(嫌いなDVDの見直し;ボルトン指揮ヘアハイム演出のおかしな「後宮」K.384)
11-12-3、アイヴォー・ボルトン指揮、モーツァルテウム管弦楽団とステファン・ヘアハイム演出による「後宮」K.384、2006年、ザルツブルグ音楽祭、

− アップはしたものの、どれだけ演出者の意図を反映しているかは、残念ながら良く分からない。出演者たちも、音楽の方も、一生懸命やっていることは分かるが、それが私にはさっぱり伝わってこないのがもどかしい。これは矢張り、私の体質に合わない、私にとってはナンセンスな「後宮」であった。−

(嫌いなDVDの見直し;ボルトン指揮ヘアハイム演出のおかしい「後宮」K.384)
11-12-3、アイヴォー・ボルトン指揮、モーツァルテウム管弦楽団とステファン・ヘアハイム演出による「後宮」K.384、2006年、ザルツブルグ音楽祭、
(配役)コンスタンツエ;ローラ・アイキン、ブロンテ;ヴァレンティナ・ファルカシュ、ベルモンテ;チャールズ・カストロノーヴァ、ペドリオ;ディートマー・ケルシュバウム、オスミン;フランツ・ハヴラタほか、
(2007年12月15日、アマゾン通信販売にて入手、ユニテルM22DVD UCBD-1049/50 )

        12月号の第三曲目は、2006年のモーツァルトイヤーのザルツブルグ音楽祭におけるM22の「後宮」のDVDである。このDVDは、余りにもモダンな演出で意味が良く分からず、これまで手に負えないとしてアップを放棄してきたが、その後5年も経ち、モダンな演出にも慣れてきたので、「後宮」のアップも終わりに近づき、極端な演出例として、アップしようと決心したものである。リブレットを都合良く解釈する独りよがりな演出は嫌いであるが、毎年来日して演奏してくれるボールトン指揮モーツァルテウム管弦楽団の演奏を聴くために、あえてアップしたようなものとお考え頂きたい。




   このオペラ「後宮」の大袈裟な「変な演出」については、 2009年3月のフェライン例会で田辺秀樹先生にご講演頂いているが、このDVDに関しては、第三の例として、次のように述べられている。「この演出家ステファン・ヘアハイムは、「後宮」を「男女の結婚」と言う観点から捉えて、その文脈からアリアを歌わせるもので、トルコもなければ太守セリムもいない。オスミンは結婚の司祭になったり、天使になったり、悪魔になったりする。「後宮」のストーリーは無視され、その意味でまったくヘンな「後宮」であるが、「男と女」、「結婚」というテーマについての議論劇としては、一貫していると言えば言える。ここまで来ると聴衆の反感も半端ではないが、ザルツブルク音楽祭で03年から06年まで上演され、演出を応援するサポータもいないわけではなかったようである。」




          私自身もM22の一環として求めたこの映像を見ようとしたのであるが、「後宮」のストーリーから離れて、アリアだけを都合良く解釈して観客に押しつける演出はもはや「後宮」でないと思い、いつも2枚のDVDのうち最初の半ば位で見ることを断念してきた。しかし今回は作戦を変えて、付属していたメーキングから見始めたが、断片的なリハーサルの様子と演出家ヘアハイムと5人の主役たちが感想を述べていた。ヘアハイムは自分の構想を実現するために強烈な個性を持った方で、レハーサルでは自分で歌いながら皆の前で、踊るような仕草で動作や腕の動きなどを実地で指導していた。これは見せかけの演技でなく、情熱に溢れ心から楽しんでいるようにも見えた。出演者たちは若いので機会を与えられたことを喜びながらヘアハイムに心酔しきっており、新しいことの体現に意欲を燃やしていたが、異口同音に、やりたいと思うことやらせてくれるとか、折角覚えたセリフを途中で変えられることが多いとか、感想を述べていた。
       ここでは、出演者たちの熱意と意欲に敬意を表しながら、生かされている21曲のアリアを中心に音楽に耳を傾けながら、意図を十分理解できないままではあるが、舞台で描かれたことを要約してみたいと思う。




