楽団と有名なバイエルン放送・スエーデン放送両合唱団がステージに勢揃いしており、アバドの指揮で直ちにイントロイトウスがゆっくりと開始されていた。静かなバス・クラリネットの音がゆっくりしたテンポで響きだし、弦の悲痛な響きに先導されて厳かに「イントロイトス」が始まったが、オーケストラをよく見ると、マイヤー女史がバスクラを吹いており、クローズアップされていたが、オーケストラは、コントラバスが右奥に4本おり、どうやら中規模の編成のように見えていた。





                やがて合唱団がバスから順に合唱が混然と始まって、深く弦の引きつるような伴奏に乗って進行し始め、エト・ルクス・ペで全員の斉唱となっていた。一瞬、和やかな音調となってホッとするが、やがてソプラノのプロハスカのソロがレクイエムの開始を告げるように朗々と歌っていた。そして、再び厳粛な合唱が堂々と進んで、後半部に入ると、二つのレクイエム主題による二重フーガとなり、モーツァルトらしさを示しながら進行していた。アバドは口ずさむように丁寧に指揮をして、悠然とした響きで堂々と進行し、開曲の最後を堂々と豊かに盛り上げていた。久しぶりで見るアバドの表情は、少しほほが痩けて見えたが、お元気でしっかりタクトを振っており、演奏も前回とは基本的に変わっていないと感じながら聴いていた。




                続く「キリエ」では、キリエで始まる男声合唱に続いてクリステで始まる女声合唱が追いかけるように始まり、テンポは幾分早まって、冒頭から壮大な二重フーガの形で早めに進行していた。キリエとクリステの二つの主題によるこの二重フーガは、大合唱にもかかわらずそれぞれの声部の重なり合いが明瞭であり、特にクリステのエと伸ばすパーツが絶えず何処かの声部で歌っているように聞こえていた。後半のキリエの大合唱でも堂々として壮大に歌われて、合唱団の水準の高さを感じさせていた。アバドは、ここでも、終わりにフェルマータのあとの最後のキリエ・エリースンをアダージョで、少しテンポを落として重々しく終結していた。



              続いて「セクエンツイア」に入って、第一曲目はいきなりテインパニーがけしかけるように響き、弦が鋭くうねるように鳴り響いて、「デイエス・イレ」と叫ぶように歌う激しい勢いの大合唱で始まり、女声と男声が交互に激しくぶつかるようにリズミックに進行していた。アバドも大声で叫ぶように「怒りの日」をむき出しに全身で激しい指揮振りを見せていた。再び繰り返されてから、後半の「人々の怖れはいかばかり」では、バスと上三声が掛け合いながら交互に反復しつつ進む合唱の迫力は見事なものがあり、最後は4声の大合唱で結ばれていた。




                第二曲の「トウーバ・ミルム」では、一転してトロンボーンの柔らかな明るい音色のソロが厳かに響いてから、バスのルネ・パーペがじっくりとトロンボーンを伴奏に朗々と歌い出し、一瞬、新たな精妙な気分にさせられた。彼は有名な1991年のシュテファン寺院でのショルテイのレクイエムでもバスを歌っていた。続いてテノールのエリック・タデイが声を張り上げて明るく力強く歌い始め、アルトのサラ・ミルガルトに歌い継がれて、終わりにソプラノのプロハスカが高らかに歌い出し締めくくるように明るく歌っていた。最後には四人のソリストたちによる豊かな四重唱になって静かに終息していた。この曲はいつ聴いても、激しいレクイエムの中では、心を落ち着かせてくれるオアシスのような素晴らしい曲であると思った。 アバドも全てを心得ているかのように丁寧に指揮をしていた。




               第三曲の「レックス・トレメンデ」では、激しい弦楽器とトロンボーンの付点音符の前奏の後に、「レックス」の大合唱が三度続いてから、先の「デイエス・イレ」よりももっとリズムの激しい斉唱が続き迫力に満ちた合唱が続いていた。アバドはここでも歌いながら激しく指揮をしており、合唱が力強く進行していたが、最後には音調を急変させて、女性の合唱で「お許し下さい」と歌い、男性もそれに続いてから、最後には四重唱で悲痛な声で祈るように歌われて、徐々にテンポを落としながら消えるように終結していた。




                第四曲は、ソリストたちにより歌われる「リコールダーレ」で、チェロとバスクラリネットによるしっとりしたしめやかな感じの前奏に続いて、アルトとバス、ソプラノとテノールとが順に厳かにゆっくりと歌い出す平穏な曲で始まっていた。しかし、中間部からテンポがやや速まって4人がそれぞれ歌い出して非常に豊かな響きの深みのある四重唱となっていた。激情の溢れるレクイエムの中にあってソリストたちの四重唱は平穏で厳かな雰囲気を醸し出しており、一息、休息出来る場面であった。





               第五曲の「コンフターテイス」では、ジャラン・ジャンジャン/ジャラン・ジャンジャンという全オーケストラの荒々しい伴奏で激しい男声合唱が雄叫びを上げるように歌い出してから、一転して救いを求めて悲鳴のように聞こえるソットヴォーチェの女声合唱が対照的に歌われ、そして始めから全体が繰り返されて聴くものを呆然とさせ、男性声部と女性声部の対照の妙の凄さに驚かさせられた。その間に、間をおかず弦の三連符の伴奏で、4声が一緒になって「死に際の苦しみを救ってくれ」と悲痛な叫びを上げ、激しく胸に迫るものがあった。



          そして切れ目なしに続いて第六曲の「ラクリモサ」がヴァイオリンの切々たる音で静かに始まる。アバドはテンポを落とし、冷静に淡々と一音づつ進め、合唱が少しずつクレッシェンドで次第に高まりを見せ、8小節を超えてさらに高まりを見せながら高揚し続け、終盤にバス・クラリネットとトロンボーンが厳かに響いて、大合唱により最後の燃焼に達していた。終わりのアーメンの合唱が実に厳かに結ばれ、起伏の大きかったセクエンツイア全体が締めくくられていた。この映像では、ここで休止となり、余韻を残そうとして、ニーメチェックの伝記の最後の下りが朗読されていたが、私のレクイエムへの集中の限界はここまでで、休息せざるを得なかった。

アバドのこの新しい「レクイエム」は、演奏会形式であったためか、前回の大聖堂での録音に較べて響が薄く、あっさりと淡々とした感じで進む「レクイエム」であった。前回も書いているが、このアバドの「レクイエム」は、矢張り、彼の全身から滲み出てくるような中庸を得たテンポが良く、この暖かみのある指揮ぶりには、安心して音楽に浸ることが出来、今回も同様に、頭の下がる思いのする音楽が続いていた。この番組の最後で、石田衣良が従来の解釈よりも「名刺代わりに作った曲」と考えた方が未来への希望に溢れ、聴感上望ましいのではないかという感想を述べており、同感であった。西川先生がレクイエム研究はまだまだ続いており、学者先生による新しい版の作成も続けられて、晩年の研究は今後も続いていくと言う話で対談は終了になっていた。ランドンの「最後の年(1988)」で述べられていた事実関係を集約して、別の側面から宗教音楽家としてのモーツァルトの姿を考えると、安定的な収入を得るための戦略として、この考察は十分に想像できる想定内の話であろうと思われた。

(以上)(2012/12/18)


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