(最新のDVDから;メータ指揮、1967年ザルツブルグ音楽祭の「後宮」K.384)
11-7-3、ズービン・メータ指揮、ストレーレル演出による1967年ザルツブルグ音楽祭の「後宮」K.384、ウイーンフィイル&ウイーン国立歌劇場合唱団、ザルツブルグ、

−最新のDVDが皮肉にもこのオペラの最も古い映像となったが、この動きの乏しいベーシックな映像が、時代とともに演出の変化やピリオド楽器の出現などの環境の変化によって、どのように変遷を遂げていくか注意深く考える原点を作ってくれたような気がした。音楽も歌手陣の出来映えも、まずまずの出来で、お客さんも大喜びの舞台であった−

(最新のDVDから;メータ指揮、1967年ザルツブルグ音楽祭の「後宮」K.384)
11-7-3、ズービン・メータ指揮、ストレーレル演出による1967年ザルツブルグ音楽祭の「後宮」K.384、ウイーンフィイル&ウイーン国立歌劇場合唱団、ザルツブルグ、
(配役)コンスタンツエ;インゲボルグ・ホールスタイン、ブロンテ;レリー・グリスト、ベルモンテ;ルイージ・アルヴァ、ペドリオ;ゲルハルト・ウンゲル、オスミン;フェルナンド・コレナ、ほか、
(2011年3月4日、銀座山野楽器店にて購入、VAI-ORF-DVD-4521)

    7月号の第3曲目は、ズービン・メータ(1936〜)による1967年ザルツブルグ音楽祭のオペラ「後宮」のライブ記録であり、最近かなり増えてきたVAI&ORFの公演記録シリーズの一つである。モノクロでモノラルで日本語字幕のない、ナイナイシリーズであるが、残されているだけ貴重な記録であり、出演者のうちベルモンテのルイージ・アルヴァやブロンテのレリー・グリストはカラー映像でも残されているスターが登場している。実は、メータによる「後宮」は、このHPでは2度目の登場であって、 2002年のイタリアのフィレンツエ音楽祭における映像(5-9-3)があり、「エヴァ・メイの最高のコンスタンツエとリドルのオスミンが光り、メータの指揮で安心して見ておれるもの」と評価されていた。今回の映像はメータが若き31歳のロサンジェルスフイル在任中の映像であり、数ある「後宮」の中では最も古いライブ映像なので、この時点における音楽や演出の水準がどう言うレベルにあって、後世にどう言う影響を与えているかを、よく見て深く考察することがこの映像の重要な見所となりそうなので、期待している。



メータがオーケストラピットに入場すると、挨拶の後に直ちに威勢良く序曲が始まった。弦楽器の軽快なプレストの主題にピッコロやシンバルなどの聞き慣れないトルコ風の響きが加わって序曲は一気に進行していた。その間に写し出された舞台の緞帳に出演者の名前がリストアップされていた。やがて序曲はアンダンテになり、ベルモンテの第1曲の主題がフルートや弦で歌われていた。再び冒頭のプレストに戻って序曲はオペラ用に終結し、第1曲の序奏に変わっていた。
    港に着いたことを暗示させる船とベルモンテの姿が影絵のように現れ、それが大きくなってベルモンテの姿になり、「コンスタンツエよ、ここでやっと会えるのか」と歌い出していた。宮殿の前の広場で動かずにしっかりと歌うアルヴァの高い声は艶があり良く伸びて最初から大きな拍手を浴びていた。



    そこへオスミンが手にカゴを持って登場し、ウロウロしながら鼻歌を歌っていると、ベルモンテが現れて「ここは太守のお屋敷か」と尋ねるが、返事もせずにタララララと節回し良く歌っていた。無視されたベルモンテがいきり立ってしつこく聞くと「太守の宮殿だ」とだけいい加減に答えていた。ベルモンテがさらにペドリオのことを聞き出そうとすると、急にオスミンが怒りだし、曲はプレストになって二人は激しい口論の二重唱に発展していた。オスミンはうるさいベルモンテを追い払い、宮殿入り口のクサリを自慢げに自分で閉じて頭を下げると、観客は大喜びで大拍手であった。
    オスミンがペドリオの悪口を言っていると、そこへご本人が現れたので、「どこの馬の骨か分からん奴だ」と歌い出し、さんざん悪口を歌っていた。そして最後には一息ついてからアレグロになって、捕まえたら首吊りに火あぶりだなどと悪態をついて、引き上げていった。