        ボールトンが入場して直ぐ序曲が始まって、音楽は軽快に進行していた。舞台越しの壁が大きなスクリーンになっており、CGによる画像が写されていたが、何度見ても何を示そうとしているか良く分からなかった。音楽がアンダンテになると暗いスクリーンの奥から何も身につけぬ裸の男女が舞台に出てきて品を作ってから、慌てて下着を着て黒のタキシード姿と白の花嫁衣装の姿に着替えていた。男女の関係にはセックスが重要とでも言うのだろうか。曲が再びアレグロになると、舞台には大勢のアイマスクをつけたタキシード姿と花嫁衣装姿がペアで乱舞していた。これらのCGの映像と、男女の関係と、ダンサーと合唱団を兼ねる人々が、舞台では重要であることなどを暗示しながら序曲は終わっていた。




          意味が分からぬうちに、第一曲の序奏が始まるとベルモンテがアイマスクをつけた花嫁さんに「コンスタンツエよ、愛する人よ、目的をかなえさせてくれ」と歌っていた。そして終わりには花嫁さんに指輪をはめていたが、「だが、どうやって男は女を手に入れる?」と自問自答していた。




    そこへオスミンが牧師姿で現れ、大勢を前にして「恋人を見つけたら、沢山キスをしてやり、友達になってやるのさ」と説教をしながら第二曲を「ラ、ラ、ラ」と歌っていたが、ベルモンテが質問するので、「ここは太守セリムの屋敷で、俺は太守に仕えている」と喧嘩ごしで答え、ベルモンテが「娘に合わせてくれ」と頼むと、「トットと失せろ」とどやしつけ、ベルモンテは舞台下に沈み込んでいた。一方、ペドリオ風の男が現れると、オスミンが見つけて「どこの馬の骨か分からんやつは大嫌いだ」といびり出し、周りの男たちにも乱暴して痛い目に遭わせていた。それが酷すぎたのでペドリオから「ストップ」をかけられていたが、オスミンは、最後には「首切り、縛り首、串刺しに火あぶりだ」と速いテンポで捨てゼリフを吐いて、舞台の下の地獄に沈み込んでいた。




     ペドリオがオスミンの悪口を言っていると、ベルモンテが現れて二人は再会を喜んでいたが、やがて「コンスタンツエ!。何と胸が高鳴ることか」と歌い出していた。彼のその胸の高鳴りを現すようなピッチカートの伴奏があり、舞台奥には赤いハートのバルーンがドキドキと動いていた。しかし、ベルモンテがコンスタンツエと呼びかけた相手がペドリオであったり、やがて現れたコンスタンツエから赤ん坊を手渡されたり、支離滅裂な男女関係の第四番のアリアであった。




     続いて幾つかの小太鼓による行進曲風の短い前奏があり、引き続いて太守を讃える合唱が速いテンポで歌われ、中間に四重唱では太守を迎えようと歌われて、再び合唱に戻っていた。しかし、全く前後の脈絡がなく意味が不明のまま、第6番のコンスタンツエのアリアが歌われていた。「私は恋をして幸せだった」と前半を歌い出して、後半では「喜びが消え別離が運命になって悲しい」と歌われていた。しかし、彼女のお相手がペドリオであったり、舞台の奥に飾られた白の結婚衣裳による巨大な人飾りが何を意味するか前後の脈略がさっぱり読めなかった。







           ベルモンテとペドリオが自分たちの女について言い争っていると、そこへ「俺は救いの天使だ」と言ってオスミンが天使の羽を背中につけて現れて、「女を得たいなら、パシャのように頭脳と下半身を切り離せ」と忠告していた。しかし、そんなに簡単に割り切れぬ二人とオスミンとは意見が合わず対立して、「立ち去れ」、「嫌だ,中に入る」とのケンカの三重唱に発展し、舞台は影絵や大勢の人たちが加わって大荒れとなって、大混乱のうちに終わっていた。




