(最新収録のDVD;アーノンクールとCMWの万聖節の「レクイエム(1981)
11-9-1、ニコラウス・アーノンクール指揮ウイーン・コンツエルトウス・ムジクス、ウイーン国立歌劇場合唱団による「レクイエム」K.626、およびバッハ、カンタータ第161番「来たれ、汝甘き死の時よ」、1981年11月1日(万聖節)ウイーン楽友協会ホール、

−今回のこのアーノンクールの「エクイエム」は、矢張り古楽器によるピリオド奏法の典型と言うべき演奏であり、この演奏は数ある古楽器演奏の中でも、最も先鋭的に聞こえる、52歳のアーノンクールのまさに挑戦的な演奏の記録であると言うことが出来よう。同じオーケストラによる彼の2006年の日本公演の映像(7-2-1)では、77歳になった彼の方でも角が取れ頑なさがなくなって、円熟味が増していたように思われる−

(最新収録のDVD;アーノンクールとCMWの万聖節の「レクイエム(1981)
11-9-1、ニコラウス・アーノンクール指揮ウイーン・コンツエルトウス・ムジクス、ウイーン国立歌劇場合唱団による「レクイエム」K.626、およびバッハ、カンタータ第161番「来たれ、汝甘き死の時よ」、1981年11月1日(万聖節)ウイーン楽友協会ホール、
(ソリスト)S;ラシェル・ヤカール、A;オルトン・ヴェンケル、T;クルト・エクヴィルツ、B;ロベルト・ホル、
(2011年5月28日、アマゾン・インターネット通信販売、DENON COBO-6019)

このDVDはアーノンクール(1929〜)とウイーン・コンツエルトウス・ムジクス(CMW)の万聖節の「レクイエム(1981)」であり、この組み合わせでは2003年のSACDと 2006年の日本公演の映像(7-2-1)に次いで、3度目のこの曲への登場であるが、52歳の元気の良いアーノンクールの姿が見られる最も古い映像である。この音源はCD化もなされており、このCDが発売されたときは賛否両論を巻き起こしたとされていた。
しかし、彼のいろいろな演奏を聴いている現在において、改めて聴いてみても確かに彼特有の響きが漲っているが、今聴くとこれは織り込み済みであり、当時ほど驚くことはなく、こういう解釈もあり得るかと冷静に聞くことが出来る。



この映像の鈴木淳史氏の解説で知ったのであるが、アーノンクールは当時チューリヒ歌劇場やグラーツなどでは受け入れられていたが、本拠地ウイーンではなかなか受け入れられず、特に保守派の牙城とも言えるムジークフェラインに登場することは出来なかった。しかし、このDVDではウイーン国立歌劇場合唱団が主役であり、この合唱団が希望して恒例の万聖節コンサートに、アーノンクールとCMWを招いて、楽友協会ホールで共演をするという初めての試みであった。この公演では、アーノンクールは戦闘的な姿を見せているように見えるが、最近の彼の映像では、このような姿を見ることはない。
このDVDでは、第1曲目にはバッハのカンタータ第161番「来たれ、汝甘き死の時よ」BWV161が演奏されていた。この曲はアルトのアリアで始まり、テノールのアリアと合唱、コラールからなるカンタータであるが、5曲目の合唱が素晴らしく印象に残るカンタータであった。



レクイエムでは、4人のソリストがオーケストラと合唱団の間に登場し、同時にアーノンクールが指揮台に上がり、一息おいてから、ファゴットとバッセットホルンがゆっくりしたテンポで静かに響きだしたが、突然にトロンボーンとテインパニーが鋭く共鳴し、弦楽器の悲痛な響きに先導されて厳かに「イントロイトス」が始まった。この鋭いトロンボーンとテインパニーの音は、アーノンクール独自のオリジナルな挑戦的な響きであり、聴くものを驚愕させる。合唱がバスからテノール、アルト、ソプラノ順に整然と始まって、弦の深く引きつるような伴奏に乗って進行し始め、やがてエト・ルクス・ペで全員の斉唱となって、和やかな音調となった。弦の美しい伴奏に続いてソプラノのヤカールがレクイエムの開始を告げるように「神よ、あなたに賛歌を捧げます」と、弦が美しく伴奏しながら朗々とソロを歌ってから、再び厳粛な合唱が堂々と進んでいた。
     そして後半部に入ってレクイエムとドナ・ドナの二つの主題による二重フーガとなり、アーノンクールは、両手を振り上げて口ずさむように指揮をして、悠然とした響きで堂々と進行させ、開曲の最後を豊かに盛り上げていた。終わりにはあと最後のフレーズをテンポを落として静かに丁寧に終息させていた。