    隠れていたベルモンテがペドリオを見つけて再会し、コンスタンツエもブロンテも元気だが女二人はともに狙われているので、男二人は直ぐに救出の策略を練り始めていた。そしてベルモンテは「コンスタンツエよ、これでやっと君に会える」と高らかに歌い出した。オーケストラのスタッカートがこみ上げる胸の動悸を暗示しているかのように明るく響き、アルヴァはここでも絶好調のアリアをご披露して、大拍手を浴びていた。
そこへ港に船が着き、合唱団による合唱に守られるように、太守セリムと女性が登場していた。このオーケストラ伴奏はまさにトルコ風で、トライアングルやシンバルやピッコロなどが鳴り響いていた。途中から四重唱になり、二人は手をつないで仲良く現れた。



   二人きりになるとセリムは「なぜいつも悲しそうな様子なのか」とコンスタンツエに尋ねていたが、彼女はそれに答えるように「私は恋をして幸せだった」とアリアを歌い出した。そして歌に託してセリムの要求を退けてから、アレグロに入ってこの「生き別れが私の運命」と悲しげにコロラチューラで苦しい胸の内を歌っていたが、ここでも大拍手であった。
   一人残されたセリムが「その涙が私の心を惹き付けるのだ」と独り言を言っていると、ペドリオがベルモンテを連れて登場し「知人のイタリアで学んだ建築士を紹介します」と挨拶し、二人は上手く屋敷への出入りを許されていた。



直ぐに思い通りに許されて、二人が大喜びで奥に入ろうとすると、それを聞きつけてオスミンが登場し、「ここは温和しく立ち去れ」と歌い出し、大げんかの長くて激しい三重唱になっていた。この喜劇的な楽しい三重唱は、第一幕のフィナーレに当たっており歌が終わると直ぐに幕となるが、この演出ではリブレットと同様に、二人は三重唱のあとに大声で暴れるオスミンを最後に何とか押さえつけ、宮殿の奥に入り込んで幕となっていた。



    第二幕の幕が開くと、座っているオスミンの周りをブロンテが影絵のように回ってチョッカイをかけ、リートの「スミレ」によく似たメロデイで女の子には「優しさとお世辞が大切」とコケットリイな仕草でアリアを歌い出した。明るいコロラチューラの美しいアリアにオスミンはご機嫌だが、自分では「俺の言うことをきけ」と言うような命令しか出来ない。名調子のグリストにも凄い拍手があってから、オスミンが「だが、忠告するぞ」とレチタテイーボで始まり、アレグロからアンダンテに変わる「ご主人様の命令」と「従女の自由の主張」との言い合いの賑やかな二重唱に発展していた。この二重唱の結末はリブレットでは目を引っ掻くブロンテを恐れてオスミンが逃げ出すのであるが、ここでは引き分けのように見えた。このアリアでも二重唱でも、二人の動作にはけんかをしている割にはそのような動きが少なく、まるで影絵を見ているような感じの舞台であったが、お客さんの拍手が凄いので、これで十分満足しているように見えた。

  

