念願の2泊三日の広島訪問で原爆被災を改めて確認して

−二度とあってはならぬと願って、残された悲痛な被災現場の姿を改めて胸に刻んで来ました−
−ここには世界遺産が二つもあり、併せて宮島の厳島神社の古さに感動してきました−広島旅行写真集−



念願の2泊三日の広島訪問で原爆被災を改めて確認して

−二度とあってはならぬと願って、残された悲痛な被災現場の姿を改めて胸に刻んで来ました−
−ここには世界遺産が二つもあり、併せて宮島の厳島神社の古さに感動してきました−広島旅行写真集−

1、はじめに、

      私が30歳ころに訪れて以来、何と50年ぶりの訪問、女房は初めてという広島に、かねて念願の二泊三日の広島旅行を、やっと実現することになった。目的は毎年8月に、TVで見ることになるあの原爆被災の記録をこの目で改めて現地で確認し、被災者の冥福を心から祈ることにあった。新幹線で東京駅から4時間の久し振りの列車の旅を楽しんで、広島のホテルは、KKR広島で、とても落ち着いた旅行をすることができた。着いた当日の夕刻に、ホテルの直ぐ傍の広島城を訪れることができ、翌日は一日中、観光バスで、午前中は原爆の平和公園をゆっくりと散策し、午後は宮島観光という計画であり、三日目は新幹線に乗る前にホテルの直ぐ傍の縮景園という庭園を散策するというゆとりのある計画が実現でき、寒かったが天気にも恵まれて、良い旅ができたと喜んでいる。その一端を豊富な写真でご報告したいと考えた。


2、広島城を訪れてー原爆で石垣は残されたが、天守閣は再建されていた−

       広島城については、全く予備知識がなかったが、歴史を見ると、毛利家の居城で、毛利輝元が築城したが、関ヶ原の戦い以降は福島正則の居城となり、その後は浅野家が、版籍奉還までの約250年間、広島城主を務めたとされる。



       原爆で倒壊した天守閣を昭和33年に再建して今日に至っている。太田川河口の三角州に、四方を堀で固めた平城であり、別名を「鯉城」とも呼ばれており、広島カープの名の謂われとなっていることに気がついた。

3、原爆ドームと平和記念公園慰霊碑を巡り、平和記念資料館を視察した、

       広島電鉄の原爆ドーム前の方からドームに近づき、廃墟の前でドームをしばし見上げて、目に焼き付けた。規模が大きいので、廃墟としてこのまま長期間保存することが大変であろうと思われた。相生橋を渡って、途中から平和公園の中州に入るが、島の両側の河には、被爆直後は、河が逃げる人であふれるほどで、みな水を求めていたという。中州から原爆ドームを望むと、川向こうの破壊前のこの建築物の写真が飾られており、以前はどのような建物で、どのように破壊されたかが較べて写真に残せるようになっていた。





       公園には平和の時計塔や平和の鐘などがあり、千羽鶴の少女の追悼碑がひときわ高く聳えて、沢山の千羽鶴がいまでも各地から届けられているようであった。
       毎年、8月6日の式典の中心になる原爆死没者慰霊碑は、碑の中を覗くと中央に原爆ドームが位置しており、祭壇には沢山の献花で飾られていた。




       それから公園内を歩いて平和記念資料館に入館し、一時間ぐらいの時間をかけて、ゆっくりと館内を一周した。放射線による被害、熱線による被害、爆風による被害、などについて、残された貴重な遺品によって語らせようとした膨大な集積の展示があり、私は二度目であったが、改めて見直して感銘を深くした。




      今回、相生橋を渡って平和島に入ると、案内の地図には何と56種類の記念碑的なものがあり、50年前と較べて、とても多すぎて見ることはできなかった。また、資料館も、増設された東館は生憎の工事中であり、残念ながら見ることは出来なかった。しかし、今回お墓に入る前に是非もう一度見ておきたかった原爆ドームと慰霊碑に手を合わせることが出来て、本当に良かったと思った。




4、宮島に渡り、大鳥居を見て、厳島神社に参拝をし、五重塔にお参りをした、

        国際会議場のレストラン・セレナーデで早めの昼食をとり、バスは一路宮島へと向かい、フェリーに乗り換えた。明日と明後日の土・日には、平和公園から直接フェリーで宮島に向かうという。土日は車の混み方が違うせいであると説明を受けた。さて、フェリーでは、清盛も建てたと言われる大鳥居が遠くに見え、次第に近づいてきたが、生憎の逆光で写真を撮ったがよく見えなかった。島に渡って、清盛公の銅像に敬意を表し、神社の鳥居をくぐって、大鳥居の前に出た。素晴らしい景色であり、この島の歴史の重みをつくづく感じていた。ガイドさんの話によるとこの大鳥居は、石の重みだけで支えているという話であったが、干満の差が激しい海中の建物なのでそうなのかもしれないが、土木屋としては基礎がしっかりしていない構造物は直ぐ駄目になるので、もし津波などが押し寄せたらどうなるか不思議な気がした。





