(最新購入のBD;カンブルランとパリ・オペラ座の「ティート帝の慈悲」)
11-10-2、シルヴァン・カンブルラン指揮、ヘルマン夫妻演出、パリ・オペラ座による「テイト帝の慈悲」K.621、2005年5月&6月、ガルニエ宮におけるライブ、

−この映像のヘルマン夫妻の意図は、6人の登場人物たちの互いのぎらぎらする人間関係を、特に内面の人間性をえぐる複雑な関係を描こうとした人間的なドラマであり、これまでアップしてきた現代風の読み替えオペラの中では、最も鋭いタッチで6人の人間関係の姿を深くえぐり出した映像であるという印象を得た。しかし、クローズアップが多く歌手たちの表情が実に良く分かり、彼らの人間関係が言葉だけでなく顔の表情によって、喜びや悩みや苦しみなどが良く理解できるのであるが、大劇場でオペラの舞台を見ていただけでは、圧倒的な声による音楽は印象に残るであろうが、ライブと映像では印象が異なってくるのではないかと危惧される−

(最新購入のBD;カンブルランとパリ・オペラ座の「ティート帝の慈悲」)
11-10-2、シルヴァン・カンブルラン指揮、ヘルマン夫妻演出、パリ・オペラ座による「テイト帝の慈悲」K.622、2005年5月&6月、ガルニエ宮におけるライブ、
(配役)ティート;クリストフ・プレガルデイエン、セスト;スーザン・グレアム、アンニオ;ハンナ・エステル・ミヌティッロ、ヴィッテリア;キャスリーン・ネイグルスタード、セルヴィリア;エカテリーナ・シウリーナ、プブリオ;ロラン・ブラハト、ほか、
(2011年07月16日、銀座山野楽器店にて購入、OPUSARTE、OA-BD7068D)

   10月号の第二曲目は、最新発売のBDからカンブルラン指揮のパリ・オペラ座の「ティート帝の慈悲」を取り上げてみた。この曲はこのHPでは久しぶりの登場であり、このヘルマン夫妻の「ティート帝」の演出は、ベルギーのモネ劇場で初披露されたものとされる。しかし、その後もザルツブルグ音楽祭などで再演されていたが、以前モネ劇場の支配人であったジェラール・モルテイエがパリ・オペラ座の総裁に就任した際に、ガルニエ宮での再演を熱望し、本映像の収録に至ったとされる。この映像の魅力は、アメリカ生まれのメゾ・ソプラノのスーザン・グレアムのセストの熱唱が聴きものとされ、次いで主題役を演ずるテノールのクリストフ・プレガルデイエンの堅実な歌いぶりが見所のようである。また、カンブルラン指揮のパリ国立オペラ座管弦楽団の、特に木管のオブリガートの滑らかな音色と、弦の引き締まった響きにも注目する必要がありそうである。



 白い箱形のセットのヘルマン夫妻演出の抽象化された舞台の中で、ローマから現代まで変わることのない人間の愛憎関係を上手く描き出したと評価の高い演出であったが、抽象化されすぎた演出に加えて、日本語字幕でなかったため、見慣れるまで戸惑いを感じさせた映像であった。指揮者カンブルランのオーケストラ・ピット内の姿が写されて、祝祭オペラに相応しく、三和音風に三回続けて上昇するファンファーレが堂々と鳴り響いて序曲が始まったが、和音間のフェルマータが長すぎて面食らってしまった。しかしそれ以降は行進曲風な第一主題やオーボエやフルートが美しい第二主題が現れて、堂々とした序曲となっていた。



      幕が開くと広い大広間にヴィッテリアが着飾って一人、何やら怒りの表情でいらいらしているところへ彼女を愛するセストが花束を持って登場。彼女は皇帝が異国の王女と結婚しようとしていることに憤激して、復讐をしたいと考えて、セストに頼もうとしていた。長い二人のレチタティーヴォが続き、セストは懸命に彼女の短慮を諌め、考えを変えさせようとしたが、彼女の怒りは治まらず、部屋を飛び出してしまった。そこでセストが泣きながら「気の済むように命じて下さい」と歌い出すと、ヴィテッリアは「皇位を簒奪した男に死を」と二重唱が始まって、挙げ句の果てにナイフを手渡して迫り、皇帝の親友のセストを困惑させていた。



