楽しかった北海道「カシオペア」旅行−素晴らしい洞爺湖の展望と千歳川の鮭の遡上−

台風の北上を心配しながらの出発で、翌日は曇りでしたが、二日目の展望は最高の秋晴れに恵まれ、広々とした洞爺湖・支笏湖の景色を存分に楽しんできました− 


楽しかった北海道「カシオペア」旅行 −素晴らしい洞爺湖の展望と千歳川の鮭の遡上−

1、まえがき、 
 

   いつも飛行機で往復する北海道旅行を、一度だけでも寝台列車に乗って青函トンネルを潜って、ふるさと北海道に渡り、洞爺湖や支笏湖などを巡りながら、G8で名高いウインザーホテルや札幌の超高層のタワーホテルに泊まってみたいというかねての「ささやかな家族の夢」が実現した。旅は9月24日(金)から28日(火)までの紅葉前の秋たけなわの時期に始まった。豪華寝台列車「カシオペア」号に初めて乗り、列車の旅を楽しむとともに、初めて見る倶多楽湖を巡り、登別の地獄谷を覗き、昭和新山からケーブルで有珠岳に登って洞爺湖と内浦湾を遙かに展望し、山頂のウインザーホテルで展望や温泉を楽しみ、凄く美味しいお寿司を味わった。翌日は洞爺湖を一周し、支笏湖畔を半周してオコタンペ湖を遠望して、札幌での親戚の皆さん方との出会いを楽しんだ。翌日は一条中学校時代のクラス会の集まりに参加して、懐かしい皆さんと懇談しカラオケを楽しんだ。千歳空港への途中で「千歳サケのふるさと館」に立ち寄り、昔ながらのインデイアン水車で千歳川を遡上するサケの捕獲現場を覗いたりして、忙しかったが充実した予定通りの旅行を楽しんできた。


2、初めて「カシオペア号」に乗る、  

   かねての夢であった寝台列車「カシオペア」号に乗る家族旅行は、半年前からの旅行計画でホテルやレンタカーなどの予約でセットされていたが、折からの台風の進路を気にしながら、上野発夕刻16時20分の定刻に出発した。在来線の大宮・宇都宮などを通って東北本線を北上し、青森から青函トンネルを経由して函館に到着し、翌朝7時40分に東室蘭で下車する夜行列車であった。
   ボックス・シートの寝台車は生まれて初めてであったが、列車の乗り心地は三段重ねの寝台車の昔の記憶よりも遙かにゆったりしており、私には快適であったが、初めての寝台列車の人には、車両の音がうるさくて余りよく眠られなかったようであった。

 夕食は食堂車でフランス料理を楽しむことが出来、アルコールも入って話も弾んだが、このような豪華な列車での食席はこれも初めての体験であったような気がした。食堂車が何両か先の車両だったので、移動中にいろいろなタイプのボックスシートがあるのに気がついたが、前評判のように100%満席のようには見えなかった。時間とお金に恵まれた人には、確かに一度はお奨めしたい乗り物のような気がした。


3、初めてのクッタラ湖と登別の地獄谷、 

   私が北海道にいた1960年頃までは「神秘の湖」と言われていたクッタラ(倶多楽)湖を見たいとか、子供の頃に恐ろしく感じていた登別の地獄谷がどうなっているかなど、かねて一度車でゆっくりと訪れてみたいと思う場所が沢山あった。東室蘭でレンタカーを借り、最初にクッタラ湖に向かった。この湖は外輪山に囲まれた真ん丸のカルデラ湖で、外輪山の一郭を削って湖畔に降りられる道路が整備されていた。生憎、展望台に行く道路が先の台風で通行止めになっていて、丸い形の湖の写真は撮れなかったが、茶店が一軒しかない湖畔は原始的な姿を止めており、さすが北海道らしい姿であった。天気が良ければ、逆コースで展望台に行きたかったが先があるので諦めた。茶店で絵はがきを買ったので、晴天の外輪山に囲まれ出口のないコバルトブルーの神秘の湖の姿を見ていただくため、コピー写真を掲載しておこう。







   登別温泉の地獄には子供の頃の記憶(小学6年生の修学旅行)しかないが、子供心に熱い熱湯が噴出して怖い場所だと記憶しており、また、はげ山に囲まれた温水の湖に驚いた記憶があり、その後日本各地で見たどの地獄よりも規模が大きいと思っていた。しかし、現実に「大湯沼」にしても地獄谷にしても、噴火の跡のような崩れた絶壁の姿などの規模は確かに大きいが、熱湯や湯気が吹き出る場所の数が昔より少なくなり、熱湯の量や激しさが薄れてしまったような気がした。




