ベルリン・ライプチヒ旅行の写真集、

写真集−1、ベルリンの最初の二日間の博物館巡り、

−桜や水仙・チューリップ・レンギョウなど春の花が咲いているのに、もの凄く寒いベルリン。元気よく博物館3日券をフル活用し、足で駆け巡った博物館巡りでした−

  倉島 収(千葉県柏市K.449)


写真集−1、ベルリンの最初の二日間の博物館巡り、

−ベルリンの壁、森鴎外博物館、ボーデ博物館、ノイエ新博物館、ペルガモン博物館、ベルリン大聖堂、レストラン・ツア・レツテン・インスタンツ−、チェックポイント・チャーリーハウス、ユダヤ博物館、など−

1、はじめに、

        ベルリンのテーゲル空港に予定の時間に到着し、大きな荷物を受け取って、空港バス128番線の乗り場を探し、空港近くのU6の地下鉄駅に着いたときはホットした。最近はツアーの旅行しか味わってなく、大きな旅行カバンを持ち歩くことはなかったからである。しかし、都心のU6のStadtmitte駅から目的地のホテルCity Partner Hotelまで、およそ300mのカバンの運搬が大変であった。手続きをして、部屋に戻ると、 疲れてバタン・キューの状態であった。


  2、ベルリンの壁の残骸があるベルナウアー通りを歩く、

 早朝から目が覚めてしまうので、早めの朝食をとると8時過ぎにはホテルを出発し、地下鉄を乗り継いで到着した駅は、ベルリン市内北部のベルナウアー通りであった。ここには旧東ベルリンのベルリンの壁の残骸が残された場所である。ここは壁建設後、壁に面した建物から飛び降りて、西へ逃げ延びた多くの人々いたことで知られる地域であった。写真を撮ろうとして、大失敗したと気がついた。デジカメの電池がホテルの部屋で充電中であり、デジカメにセットし忘れた良くある事故であった。普通なら「さあ大変」であったが、運良く、カメラを2台持っている同行の仲間からデジカメを借りて自分のSDチップを入れ替えることにより、今日一日、何とか写真を撮ることが可能になった。以下は、そのカメラによるベルリンの壁の写真である。






       折から東ベルリン地区のせいか、通りは工事中であり、天気も悪く寒さが厳しい冴えない日の写真となった。通りに面する「ベルリンの壁記録センター」は月曜日のため休館中であり、目的のSバーン駅までスムーズに着いたので、Sバーンに乗りフリードリッヒ・シュトラーセ駅で降りて、次の目的地、森鴎外記念館へと向かった。


3、森鴎外博物館から博物館の島へボーデ博物館を見る、

    歩いているうちに写真のように「鴎外」の文字が建物に見えて、博物館は直ぐ分かったが、生憎9時50分。10時開館を待っていると、日本語を話すスタッフが到着して、一番乗りでご案内していただいた。ここは森鴎外がベルリン留学中(1884〜88)に滞在していた下宿跡の建物であり、ベルリン・フンボルト大学付属の森鴎外記念館となっていた。鴎外の部屋を再現したコーナーや直筆の原稿や書簡、ゆかりの品々が展示されていた。






   続いて川沿いにしばらく歩いて、バロック風のドームの建物のボーデ博物館を横目で見ながら、ペルガモン博物館に行って、ミュージアム3日券を買う計画であったが、ペルガモン博物館の前はバスが立ち並び、大変な行列ができていた。そのため予定を変え、先にボーデ博物館に入り、行列なしで3日券を買い、日付をサインしてもらった。これで公的な博物館はほぼフリートなり、3日間で19ユーロであった。






      大ドームの下の入り口のホールには、フリードリヒ・ヴィルヘルム大選帝侯の騎馬像に圧倒され、エジプト風の門を入るとギリシャ・ローマ時代の遺物や壁画などの収集物が展示されていた。説明を見ても分からないし、何が何だか分からないまま、一回りして、1時間ほどで出てきた。






4、ノイエ新博物館で「王妃ネフェルテイテイの胸像」を見る、

  再びペルガモン博物館の前に行くと、相変わらず大変な行列であったので、最近できたノイエ新博物館を先に見ることになった。川沿いに島を眺めながら歩き、新しい博物館を目印に、しばし歩いた。まだ、周辺では工事が続いており、人混みが多かった。有名な「王妃ネフェルテイテイの胸像」はこのノイエ新博物館に移されていると聞いていたので、最初の目標になった。

        ここで「博物館の島」と言われる各関係博物館の建物の様子と位置関係を示した見取り図が案内のパンフにあったので、紹介しておこう。ボーデ美術館で二つに分かれた川の中の島に、ペルガモン博物館と、ノイエ新博物館が並んでいた。また、 ボーデ博物館で購入した3日券の表・裏を表示すると、右の写真の通りであり、裏に係官のサインで日付が記載されて初めて有効となる。これは鉄道などの乗車券にも当てはまり、さらに地下鉄などの5日交通券なども同様で、最初に乗ったときに日付の刻印を押すことが重要であるとされる。





  ノイエ新美術館は、東西ドイツの激突で破壊された建物を残しつつ、使えるものを活用して新しい建物に復旧しているので、設計も建設も非常に難しかったろうと思われるが、写真で見られるように、新旧継ぎ接ぎの形で完成されていた。
        写真左は、入り口の正面であり、通路は新設され、壁や壁体は古い建物であり、写真右には、壁に破損された旧建物の一部が、壁に貼り付けられていた。

    