    続いてコンスタンツエが一人で登場し、悲しげに「あの別れの日から、私の心は何と変わってしまったことだろう」とレチタテイーボを歌ってから、「悲しみが私の運命となった」とアリアを歌い出した。彼女が一人、悲しんでいると、そこへ太守セリムが登場し、「何をそんなに悲しんでいるのか」としつこいばかりでなく「私の意に従わなければ力ずくでも」と脅してきたので、コンスタンツエは驚いた。オーケストラの長い序奏が始まり、フルートやオーボエの他にヴァイオリンやチェロも加わったオブリガートが激しく響いてから、コンスタンツエは、堂々と「ありとあらゆる責め苦が待ち受けようとも、私は苦しみを恐れない」と激しくアリアを歌い出した。このアリアはコロラチューラで高い音域から女性としては低い音域まで要求するアリアで、コンスタンツエのホールスタインは、さすがに低域は声が出ていなかったが、全体としてはしっかりと歌われ、2度も幕間から出てきて拍手に答えていた。セリムはこの彼女の強さや激しさがどうして出てくるのか不思議に思うばかりであった。



   ペドリオがブロンテに会い、ベルモンテが助けに来たことを告げると、ブロンテは大喜びをし「何という喜び」とフルート協奏曲ニ長調K.314の第三楽章のロンド主題とソックリさんのアリアを歌い出した。「コンスタンツエに早く知らせなきゃ」と明るく歌われて、急いで知らせに行った。ブロンテのオスミンはどうするのと言う質問にペドリオは、帽子の中から薬の入った小瓶を取りだし、これで眠らせると頭の良いところを見せていた。
   ペドリオが召使いに大きな二人乗りのカゴを運ばせて再登場し、早速、酒瓶を取り出して作戦を練り、「いざ、戦いだ」と元気よくアリアを歌い出した。オスミン用の大きな酒瓶とペドリオ用の小さな酒瓶が用意され、怖い相手に尻込みしないよう自らを激励して、戦闘開始とばかり張り切った姿を見せていた。



ペドリオがオスミンが来ることを計算して一人で騒ぎながら酒を飲んでいると、案の定、オスミンが姿を現した。ペドリオはオスミンに上手に酒を進めていると、オスミンはペドリオに毒味をさせてから、大きい方の瓶を取り上げて酒を飲み出した。最初はアラーの神様に遠慮しながら飲んでいたが、ペドリオの調子に次第に合ってきて、ついには「バッカス万歳」となってきて、次第に気を許し酔いと眠り薬も効いてきた。ペドリオは大きな体のオスミンをカゴに案内し、そこで飲ませているうちに、オスミンは眠り込んでくれたようだった。作戦は成功し、二人の召使いは、よろけながらカゴを運び出し、会場はそのよろけた仕草に大喜びで拍手が絶えなかった。



ベルモンテが登場し、コンスタンツエも現れて二人は劇的に再会し、お互いの姿を見て喜び合い、ベルモンテは何と嬉しいことかと「喜びの涙が流れるとき」と歌い出すとコンスタンツエも寄り添って、二人は再会の喜びに浸っていた。そこへペドリオとブロンテも駆けつけて、「ああ、ベルモンテ、私の命」と四重唱が始まっていたが、これは第二幕のフィナーレであった。ここではアレグロの単純な再会の喜びから始まり、途中からアンダンテになって、ベルモンテがコンスタンツエとセリムの関係を疑い、ペドリオがブロンテとオスミンの関係を疑って、「町のうわさでは」と言いだして女二人の怒りを買い、ペドリオがブロンテに平手打ちを食っていた。再びアレグロ・アッサイになって男二人が平謝りになったので、女たちは二人に許しを与えて、最後には愛と喜びの四重唱となって、賑やかなフィナーレが終了していた。




     まだ第二幕の余韻が残っている中で第三幕が始まろうとしていたが、メータが指揮をしようとしても拍手が鳴り止まず、改めて指揮の仕切り直しをしてから第三幕が始まった。ペドリオが脱出しようとして様子を見に行っている間にベルモンテが登場し、コンスタンツエの強さを讃えて「私はお前の強さを頼りにしている」と歌い出した。見張りがウロウロしており、彼らをやり過ごしながら歌うコロラチューラの技巧に満ちたこの難曲を歌うのは大変であったが、アルヴァは見事に期待に応えて歌い、大拍手を浴びていた。