  場面が変わって女たちの部屋に羽根飾りのオスミンが一人。ブロンテが大勢の女たちを従えてオスミンをからかい「ここは私たちが主人であなたは奴隷よ」と言ってアリアを歌い出した。「若い娘を口説くには、優しさとお世辞が必要よ」とブロンテが明るく歌い出し、女たちが相づちを打っていた。これにオスミンが反発して、ここはトルコだと言ってブロンテに裸の写真の前掛けを着させて、「悪党のペドリオに構うな」と歌い出すと、ブロンテは「指図はゴメンだ」と反発し、ケンカの二重唱に発展していた。力ずくでもと攻めるオスミンは、機転と速い動きのブロンテには敵わず、最後には羽をむしられてしまい、降参の姿で地下に沈んでいた。




  続いてコンスタンツエが登場し、「私の心の変わりよう!」とブロンテに対し歌い出し、「私たちの運命が引き裂かれてしまった」と歌っていた。そして続けて「哀しみが私の運命になった」と歌っていたが、何が悲しいのかさっぱり分からないままに、アリアが終わっていた。ブロンテが大声で笑いながら、「悲しんでばかり、涙ばかりの過剰な女らしさを何とか出来ない?」と呆れていた。続いて音楽が激しい前奏に入ると、コンスタンツエはブロンテを抱きしめて暴力的にキッスをすると、ナイフを持った女の子が現れて彼女を責めていた。そして「ありとあらゆる責め苦があろうとも、私は動じない」とコンスタンツエが激しいアリアを歌い出した。中間部では「あなたに天の祝福がありますように」と歌っていたが、最後には、でも決意したのなら「命令すれば良い。いずれ死が私を自由にしてくれるから」と劇的なコロラチューラがついたアリアを歌い凄い拍手があったが、舞台で示された内容はさっぱり理解できなかった。




          場面が変わりペドリオがブロンテに「花嫁衣装を持ってきた」と言い、「結婚さえすれば、神様の力で全て上手くいく。着てみろよ」とうながすと、ブロンテは「私の心は喜びで一杯」と衣裳に手を通しながら歌い出したが、ブロンテの心は傷つけられていて、二人は最初の頃のように素直に喜んではいられない様子だった。音楽は次の曲の前奏が始まりだしたが、意気消沈したペドリオが「休憩」と叫んで、休憩となっていた。




     休憩の後、第二部はペドリオの第13番のアリア「いざ戦いだ!」から始まった。彼は集まっている若者たちとビールを呑みながら、「怖じ気ずくのは臆病者だ」と騒ぎ始め、「俺はやるぞと」と大声を上げていた。それは新しいモーツァルト・ハウスで古い「後宮」を新しいものにする戦いの宣言であるかのように受け取れた。 そこへオスミンが登場し「またお前か」とぼやき、ビールを飲んでいるのを見てもっと高級なものはないかと言い、バッカスのご褒美だと差し出されたワインを飲みながら、音楽に合わせ「バッカス、万歳!」と歌い出し二重唱になっていた。そして酔うほどに「娘たち、万歳!」に発展し、オスミンは潰れて大の字になってしまった。




           そこへ花嫁姿のブロンテが登場し呆れていると、アイネクライネの第二楽章の弦の伴奏とともにベルモンテが登場し、「喜びの涙が流れるとき」と彼女に呼びかけるように愛の歌を歌っていると、そこへコンスタンツエも花嫁姿で現れた。そしてテンポが変わって「二度と分かれることがないように」と歌っていた。




    そして倒れているオスミンを前にして四人が再会の喜びを歌い始め、四重唱で「希望の光が見えてきた」と明るく歌っていた。しかし、この四人の男女関係が次第に怪しく見え始め、互いに隠し事があるのでないかと疑っていたが、起き上がったオスミンをブロンテが平手打ちして関係を否定したので、皆の貞節は守られたと言うことになった。音楽が変わって疑いが晴れて男二人が許しを乞い、やがてブロンテの高い声がひときわ目立つ明るい愛の四重唱となって丸く収まり、四人は沢山のお祝い品に囲まれてながら、長い四重唱はやっとここに終結していた。







