(最新収録のソフト報告;フルトヴェングラーの「ドン」HVリマスター版を見る)

11-2-22、オペラ「ドン・ジョバンニ」の版の問題と音楽面を考える
−−フルトヴェングラーの「ドン」HVリマスター版を改めて見直して(その2)−−

−フルトヴェングラーのHVリマスター版を改めて見直して、かねて考えていたこのオペラの版の問題を整理してみたが、プラーハ版やウイーン版などの版のパターン分類を行った結果、フルトヴェングラーの映像は、「ごちゃ混ぜ版」であり、その例外的存在であることが分かり、意外な結果に終わった−

11-2-22、オペラ「ドン・ジョバンニ」の版の問題と音楽面を考える
−−フルトヴェングラーの「ドン」HVリマスター版を改めて見直して(その2)−−

1、 はじめに、


   昨年の暮れに収録したフルトヴェングラーの「ドン・ジョバンニ」HVリマスター版を改めて見直した結果、最近のHV映像に負けないくらい映像が見事に甦っているのには本当に驚かされた。また音声もモノラル録音であるが、矢張り、歪みが取れて聞き易くなり、大画面で大音量でも何とか聴けるようになっていた。この映像については私のHPでは、2004年にクラシカジャパンによる放送を収録した映像でアップロード済み(5-9-1)なのであるが、アップした写真を見ると画面が潰れており、記述も今となれば不満に思うところが多い。従って、この映像を改めて見直すことにより、ここではこのオペラの版の問題を考え、併せて、この映像の音楽面の素晴らしさについて改めて考察し、いろいろな映像を比較して見る際の基礎的資料にしたいと考えた。


2、オペラ「ドン・ジョバンニ」における版の問題とウイーン追加曲、

    オペラ「ドン・ジョバンニ」には、プラハ初演版とウイーン再演版の2版があるが、最近では、二つの版の良いとこ取りをした「ごちゃ混ぜ版」が一般的になりつつある。ウイーン版は、ウイーン再演時の歌手を考慮して3曲追加されたが、厳密にはそれに伴って同時に2曲削除されたものである。いろいろな「ごちゃ混ぜ版」が生ずるのは、どの曲を追加しどの曲を削除するかが指揮者や演出者に委ねられているために生ずるものである。従って、オペラの上演に当たっては、どの版を基本とし、どの曲を追加するかは、指揮者や演出家が協議をして、真っ先に検討すべき重要な問題になりつつある。曲の追加や削除は、初演時の歌手が歌いやすいかどうかで始まっており、出演する或いは選ばれる歌手たちにも影響されるが、過去の上演などを分類して整理すると、何種類かのパターンに整理できるものである。

    新全集の編者ヴォルフガング・レームは、初演されたプラハ版は文献学的に裏付けられた版であるに対して、ウイーン版は全てが明らかにされた訳ではないが、確実に認められている事実の要点は、次の通りとしている(注1)。
1、ウイーンでオッターヴィオを歌った歌手が、第2幕第10場の第21番のコロラトウーラを歌うには力量不足だったのでこのアリアをカットし、ここには何も補わずに、新しくアリアK.540aを彼のために作曲し、ドンナ・アンナの復讐のアリア第10番の後においた。それが今日ウイーン追加曲の第10a番のオッターヴィオのアリアとして歌われている。
2、第二幕のレポレロが捕まる六重唱に続くレポレロのアリア第20番の代わりに、ツエルリーナとレポレロの二重唱を新たに作曲(K.540b)し、これを追加(第21a番)した。
3、ウイーンでエルヴィーラを歌った歌手の要望を聞いて、第2幕第10場にレチタテイーボ・アコンパニアートとアリアを作曲(K.540c)して追加(第21b番)し、併せて第10場全体のリブレットを新たに改訂した。
   過去の映像を版の問題からパターン分類してみると、プラーハ版とウイーン版を採用する公演は、数の上では例外的な存在であって、指揮者や演出者やその公演に独自の主張がある場合が多いようである。そしてこれら二つの版の良いとこ取りをしたいわゆる「ごちゃ混ぜ版」は、ウイーンで作曲された追加曲のオッターヴィオのアリア第10a番とエルヴィーラのアリア第21b番が素晴らしい曲であるため、通常は、プラハ版にこの2曲を単純に追加するタイプのものが代表的であった。この「ごちゃ混ぜ版」の例外として、ウイーン追加曲のうちエルヴィーラのアリア(K.540b)第21b曲のみをプラーハ版に追加した例が、他ならぬ今回のフルトヴェングラーの公演であり、調べてみると結果的に「ごちゃ混ぜ版」の例外となっていた。


