「曹洞宗源流を訪ねて」−晩秋の北陸路を駆け巡る旅へ参加して−

〜大本山永平寺参拝・曹洞宗発展の礎・永光寺と總持寺祖院を訪ねる旅〜

−大本山での生まれて初めての参禅・食事・諸堂拝観・法話・朝課などに参加しました−



− 「曹洞宗源流を訪ねて」−晩秋の北陸路を駆け巡る旅へ参加して−

〜大本山永平寺参拝・曹洞宗発展の礎・永光寺と總持寺祖院を訪ねる旅〜

−−大本山での生まれて初めての参禅・食事・諸堂拝観・法話・朝課などに参加しました−−             

  倉島 収(千葉県柏市K.449)

1、はじめに−私の生まれて初めての参禅体験の旅でした− 

   このたびお誘いがあったので、「曹洞宗源流を訪ねて」という2泊3日のバスツアーに参加することになった。この旅は、始めに1244年に道元禅師により開設された曹洞宗の大本山「永平寺」に参拝して1泊して参禅し、翌日は高祖・瑩山禅師が1322年にお開きになり曹洞宗発展史上重要な位置を占める古刹「永光寺(ようこうじ)」、さらに大本山祖院とされる「總持寺祖院」を特別参拝して和倉温泉で疲れを休め、三日目は高岡の前田家菩提寺・国宝級とされる「高岡山瑞龍寺」を訪問・参拝してから帰路に向うという本格的な高水準の参禅研修旅行となっていた。

   私は曹洞宗の家柄で、女房の方もたまたま曹洞宗にお世話になっていた関係で、曹洞宗のお経に触れる機会が多く、次男坊なので近所の曹洞宗のお寺・慈本寺にお墓を設けて、生涯お世話になることにしていた。この旅行会は、お寺の若副住職さんの企画立案の研修旅行で、檀家の皆さん方と一緒に参加するという、いわば仲間同士の旅行会であった。たまたま女房も永平寺は行ったことがないと言うことで、大本山にお参りし参禅の様子を学ぶことは、人生の終活の一環として必要なことと考えて、二人で一緒に参加することにした。行く前には、永平寺での参禅の様子が良く分らず、早朝に起こされて、合掌とお祈りをしてくることになるのであろうが、初めての体験なので、どういうことになるか心配していたが、幸い、仲間の方々とご一緒なので、辛くても我慢が出来るであろうと考えていた。初めての総本山なので、広いお寺の中を、曹洞宗の檀家の一人として、すっかり見せていただくことに大変な期待を持っていた。

  翌日の永光寺や總持寺では、瑩山禅師ゆかりの宝物の特別展示を拝観するとか、曹洞宗の五老祖の霊場「天童山五老峯」をお参りするなどの趣向が組まれ、若さんが解説して下さるので、安心しておれば良い。また、高岡の瑞龍寺は、何回か訪れているが中に入ったことはないので、日本一美しいと言われる七堂伽藍を楽しみにしている。柏インターから入って、全て高速道路で行き帰りするという高速道路バスツアーなので、余り歩き回ることがない大名旅行であり、年寄り向きの楽しい旅行会ということで、沢山の写真を撮って、またご報告したいと考えていた。


2、本山「永平寺」での初めての参禅・食事・諸堂拝観・法話・朝課などに参加して、



  今回の旅行は、曹洞宗千葉県宗務所第二教区有志寺院の旅行企画という形で、ピーエス観光の宮本さんの引率により行われていた。そのため、柏市の慈本寺のほか野田市の海福寺ほかの皆さん総勢18名の参加で行われ、そのうち5名のお坊さん方も参加されており、とても心強かった。早朝、5時半に慈本寺に集合し、野田の海福寺を経由して、流山インターから常磐道に入り、岡崎インターで降りて岡崎市内のレストランで昼食・休憩したほかは全て高速道路。福井北インターで降りるまで、常磐道、首都高速・東名道・第二東名道・北陸道を乗り継いで、大本山「永平寺」に着いたのは4時ころで、時節柄、薄暗くなりかけたころであった。途中では、第2東名から見えた富士山の姿が、われわれの旅行を祝福するように美しい姿を見せ、夕刻時の深山幽谷の地「永平寺」では、老木の間を薄い霧が漂う霊場の姿が見えた。



