久しぶりの2泊三日の沖縄観光旅行

−美ら海水族館も首里城も素晴らしくなり、沖縄の民族舞踊も各所で見ることが出来、念願のひめゆりの塔や平和記念博物館で合掌してきた−沖縄写真集−

久しぶりの2泊三日の沖縄観光旅行

−美ら海水族館も首里城も素晴らしくなり、沖縄の民族舞踊も各所で見ることが出来、ひめゆりの塔や平和記念博物館で合掌してきた−沖縄写真集−

1、はじめに、 

      国内の遠出の旅行は、大学時代の土木の同期会の旅行か、一条中学三年五組の旅行会の旅行を楽しみにしていたのであるが、2年ほど前から両方とも旅行会は欠席が多く駄目になり、結局は飲み会だけが細々と続くだけとなった。海外は費用もかかり大変であるが、国内ならまだ行っていないか、仕事でしか行ってなくて観光をしていないところも多い。一人旅は大変であるので、今度は女房と一緒に、二人で意見が合う場所を定め、手続きが面倒なので、多少高くなっても、主な観光スポットを廻ってくれ、ホテルなども予約されているツアー旅行を考えて見ることにした。
      今回は初めての試みで、女房の意見に従って、女房が一番望む沖縄を選定し、見たいという沖縄美ら海水族館、那覇市内観光、世界遺産首里城、ひめゆりの塔と玉泉洞などを含む2泊3日の近畿ツーリストのツアーを選定した。私は、その昔、沖縄海洋博に一度行っており、那覇市内のみ、仕事で数回行っているが、最近出来たモノレールも知らず、海洋博跡地の美ら海水族館も知らないので、とても良いツアーであると賛成した。そのスケジュールの概要を示すと次の通りである。

●11月27日(木)、羽田発8:55、那覇着11:40、空港発、国際通りにて昼食、商店街・牧志公設市場(2時間)14:40発ビオスの丘(50分)、17:30着リザンシーパークH、夕食、泊、
●11月28日(金)、ホテル発8:00、万座毛(20分)、沖縄美ら海水族館(2時間30分)、ソバ屋で昼食後パイナップルパーク(1時間)、琉球村(1時間半)、ホテルロイヤルオリオン泊、
●11月29日(土)、ホテル発8:00、首里城全体で2時間、沖縄ワールド・玉泉洞(昼食と観光2時間半)、ひめゆりの塔(約30分)、空港着16:10、食事後、空港発18:40、21:00羽田着、

    以下はこの2泊3日の沖縄旅行の結果報告である。写真での紹介を中心に、行く先々印象的だった沖縄らしいものを写真で取り上げて、ご報告にかえたいと思う。


2、ビオスの丘−亜熱帯の森と沼の自然散策路−沖縄中部うるま市− 

     那覇から高速道路に乗って石川インターで降り、近くの森の中を走って、いきなり亜熱帯植物が生い茂る森に案内された。何と沢山の種類のランが咲き乱れ、見慣れない植物に囲まれた別世界が広がっており、沖縄らしい動物が、植物の衣裳で、われわれを歓迎してくれた。散策路ばかりでなく、湖水鑑賞船もあり、船からも見慣れない風景を堪能できた。沖縄の衣裳を着けた女性が踊って、出迎えてくれたのも嬉しかった。





      ビオス(Bios)とは、ギリシャ語で「生命」や「命」を現すという。現代の都会から離れて、いきなりここに来ると、確かに一息ついて、亜熱帯植物の発する空気を吸って生き返ったような気持ちにしてくれるものが、この石川高原にはある。高原なのに原始的な沼があり、何かが出てきそうな、不思議な沖縄らしい命の溢れた自然植物園であった。