     神社の境内には沢山のシカがおり、なれなれしく近づいてきて餌をねだっていた。神社内は沢山の人の列で、結婚式を挙げた二組のカップルが大勢の前で記念写真を撮っていた。神社への参拝を行ない、神社から大鳥居や五重塔を眺めて外に出たが、その周囲にいろいろなお寺があり、神仏一体の古くからの神聖な信仰の島であることが良く理解できた。







      厳島神社を後にして、五重塔に行きたいと歩き出した。信仰の島であることが良く分る川に沿っての道であり、狛犬がいたり、面白い樹木があったりして、沢山の階段を上って五重塔の正面にたどり着いた。高さ27メートルとされているが、そばに来ると見上げるような高さがあった。




      五重塔をおりると、後はフェリーの桟橋まで、清盛通りと称する宮島参道商店街が両側にずらりと並び、100軒のお店を超える大変な商店街。世界一の大しゃもじがあると聞かされ、なるほどと感心させられた。






       夕刻になって来て、海は風が次第に強くなり寒くなってきたが、再びフェリーに乗って宮島口に到着し、再び帰りのバスに乗り込んだ。この宮島詣でも、まずまずの良い天候に恵まれて、とても良い旅ができたと思う。一日に世界遺産を二つも見ることが出来たのは、それを謳い文句にした観光バスツアーのお陰であると感謝したい。
        バスを降りて、新幹線駅のショッピングセンターでお土産を物色し、その足で食堂街のレストランで夕食となった。私は当然の牡蠣料理店を探し、好物の牡蠣フライと牡蠣かま飯を注文し、飲み物はお店お薦めの「酔心」の熱燗でいくことにした。お腹いっぱいの牡蠣料理に、東京では味わえぬおいしさを感じながら、素晴らしい一時を過ごした。




5、名勝の「縮景園」を訪問してから、新幹線へ乗り込み、一路、東京へ、


         昨日、全く予定通りに二つの世界遺産にお参りすることが出来たので、帰りの今日は、淺8時の朝食で、9時にホテルを出て、歩いて名勝の「縮景園」を訪問してから、新幹線に乗ることにした。




          庭園は地図では近かったが、入り口が県立美術館の隣であったため、20分ぐらい歩いて、老人割引の恩恵を受けて無料で入場することが出来た。この庭園は、藩主浅野長晟が1620年に別邸として築造し、中国杭州の西湖を模して縮景した庭園とされ、広島に色づく江戸文化の香りがただようとされた名園であった。原爆で完全に被災し、戦後時間をかけて復興して、中央の池に大小の島を浮かべ、山、渓谷、橋、茶室、四阿などを配した回遊式庭園である。







        広い池には色鮮やかな大きな鯉が沢山おり、餌を求めて沢山近寄ってきたのにはとても驚ろかされた。このように人慣れした鯉たちも珍しいし、ハトも近寄ってきて餌を求めて腕に飛び乗ったりしていた。昨日のバスのガイドさんが、そごう本店の前を通りかかったときに、デパートの建物の輪のような模様は「鯉のウロコ」であるという話をしていたが、千葉市のそごうも柏市のそごうもこの模様であったことを思い出した。広島はどうやら「鯉の街」であり、広島市と千葉県はそごうデパートで共通点があると言うことを再認識した。


6、念願の広島旅行を終えて−天候に恵まれ、無事、目的を達成したことを感謝する−

        新幹線では、楽しみにしていたお弁当をゆっくりと味わい、美しい浜名湖や、 天気が良くて映えて見えた富士山の姿を仰ぎ見て、沿線の風景を楽しみながら、4時間の新幹線をあっという間に過ごしていた。東京駅からの品川始発の常磐線に乗れたことも、面倒な上野の乗り換えがなく、非常にラッキーであった。このように、天気も良く、行く先々で、ラッキーに恵まれて、実に楽しい旅を続け、二つの世界遺産に手を合わせてくるという目的を、無事、達成したことを心からうれしく思っている。


(以上)(2015/12/10)



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