  沢山の結婚の贈り物を片付けようと箱を開けると、中からハシゴが出てきて大笑い。「後宮からの逃走」がこれから始まると冗談を言っていると、美しい木管のオブリガートが聞こえてきて、ベルモンテは「私は愛の強さを頼りにしている」と愛の歌を歌い出した。贈り物には、半分に分かれた地球儀やヴァイオリンや鹿の角などがあったが、愛の力があれば二つが一つになると、ベルモンテは長大でコロラチューラがついた難曲を朗々と歌っていた。本日一番の最高のアリアであった。




  部屋が新婚家庭のような雰囲気に変わって、ブロンテが「あなたに浚われてきたみたい」と喜んでいたら、男女の子供たちが出てきてお話を聞かせてくれとなった。ブロンテがギターを持ちペドリオが子供たちをソファーに座らせて「ムーア人の国に可愛い娘が虜になった」と歌い出した。そこへコンスタンツエとベルモンテが出てきて、二人は一足先にジュータンを広げそれに乗って空を飛んで何処かへ逃げ出していった。残されたペドリオとブロンテが「子供はどうした」と探しているうちに二人は仲良くなり、テレビの前でいちゃついていると、何とオスミンがテレビから姿を出し、悪魔の形相で勝ち誇ったように二人の前で「俺はこの時を待っていたのだ」と歌い出した。そして二人はオスミンに捉まりテレビのコードで体を縛られてしまっていた。




        場面が変わって、上手く逃げたはずのコンスタンツエとベルモンテが結婚のスタイルで登場するが、ベルモンテが「何という運命か」と歌い始め、オーケストラの絶妙な悲痛の響きと相まって真に迫り、続けて「僕のせいでコンスタンツエが死んでしまう」と歌い出した。コンスタンツエは「一緒に死ねるのは喜びです」と答えて、二人の優しい心をお互いに讃え合う劇的な二重唱に発展していたが、画面ではベルモンテがブロンテを相手に「天使のような人だ」と歌っており、言行不一致の素振りがあり、どこまで本気なのかが、良く分からなかった。







   四人が元のペアに戻ると、牧師姿のオスミンが出てきて、四人を見ながら「お前たちはわしの言いなりだったが、愛のために闘うことを学べ」と言い、「ここで結婚するんだ」と命令をしていた。ベルモンテは「真っ平だ」と反発し、コンスタンツエもオスミンに文句を言っていたが、オスミンは「不当な扱いに、善行で報いるのは、遙かに満足だ」とうそぶいていた。四人がばらばらになってお互いにケンカをしているのを見て、オスミンは「善行によってその人を得られぬのなら、その人と関わらぬことだ」と偉そうに言って、この劇は最後のヴォードヴィルに進んでいた。




   ベルモンテは「あなたの厚意は有り難く受け止め、永遠にあなたに感謝を捧げる」と歌いながら、コンスタンツエに結婚指輪をはめて「あなたを高貴な人と呼ぼう」と歌っていた。そして最後に「それほどの好意を忘れるものは軽蔑されるがいい」と結んで、それを全員が反復していた。一方、コンスタンツエは「私は愛の喜びの中でも、感謝が命じることを決して忘れない」と歌いながらベルモンテにアイマスクをして「私の心は愛に捧げられ、心は常に感謝に向かう」と歌っていた。そして自分でアイマスクをしながら、終わりに「それほどの好意を忘れるものは軽蔑されるがいい」と結んでいた。