    そこへ大きなハシゴを持ってペデリオが駆けつけ、彼はマンドリンを手にして「ムーア人の国に可愛い娘が虜になった」と二人に呼びかけるように歌い出した。これはロマンツエと題された愛のセレナーデであったが、テンポが遅くこれでは見つかってしまうと大いに心配。コンスタンツエが気がついて、荷物を下に投げ捨ててやっと降りてきてベルモンテと手を繋いで逃げ出した。続いて別の窓にハシゴを移しているところを見張りに見つかり、直ぐにオスミンが呼ばれたので、ブロンテは別の窓から逃げ出していた。



    しかし方々に大勢の召使いが見張っていたので、逃げ出した4人は捕まってしまいオスミンの前に引き出された。オスミンは憎々しげに4人を見つめ「勝ち誇ってやる」と大声で勝どきを上げて歌い出し、最後には捕らえた喜びに震えながら、4人に対して散々、大声で悪態をついていた。




    その騒ぎにセリムが駆けつけて来て、コンスタンツエに自分の厚意や善意を悪用したと責めていたが、ベルモンテが自分の仇敵の息子であることを聞いて、セリムは「彼は私の全てを破壊した。今こそ私にその仕返しの時が来た」と言いだした。ベルモンテとコンスタンツエは「何という運命か。」と絶体絶命の運命に驚き、開き直って死を覚悟した劇的な二重唱が始まった。「私のためにお前は死ぬ」とベルモンテが歌うと、「喜んで死を迎えましょう」とコンスタンツエが答えて、「二人で一緒に死ねるのは何という幸せ」と絶望から死への法悦を口にする二重唱になっていた。この潔い二人の姿と態度には、そして二人の愛の強さには、セリムの心にも強く響いたに違いない。






    「覚悟をしろ」と捨て台詞を残して立ち去ったセリムが再び現れて、熟慮の末の結論だと「お前たちを罰する代わりに、自由の身分を与えてスペインに返してやる」と述べた。アッと驚く全員の前で、セリムは「お前の父親に言うが良い。お前ら虫けらを殺しても何も報いはない。だからお前の父親と反対に、悪徳に対し善行で報いることが、私にとって遙かに大きな満足だと」そしてペドリオとブロンテにも「お前たちも一緒に行け」と言っていた。



     一同は驚いて言葉もない様子であったが、ベルモンテが感極まったように「あなたのご恩は一生忘れません」とヴォードヴィルを歌い出した。コンスタンツエもあとの二人も、一人ずつ、心からの感謝の気持ちを歌っていたが、収まらないのオスミン一人。折角、手柄を立てたのに、大事なブロントヒェンを諦めざるを得ず、まさに半狂乱であったが、やがて舞台は見守っていた全員による「太守セリム、万歳」の大合唱が始まり、けばけばしい賑やかなトルコ音楽とともに太守の徳を讃える合唱により大団円になっていた。



この映像においても、素晴らしいカーテンコールが続いており、この伝統ある音楽祭が成功していたことを裏付ける映像になっていた。このORF(オーストリア放送協会)のナイナイづくしのDVDシリーズは、ライブ放送用のアーカイブであるが、 最初のベームの「フィガロの結婚」(1966)(9-8-2)に続き、今回のメータの「後宮」(1967)と続いているが、現在手元にはマゼールの「フィガロの結婚」(1963)(まだ未アップである)と3作目になっており、まだ未入手であるが、ケルテスの「魔笛」(1964)もあるようである。白黒でも舞台の様子は確認でき、音声はモノラルであるがLP並みに収録されており、いずれも安心して見ておれる成功作で、素晴らしいカーテンコールが記録されているので、時代を反映ずる当時の貴重な生の記録として重要であり、店頭で見かけると必ず購入することにしている。

