中学校時代の皆さんとの和歌山・淡路の旅行会


−関西空港集合→和歌山市(泊)→淡路島洲本→南淡路(泊)→鳴門うず潮→大阪伊丹空港解散の旅程−   


中学校時代の皆さんとの和歌山・淡路の旅行会

−関西空港集合→和歌山市(泊)→淡路島洲本→南淡路(泊)→鳴門うず潮→大阪伊丹空港解散の旅程−

倉島 収(mozartian449)



1、はじめに、


 10月22日(土)から24日(月)にかけて毎年行っている中学校時代(札幌市立一条中学校3年5組)の旅行会で、和歌山から淡路島の方へ旅行してきた。考えてみると全く初めての地域であり、土地勘がない所であったが、例年通り楽しい旅を続けてきた。札幌から5人、東京から2人参加し、航空料金の特別割引の週を選び、今回は関西空港に午後1時半に集合して、全員急行バスで和歌山市の駅前に着いたのが早いもので三時過ぎであった。





その日は和歌山城に寄って市内のホテルで早めの食事で久し振りの再会を楽しみ、10時過ぎまでダベリング。淡路島にまで渡るには、「関空から高速船で50分」と言うのが一番早いようで、翌日はジャンボタクシーで紀三井寺をお参りし、紀州東照宮を見て、徳川家に敬意を表した。和歌浦の海を眺めながら養翠園(時間がなく入り口まで)を経由して、関空の港から高速船でクルージングを楽しみ、洲本に上陸した。途中で淡路人形発祥の地と人形浄瑠璃資料館に立ち寄って、保存されている江戸中期に栄えた人形座敷を見てきた。





  淡路では鳴門海峡の入り口にある休暇村南淡路に宿泊し、名物の鯛麺料理を味わい、温泉と素晴らしい瀬戸内の海の景観を楽しみながら、この夜もダベリングをした。翌日は鳴門の港からクルーザーで鳴門のうず潮を体験。太平洋側と瀬戸内側で水面差が1メートル位あり、川のように渦を巻きながら潮が流れる様子を目前で体験した。帰りは高速バスで淡路島を縦断し、明石海峡大橋を初めて渡って、三宮でお別れの昼食をとり、伊丹空港で解散となった。





2、和歌山城とウエルサンピア和歌山、

 関西国際空港に降りたのは初めてであった。飛行機の上から写真を撮ったが、現在は1本の滑走路で供用しており、懸案であったもう1本の滑走路については埋め立てがほぼ完成しており現在は初期の沈下の落ち着きを待っている状態に見えた。空から見る飛行場の規模は凄く大きなもので、大変な施設を作ったものだと思う。滑走路から誘導路に入りその路面に不規則な亀裂が随処にあるのを確認したが、やはりこの飛行場は地盤沈下との戦いが今後に残されていると感じてきた。





 和歌山駅から和歌山城へはタクシーで公園となっている城の周りを一周してから城に登り、付近の時鐘堂などを見る予定であったが、城の周りをうろうろするうちに予想に反して城がかなり高いところにあり、どこが近道か分からず足下が暗くなってきた。足が不自由になってきた仲間がおり、無理をせずに残念ながら諦めることにした。  宿泊地のウエルサンピア和歌山では、そこのレストランでお奨めのお肉の料理で歓談をした。例年1月に実施する札幌でのクラス会を、今年は省略したので丸1年ぶりの再会となったので、夕食後も話が弾み幹事の部屋に椅子を持ち寄り、二次会でおしゃべりをした。





 ここは昨今問題になっている厚生年金関連施設であり、施設もサービスもまずまずなのであるが、間違いなく民業を圧迫しているようであり、小泉首相の民営化の対象にいずれなるであろうと思われる。我々にとって安い割には施設が新しいので利用しやすいが、赤字の施設は貴重な年金の財源を食っているので矢張り正常化すべきであると思われる。


3、紀三井寺と紀伊東照宮を巡る。

 翌日は天気予報がはずれ朝のうちは小雨がぱらついたが、ジャンボタクシーに乗り込み、傘が沢山あったので大丈夫。紀三井寺は「万葉集」にも歌われた名草山の中腹にあり、写真のように231段ある結縁坂を登ってお祈りするのが習わしであるが、我々はタクシーで本堂の近くまで行った。本堂にある桜は「芭蕉の桜」と呼ばれ、そこから眺める万葉の海の姿は、この寺が創建された奈良時代の770年から余り変わっていないと思われた。





 それから紀州東照宮へと向かうが、途中の国道は日曜日の和歌山マラソンの開催直前であったので渋滞が続いていた。紀州東照宮も108段の階段があり、我々を悩ませたがここは元気を出して休み休み全員で登った。紀州藩主徳川頼宣が父家康を祭るため、1612年に創建した権現造りの神社で、日光東照宮と同様に、絢爛豪華な社殿内には左甚五郎作の緋鯉真鯉の彫刻や狩野探幽のふすま絵がある。写真は禁止であったので絵はがきを買ってスキャナーで読んで掲載してみた。