     そこへ親友のアンニオが現れれ「皇帝が君をお呼びだ」とセストに知らせると、ヴィテッリアが皇帝を罵るので、アンニオが「王女との結婚は諦めた」と話し出し、セストとヴィテッリアは驚く。そこでヴィテッリアはセストに「事を起こすのはまだよ」と告げ、セストに向けて「私を喜ばせたいのなら、疑いの心を捨てて頂戴。」とラルゲットで美しく歌い出し、後半は激しいアレグロのコロラチュアのアリアをアンニオとセストに向けて歌っていた。彼女はアンニオにも気があるような仕草を示してセストにみせつけて、悪女ぶりを見せていた。一方、アンニオはセストに「君は妹のセルヴィリアを僕の妻にと約束してくれた。あとは皇帝の同意を得るのみだ」と語り、二人は民謡風の三拍子の小二重唱を歌ってお互いの友情を確かめ合っていた。


     場面が変わって行進曲が始まって、ローマ皇帝の威厳を暗示する演出があってティートと親衛隊の長官プブリオが登場し、民衆が顔を覗かせ、皆が「正義の人ティート」と声を合わせて皇帝を讃えて歌い出すと、ティートが口を開き「ローマの人々よ、黄金を苦しむ民のために使おう」と善政を説くので一同は感動していた。再び行進曲の後に、彼はセストとアンニオだけを残して、他を下がらせた。セストが妃の選定について皇帝に尋ねると、彼はいきなり、「君の妹が私の妻になるのだ」と告げて二人を仰天させたが、彼らは皇帝に逆らうことは許されない。アンニオは逆らえずにセルヴィリアを誉めてしまうので、逆に、皇帝から本人に伝えるよう頼まれてしまった。そして皇帝は「これにまさる喜びはない」と彼のアリアを歌い出していた。



     アンニオが愛するセルヴィリアにお妃だと伝える苦しみと、彼女の驚きと苦悩に満ちた愛の二重唱は木管のオブリガートを伴って実に素晴らしい。行動力のあるセルヴィリアはティートのところに駆けつけて「私の心はアンニオのもの」と告白したので、ティートは意に従わぬのは罪だが、彼女の一途な正直な心を誉め讃え、「皆がこれほど忠誠に尽くすなら」とアリアで正直な彼女を許していた。
  一方、ヴィッテリアは、セルヴィリアが妃に選ばれたと知って嫉妬の余り腹を立てていたが、セルヴィリアに会って「今度はあなたの番よ」と彼女に言われて嘲笑されたと憤り、そこに現れたセストに、再び、私を好きならティートを殺して王座をと言いだした。セストは彼女の短慮を戒めるが、彼女はいきり立ち神殿に放火をと言って再びナイフを手渡してセストを意気地なしと侮辱したので、遂にセストは決意して、「命令通り私は行きます」とアダージョで歌いだした。クラリネットのオブリガートが美しく、後半のアレグロもドラマテイックに歌われたので大拍手を浴びながら立ち去っていた。



     そこへ考え込んでいるヴィッテリアの所にプブリオとアンニオが駆けつけ、「陛下がお呼びです。皇后さまです」と告げた。ヴィッテリアは驚いて「行きます」と答えたが、「セストは?」と大声を上げ、セストがいないかと半狂乱になって「もう手遅れか」と歌う混乱したヴィッテリアのソロと、彼女の気持ちを測りかねて驚く男たちの二重唱が、奇妙な対象を示す面白い三重唱のアンサンブルとなっていた。
      時既に遅く、迷い苦しみながら放火をし、遂に人を刺してしまった後悔の念に燃えるセストの激しいレチタテイーボ・アッコンパニアートが凄い迫力で迫ってからフィナーレとなっていた。



     宮殿に火の煙が上がり、駆けつけたアンニオもセルヴィリアも、そして周りの人々も恐怖に駆られる。合唱の声がこだまし、人々が逃げ惑い、プブリオは犯人を追っていた。そこへセストが現れ「気高い人が胸を刺された」と呆然としていたが、ヴィッテリアはセストを見つけて「絶対しゃべらないで」と念を押し、他の三人も群衆も、「裏切りだ!」と大声で騒ぎながら最後の大合唱となっていた。皇帝が襲われたと知らされて、この映像では混乱が続く中で悲しみに包まれながら静かに第一幕が終了したが、画面はそのまま継続して第二幕に入っていた。



    すっかり静かになった宮殿の部屋で、アンニオは逃亡しようと隠れていたセストを発見し、「皇帝は無傷でお元気だ」と知らせるが、恐ろしさと後悔で動転していたセストは信じない。そこでアンニオはセストに繰り返し皇帝に会ってきたと説明し、アリアで「ティートの元に戻れ、悔いを示せ。」とセストを諭していた。セストはアンニオには正直に「私が煽動者だ」と告白していたが、「逃げるべきか止まるべきか」と迷うものの、遂には逃げようとしてヴィッテリアに出合い、「逃げて」と言う彼女に別れを告げていた。そこへプブリオが現れ、二人を見つけてセストを逮捕しようとしたが、セストはヴィッテリアに「君の憐れみが欲しいんだ」と一人で歌い出し、続いてヴィッテリアの後悔と不安な気持ちを歌う二人の二重唱となっていたが、これに彼を逮捕しようと急き立てるプブリオも加わって、二人とプブリオとの三人三様の複雑な気持ちを歌う三重唱となっていた。遂にセストはプブリオに逮捕され連行されてしまったが、この三重唱を開始するセストの歌には、オーボエのオブリガートがついており悲壮感を高めていた。