   到着すると、修行を卒業しているお坊さんを除く一行13名は、青いリボンを胸につけて、3階に案内され、若い修行僧から、これからと翌朝のおつとめの予定の説明を受けたが、半分くらいしか分からず、変な質問もできぬ雰囲気で、緊迫した様子で全員、一室に案内された。そこでは、すでにその夜の布団がひいてあり、着替えをしてこれからの準備をした。
   17:30より、薬石が始まり、食堂に案内され、用意された精進料理の前で、食事をするときに、反省と感謝など、五つの教えを観念する教句を読み上げる儀式があり、これはお箸を入れた袋の裏側に印刷されていた。行鉢(正式な作法による食事をいただくこと)が始まり、若い修行僧に監視されているような雰囲気でご飯とみそ汁を含む9種類のお料理をいただく。命と向き合い、生かされていることに感謝しながら食事をし、どうしても食べきれないものは飲んだみそ汁のお椀に入れて、全てを綺麗に食することが求められ、やはり大変な体験であった。このお箸は翌朝にも使うので大切に保管するように言われた。
    18:20より、法堂(上写真右側)で心配された座禅が始まり、私は足を正しく組むことができないので、椅子に座って行った。正式の足の組み方はできないが、手を正しく組み、上体の姿勢を正し、目線の位置に気を付け、呼吸を鼻から自然にして、教わるとおりにおよそ30分も続けたであろうか。正式な座禅は初めての体験であり、静寂な厳かな雰囲気で行われ、緊張のせいか、あっという間の一瞬であった。
    19:00より、約一時間ほど映画を見た。若き修行僧たちが、永平寺に到着し、門前で先輩たちより厳しい問答の末に、入門を許され、1年間を修行に明け暮れる厳しい姿を垣間見るものであった。永平寺には、およそ200人に近い修行僧がおられ、日夜、研鑽を積んでると言われるが、明朝のこのお寺の朝のおつとめに、修行僧の皆さんとご一緒の席でお祈りできると聞いて、どんな体験ができるか楽しみであったが、これが700年近く続いていると聞かされて、長年にわたり何代も続く大変な蓄積でできていることを知り、頭が下がる思いがした。
    それ以降は、お風呂に入ってから、21:00に開枕といって、就寝であり、翌朝は4:50分に整列ということで、起床時間は4:30となり、大急ぎで就寝となっていた。



    翌朝は4時過ぎには起床し、布団などを言われるとおりに片づけて、顔を洗い、エレベーター前に整列となった。お寺の中は左側通行であり、若い修行僧に導かれて行くと、朝課(朝のおつとめ)が始まって、大勢の修行僧と方丈様による読経の姿を拝見した。われわれもその流れの中でご焼香させていただいたりして参加したが、あれだけ大勢の修行僧の方々の、一糸乱れぬ読経の声が響き渡り、バスの斉唱なので良く揃って大迫力があった。これはカトリックの大聖堂でもオペラ劇場で耳にする楽音とは異なる響きであり、早朝のお寺に響き渡る初体験の荘厳で力強い読経の響きであった。
    続いて法要を中座するような形で、若い修行僧に導かれていろいろな堂の案内があったが、暗くてよく見えず、説明も分からず仕舞いで写真も撮れず残念であったが、あとで資料を見てこれが「七堂伽藍」の拝観であったことに気が付いた。それから、7時ころになって朝食(上写真右側)となったが、例によって五観の偈(げ)を読み上げてから、「いただきます」によって食事が始まった。全くの精進料理であったが、上手に味付けがなされ、十分に味わうほど時間と余裕に恵まれなかったが、おいしくいただいた。



     以上が永平寺での一晩の参禅の初体験話であるが、深く感動させられる貴重な体験であった。何から何まですべてが初体験で、気が付かないことが多々あったと思うが、このようなことは、おそらく2度と経験することはないであろう。厳しさと奥ゆかしさに溢れた、身に沁みるような体験をして、「永平寺」を後にした。


3、洞谷山・「永光寺」にて、曹洞宗五老峯にお参りし、秘仏十一面観音様を拝見する、

      洞谷山・「永光寺」は、約700年前の1322年に五祖瑩山大和尚が、能登の羽咋市に創設された修行道場であり、当時の南北朝の帰依により勅願寺として栄えたお寺である。その時に建立された曹洞宗の五祖の遺品を埋葬した「五老峯」などが世の崇敬を集めて今日に至っている。「五老峯」とは、高祖天童如浄禅師、二祖永平道元禅師、三祖孤雲懐装禅師、四祖徹通義介禅師、五祖瑩山紹謹禅師の五大和尚であり、これら五祖の遺品が埋葬されているという小高い塚が残されていた。



      お話を聞いているうちに、このお寺は五祖瑩山禅師のお力により、曹洞宗を広めるの役割を果たされ、現在は残されていないが、当時の光厳上皇の勅願による三重の利生塔の建立なども行われて「護国禅寺」として名声が高まったとされている。



      さらに、太宗瑩山禅師のお母さまとおばあ様とにまつわる十一面観世音の秘話が禅師により記載された貴重な記録が残されており、この像高が約5センチとされる秘仏を、ご案内の住職さんがわれわれに実物を手に取って見せてくださり、ご説明いただいた。この観音像の拡大写真(下写真右側)を見ても、なかなか判然としないが、このような細かな十一面相は純金でなければ掘ることができないとされ、700年の歴史を持つ秘仏が、貴重な記録とともに、この能登の古寺に残されていた。



