2012年フェラインの仲間と行くロベレート・モーツァルト音楽祭2−ヴェネツイア編−
−ヴェローナ、パドヴァに続いてヴェネツイアのいろいろ−モーツアルトの足跡、街巡り、ムラーノ島とプラーノ島、フェニーチェ劇場の「リゴレット」など−写真集2−

−2回目のヴェローナと初めてのパノヴァに少し寄り道をして、ヴェネツイアではモーツアルトの足跡に続いて、ムラーノ島の手作りのガラス細工、プラーノ島での手作りのレース編みを見学し、初めてのフェニーチェ劇場でオペラ「リゴレット」を見て、今回のイタリア音楽旅行の総仕上げをしました−

2012年フェラインの仲間と行くロベレート・モーツァルト音楽祭2−ヴェネツイア編−

−ヴェローナ、パドヴァに続いてヴェネツイアのいろいろ−モーツアルトの足跡、街巡り、ムラーノ島とプラーノ島、フェニーチェ劇場の「リゴレット」など−写真集2−

  倉島 収(千葉県柏市K.449)

1、はじめに、 


    イタリア・モーツァルト協会主催のロベレート音楽祭へのツアーの後半は、ロベレートからパドヴァを経由して、仕上げはヴェネツイアで新装なったフェニーチェ劇場でオペラを見ようという計画であった。ここでは、初めに少年モーツアルトにご縁の深い街として、2回目のヴェローナ、初めてのパドヴァの印象を写真でご報告してから、2回目のヴェネツイアでのいろいろについてご報告したい。

     ヴェネツイアでは、モーツアルトの足跡を尋ねるサン・マルコ広場周辺の街巡り、ムラーノ島の手作りのガラス細工見学、プラーノ島でのこれは初めての手作りのレース編みを見学し、初めてのフェニーチェ劇場でオペラ「リゴレット」を見た。今回はそのために、ホテル・ラ・フェニーチェを選んだので、何かと便利であり、オペラ終演後の全員の会食なども楽しく、イタリア音楽旅行の総仕上げをした。

2、2回目のヴェローナ−モーツアルトの足跡ほか 

二回目のヴェローナ訪問は、ロヴェレート周辺のバスによる半日ツアーとして、ガルダ湖の景勝地「シルミオーネ」とヴェローナを駆け足で一回りしたが、ヴェローナではモーツァルトの足跡を示す証拠となるプレートの写真を撮ったり、アリーナの周りをうろついたりした。ヴェローナは二度目であるので、前回の旅の写真集があり見て頂きたい。今回は初めにモーツァルトが弾いたとされるオルガンが現存するサン・トンマーソ教会を訪れているが、前回以上に素晴らしいオルガンの写真が撮れているので、教会の姿とともに再度掲載することにした。
     それからヴェローナ市の全貌を展望するため、テアトロ・ロマーノ(ローマ劇場)の遺跡の脇道の丘陵の坂道を昇って、市街地を見下ろしながら10分ほど走ると、展望台や奇跡を起こすとして知られる素晴らしいマリア像を見ることが出来る。遠景のヴェローナの街は、右から左にかけてU字型に曲がりくねったアデイジェ川が見え、左遠方の高い塔の付近がアリーナのある賑やかな市街地となっている。   




      モーツァルトが泊まったであろうとされるホテルは、現在は、五つ星の高級ホテルで、その入口の写真を撮ってきた。また、前回撮ったプレートの写真が判読できなかったので、今回の写真で、何とか判読できるであろうと思われるので掲示する。





       土曜日だったせいか、ヴェローナのアリーナ周辺は相変わらずの人だかりであり、ジュリエットの家や像のある庭には、近寄るのが困難なほどであった。しかし、頃合いを見て人だかりが少なくなった一瞬を見計らって、念願のジュリエットの右の光ったオッパイにタッチすることが出来、ここまではるばる来た甲斐があったと感激した。ジュリエットが顔を出した二階の部屋にも、人々が押しかけているようであり、この界隈はヴェローナの最も混雑する場所のようであった。