    場面が変わり王宮の広場で民衆の合唱が始まり「ティートは助かった。王宮は救われた。」と神に感謝していたが、中間部にこれを受けたテイトのソロがあり「わが運命は、ローマにより守られ不運ではない」と歌い、再び、合唱が繰り返されていた。プブリオはティートにセストの犯行を提訴するが、ティートは信じない。プブリオがそれを戒めて「民衆はアレーナ(処刑)を待っている」と進言をし、アリアで「誠実な心の人は裏切りに気がつかない」と歌っていた。そこへアンニオが登場し「セストは死に値するが、彼にどうかお慈悲を!」とアリアでティートに縋っていた。しかし、セストを信じてアンニオの話にも耳を貸さぬティートは、皇帝として尋問会議の判決文に署名する前にセストの友情を信じて「彼なら私に告白する」と考えて、彼に合おうと決断した。



    プブリオがセストを連れてくると、苦しみ抜いたセストは「これがあのティートの顔だろうか」と歌い、苦悩に溢れるティートは「これがあのセストの姿だろうか」と呟き、プブリオは務め上「ティートはまだ彼を愛している。ティートに早く署名させよう」と呟いて、それぞれが万感を込めて苦悩を歌う有名な三重唱となった。何も語らぬセストに対し、ティートはプブリオを下がらせ二人きりになって「お前は私の死を本当に願うのか」と質すが、セストは恐ろしくて打ち明ける勇気もなく、許しを請うだけでヴィッテリアの企みを口にせず、死を覚悟してあの「別れの歌として名高いロンド」をアダージョで歌い出し、ホルンの悲しげな伴奏で「絶望して死にます」とアレグロで歌って沈黙を守っていた。その必死の覚悟と歌には、大変な拍手を受けていた。

 

     友情と法の裁きの板挟みになった皇帝は、理由を告げぬセストに対し「アレーナへ」と厳しいアリアを歌って厳罰を科した書類に一旦はサインをするものの、しかし最後にはそれに火をつけて焼いてしまっていた。
  場面が変わってヴィッテリアが現れ、プブリオに対し皇帝の判断を求めたが、二人だけになって私は聞いていないと答えたので、「二人だけならセストは白状した」と判断していたが、アレーナへとの兄の判決を知ったセルヴィリアがアンニオとともに現れて、「新しい皇妃である貴女から、セストの助命をお願いして欲しい」と絶望的な表情でアリアを歌いながら、必死で王冠を付けたヴィッテリアに助けを求めた。




      ここで張本人のヴィッテリアは、セストが自分のために口を閉ざして死を迎えようとしている誠実さを知り、深く良心の呵責を覚えた。そして一人になると、「自分を愛するセストを見捨てて、自分だけが皇妃の座につけるものか」とレチタティーヴォ・アッコンパニアートで自問自答しながら深く反省し、全てを諦めてティートに告白しようと決断した。そしてあの有名なロンドを歌い出し、始めに「全ては幻に終わった」とラルゲットでゆっくり歌い出し、クラリネットの低い音が響き始めるとアレグロになって激しく絶望的な気持ちを歌い、王冠を外し身につけた宝石や飾りなどを全て外しながら覚悟の歌を披露して、大変な拍手を浴びていた。




    場面が変わってアレーナに民衆が集まっており、湧き上がる大合唱の中で、罪人として目隠しされたセストが引き出され、皇帝ティートが入場して、「偉大な皇帝ティート」と歌われていた。そこへアンニオとセルヴィリアがティートに抱きついて赦しを求めるが、「もう遅い」と相手にしない。そしてティートが罪状を読み上げ、セストに「心得ているな」と語りかけた時、突然に、ヴィッテリアがティートの足下に駆け寄り、「私こそ罪あるもの」と告白した。




  ティートは驚きそして困惑したあげくに、理由を質し「私は何度裏切られたのか」と問うと、ヴィッテリアは「私がセストを唆した張本人です」と言い、その理由は「陛下の善良さに復讐したのです」と告げられた。ティートは、愕然としてレチタティーヴォ・アッコンパニアートで自問自答した挙げ句、改めて反省し驚きつつも、他人の裏切りにあっても自分の仁慈は常に変わらないことを語って、皆を許すことに決断し「セストは自由の身に」と発表した。この一言に一同は驚き、まさにこのオペラ最大の迫真劇であった。