 途中で昼食をとり、地形が複雑な和歌浦湾を道路から望みながら、養翠園という海水を引き込んだ潮入池をもつ老松で囲まれた庭園の前まで行ったが、時間の関係で割愛せざるを得なかった。ジャンボタクシーは一路、高速道路で関空の高速船の港まで運んでくれ、洲本パールラインという高速艇に乗り込んだ。高速艇は双胴船型で、波の上を飛ぶように進むので、かなり揺れ窓に水しぶきがかかって、怖いぐらいのスピードであった。

4、淡路の人形浄瑠璃資料館と休暇村南淡路。

 淡路の人形浄瑠璃は室町時代から栄えて来たという。洲本港で高速艇を下りて、直ぐ傍にある高速バスのターミナルで南淡路福良行きの高速バスで途中下車し、人形浄瑠璃発祥の地にある資料館に行く。ここには発祥の地として「市村六之丞」一座の諸道具一式が全て保存されているという。私は残念ながら本物の人形劇というものを見たことはなく、ザルツブルグでマリオネット劇のモーツアルトのオペラを見ただけの経験しかないが、これよりも遙かに古いものであるから驚きである。マリオネット劇のオペラが何種類もビデオになっているように、この人形劇もビデオで保存するようにしたらとふと思った。




 今晩の宿泊地は淡路島最南端の休暇村南淡路というところであるが、タクシーで到着してみると、左右に海が見える丘の上にある実に展望の良いところであった。一方には鳴門大橋が見え、一方には夕日が沈む福良港の入り江が見えて、しかも温泉であるという。この夜は鯛のお刺身の他にメインが名物の鯛麺料理を味わったが、鯛の本当の美味しさを初めて味わったような気がした。この夜も幹事の部屋で夜遅くまでダベリングし、温泉にも三度もつかり、初めての淡路島の訪問を楽しんだ。







5、うず潮観測船ヘリオスで「鳴門のうず潮」を眼前で見る。

 最終日は好天に恵まれ、出発がゆっくりなので、朝から温泉に入ったり、バイキングの朝食でゆっくりとビールを飲むなど余裕があった。タクシーで鳴門大橋のたもとにあるうず潮観測船ヘリオスの乗り場のある伊毘港に到着し、7名で貸し切りの状態で船に乗り込んだ。10分ほどで橋脚のたもとのうず潮の現場に到着し、海の底から小さな渦が沸いてくるのを沢山観察した。船が巻き込まれるような大きなものは見られなかった。太平洋側と瀬戸内側で水面差が目測で1メートル位あるのが分かり、大きな川のように小さな渦を巻きながら潮が流れる様子を目前で体験した。大橋の上から白波を立てながら川が流れるように潮が流れるのを見たことがあるが、潮の中に入るとまさに音を立てて流れる濁流であり、空気も一緒に動いているようで、体でうず潮を感じたような気分であった。しかし時間帯や時期によっては、折角来ても見られないことがあるので、我々はラッキーな方であると思った。





 タクシーで福良に戻り、10時50分発の高速バス(福良〜三宮)に乗る。神戸三宮には明石海峡大橋を経由して、あっという間に12時過ぎに着いてしまう。途中で北淡町の野島断層保存館に寄りたかったのであるが、高速バスを降りタクシーで往復する必要があり、伊丹発15時がデッドラインなので、個人的な興味は断念せざるを得なかった。神戸ではあの大地震の名残は全く残されていないように思った。


6、おわりに、

 この旅行は今年で6回目を数える。名幹事で完全主義の西出さんのお陰で、全て準備万端、計画通りに上手くいき、後日に立派な旅行アルバムまで手渡されて、いつも実に楽しい思い出が残る。一昨年宿泊した湯布院が、朝の連続テレビ番組で出るようになり、特徴のある形の美しい由布岳が毎朝テレビで見られるようになった。一度現地を見て気に入っていると、とても懐かしさを覚え、また行ってみたくなるのは皆同じようであった。全員が同じ年齢なので、いつまでこのような遠出の旅行が出来るかいつも話題になっているが、その時にならないとこればかりは一人で決められないので、少なくとも欠席することがないよう健康だけは大事にしていたいと思う。

 次の再会は、2月中旬に札幌の定山渓で今年流してしまったクラス会を2年ぶりでやろうということになった。雪祭りが終わって一服する飛行機の特割が入る週を希望したい。


(以上)(05/11/04)



目次1にもどる
目次2にもどる
目次3にもどる
私のホームページへ

名称未設定