(最新収録のBD;ベザイデインオートのフォルテピアノ・リサイタル)
11-10-1、クリステイアン・ベザイデインオートのフォルテピアノ・リサイタル、ピアノソナタヘ長調K.533&494、幻想曲ハ短調K.475、およびグルックの主題による10の変奏曲ト長調K.455、2011年2月24日、王子ホール、

−今後楽しみなピアニストが登場した。このコンサート全体を通じて、ベザイデンホートは大柄な割には、細心のきめ細かさで丁寧に弾くピアニストであり、緩急、強弱自在な弾き方で、パッセージが美しいばかりでなく、フォルテピアノに重要な透明感の溢れる響きを持っていた。今回の曲目は、難解な曲ばかりを選んだ難しいコンサートのように思ったが、ベザイデンホートはそのようなことを全く感じさせずに、楽しみながら弾いているように思われた。−

(最新収録のBD;ベザイデインオートのフォルテピアノ・リサイタル)
11-10-1、クリステイアン・ベザイデインオートのフォルテピアノ・リサイタル、ピアノソナタヘ長調K.533&494、幻想曲ハ短調K.475、およびグルックの主題による10の変奏曲ト長調K.455、2011年2月24日、王子ホール、
(2011年3月23日、BS102クラシック倶楽部の放送をBD-038-8に収録)

     10月号の第一曲には2011年3月23日にNHKクラシック倶楽部で収録した、新人の若いクリスチャン・ベザイデンホート(Cristian Bezuidenhout)によるフォルテピアノ・コンサートを選定した。最初の来日公演のせいか、ほぼ同じ時期に、ほぼ同じ曲目で彼のCDも発売され、ビルソンの愛弟子であり、ムローヴァの伴奏を務めるという彼の経歴から、話題性がありそうな人だったので、早くアップしたいという考えを持っていた。しかし、ピアノ協奏曲のシリーズが1月号から長く続いて、10月号になってやっとアップ作業が実現した。彼は1979年南アフリカ生まれであり、オーストラリアで音楽の勉強を始めてアメリカのイーストマン音楽学校を最優秀の成績で卒業後、アメリカとヨーロッパで古楽団体の通奏低音奏者として活動して経験を積み、2001年のベルギーのブリュージュにおけるフォルテピアノ国際コンクールで第一位になって、広く活躍するようになった。現在は18世紀の音楽を中心に活動しながら、母校で客員教授として後進の指導に当たっているという。
     このコンサートの第一曲目は、新全集で新たに第15番と位置づけされたヘ長調K.533&K.494であり、K.494は1786年6月10日に改作してソナタとして出版した日付が記されていた。ベザイデンホートは、この曲をアレグロ・アンダンテ・ロンドの三つの楽章を持つソナタとして続けて弾いていたが、第一・第二楽章では、ソナタ形式の前半は繰り返して弾いていたが、展開部以降の後半の繰り返しは省略していた。

              第一楽章は右手だけの旋律で静かに始まる珍しい第一主題で始まり、ベザイデンホートはゆっくりと右手で弾き始め、少しだけ左手に渡してから、両手でおもむろに弾き始めた。さり気なく動く鍵盤の上の八分音符の動きとオクターブの跳躍が印象的な主題であった。この人は大柄な割には体を曲げるようにして実に丁寧に繊細な音を出し、鍵盤をはみ出しそうな大きい指でキーをなぞるように弾くピアニストであった。続く第二主題は、流れるような三連音符を滑らかに流し、後半の左手だけの上昇音では、スタッカートの音形を明確に刻むよう弾いていた。繰り返しは丁寧に行っていたが、途端に自由な装飾音が増えだしていた。
       短調の展開部では、第一主題の前半と第二主題の前半が登場して、円熟した手法で練られた展開部であったが、ベザイデンホートは入念に力強く音符を刻んでいた。再現部では、第一主題が現れて直ぐに経過部に移行してから第二主題が現れるが、ベザイデンホートは装飾音を加えながら軽快に進め、右手で現れたスタッカート音型をクリアーに弾き進み、この楽章を結んでいた。最後の反復は、省略していた。単純な曲のように聞こえながら対位法的な難しさを感じさせる曲であり、この曲をコンサートの最初の曲に選んだベザイデンホートは、並の人ではないと思わせた。