       この博物館のシンボルは、「王妃ネフェルテイテイの胸像」であったが、この胸像はガラスの箱に格納され、残念ながら撮影禁止の扱いになっていた。本物は、見れば見るほど、ふっくらしてまるで生きているように見え、まさに世界遺産級の貫禄があった。写真が撮れないので、絵はがきを買ってスキャナーでアップしてみたが、いかがであろうか。

       



5、ペルガモン博物館で大祭壇の巨大さに驚く、

       この後は、遅めの昼食となり、イタリアレストランでビールと3種類のスパゲッテイを注文し、4人でシェアーする方式で、十分な量であった。休憩をして、待望のベルガモン博物館に入館できたのは、2時過ぎであろうか。左右対称のギリシャ神殿のような建物の中央に入り口があり、垂れ幕のお陰で遠くからでも分かるように配慮されていた。待ち行列はなかったが、内部はかなりの人で溢れていた。入り口を入ると、いきなり、ベルガモンのゼウスの大祭壇が左右に大きく広がり、大勢の人たちが階段で休んでいた。





  このゼウスの大祭壇も大きいが、これを収容する博物館の建物の何と大きいことか、想像を絶するものがあった。写真左は、ベルガモン神殿の大祭壇のクローズアップであり、その彫刻の肌理の細かさには驚かされる。写真の右側は、ミレトスの市場門と言われていた。
        また、写真下は、上段がバビロニアのイシュタール門と行列通りと言われるものであり、色彩が豊かで驚かされる。さらに下段の写真は、方々で見かけたギリシャ風の神殿が多数あり、巨大な遺跡がソックリそのまま移転されている。兎に角、スケールの大きさには圧倒され、朝から歩き続けなので、草臥れて4時前には、会場を出てしまった。






        この日の予定は、ベルリン大聖堂を見て、夕食を予定しているレストランまで、散策しながら、観光案内所に書いてあるマリエン教会、赤の市庁舎、ニコライ教会などを入り口だけでも入らせてもらおうという予定であった。

  ベルリンの大聖堂は、博物館島を出るともう姿を現しており、いかにも古そうなドーム形式の巨大な教会であった。5ユーロの入場料が必要であったが、さすがに日本語版のパンフレットがあり、今や観光に一役買っていると見た。皇帝ヴィルヘルム二世の治下に、イタリア・ルネッサンス最盛期の形式で着手され、1905年に完成したというので新しい教会である。しかし、1944年に爆撃により破戒され、焼失した。戦後、再建に着手したのは1973年からであり、現在の姿に完成を見たのは2002年であるという。一行4人の中で、若い二人が、ドームの上まで270段の階段を上がって見てきた。




         午後4時頃であろうが、私のカメラや携帯の万歩計など日本時間のものは、日付変更線を超えて、この時間で4月3日になった。そのため、撮った写真は残されておらず、初日の写真集はこれで終了となった。

6、レストラン「ツア・レツテン・インスタンツ」で豪華な夕食、 

          ベルリン大聖堂を見てから、レストランまで、散策をしながら、マリエン教会、ベルリン発祥の地とされる赤の市庁舎や、二本の塔が目印のベルリン最古の教会とされるニコライ教会などを経由して、大きな建物が多くて探しづらいレストランに到着したのは5時過ぎであった。ここは、レストラン「ツア・レツテン・インスタンツ」と呼ばれるベルリン最古のレストランとされていた。



  夕食には早すぎる時間なのに、予約席ばかりで店は混んでいたのには驚いた。7時の予約席を解放してもらって、それまでに終えることを条件に、名物と言われるアイスバイン(豚骨つきの塩づけ肉の料理)とサラダを、忠告通りに二人前注文し、二人でシェアーした。大きなビールを飲むので、それだけでも腹に堪えるので、量的には余すぐらいで丁度良かった。疲れもあり、落ち着いて食事ができて、十分に良い気分になり、楽しい一時を過ごした。ホテルの部屋に戻り、バスタブに足を伸ばすと疲れが取れ、時差のせいで直ぐ眠くなり、この日もバタンキューの状態であった。


7、チェックポイント・チャーリーハウス(検問所)とユダヤ博物館を見る、

        翌朝はホテルから4〜500mの距離にあるベルリンの壁のチェックポイントをまず訪問した。ベルリンの壁は全長155kmとされ、その残骸は市内のいろいろなところで見ることができた。昔のまま残された検問所が道路の中央にあり、付近には壁に貼られた当時の写真などが貼られており、さらにその詳細を傍にあった壁博物館で、生々しく見ることができた。





   


        このチェックポイントから第二の目的地ユダヤ博物館迄は、徒歩で直ぐのところに位置していたが、開館が10時で時間があったので、近所をウロウロしたが、結果的にこの博物館の裏側に位置する迷路のように広がった外観を見たことになった。正面は写真のように、ごく普通の建物であるが、中に入ると折からバスできた学生たちで混み合っていたが、まさに2000年間にわたるユダヤ人の虐げられた歴史を語る展示が重々しく展示されていた。



   


       入り口の建物は普通であったが、展示場の内部は非常に複雑であり、階段を上がりきったところから、迷路のような道を下るように進んでいくスタイルで、細かく見出すと際限のない深い内容を持っているようであり、ユダヤ人街の迷路のような姿や、有名な偉人たちの姿の写真を撮っただけで、理解を超える展示物の多さに驚いて約1時間ばかりで退散することにした。

        この日は午後からは、ポツダム地区のフィルハーモニー・ホールや絵画館を回る予定で写真数が多くなりそうなので、ここでベルリン市内を1と2の写真集に分けて、取りあえず、第一のファイルを作成して、ここで中断することにする。

(以上)(2012/04/21)



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