    ウイーンで追加された3曲目のツエルリーナとレポレロの二重唱(K.540b)第21a番は、演奏される場合は極めてまれであるので、ウイーン版を特徴づける曲となっており、ウイーン版は追加曲が3曲とも加えられているが、逆にプラハ版から2曲削除される曲があるので注意が必要である。

プラーハ版の代表的例を挙げると、例えば、1991年の没後200年を記念して、このオペラを初演したプラハのエステート劇場でのマッケラス指揮の映像(10-1-3)はプラハ版で公演されおり、この映像は初演時の原典通りに演奏されていた。また、ウイーン版を先ほどのように「プラハ版に3曲のウイーン追加曲を加えたもの」と定義して例を挙げると、ヤーコプスの06年モーツアルトイヤーに古楽器演奏で収録した映像(9-2-3)がそうであり、この公演では第21曲のオッターヴィオのアリアが削除されている。また、ウイーン版のもう一つの例として、ビリー指揮グート演出で08年ザルツブルグ音楽祭の公演記録があり、これはこのオペラを悲劇と捉えた個性的な新演出のもので、地獄落ちの場面で閉幕となり、プラハ版より最後の第25番の六重唱の「最後の場」が省略されていた。さらに、ウイーン版の例外として、3曲のウイーン追加曲を加えて1曲も削除しなかった、すなわちモーツアルトが作曲した全てのアリアを網羅した「全曲版」とも称すべき映像も記録されている。これはピーター・セラーズのニューヨークのハーレムを舞台にした異色の演出の「ドン・ジョバンニ」であったが、版の問題でも非常に珍しい「全曲版」としての試みが行われていた。

(注1)モーツアルト、「ドン・ジョバンニ」、名作オペラ・ブックス21、音楽の友社、昭和63年8月、P232、


3、「ドン・ジョバンニ」における版の問題のパターン分類について、

    以上に述べた通り、このオペラの版の問題をパターン分類して、これまで見てきた26種類の映像を整理し、このパターンに当てはめてみると、下表の通りとなる。表において、「ごちゃ混ぜ版」のパターンB が最も代表的であり、数の上では、プラーハ版もウイーン版も例外的な存在であることが分かる。しかし、最近は演出の新しさに伴っていろいろな変形が行われそうなので、注意が必要である。

表−1、 版のパターン分類とそれに該当する個々の映像

版のパターン、該当する映像、
1、プラーハ版、エストマン(87)、マッケラス(91)、コート・デユー(94)、
2、ごちゃ混ぜ版A(+1曲)フルトヴェングラー(54)、
3、ごちゃ混ぜ版B(+2曲)その他の19組の映像、
4、ウイーン版(+3曲)ヤーコプス(106)、ビーリー・グート(108)、
5、全 曲 版、セラーズ・スミス(91)、

 

                  フルトヴェングラーの最新のリマスター版を見て、公演の基本となる版の問題を整理しようとパターン分類まで考えて検討してきたのであるが、全ての映像の中で最も古いフルトヴェングラー盤が、版の問題に関する限り、数の上では「ごちゃ混ぜ版」の例外的な存在になっているのには驚かされた。私は、フルトヴェングラーのこの映像が、このオペラの音楽面・演出面の基本的映像であると考えて検討を加えてきた訳であるが、私のこの予想は覆えさせられた。しかし、プラーハ版だけでは物足りないとするフルトヴェングラーの主張は、他の映像に強い影響を与えたものと推測している。