      この太宗瑩山禅師のご功績は、次に訪問した曹洞宗大本山の「總持寺祖院」を知ることにより、さらに驚かされることになる。


4、現在、能登地震により被災して修復中の曹洞宗大本山の「總持寺祖院」を訪問して、

    「永光寺」に続いて訪問した「總持寺」祖院は、1321年に瑩山禅師により開創されたが、その当時、後醍醐天皇からは勅願所とされて、「永平寺」と並んで曹洞宗大本山とされてきた。その後も寺運は隆盛を極めて、この能登の地に、その末寺を一万六千を超えて、大本山としての地位を確保していたとされる。



     しかし、明治31年に不幸にして火災に遭い、七堂伽藍の大部分を焼失したとされる。そのため、曹洞宗の布教伝導の中心を現在の横浜市鶴見区に移された。当寺はその後、祖廟として、次々に再建されてきたが、能登地震により再び被災して、現在も復旧中である。訪問してみると風光幽玄な二万坪を超える境内の姿は、大本山としての当時の面影を偲ばせるものと思われた。



財物の殆どが焼失されたようであるが、ご案内された各室にも素晴らしい装飾品が見られ、中でも石川県の最古の五鈷鈴とされる金動五鈷鈴(上写真右側)は、照明に照らされて金色に輝く姿を見せており、県指定の有形文化財とされていた。

      道元大和尚により開かれ、北陸の能登の地で、瑩山大和尚により発展・隆盛を続けてきた曹洞宗の古刹の二つのお寺を訪ね、その当時から明治時代に火災に遭うまで、大本山として大隆盛を誇ったという姿や長い歴史を偲びつつ、「總持寺」を後にした。


5、加賀の前田家の曹洞宗高岡山「瑞龍寺」を訪ねてーお城の構えのする国宝級のお寺−



       能登の七尾湾の複雑な西湾に面する和倉温泉のホテルに宿泊して、「永平寺」や「永光寺」・「總持寺祖院」などでかいた汗を拭って、美味しい海辺の夕食と朝食をたっぷりいただいた。そしてホテルのご近所の土産物センターで能登の名物を物色し、味見して楽しんだ。続いてバスは初めて通る二車線の「能登自動車道」を通って、車は富山県の高岡市にある国宝級のお寺、加賀の前田家の曹洞宗高岡山「瑞龍寺」を訪れた。このお寺は、建設省富山工事事務所長として在職中の約30年前に、何回か訪れた記憶があるが、初めて目にする新しい遊歩道の形の参道を通ってお寺に入ると、お話の面白い住職さんが出迎えてくださった。



       この「瑞龍寺」は、加賀二代藩主前田利長公の菩提をとむらうために、三代藩主利常公によって建立された寺である。利長公は高岡に築城しこの地で亡くなったが、城は徳川家の監視を受けて、備えは万全ではなかった。利常公は利長公の義弟であり、加賀百万石を譲られた恩を深く感じ、時の名匠に七堂伽藍を完備させ、周囲に壕をめぐらし、屋根は鉛板を使うなど、まさに城郭の姿を思わせるものがあったとされる。平成9年に、山門(上写真右側) 、仏殿(下写真左側)、法堂(下写真右側)が国宝に指定され、総門(上写真左側)、禪堂、大庫裡、回廊、大茶堂が国の重要文化財とされている。



       お堂の内部のつくりも見事であり、佛殿にはご本尊として、中国明代の釈迦・文殊・普賢の三尊が祭られていた。また、法堂の奥の内陣には、二代藩主前田利長公のご位牌が安置されていた。ことあらば、いつでもお城に変わりうる城郭の姿を思わせ、回りを300メートルの回廊で結んだ典型的な禅宗伽藍形式の1663年建立のお寺であった。


6、むすびー「永平寺」「永光寺」「總持寺」「瑞龍寺」を2泊3日で駆け巡って−

      大本山道元大和尚の「永平寺」を詣でて、一泊して参禅に参加するなど貴重な体験をし、瑩山大和尚の「永光寺」と「總持寺祖院」を訪問して昔を偲び、前田家の国宝級といわれる「瑞龍寺」を訪問してご説明を受けて、実に貴重な2泊3日の旅であった。これらの曹洞宗のお寺巡りは、私にとって初体験であり、忘れられない心に沁みる思い出となった。お世話になった皆様に心から御礼を申し上げるとともに、出来れば、来年も、今回のような説明付きのお寺詣でを企画していただきたいとお願いするものである。

       なお、本文を詳しく書けたのは、それぞれのお寺でいただいたパンフレットのお陰であり、それぞれの表紙の写真が素晴らしいので、参考文献の替わりとして、末尾にコピーしておきたい。





(以上)(2017/12/03)



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