    モーツァルトがコンサートで喝采を浴びたアッカデミア(楽友協会)の建物の周辺も賑やかであった。広い建物の玄関的なところと、入り口に沢山のプレートがあったので写真を撮ってきたが、今でもアレーナやアカデミアの事務局がある音楽文化センターとして重要な建物のようであった。残念ながら、中には入ることが出来ず、催し物の幟を写真に収めてきたが、左側にはアリーナの2012年のオペラの演目が並んでおり、上から「ドン・ジョヴァンニ」、「アイーダ」、「カルメン」、「ロメオとジュリエット」、「トーランドット」、「トスカ」の6オペラであり、いずれも野外劇場向きな、大型舞台が似合いそうな演目であった。
      最後にヴェローナと言えば、「ヴェローナのモーツアルト」というチェンバロの前に座った少年モーツァルトの絵が有名であるが、その絵を描いた建物が取り壊され、現在は郵便局になっていると言う話であり、それらしき建物写真を撮ってきた。前回は取り損ねているので、今回は間違えないと思われるが、恐らく、イタリアの人に聞いてもモーツァルト好きな人にお目にかからない限り分からないであろう。


     以上がヴェローナの街の3時間足らずの駆け足・旅行記である。恐らく、前回もマントヴァに行く途中で立ち寄っているので、両方合わせてやっと一日の記録に過ぎないが、両方合わせると、何とかご理解願えるであろうか。ジュリエッタのおっぱいに触れたことは、慎み深い小生にとっては、前例のない快挙であると思われる。

3、初めてのパドヴァを訪れて−2回目のヴェローナ−モーツアルトの足跡ほか 

    モーツァルト父子は、ヴェネツイア訪問の途中で、1771年3月に1日だけ滞在し、聖ジュステーナ教会で演奏し、聖アントニア大聖堂の音楽ホールで演奏しているとされる。われわれは市内についてバスを降りて、最初に聖ジュステーナ教会に向かい、内部に入ったが、ここパドヴァでは、建物内部の写真撮影は一切禁止であると言われた。さあ、大変。ノーフラッシュでも写真は一切禁止のようである。ヴェネツイアの大学町でありローマに次いで古いとされる文教都市とお高くとまって、頑迷にも、古くからの掟を守っているようだ。モーツァルトが弾いたとされるオルガンは左右に2台あり、どちらを弾いたかは定かではない。ここに掲載したオルガンの写真は、木之下晃/堀内修の著作「モーツァルトへの旅」(新潮社1991)の写真をスキャナーで読んだものである。
     続いてモーツアルトが、演奏した聖アントニオ大聖堂へ向かったが、この町は城壁内は、車禁止であり歩かなくてはならない。遙かに遠くに見えた大聖堂が近づいた時は安心したが、もの凄く大きな教会なので、中に入っても広くて歩くのが大変であった。聖アントニウスの巡礼地であったとされ、数々の奇跡を行ったことで知られており、1231年に亡くなられてここの礼拝堂にお墓がある。8つのドームと鐘楼からなり、ロマネスク、ゴシック、ピザンチンなどの様式がミックスされた大寺院とされる。18世紀頃のパドヴァの大きな絵画があり、大聖堂の姿だけは少しも変わらずに描かれていた。

         写真を撮る代わりに数ユーロを寄附して、教会の案内書を頂くことになるが、幸いカラー印刷で日本語版も用意されていて助かった。しかし、何がどこにあるのかも分からずにぐるぐる広い寺院を駆け歩い感じであった。昼食のレストランには戻る方向なので、草臥れて我慢できずにタクシーの相乗でレストランに着いた。

       食後にはパドヴァで必見のジョット(Giotto)のフレスコ画と言うことで、スクロヴェーニ礼拝堂に出かけた。入り口は市立博物館の別館のような感じで、30名ぐらいが10分おきくらいで中に入ることになるが、これは中が狭いからであった。聖母とキリストの生涯が38面にわたって描かれており、1304年から3年がかりの作品と言われる。私は余り知識がなかったので、この時とばかり日本語の解説書を見つけて購入してきた。礼拝堂の内部の壁画の展示の様子と、一枚のフレスコ画「マリアの誕生」をスキャナーで焼いてみると、以下のようになり、これが写真の代わりである。




  パドヴァだけが歩きが多く、写真が撮れないという悲惨な結果となり、他の 地域とのギャップが大きくなり、モーツァルトの足跡探しも、さっぱり元気が出ないものとなってしまった。待望のヴェネツイアまであと一息。そういえば、レオポルドが、パドヴァの人々のために、息子に作曲させたオラトリオ「救われたベトウリア」K.118に ついても、初演されずに放置されてしまっている。