4、フルトヴェングラーの映像で疑問に思うこと−序曲の問題などについて−

   フルトヴェングラーの映像を最初に見たレーザーデイスクには、このデイスクの紹介として、次ぎのような解説があるので、以下に引用する。

「 このオペラは、1954年8月、2年後にむかえるモーツアルト生誕200年を記念すべく、モーツアルトの生地ザルツブルグ音楽祭で上演された。フェルゼンライトシューレの舞台そのままに記録されたこの作品は、約20年前の本邦初公開時に”幻の名画、遂に公開”として絶賛を浴びたものである。また巨匠フルトヴェングラーの最晩年の唯一のオペラとしても、貴重な遺産として遺ることになった。
   指揮をするフルトヴェングラー、世界屈指の名オーケストラ、ウイーンフイルの流麗な演奏、シェピ、グリュンマー、エーデルマンらの円熟した歌唱と演技、これらがパウル・ツインナーの製作・監督の下に貴重な文化遺産として歴史的映像となったのだ。」

この文章を見て、最初の頃はザルツブルグ音楽祭ライブと単純に思い込んでいたが、フルトヴェングラーの映像を何回か見るうちに、おかしいと疑問に思うことが二つあった。一つは拍手の中でフルトヴェングラーが入場し、オーケストラピットに入り、そのまま指揮を開始するが、その映像はフルトヴェングラーの後ろ姿が殆どで、一緒にコントラバス奏者とヴァイオリン奏者が写されていた。その後フルトヴェングラーが正面を向いて指揮をする姿も写されてはいたが、直ぐに先の固定カメラの後ろ姿の映像が続いており、どうしてこの序曲の映像では他を写さないのか、かねて不自然に思っていた。もう一つはザルツブルグ音楽祭と書かれてはいたが、このオペラの映像に関する限り、フルトヴェングラーの姿はこの序曲しか登場せず、このオペラ映像には指揮者や観衆の姿も拍手もなく、ライブと思われる部分は、序曲のみであることであった。

    これらの疑問点を解消するため、今回見違えるように鮮明になったHVリマスター盤を注意深く見ることにより、この映像に関して次の三つの仮説を考えてみた。

1、序曲の音楽と映像は、フルトヴェングラーが入場してから序曲の終わりまで、オーケストラピットで収録したものである。
2、オペラの音楽は、フルトヴェングラーの指揮で、音楽祭のライブとされているが、拍手がないので、ライブのものから拍手やカーテンコールなど余分なものを、一切削除したものと思われる。
3、オペラの映像は、演技が完璧でクローズアップが多いので、2の音楽祭のライブの映像で具合の悪い部分やカットした部分を、後日、追加撮影し、編集したものと思われる。

   この最後の仮説は、余りにも完璧に映像が収録されているので、追加してみたものであるが、当時としては異例と思われる高価なカラー映像なので、追加撮影は行わなかったかも知れない。

   序曲の映像は、拍手とともに入場し直ちに指揮を開始し、オーケストラピットの他の演奏者も写っているが、正面を向いた映像は僅かで、大部分が指揮している後ろ向きの映像であったのがいかにも不自然であった。しかし、この2月号でアップするイタリアのミラノ放送TV局の同時代(1960)の映像(11-2-3)における序曲では、これとほぼ同様の指揮者の後ろ向きの姿が固定カメラで長々と写されていたので、当時としては、通常は序曲はこのように撮られるのが普通であったと解釈し、この疑問に対しては了解した。

続いてオペラ上演中に拍手を一切カットしたことについて、リマスター版で不自然なところや、咳払いなどがライブの痕跡として残されてないかチェックしたり、また併せて口パクなどの追加した部分がないかを意地悪にあら探ししてみたが、音が悪いこともあって、確証は掴めず、ツインナー監督の巧みな編集技術には感服せざるを得なかった。恐らく、3の追加撮影と言う、手間と費用のかかることはなかったのであろうが、それにしては余りにも完璧な映像が残されているので、矢張り当時の出演者たちの腕前を素直に認めるべきなのであろう。

5、この映像の出演者たちについて、

    この映像の主役であるフルトヴェングラーは、1954年8月にザルツブルグ音楽祭で指揮をし、11月30日には南ドイツのバーデン・バーデンで病死している。従って、この映像は彼の人生の置き土産みたいな最後の映像となった。しかし、序曲の部分しか彼の姿を見ることが出来ないのは残念であった。この演奏は序曲の冒頭から実に堂々としたテンポで劇的に始まり、主部のアレグロ・モルトになっても悠々と進行しており、この姿勢は一貫して全編を貫くものであった。彼の悠々たるテンポでは、歌手たちは朗々と伸びやかに歌える反面、間延びして歌いずらい面も出てくるが、全体として歌手たちはこの指揮者に合わせて歌にも演技にも堂々とした姿を見せていた。