       第二楽章は、ベザイデンホートは冒頭の動機が非常に遅く、丁寧に第一主題を、一音一音、弾きだし、続く上昇する和音が重なるように展開されて重みのある主題であった。やがて続く第二主題は、冒頭の動機は同じだが、右手の下降する分散和音に特徴があり、強弱を明確にしながらベザイデンホートは実に丁寧にゆっくりと弾いていた。繰り返しが行われていたが、途端に装飾音符が増えて、賑やかに自由な演奏がなされていた。
       展開部では第二主題が中心であるが、和音の強打と下降する分散和音が重なって、異様な高まりを見せ、余り聴かれない独創的な雰囲気で演奏されていた。やがて再現部に入って第一主題から再現されていくが、第二主題では右手と左手が逆の役割を果たしており、別の曲のような変化を見せていた。私はこの楽章が昔から大好きであり、フォルテピアノではどう弾かれるか関心があったが、ベザイデンホートの弾きぶりは意欲に満ち、激しく感情を高めながら、この曲の深遠さを引き出すような弾き方をしており、透明感の溢れる印象に残るものであったが、矢張りフォルテピアノよりもモダンピアノの響きの方が、自分には好ましく思われた。



       フィナーレは当初は軽やかで親しみやすい独立した「小ロンド」K.494として自筆目録に記載済みであったが、ソナタのフィナーレとするためにアレグレットとされ、後半にカデンツア風のパッセージや、対位法的な処理などおよそ30小節が書き加えられた。その結果、多楽章ソナタの終楽章を締めくくるに相応しい大きさと重さが加わったとされる。全体はABA'CADA"B'KadA"のロンド形式であり、聴き馴染んでいるロンド主題がいきなり飛び出して始まる。やがて副主題が提示されてから変形されたロンド主題に戻るが、それから短調の第一のエピソードが力強く現れ、最初の変化を見せる。再びロンド主題の後、短調の第二のエピソードが登場するが、これは繰り返し部分を含む三部形式の堂々たるもので、最後にはカデンツア風のパッセージが登場してから、軽やかに結ばれていた。何とも軽妙な不思議な味わいを持つ曲であるが、出てくるたびに軽く変奏されるロンド主題を、ベザイデンホートは軽快に音を楽しむように弾き流し、装飾を付けながら、フォルテピアノらしい軽妙さを見せていた。



      第二曲目の幻想曲ハ短調K.475は、通常はハ短調ソナタK.457の前に置かれ、続けて演奏されることが多いが、ベザイデンホートはこの曲を独立曲として、単独で弾いていた。そのせいか全体としてゆっくりとしたテンポで、各部で思い入れが多い変化を見せ、幻想曲として標題通りの幻想的な味わいの曲のように感じさせた。
      最初のアダージョで、ベザイデンホートは、最初の一音が思い切って長く ユニゾンでゆっくりと開始し繰り返しながら、非常に重苦しい主題がじっくりと進んでいくが、主題が左手に移ってから暗い表情が和らいでいく。やがてアルベルテイ伴奏に乗って、途中からハッとするような美しい静かな主題が現れホットするが、長く続かずにその主題でアダージョの部分が締めくくられていた。この曲の和音やパッセージの強弱の微妙な変化などは、フォルテピアノでなければ表し得ない響きであろうと感じさせた。

      続いて曲はアレグロで力強い付点和音の強烈な響きとともに激しい速いパッセージが続いていくが、途中からアルベルテイ伴奏にのって、歌うような動機が入ってから、カデンツアのような技巧的なパッセージで終結した。そして曲はそのまま四分の三拍子のアンダンテイーノに移って暫く穏やかな部分となり繰り返されていたが、最後に、ピウ・アレグロの部分に入り、冒頭音型が6回も繰り返された。続いてベザイデンホートの両手が鍵盤上を駆けめぐり、嵐のような激しさで頂点に達してから次第に穏やかになり、いつの間にか初めのアダージョが始まっており穏やかな曲調になっていた。終わってみればこの幻想曲は大きく5つの部分に分かれ、緩急緩急緩と目まぐるしく幻想風な変化が著しい、激しいピアノ独奏曲であった。次のソナタ演奏に関係なく、ベザイデンホートのように単独で演奏された方が自由奔放に弾くことができ、幻想的な味わいが濃くなり、深い感動を与えることができるものと思われる。