3、リザンシーパーク・ホテルでの沖縄踊りと象の鼻(万座毛)−沖縄中部恩納村− 

       最初に泊まったホテルは、素晴らしい海岸に隣接したリゾート・ホテルであり、ここでは結婚式からあらゆる海浜リゾートを楽しめる豪華な滞在型ホテルであり、たった一泊するだけではとても心残りする残念なホテルであった。都会のホテルと違い、全てホテル内で、食事から買い物まで、済ませなければならないが、夜食と朝食は食べ物や飲み物が実に豊富なバイキングであった。夕食をビールと泡盛のオンザロックの飲み物に豊富な和食で、充分過ぎるぐらいに頂いたが、大ホテルのせいか、中国人などの外国人が多く、彼らは大勢で行動しうるさいので、余り落ち着かなかった。












     このホテルでは、観光客のために専属の舞踊団がいて、ステージを見せてくれるというので、初めてのことでもあり楽しみにしていた。何と女性ばかりのチームであったが、衣裳も動きも素晴らしく、活気があり、太鼓を叩きながら踊るシーサーという踊りは、実にそばで見ると迫力があり、これはまさにライブの魅力だなと感じてきた。



          ホテルを出てしばらく走り、海岸沿いの道を北に向かうとしばらくして、万座毛という絶壁の崖の海岸縁に出て、一体が遊歩道で散策できる観光スポットになっていた。早速、象の鼻に似た面白い岩礁の写真を撮った。ここは広々とした原野の中の崖っぷちという感触であったが、雨風の時には吹きさらしになるし、大変なところであろうと思われた。



        万座毛を後にすると、バスは海岸通りを、一路、ひた走り、景色の良いリゾートホテルなど見ながら北へと進み、名護市を経由して、本部半島に入り海洋博公園へと進んでいた。
        私は建設省の現職時代、海洋開発を担当していたときに、丁度、復帰直後の沖縄の海洋博の総括担当となり、海洋博施設建設直後に現地に視察に来たことがある。当時は道路が狭く、本部半島までは大変な道のりであったが、今は景色を楽しみながら、2時間足らずで到着でき、沿道も豊かになって、当時とは雲泥の差があると思った。


4、美ら海水族館など−広々とした沖縄海洋博公園−沖縄本部半島− 

    沖縄の海洋博公園に到着したが、車中でその広々とした海岸線沿いの施設に圧倒され、これはとても見きれないと痛感した。海洋博公園のパンフを渡され、別に美ら海水族館のパンフを見て、2時間余りだと、水族館の方を見るだけであると気がついた。駐車場を降りて、バスを確認して、総合案内所から下りのエスカレータに乗って、水族館へと向かった。入り口を入ると、もう無我夢中。早速、魚の姿を追いかけていた。







     水族館はサンゴ礁から始まって、ジンベエザメや巨大マンタがいる黒潮への旅と続き、これだけの施設が良く出来たものだとと感心しながら、迫力ある水槽の魚の元気な姿を追っかけていた。やはり、これまで見たどこの水族館よりも、魚が多く広々として、人間さまも魚たちに見られている感じがした。





     夢中で見ているうちに、ここしか居ないと言われるジンベイザメやマンタの姿も見え始め、水槽の中を目を透かすと、いろいろな小さい魚の姿を見ることが出来た。岩陰には巨大な海老の姿も見つけることが出来たし、時間さえあればまだまだ、いろいろな魚を見つけることが出来ると思った。

                時間を忘れて水槽巡りをしているうちに、どうやら入り口の3階から1階まで降りてきたことになり、戸外の空気を吸って、一休みした。水族館の先には、ウミガメ館が見え、その先にマナティー館が見え、その先にイルカラグーンがあり、それらを一巡りすることにした。中でも驚いたのはここの芸達者なイルカ達の姿が大きいことで、もの凄いスピードで動き回り、芸をするのに驚かされた。
          この旅行で、最も期待していた水族館巡りを終えて、ホッとするとともに、昼過ぎになって来たのでお腹が減っていることにも気がついた。