     「キリエ」では、キリエで始まるバスに続いてクリステで始まるアルトが追いかけるように始まり、続いてキリエで始まるソプラノに、クリステで始まるテノールが追いかけ、四声が渾然一体となってテンポは幾分早まって、冒頭から壮大な二重フーガの形で早めに進行していた。キリエとクリステの二つの主題によるこの二重フーガは、大合唱にもかかわらずそれぞれの声部の重なり合いが明瞭で力強く響いていた。後半のキリエの大合唱でも堂々として壮大に歌われて、ウイーン国立歌劇場合唱団の水準の高さを感じさせていた。アーノンクールは、終わりのフェルマータのあとのキリエ・エリースンをアダージョで、一段とテンポを落として重々しく静かに終結していた。



     「セクエンツイア」に入って、第一曲目は「怒りの日」。いきなりテインパニーと弦が鋭くリズミックに速いテンポで鳴り響いて、トウッテイで大合唱が「デイエス・イレ」と叫ぶように激しく始まり、女声と男声が交互に激しくぶつかるようにリズミックに進行していた。ここでもこの速さとリズムにアーノンクールの特徴がむき出しになり、激しい指揮振りを見せていた。この「怒りの日」が再び激しく繰り返されてから、後半のバスのうめき声と、それをなだめるような上三声が掛け合いながら交互に反復しつつ進む合唱の迫力は素晴らしく、早いオーケストラで最後が結ばれていた。



      第二曲の「トウーバ・ミルム」では、一転してトロンボーンの明るい音色のふくよかなソロがアンダンテでゆっくりと厳かに前奏を務めてから、バスのロベルト・ホルがじっくりとトロンボーンを伴奏の下に力強く朗々と歌い出し、一瞬、救われたような感覚になった。次いでテノールのエクヴィルツも高らかに声を張り上げながら明るく力強く歌い始め、続いてアルトのヴェンケルの順に歌い出した。最後にソプラノのヤカールが高らかに締めくくるように高い声で歌いだして、穏やかな弦の伴奏で和やかな落ち着きをもたらしていた。後半はソリストたちによる豊かな四重唱になって明るく歌い継がれ、静かに終息していた。この曲はいつ聴いても、激しいレクイエムの中では、和やかな雰囲気になり、心を落ち着かせてくれるオアシスのような素晴らしい曲であると思った。



       第三曲の「レックス・トレメンデ」では、弦楽器の激しい付点音符の下降音型の刻むような前奏の後に、大合唱がトウッテイで「レックス」と、三度、繰り返してから、大合唱が堂々と続き、先の「デイエス・イレ」の再現のように激しく響いていたが、ここではもっとリズムの激しさが特徴であった。ここでもアーノンクールはリズムの激しい切り方と速いテンポに、他の指揮者と異なる特徴的な指揮をしていた。合唱が力強く進行してから、後半には、音調が急変して、ソプラノの悲痛な声で「お許し下さい」と祈るように静かに歌われて、最後には許しを請うように徐々にテンポを落としながら消えるように終結していた。



       第四曲は、ソリストたちの四重唱で歌われる「リコールダーレ」であり、チェロとバセットホルンによるしめやかな感じの前奏に続いて、弦楽器による美しい下降音型による前奏が続いてから、アルトとバスの二重唱と、ソプラノとテノールの二重唱が、厳かにゆっくりと歌い出されていた。続いて男性の二重唱と女性の二重唱が交互に続いてから四重唱になって、穏やかに平穏な雰囲気となっていた。後半では、再びアルトとバスの二重唱と、ソプラノとテノールの二重唱が続いてから、非常に豊かな響きの深みのある四重唱となっており、弦楽器の美しい下降音型とともに、激情の溢れるレクイエムの中にあって、一服の清涼感をもたらす厳かな透明感溢れる雰囲気を醸し出していた。