     4、2回目のヴェネツイアのいろいろ−街巡り、島巡り、フェニーチェ劇場など−

4−1)モーツァルトの足跡とサン・マルコ広場など

ヴェネチアでは、二度目の訪問であり、やはり写真集がある。少年モーツァルトが1ヶ月滞在した建物は、前回はゴンドラに乗って、この建物であるという説明を受けていたが、写真にはならなかった。しかし、今回は改めて橋の上からその建物の所在と記念プレートを写真に収めてきた。場所はサンマルコ広場とフェニーチェ劇場の中間にある運河に面しており、実に便利なところにあった。その建物を見ていると、便利なせいか、結構、人の出入りがあって、今でも旅行客用の施設として活用されているようだった。





      この小さな運河沿いに歩いていると、ゴンドラに乗船する船溜まりがあったり、ショウウインドウが並ぶ路地があったり、ウロウロしているうちに、サン・マルコ広場に到着した。相変わらずの広場の賑わいを後にして、運河を見ながらコーヒーを飲もうと、運河に面したホテル前の店に座り込んだ。
   運河を背景に景色の良いところだと、サンタ・マリア・サルーテ教会を背にして、一人づつ写真を撮っていると、突然に、巨大なホテルのような観光船が目の前を通過した。慌てて写真を撮ったが、全体が入るかどうか心配であった。






      目印の教会を写真に収めて、出発したフェニーチェ劇場前の広場に到着し、劇場の写真を撮るが、残念ながら、近すぎて上半分しか撮影できなかった。広場の横には立派な教会があり、調べてみると、聖ファンテイン教会という貴族の教会であったと言う。中を覗いてみると、小ぶりながら実に豪華な教会であり、背面には古そうなオルガンが燦然と輝いて見えた。モーツァルトが宿泊した建物から100メートルも離れていない。私は、少年モーツァルトは、こんな近くにあるオルガンに気がつかない筈がなく、オルガンがあれば必ず手に触れたに違いないと思った。








4−2)ムラーノ島のガラス細工−現地のプロが手作りの見事な作品−

   島巡りのオープションを選んだのは秋野・鈴木・山崎・倉島の4人のメンバーとなり、現地を案内して下さるガイドさんを含めて5人。大運河の乗り場から20人乗りのタクシー(屋根付きモーター・ボート)に5人だけが乗り込んで出発した。本島の約2キロほど北にムラーノ島があり、船で約20〜30分くらいの距離であった。13世紀からこの島に閉じ込められたガラス職人たちによって作られたガラス工芸品は人々の憧れのものとなった。ヴェネツイアの東方貿易の輸出品として栄えてきて、この間に、莫大な富を築いたという。

       







         島に着くと、早速、工場へ案内された。広い工場では、専門の職人さんがたが、一人ずつ、釜といろいろな工具が備わった場所に配置され、手細工で作業をしている様子であった。その一つの釜に案内され、職人さんがあっという間に、簡単な一輪挿しや、馬やキリンなどの動物の置物を、作り上げてくれた。見ている間の数分で、複雑な形のものを実演しながら作ってくれる早わざ師のように見えた。


      また、案内された別の棟には、こうして作られた工芸品の展示室があり、ここはまさにお土産品の展示場であった。日本まで、配達便つきの別送品として郵送できる仕組みになっており、保険がかけられているようだった。
      前回もガラス細工をする現場を本島で見せてもらったが、やはり観光用であり、今回のものはさすが本場のものとして、その工芸品の種類の多さには驚くばかりであり、一見に値すると思った。


4−3)ブラーノ島のレース編みの漁村−現地のレース編みのプロが手作りの見事な作品−

      この島はムラーノ島よりもさらに奥の島であり、ヴェネチアン・レースの島として有名であった。島が見えてくると、教会の塔が傾いて見えてきた。どうやら、ピサの斜塔と同じで、地盤沈下を起こしている様子であった。イタリア人は危なくなるまでは、どうしようかとのんびり構えて、直ぐには手を下さないようだ。



      島にはピンクやグリーンの色を塗った建物で家並みが運河の両側に建っていた。従来、島の女性は家でレース編みを行い、男たちは漁師であり、戸外で網の手入れをするという。沢山並んでいる店先では、手編みをしている女性を見かけたが、どうやら観光用の人たちで、売られているレース編みは、手先の器用な中国産のものが多いという。しかし、歴史的には、ここで編まれたレースが、ヨーロッパ各国の王侯・貴族たちにお気に入れられて、ヴェネチアン・レースの名が残る立派な工芸品として有用だったのであろう。