      第三曲は、グルックのオペラ「メッカの巡礼」のアリエッタ「われら愚かな民の思うは」による10の変奏曲ト長調K.455である。モーツアルトの演奏会を訪問してくれたグルックに敬意を表し即興された作品といわれ、二つの自筆の譜面(一つは未完)が残されているというが、これは即興と譜面の完成という機会を意味している。
      主題はオクターブで弾かれる重厚なグルックらしい重々しい旋律からなるアリエッタで、ベザイデンホートはアレグレットの主題を丁寧に力強く弾いていた。第一変奏は右手が16分音符で弾かれる速いテンポの変奏であり、最後の繰り返しは省略していた。第二変奏はこれと反対に左手が16分音符で弾かれる力強い変奏であり、ベザイデンホートは、まさに軽快に弾き飛ばしていた。第三変奏は右手が三連符で軽快に弾かれ、要所のトリルに特徴がある変奏だった。第四変奏は左手がオクターブで力強く弾かれ、右手は自由な16分音符で弾かれる軽快な変奏で、後半は16小節の枠を超える長い変奏となっていた。第五変奏はただ一つの短調のゆっくりとした変奏で、左手の和音に対し右手は自由に明るく弾かれ、後半は左右を逆にしてからまた元に戻る繊細な曲。ベザイデンホートはここで趣を変え、実に楽譜に忠実に、繰り返し部分も含めて、細かく丁寧に弾いていた。
      第六変奏は、右手のトリルで始まり、それが左手に移ってからまた右手のトリルに戻り、最後には左手に現れるトリルの変奏であった。第七変奏は主題をもじっただけの実に分かりやすい気ままな軽い変奏であり、楽しい変奏になっていた。第八変奏は左手で重々しいオクターブの和音を弾きながら右手の右に左手を交差させてメロデイラインを弾く忙しい変奏であり、後半は右手の早いパッセージが連続してから、最後にカデンツア風にパッセージを重ねて静かに結んでいた。第九変奏は左手のオクターブに対し右手が自由な楽想で展開されるゆっくりした長大なアダージョの変奏であり、右手に現れる自由度は、ロマン派を思わせる変化に満ちていた。第十変奏は速いテンポのフィナーレで、アレグロで軽快な変奏が開始され、長いカデンツアの後にトリルで結ばれてから、主題が回想されて明るく軽快に結ばれていた。
      第五変奏あたりからとても充実した曲想になっており、16小節の枠を飛び越すと実に自由な変奏が展開され、瞬間的には不協和音も飛び交い、この自由度の大きさは、ベートーヴェンの変奏を先取りしたような場面すらあった。ベザイデンホートは、譜面に忠実に丁寧に弾いており、正面からじっくりと取り組んだ重厚な演奏ぶりであった。

     コンサート全体を通じて、ベザイデンホートは大柄な割には、細心のきめ細かさで丁寧に弾くピアニストであり、緩急、強弱自在な弾き方で、パッセージが美しいばかりでなく、フォルテピアノに重要な透明感の溢れる響きを持っていた。今回の曲目は、難解な曲ばかりを選んだ難しいコンサートのように思ったが、ベザイデンホートはそのようなことを全く感じさせずに、楽しみながら弾いているように思われた。


10月3日(月)の朝日新聞の19面の文化欄に、「初めてのモーツァルト」という1面全体を使った紹介特集記事が掲載され、思わず引き込まれた。私はこの10月号で、最近モーツァルトの演奏会や録音が少なくなったと嘆いたのであるが、ここでは「途方もなく優しい音の職人」と題されて、「芝居や狂言など、モーツァルトを変化球で楽しむ公演が今年は相次ぐ。不遇の人生、奇抜なキャラクター、神々しい音楽。さまざまな顔を持つ天才の神髄は、一体どこにあるのか」という言葉でこの特集は始まっていた。



      この特集は、今、ちまたで相次ぐモーツァルトの演奏会や舞台などを紹介する「聴く」、「訪ねる」、「見る」べき場所の紹介なのであるが、何と「聴く」欄には、ここで聴いたクリステイアン・ベザイデンホウトを紹介していた。「彼はモーツァルトの時代のフォルテピアノで、自然な躍動感を引き出す俊英」とされ、彼の2作目のCDが、今月に入ってからキングインターナショナルからリリースされるという。思わぬところでこのフォルテピアノのベザイデンホートの名前を見つけてビックリさせられた。「矢張り知る人ぞ知る」と言うことなのだろうか。ベザイデンホートのソロコンサートをアップロードしながら、この人がこれからどう言う風に歩んでいくか、バッハはチェンバロで弾くか、或いはフォルテピアノで弾くかなど、モーツアルトを飛び越えた先に何を弾くか注目していたいと思った。

なお、この特集の作者は、吉田純子さんであり、Yahoo!で検索して見ると私には縁遠い分野の著作家のようであった。また、参考までに「訪ねる」欄に紹介されていたのは、ザルツブルグと友好都市の川崎市が主催する「モーツァルト・マチネ」が11月23日(祝)に東京交響楽団の演奏で開催されるという情報であった。「見る」欄では松本幸四郎が7年ぶりにサリエリを演じる舞台「AMADEUS」が11月5日から東京のルテアトル劇場など全国で上演とあった。これは他の新聞広告で了解済みであった。

(以上)(2011/10/04)


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