    主題役のチェーザレ・シェピ(1923~2010)は、残念ながら昨年7月に87歳で亡くなったが、最高の名ドン・ジョバンニとして知られており、この映像での彼の評価も一役買っているであろう。帽子の花飾りとマント姿がよく似合っており、冒頭の決闘のシーンといい、豪快なシャンペンのアリアや自由万歳のシーン、また、最後まで堂々と石像に対決するシーンなど、印象に残るものが多かった。シェピは最初に購入したこのオペラのLPのクリップス盤(1955)でも主題役をこなしており、私には馴染み深い歌手であった。

    ドンナ・アンナのグリュンマーとドンナ・エルヴィーラのデラ・カーザの二人は、当時の名ソプラノであり、見事な貴族の貴婦人役をこなし、シェピのドン・ジョバンニと堂々と渡り合っていた。グリュンマーの第10番と第23番のアリアは、印象に残る最盛期の熱演のように感じた。彼女はこのHPのフリッチャイの映像(1961)でもドンナ・アンナを歌っていたが、今回のフルトヴェングラーの映像の方が迫力があった。デラ・カーザは当代最高の美女といわれた名花であり、映像が少ないので貴重な記録であるが、この映像のウイーン追加曲第21b曲は、声が良く伸びて十分に存在感を見せていた。

         ツエルリーナ役のエルナ・ベルガー(1900〜1990)は、各歌劇場を渡り歩いた名ソプラノでありこの映像でも良くやっていたと評価が高いようであるが、私の目には魅力がなくこの役は限界であるように見えた。調べてみると当時54歳でシェピと約20歳、マゼットのワルター・ベリーとは約30歳の年齢差があり、評論家の宇野功芳さんが厳しいことを言っていたことを記憶しており、手元の資料では1955年に引退していた。
     レポレロ役の エーデルマンは、大柄であるが器用に役をこなしており、カタログの歌も堂々としていた。フルトヴェングラーの第九でバスを歌った歌手であり、フルトヴェングラーには信用されていた第一級の歌手であった。従者の役がよく似合った風貌をしており、オスミン、オックス男爵、ザックスなどが当たり役のようであった。 テノールのデルモータは、第21番の「私の愛しき人よ」を無難に歌っていたが、第10a番のウイーン追加曲がどうして歌われなかったのか、珍しい例であるとして後日に気がついた。「ごちゃ混ぜ版」の20組のうち、この公演だけが例外であった。


6、あとがき、

   思いがけず、フルトヴェングラーの「ドン・ジョバンニ」のHVリマスター版を収録し楽しんでいるうちに、予想以上に素晴らしい映像に甦っていることに気がついた。この映像については既に、内容的には(5-9-1)として紹介済みなのであるが、このオペラの最初の映像でもあり、最初のカラー映像でもあり、巨匠フルトヴェングラーの遺産であることから、改めてこの映像を見直しして、このオペラ「ドン・ジョバンニ」の基本に立ち戻り、この映像をもう一度考察することを考えた。そして現在進行中のこのオペラの全映像の紹介に役立てたいと考えてみた。

     このような見直しの中から、フルトヴェングラーの映像の特徴を探し出してみると、彼の悠然としたロマンテイックな指揮振りのオーケストラにのって歌手たちが朗々と歌ったものであり、一つの舞台構成で全場面を描き出す演出に特徴があり、プラーハ版にエルヴィーラのアリアを1曲加えた「ごちゃ混ぜ版」を使用していることにも珍しさがあった。

終わりに、この映像はビデオテープに始まり、レーザーデイスク、放送のデジタル化、今回のハイビジョン・リマスター化と、メデイアが変わるごとに画質が向上してきたが、このリマスター化が最後であろう。しかし、フルトヴェングラーのCDの一部が最近になってSACD化されて非常に評判になっているようなので、この映像のモノラル音声もCD同様にSACD化されたらどう変貌するか、今後に期待したいと思う。

(以上)(2011/02/14)


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