      初めは小さな刺繍程度のものかと思っていたが、中に入ると、高価なものはご婦人の洋服にまでなるなど、やはり本物は大変な手間のかかる工芸品であると印象ずけられた。

4−4)島から戻ったサン・マルコ広場では、海水が上陸していた−

      島からは30〜40分位で出発したサン・マルコ広場に戻り、ここで非常に遅めの昼食となったが、レストランは、大変混雑していた。ここで食べた黒づくりのスパゲッテイが美味しかった。オペラまでは、十分時間があるので、アカデミア美術館まで行ってみようと言うことになり、ガイドさんにアカデミア橋まで送っていただくことにした。




       大運河の外側から見るサン・マルコ広場やサルート教会のドームは美しく、珍しい写真を撮ることが出来た。折からサン・マルコ広場では、海水位が上昇してきており、次第に広場は水浸しが始まり、水たまりには、恒例の桟橋通路の上を人々が歩き始めていた。私は前回も、同じ風景を目撃していたので、またかと思うだけだったが、同行の人方は初めての体験で、驚いておられた。しかし、広場の安全なコーヒー・レストランはいつもと同じように落ち着いて営業をしていた。
  



        途中でヴェネツイアの音楽アカデミーがあったので、建物の前まで行ってみたが、広場にはピアノの音などが微かに聞こえていた。オペラ劇場とは歩いて手軽に行けるこの近さ。これがヴェネツイアの便利さである、と直感した。
        アカデミア美術館は入場料が14ユーロで、とても全部見る時間はなく、とても草臥れていたので、アカデミア橋で記念撮影をして、オペラの時間まで休むことにしたが、若い元気な山崎さんは、まだ時間まで廻るようであった。


4−5)新装なったフェニーチェ劇場でのオペラ「リゴレット」−このオペラは、ヴェネツイアにまだ力があった1851年3月にこの劇場で初演されていた−

指揮者;D.マテウス、演出;D.アバド、フェニーチェ劇場管弦楽団および合唱団
(出演者)リゴレット;C.アルベロ、ジルダ;D.ランカトーレ、マントヴァ公爵;D.プラタニアス、ほか、

     物語の背景は、イタリアのマントヴァおよびその近郊になっているが、このオペラがヴェネツイアのこの劇場で初演されたことを知ったのは、日本に帰ってからであった。前回ここに来たときは、焼失後の工事中の時であり、今では最も新しく美しい劇場の一つに数え上げられるであろう。
出演者たちは、珍しく当初予定通りであった。私はジルダのランカトーレが、つい最近、この旅行の出発二日前に、日本モーツァルト協会のオペラサークルでの発表会で報告したボローニア歌劇場のDVD「アルバのアスカニオ」で、牧神(ファウノ)役で、当時カストラートが歌ったコロラチューラのアリア二つを見事に歌って、若手歌手として印象深かったので、この日のジルダ役を楽しみにしていた。舞台ではやや線が細く感じたが、声は美しく、まずまずの出来で安心をした。


      リゴレット役は、さすが歌も演技も優れていたが、マントヴァ公爵はもっと元気であっても良かったような気がした。さすがヴェルデイの歌劇は、前から6列目で聴くと、オーケストラにモーツァルトのオペラにない迫力を感じ、終始、楽しみながら音楽に浸っていた。私の大好きな第三幕の四重唱は、舞台が広かったので声がばらばらな面があり、アンサンブルとしては今一の感じがしたが、やはりモーツァルト並みの素晴らしい四重唱であると確かめながら聴いていた。



      カーテンコールの写真を拡大してみると、左側の写真で、指揮者のマテウスが一歩前におり、その左手がリゴレット役のアルベロ、その左のズボンをはいた女性が、ジルダ役のランカトーレで、彼女は最後のふん装で出てきたようだった。このオペラは、悲惨なオペラの筋書きなので、カーテンコールはそれほど熱しなかったが、新しい劇場でゆったりした気分でオペラを楽しむことが出来たと思う。最後にオペラ劇場の直ぐ傍のレストランで軽い夕食をとったが、東京ではとても出来ない経験であった。



        5)おわりに、

      これまでで一番日数的に短い音楽ツアーであったが、楽しいことはアッという間に過ぎてしまうものだ。今回の久しぶりのフェラインの仲間たちと一緒のツアーもその通りであった。この仲間たちの中では、私は小林さんに次いでの年配格であったが、澤田さんの立派な挨拶を聞いたり、山崎さんの凄い行動力を見て、今回は非常に良い機会を持ったと感じたし、安心して次の方々に引き継いでいただけると思った。
      いつものように写真を中心に、マイペースで旅行記をまとめてみたが、至らないところが多数あろうが、お許し頂きたいと思っている。


(以上)(2012/10/06)




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