   この映像のジョルジョ・ストレーレル(1921〜1997)演出は、1965年のザルツブルグの「後宮」公演から彼の国際的な活躍が始まったようであるが、今回の映像は彼の第一作目に相当している。彼のモーツアルト・オペラでは、「フィガロ」でショルテイ・パリ・オペラ座(1980)(9-9-2)の記録があり、また「ドン」ではムーテイ・スカラ座(1987)(10-3-3)の記録がいずれも映像で残されているが、それぞれが当代一の伝統的な演出として評価され、その時代を代表するものとして知られている。
    今回の「後宮」の演出は、率直に言って飾り気のない非常に簡素な演出であり、海と舟影を影絵のように用い、また人物を影絵で登場させてからクローズアップさせていく技法が印象的であった。主たる舞台の場面は、第一が宮殿の入り口の広場であり、門の開閉が動きとして重要であったし、第二は宮殿の内部の様子であり、場面場面で必要な小道具が用意されていたが、基調は影絵の背景と、建物の簡素な姿から成り立っていた。彼は演出の装置よりもむしろ演劇人として有名なようであるが、この映像は登場人物が影絵の姿で登場することが多く、従って動きが殆どなく、型にはまったスタイルでアリアが歌われていることが多かったが、それはその時代の演出なり劇場の考え方によるものと思われた。従って、けんかや争いごとのある二重唱・三重唱・四重唱では、今の演出に比べていかにも動きが少ないとして評価されるであろう。

メータは18歳でウイーン音楽アカデミーに留学(1954)し、スワロフスキーに師事しており、ウイーンフイルのコントラバス奏者としての経歴もあり、小澤征爾などと同様に指揮者コンクールで優勝し著名になっていった。しかし、小沢と異なるのは、若いときからこの「後宮」のようにオペラをこなしていたことであろう。今回の「後宮」では、序曲の段階からトルコ風の音楽を強調する軽快な指揮ぶりであったが、彼はオペラにおいても彼の人柄が滲み出るような温厚で安定した指揮ぶりを見せており、終始安心して見ることができた。第三幕の冒頭で拍手のため指揮には入れず、挨拶をし直しして指揮に入るなど、人気の高さを反映したものと、一瞬、考えさせられた。

    この「後宮」は少ない主役たちが十分に持ち味を発揮したオペラであると言えそうであり、ベルモンテのアルヴァ、ブロンテのグリスト、オスミンのコレナの三人がそれぞれ実力を発揮して存在感を見せつけていた。アルヴァはベームの「コシ」(1967)のフェランド役(9-9-3)で印象に残っているが、この「後宮」では中心人物として良く歌い、特に第17番の技巧的なコロラチューラの部分を良く歌いこなしていたと思った。また、黒人歌手グリストも、このHPではいずれもベームのオペラで馴染んでおり、「フィガロ」(1966)のスザンナ役(9-8-2)はほぼ同じ年代であるが、「後宮」(1980)のブロンテ役(9-10-3)ではすっかり痩せて色気が失せており、今回の「後宮」の方が遙かに存在感があったと思う。オスミン役のフェルデナンド・コレナは、スイス生まれのイタリアのブッフォで活躍した人で、体つきからあのアラビアン・スタイルからオスミンのキャラクターそのものであり、堂々とバスの声域を逞しく守っていた。
    コンスタンツエのホールスタインも若々しく地金を出して健闘していたが、あの第11番のアリアは、バルトリやシェーファーみたいなメゾをこなせる人でなければ、純粋なリリック歌手には難しそうであった。ペドリオのウンゲルも持ち前の剽軽さを前面に出して好演しており、歌手陣の出来映えは、まずまずのできで、お客さんも大喜びであった。

   「後宮」の最新のDVDが皮肉にも最も古い映像となったが、このベーシックな映像により、このオペラが演出の変化やピリオド楽器の出現などの環境の変化とともに、どのように変遷を遂げていくか注意深く考える原点を作ってくれたような気がする。「後宮」には、まだショルテイ(1987)、エストマン(1900)、ジェルメッテイ(1991)、ガーデイナー(1991)などの少し古いが優れた映像が、沢山、残されているので、ご期待頂きたいと思っている。

(以上)(2011/07/15)


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