   上の写真は周囲がおよそ1Kmあるとされる「大湯沼」の写真であり、その奥には「奥の湯沼」がもう一つあり、こちらは激しくお湯が噴き出していた。立ち入り禁止の柵が方々にあったが、形式的に見えた。下の写真は、地獄谷の一部であり、ここでは完全に遊歩道が整備されており、危険な場所には行けないようになっていた。間欠泉らしく数分ごとに音を立てて熱湯が吹き出るものも見えて写真を撮ってみたが、規模は小さいものであった。







    4、昭和新山を見ながら有珠山のケーブルに乗る、 

   煙を吐いている昭和新山(402m)と今でも火山活動を続ける有珠山(732m)は、自然の驚異であり、中でも2000年の有珠山の噴火はまだ記憶に新しく、当時、ドーコンの現職時代に、同僚の皆さんが道路や鉄道や建物の管理のために、体を張って調査や観測に 当たっていたことを思い出す。そのため、ここもじっくり見たいと期待を寄せていた。




上の写真は昭和新山の勇姿と有珠岳へのケーブルカーから見た昭和新山の姿であり、左側には洞爺湖のほか地形全体を見ることが出来る。ケーブルを降りて山頂付近の歩道を散策すると、洞爺湖の代わりに平成13年噴火の跡があって噴煙を見ることができ、反対側には内浦湾を展望することが出来る。それが下の写真に示す有珠山の分かり易い鳥瞰図で見ることが出来る。




   鳥瞰図では右端にケーブルの乗り場があり、水平に歩道があって海側を望むことが出来るが、残念ながら洞爺湖は見えない。赤茶けて煙が上がっている2000年噴火の斜面全体を見下ろすことが出来た。また、昭和新山の成長記録(三松ダイヤグラム)が掲示されていたので、写真を撮ってきた。成長記録は三松正夫郵便局長が測量した貴重な記録であり、最下段が昭和19年5月12日であり、最上段が昭和20年9月10日となっており、約1年4ヶ月の記録で新山が隆起したことを示す貴重な記録のようである。また、昭和新山の駐車場には三松正夫記念館があり、いろいろな資料が保存されていたし、洞爺湖温泉街にあった洞爺湖町の火山科学館で噴火の様子の映像をいろいろ見ることが出来た。



5、オロフレ峠からの洞爺湖の遠望と洞爺湖を一周する、 

   登別温泉から洞爺湖へと向かう途中にあるオロフレ峠から洞爺湖が遙かに展望できたので写真を掲載する。家一軒見えないいかにも広々とした遙か彼方に洞爺湖が見えてきたときには思わず感動を覚えた。そして近ずくにつれて、湖や島の形が変化して、遠くには羊蹄山(エゾ富士1893m)が姿を見せていた。












   洞爺湖温泉街から壮瞥町を通り、洞爺村を回って湖畔道路をほぼ一周してきたが、このドライブは実に快適で、湖畔からの見る島がいろいろな姿を見せるので、とても面白かった。洞爺村の湖畔で見かけた浮見堂というのか面白い半島があり、折からの日暮れの太陽が差した島々の姿が絵を見るように美しかった。











6、ウインザーホテルでの展望、 

 洞爺湖を一周してウインザーホテルについたのは夕刻の薄暗くなった頃であった。部屋の窓越しに見える洞爺湖に沈む太陽はまさに絶景であり、素晴らしい眺めであったが、うっかり窓を閉めたまま写真を撮ったので、部屋のシャンデリアがガラスに光って、変な模様のある写真になってしまったが、ご容赦いただきたい。その夜は、広い浴槽の温泉にゆっくり浸かってきたが、こんな高い山の上にどうして温泉が沸くのか不思議に思いながら素晴らしい眺めのお風呂を楽しんできた。また、ホテルでの夕食はお寿司にしようとホテル内のお店に入ったが、生憎、お店には他にお客さんの姿はなく、職人さんに奨められるまま、美味しいお酒を頼み、生きているエビなどを注文したりして、お腹いっぱいの贅沢をしてきたが、ここで食べたお寿司の美味しさは忘れられない。