       第五曲の「コンフターテイス」では、激しい男声合唱が、ジャラン・ジャンジャン、ジャラン・ジャンジャン、というフルオーケストラの荒々しい伴奏のもとで、雄叫びを上げるように歌い出していた。そして、一転して救いを求めて悲鳴のように聞こえる女声合唱が対照的にソットヴォーチェで歌われ、その対照の激しさに聴くものを呆然とさせた。アーノンクールは,強弱の対照の妙を一段と輝かせていた。もう一度、始めから激しく繰り返して、男性声部と女性声部の対照の妙を味わせてから、間をおかずに4声が一緒になって刻むような弦楽器の伴奏とともに「死に際の苦しみを救ってくれ」と沈痛な叫びを上げ、非常に感動的であり、胸に迫るものがあった。



       そして続いて第六曲の「ラクリモサ」が、ヴァイオリンの切々たる上昇音で静かに始まった。アーノンクールは、早めのテンポで、冷静に淡々と一音づつ進め、合唱が少しずつクレッシェンドで次第に高まりを見せ、8小節を超えてさらに高まりを見せながら、ソット・ヴォーチェで次第に上昇していた。そして、終盤にバスクラリネットとトロンボーンが厳かに響いて、フォルテのの大合唱により最後の燃焼に達していた。終わりのアーメンの合唱が実に厳かに結ばれ、「怒りの日」で激しく始まった起伏の大きかった「セクエンツイア」全体が締めくくられていた。ここでアーノンクールは一息を入れて小休止をして改めて気分を入れ替えてから、続くオッフェルトリウムに入っていたが、残念ながら、私の「レクイエム」への集中の限界はここまでで、休息せざるを得なかった。

       改めてこのアーノンクールの81年の「レクイエム」を聴いて、矢張り最初に聴いたエキセントリックな異常な音は、イントロイトウスの最初の静かにファゴットとバセットホルンの静かな前奏の直後における、鋭く突き刺さるようなトロンボーンとテインパニーの響きであり、これは古楽器の音を強調したものであった。しかし、それ以降は、多少古楽器の音を強調して響かせたり、彼特有の激しい対比構造、すなわち強さと弱さ、硬さと柔らかさ、早さと遅さ、明るさと暗さなどを強調し、アーテイキュレーションやテンポを自在に動かせることはあっても、異常に聞こえることはなかった。それは、彼の手法や癖に私の耳が慣れてきて、いわば呼び込み済み、想定済みの音になっていたからなのであろう。

      例を挙げると、確かに「怒りの日」の冒頭で、いきなりテインパニーと弦が鋭くリズミックに速いテンポで鳴り響いて、トウッテイで大合唱が「デイエス・イレ」と叫ぶように激しく始まる部分は、まさにアーノンクールの特徴がむき出しではあったが、強調ではあっても異常だとは感じなかった。また、「恐るべき大王」のレックスと短く切って歌う歌い方や、合唱でのリズムの激しさが印象的であったが、異常であるとは思わなかった。また、「コンフターテイス」での、早くて激しい男声合唱と悲鳴のように聞こえる女声合唱が、対照的に歌われて、その対照の激しさに驚かされたが、ここではアーノンクールの強弱の対照の妙を一段と輝かせていたように思った。
       しかし、異常には聞こえなくとも、それが音楽として心地よく楽しく聞こえるかと言うとそれは別物であり、やはり聴くものが音楽として音を楽しんで聴くか、或いは緊張感や緊迫感を音楽に積極的に求めて聴くかのスタンスによって、受け取り方が大きく異なってくるのであろう。

      アーノンクールはこの万聖節のコンサートで、ウイーン国立歌劇場合唱団や楽友協会に受け入れられ、次第にウイーンフイルなどウイーンの諸団体に出入りを認められて、モダン楽器のオーケストラなども振るようになったようであるが、これを時系列的に彼のCDなどで追って聴いてみると、アーノンクールの方でも頑なさが取れて、円熟味が増してきたように思われる。今回の「エクイエム」は、矢張り古楽器によるピリオド奏法の典型と言うべき演奏であり、数ある古楽器演奏の中でも最も先鋭的に聞こえる、52歳のアーノンクールのまさに挑戦的な先鋭な演奏の記録であると言うことが出来よう。

(以上)(2011/09/10)


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