5、大家(うふやー)でのそば昼食、ナゴパイナップルパーク、琉球村での舞台−本部半島から恩納村− 

         昼食で沖縄そばを食べたが、ソバとウドンを一緒にしたような感じで、残念ながら、豚のだし汁は美味しいのであるが、大好きとは言えなかった。その昼食会場が、何と沖縄風の古民家である大家(うふやー)であり、このお店はとても気に入った。写真のように、建物ばかりでなく、その周辺が公園のような広い敷地に恵まれており、素晴らしい場所であった。





     昼食会場を出る頃から雨が降り始め、次のナゴパイナップルパークについた頃から、傘が必要になっていた。パイナップル公園は、そのせいか写真を一枚も取っていないし、土産物屋で試食やワインの試飲をした記憶ばかりが残っている。続く 琉球村(恩納村)では、沖縄各地域からの特徴ある旧○○家の住家は、雨の中一廻りしただけで、結果的には雨のためエイサー会場に逃げ込み、ここで雨宿りをしながら、舞台を見るということになった。

   







       この琉球村の舞台では、国王・王妃・三司官が顔を揃え、その前で古武道の演技が行われ、獅子舞が器用に行われたが、なかなか芸達者で迫力があった。また、太鼓・踊り手で三線にあわせて踊るエイサーも行われていた。ここでは、各地域で異なる踊りも披露されるようであり、民俗芸能と言っても奥の深いものであることに気づかせられた。


     6、巨大な首里城を訪ねて−少しずつ工事が進み、次第に完成に近づきつつあるが、広いので大変である− 

       ホテルを7:45分に出発し、首里城公園の駐車場(地下2階)に着いたのは8時過ぎ。それでも修学旅行の沢山のバスが車庫に入っていた。地図を見ると、この駐車場の上の建物を首里社館と呼んでいるようだ。この入り口から守礼門は、その先に見えており、修学旅行の生徒達がつながっていた。








       この守礼門は、最初に現れる華やかな門で、中国風の造りの門であるが、赤瓦を施して沖縄らしい姿を見せていた。沖縄戦で焼失し、1958年に復元され、沖縄観光のシンボル的な存在とされてきた。門をくぐってしばらく歩くと、左手の城壁に造られた古くさい小さな門が見えた。後で調べると何と「園比屋武御嶽石門」と言い、1519年に建造され、国王も礼拝したという国の重要文化財のようであった。その先の右手にあった石門は、「歓会門」か?。何重にもチェック出来る石門が築かれていた。









      首里城の正面に向かうには、長い階段を上ってその先にある「瑞泉門」をくぐらなければならない。この瑞泉門を通り抜けると、広場がありその先に、赤い木製の首里城の外壁が見えてくる。お城に入る入り口は、石段を上がって「奉神門」が、首里城の入り口となっている。この門では沖縄の衣裳を身につけた守衛さん達が開門の儀式を行っていた。この奉神門から有料となり、配布された入場券を持って首里城の内部に入った。中は広場になっており、正面の赤い建物が正殿であり、出来たばかりの姿で、入場を許されていた。この広場は、正殿、北殿、南殿・番所、奉神門の4つの建物で囲まれており、国王が主宰する儀式などが執り行われたという。





      正殿の入り口で、手渡されたビニール袋に傘も靴も入れると、正殿の内部に入場が許された。ここは国王が政治や王家の行事を司った首里城の中心部であり、国王の玉座、御差床まで、覗くことが出来た。御差床の前には、2つの金の龍柱が立つなど、国王の威厳が保たれていた。この黄金御殿のほか、奥書院、近習詰所などがあり、これらの和室から、外部の庭がよく見えた。首里城内部の儀式の様子が、模型で示されており、面白かった。