      翌朝は素晴らしい快晴に恵まれた。神に感謝したい気持ちであった。最初の2枚写真は、ウインザーホテルの高台(約850m)から見た洞爺湖の絶景であり、もう一枚は反対側の内浦湾を見た景色である。この写真は、ゴルフ場越しに海が見え、その先には肉眼では正面に駒ヶ岳(1131m)がハッキリと見えていたが、写真ではご覧の通り、霞んでかすかに見える程度になってしまった。V8に参加した皆さんも楽しんだであろうこの風景を、北海道生まれの自分の目でハッキリと確かめることがこの旅行の目的の一つであった。





   夏はゴルフ場、冬はスキー場として整備された海側の斜面は、白樺の樹林が美しく、景色を楽しみながら散策したが、ゴルフもスキーも十分に楽しめるであろう。実に、素晴らしい滞在型のリゾートホテルであると感じてきたが、休日は兎も角、常時、客を集めるのは大変であろうと思った。





7、札幌市立一条中学三年五組のクラス会、 

   翌日も快晴に恵まれ、宿泊した札幌JRタワーホテルから見下ろした市内の景観は素晴らしく、街並みが懐かしく思われた。遠くに手稲・奥手稲などの山並みを背景に、円山、大倉山、三角山などが手前によく見え、子供の頃に昆虫採集やスキーなどで、庭のように走り回った記憶が甦った。



  昼頃から札幌のホテルKKRで、一条中学校三年五組のクラス会があった。集まったのは10人で、懐かしい顔ぶれであり、毎年の旅行会でのメンバーでもある。今年の旅行会は、五月に仙台・松島旅行を行い6名が参加したばかりである。札幌でクラス会として実施したのは久し振りであった。



   二次会は幹事の松村君のお世話で、すすき野の貸し切りのカラオケ店で、好きなアルコールなどを注文しながら、いつものように元気よく歌を歌って、昔の生真面目な中学生時代に戻って、はしゃいでいた。

    われわれも来年は全員が後期高齢者になる。真に残念な話であるが、旅行会の幹事役の西出君が持病のリューマチが手術づけになって、体力的に自信が持てないと言うことで、10回ほど重ねてきた旅行会は中止となり、今回のように札幌と東京で、時々、顔を合わせようということになった。これまでこの旅行会の記録をHPに掲載してきたが、残念ながら、われわれの集まりも今回のようにならざるを得ないことになった。


8、千歳川のサケの遡上、 

    翌日は生憎の雨模様であったが、昼過ぎの飛行機に乗るまでの間に、千歳駅で途中下車して、かねて改装したと聞いていた淡水魚水族館となった「千歳サケのふるさと館」を訪問してみた。千歳川へ登ってくるサケを見られるかもしれないと言う期待からである。最初の写真は、千歳川を堰き止めて、遡上するサケを捕獲するインデイアン水車と、捕獲現場の様子である。


    水車が一回転すると20〜30尾のサケが引き揚げられ、作業員が暴れるサケを別の水槽に移し替える作業が行われていた。サケが勢いよく暴れる姿が印象的であった。 ここで捕獲されたサケから、成熟した卵を取り出し、人工授精させて大量の稚魚を養殖し、来春に放流するようである。その様子が映画などで見ることが出来た。




     一方、最近、新しく「サケのふるさと館」と言う名で呼ばれているこの建物は、水準の高い淡水魚水族館に生まれ変わり、特にここで孵化したサケの稚魚の群れが見ものであり、また4年ぶりで戻ってきたサケの勇姿も広い水槽で見ることが出来た。千歳川の直接の覗き窓からは、生憎の水の濁りで残念ながらサケは見えず、ウグイなどの小魚の群れが見えるだけであった。

8、あとがき、 

    9月24日から9月28日まで家族旅行で豪華寝台列車「カシオペア」号に乗って青函トンネルを潜り、美しい洞爺湖周辺を車でドライブしてG7で名高いリゾートホテルのザ・ウインザーホテルに宿泊し、札幌で親しい親戚の皆さんや中学時代の友人たちとお会いする念願の旅行が実現した。せっかくの大事な旅行であったので、写真を取り込んだ旅行記の形でまとめてみたが、恐らく後で見ると懐かしく思い出すことが出来ると思われる。パソコンで見るとアルバムの代わりになるものと考えている。

(以上)(2010/10/31)


目次5にもどる 目次4にもどる
目次3にもどる 目次2にもどる
目次1にもどる   私の新ホームページへ




名称未設定