    ペドリオは「もし忘れたら、絞首刑になる寸前だったのを!、大慌てで逃げ惑うような危険が迫っていたのを!」と歌い、最後に「それほどの好意を忘れるものは」と感謝していた。皆がオスミンに感謝をしようとしたいたら、ブロンテがオスミンに近づいて「パシャさん、喜んで言うわ。食事と寝床を有り難う。でもとても嬉しいわ。ここにサヨナラできて」と歌い、終わりにペドリオに向かって「こんな獣に我慢できるものかしら?」と歌っていた。そこでオスミンが大声で「恥知らずな犬たちを、焼き殺しておくべきだった」と怒りだし、「もう我慢が出来ぬ、舌が告げたがっている」とペドリオの手を取って力尽くで4人を並ばせ「首切りに、吊るし首、串刺しに、縛り首!」と大声で頭越しに命令をしていた。





ここでテンポが変わり、4人は「復讐ほど醜いものはない」と歌ってから、「人間として寛大に、利己心なく許せるのは、大きな心の人だけ!」と声を揃えて歌い、終わりに「それが分からない人は、軽蔑されるがいい」と結んで、全員の合唱となっていた。

  ここで太鼓とテインパニーが響きだしてトルコ音楽となり「パシャ・セリム、万歳!」の合唱が始まった。もっともらしい顔つきのオスミンを真ん中に、マスクをつけた大勢のペアーが舞台で騒いでおり「栄光をパシャの上に」と合唱しながら退場しており、最後にオスミン一人が残されていたが、音楽の終了とともに舞台中央で沈み込んでライトが消えて終わりとなっていた。

        アップはしたものの、どれだけ演出者の意図を反映しているかは、残念ながら良く分からない。出演者たちも、音楽の方も、一生懸命やっていることは分かるが、それが私にはさっぱり伝わってこないのがもどかしい。これは矢張り、私の体質に合わない、私にとってはナンセンスな「後宮」であった。しかし、何回もこの映像を見て、努力したことは、ご理解頂きたい。

         劇を見終わっても、頭の中は混乱するばかりであり、結局は細かく詮索しても答えは演出者の頭にあるだけで、見たものが好きな様に解釈してくれということになるのであろう。「後宮」のオペラは、釈放された二組の恋人たちの結婚が叶うことを夢見たのに対し、この新解釈劇は、人間は男と女の自由な愛が理想であるが、人間の愛は移り気ではかないものであり、誰もがあこがれる「結婚」というものは、人生の墓場のように空しいものであることを語っているように思われた。それを「後宮」の主役たちを使って、アリアの原型を出来るだけ借りながら新解釈の主旨に沿って劇化している訳であるが、想像力の乏しい私の頭では、演出者の意図に追従できず、お恥ずかしい限りであるが、理解できぬままに見たままの姿でアップするものである。

        終わりに、ボールトンの指揮振りは、当初聴いていたときはとても良いと感じていたが、細かく見ていくと、矢張りテンポなどが演出者に譲歩しているようであり、演出に影響されていた。一方、歌手陣ではオスミンのフランツ・ハヴラタしか知らなかったが、彼がこの新演出の主役であり、牧師になったり天使や悪魔になったりして、演技面でも歌手としても大変な活躍であった。コンスタンツエのローラ・アイキンはアメリカ生まれのヴェテラン歌手で、夜の女王やツアイーデをこなしていたようであるがこのHPでは初出で、しっかり歌っていたが、この演出では余り響いてこなかった。ブロンテ役のヴァレンテイナ・ファルカッシュはブカレスト出身で、2001年よりベルリン・コミッシュOPで活躍し、パミーナやブロンテを得意にしているようである。演技力もあり次のステップが期待されよう。

        ベルモンテのチャールズ・カストロノーヴォはアメリカ生まれで、2000年以降アメリカとヨーロッパを往復している若手歌手として活躍し、立派なモーツァルト・テノールのようである。歌は良いが演技は苦手とみた。反対にペドリオ役のデイトマー・ケルシュバウムはオーストリア出身で、この新演出では、通常のペドリオ役以上に歌に演技に活躍していた。
歌手陣は揃っていたので、本来の伝統的な演出で歌えば、恐らく印象が異なってくると思われた。

(以上)(2011/12/16)


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