         修復された首里城を後にして、時間があったので、地図にあった弁財天堂を巡ってから琉球の王族が眠る世界遺産の玉陵(たまうどうん)を訪問したいと考えた。始めの弁財天堂は円鑑池に浮かぶ小島に建てられた小さなお堂。中国風のもの凄く古い石橋を渡って行くのであるが、写真になったのはこの古い橋だけであった。歴代の国王や王族のお墓が約80基ほど安置されていると言われる玉陵では、真に残念ながら、墓陵の外壁を見るだけで時間切れとなり、資料館は見られなかった。


7、沖縄ワールドと玉泉洞、そしてひめゆりの塔とひめゆり平和記念資料館 

         次の目的地は、長さ1000mと言われる鍾乳洞の「玉泉洞」を訪問後、ハブ博物公園や伝統工芸展示施設や琉球王国城下町などの施設が点在する琉球王国おきなわワールド文化王国を訪れ、そこで時間遅れの昼食となっていた。首里城から沖縄南部へバスで約30分のところにあり、丘陵地が続き、ところどころで太平洋を望むことが出来た。鍾乳洞に着きその入り口で写真屋さんに捕まり、記念写真を一枚。洞窟から出てくると写真が出来ているという。玉泉洞は規模が大きく立派なもので、中は蒸し暑いくらいで、冬の装備では、出てくるときは汗だくであった。
   沖縄ワールドを後にして、さらに南に下ると、沖縄戦の終結地として今だ戦跡が残る場所が点在し、かねて念願のひめゆりの塔や沖縄平和記念資料館を訪れることが出来た。





         ひめゆりの塔は、沖縄戦で亡くなったひめゆり学徒たちの慰霊碑であり、ここには沖縄師範学校女子部と沖縄第一高等女学校の教師・生徒240名中約136名がここで命を落としたという。碑の下に洞窟があり、この中が戦火を避けて負傷兵たちの野戦病院となり、ここで兵士や看護要員たちが犠牲になったという。この碑が出来て、同級生たちの語り部たちが活動しやすくなったと言われている。資料館には、激戦を物語るいろいろな写真や当時の面影を残す資料が展示されていた。そして、今も尚、80歳を超える語り部さんたちが、資料館の片隅で、修学旅行の生徒たちの前で、当時のもの凄さを語っておられたのには瞠目せざるを得なかった。資料館ではこのような戦争で犠牲になった学校の生徒たちの碑が、各地に分散して10を超えるほどあり、各地で展開された戦争の怖さ、もの凄さを物語っていた。


8、おわりに−沖縄の那覇飛行場で疲れを癒やして− 

          那覇空港に到着したのは、乗る飛行機の発時刻18:40分に対し15:30分に到着したが、約3時間の待ち時間があり、草臥れて余り動きたくないので、空港内のレストランでビールを飲みながら時間を潰すしか方法はなかった。お陰で、写真の整理などが、片づいた。バスの周遊旅行は、交通事故などで飛行機に遅れたら大変なことになるので、このように早めに到着するものらしい。
          羽田にはほぼ予定の時間の21時10分に着いたので、柏行きの高速バス9:30分に間に合うことになり、柏終点まで1時間10分プラス自宅までタクシー10分で、モノレール・電車を乗り継ぐよりも遙かに早く、動かずに、安心して帰宅することが出来た。

          2泊3日の沖縄旅行は、楽しく、予定通り終了し、無事帰宅できてホッとしている。二人合わせて153歳の旅行であるから、何か起こってもおかしくないが、今回は全く問題なく、沖縄の土砂降りに遭って驚いたが、踊りなどを各所で見て、予想外の収穫があったように思う。途中で修学旅行の生徒たちと、往復の飛行機から一緒であったが、平和な国に育った生徒たちには、沖縄は戦争の悲惨さを良く学ぶことの出来る絶好の地域であり、外国旅行よりも沖縄を知ることが生徒たちには重要であると思った。元気でつつがなく帰宅できたことを感謝して、ここに旅行記を終えたいと思う。

(以上)(2014/12/03)


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