          フィナーレになって、皇帝の徳行を讃える合唱が始まり、セストもヴィッテリアも、思わぬ結果にティートの寛大な心に深く感謝し「死ぬまで忠誠を誓います」とティートを讃え、セルヴィリアとアンニオの二人の深い感謝の二重唱が清らかに響き、プブリオも加わって感謝と感激の六重唱が続き、「神々よ、ローマと陛下の聖なる日々を」という民衆の大合唱の中で、ティートもローマの平和を願って幕となっていた。

     この映像を見終わって、ヘルマン夫妻の意図は、6人の登場人物たちの互いのぎらぎらする人間関係、就中、セストとヴィッテリアとティートとの三人のそれぞれが持つ、実に内面の人間性をえぐる複雑な関係を描こうとした人間的なドラマであることが良く分かる。舞台で演じられる6人の主人公たちの迫力あるセリフと歌と演技が、最初から最後まで続き、ローマの神殿に火がつく様子以外は全て小道具だけで片付けて、クローズアップにより内面の苦悩の表情を描かせた迫真の舞台が続けられていたように思う。私はこれまで、ローマの背景を重視した伝統的なレヴァイン・ポネル(1980)、エストマン・ドロットニング(1987)、およびデーヴィス・グラインドボーン(1991)の三つの映像(いずれも未アップである)でこのオペラを知り、最近になって現代風の衣裳で人間関係を重視して現代的な読み替えオペラとしたアーノンクール・クシェイ(2003)(7-11-3)およびメスト・ミラー(2005)(6-7-1)の二つの映像を見てアップロードしてきたが、今回のカンブルラン・ヘルマン夫妻(2005)の映像が、最も鋭いタッチで6人の人間関係の姿を深くえぐり出した舞台であるという印象を得た。

  しかし、映像でこのオペラを見ると、クローズアップが多く歌手たちの表情が実に良く分かり、彼らの人間関係が言葉だけでなく顔の表情によって、喜びや悩みや苦しみなどが良く理解できるのであるが、大劇場でオペラの舞台を見ていただけでは、圧倒的な声による音楽は印象に残るであろうが、歌手たちのこの迫力ある表情が伝わってこないと考えられ、ライブと映像では印象が異なってくるのではないかと危惧される。

     私自身はローマの遺跡を背景にしたレヴァインとポネルの映像が、最初の舞台として頭に刷り込まれており、エストマンもデーヴィスの映像もその延長線上の伝統的なものと考えてきたが、今回のカンブルランの映像が、現代風の読み替え劇の三度目になり、いささかその鋭いタッチに圧倒されたので、これがこのオペラ「ティート帝の慈悲」の本来の姿かなと、改めて今、思い直している。しかし、モーツァルトは、このオペラの創作のためにわずか1ヶ月足らずの余裕しかなく、実際にはわずか18日間で書き上げてしまったことを考えると、現代の演出家たちがモーツァルトの名を借りて、好きなことを勝手にやっているという考え方も成り立つであろうと、自分なりにこのオペラを考えてみた。

     今回のキャストでは、セルヴィリアのシウリーナを除くと、このHPでは初めての歌手ばかりであったが、やはり主役のセストで歌でも演技でもまたクローズアップの豊かな表情でもスーザン・グラハムが一際抜け出ていた。彼女はNYメットで活躍しているが、斉藤・記念でも歌っていたので、映像が残されているかもしれない。そのお相手の悪女役のヴィッテリアのネイグルスタードも実に表情豊かで、気位の高い王女役をこなしていたが、第23番の有名なロンドでは迫真の歌と演技を見せていた。ティート役のプレガルデイエンは、歌で目立つよりも演技派のような印象であったが、プブリオのバラハトとともに、人間味の溢れる無難なローマ皇帝役を演じていた。しかし、この演出では権力者ローマ皇帝の衣裳としては寂しい限りで、他の映像に比べると十分に描ききれていないようで気の毒なような気がした。以上の主役三人が息の合ったところを見せて、この人間関係中心のこの映像を引き立てていたと思う。セルヴィリアのシウリーナは、ツエルリーナ、イリアなどのリリコ・レッジェーロ役でこのHPにも定着してきたようであるが、この映像ではヴィッテリアに迫る強い女性を描ききっており、新しく見るたびに歌に演技に幅が広くなってきたように思われる。

  終わりにカンブルランが、独特の癖が抜けないものの、モーツアルトのオペラ指揮者としてフィガロ、女庭師などと次第にレパートリーを広げてきており、その堅実な指揮ぶり、音楽作りを評価したいと思う。彼はピリオド奏法にも通じており、新しい演出のものに向いているようであり、パリ・オペラ座の中心として定着したものと思われる。

(以上)(2011/10/14)

       
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