2014年フェラインの仲間と行く初めてのルッツエルン音楽祭とロベレート音楽祭(1)スイス旅行編−写真集1−
−チューリヒ・ルッツエルン・ジュネーブの古都市の町並みの史跡巡りと伝統あるルッツエルン音楽祭など−

−初めてのスイス訪問で、チューリッヒ・ルッツエルン・ジュネーブの古都市の町並みの史跡巡りなどを楽しみつつ、ルッツエルン音楽祭でゲバント・ハウスのマーラーの第3番やムッターのヴァイオリンのコンサートを楽しんだ。連日の快晴にも恵まれて、ルッツエルンで船と登山電車でリギ山(1750M)で展望しようという望みも達成できたが、期待していたジュネーブのオペラ座での「リゴレット」が、モダンな新演出で、サーカス芝居のような豪華さがない演出で気に入らず、残念であった−

2014年フェラインの仲間と行く初めてのルッツエルン音楽祭とロベレート・モーツァルト音楽祭(1)−スイス旅行編−                

  倉島 収(千葉県柏市K.449)

1、はじめに、 

    2年前のロベレート音楽祭に続いて、当フェライン顧問の久元祐子先生が今回も音楽祭で演奏することになったので、応援をかねて現地の音楽祭に参加することが今回の旅行の第一目的であった。前回と同じイタリアだけでは寂しいと考えて、今回は前回と趣向を変えて、スイスの有名なルッツエルン音楽祭を見てからロベレートに入ろうということになった。ところが、アバドが急に亡くなって、アバドのいないルッツエルン音楽祭なんて、と考える人が出てきたせいか、今回はフェラインの女性陣に体調不良者が続出し、結局は先生を含めて総勢8人の最小の体制となってしまった。今回は久元先生の使っていた朝日旅行社が、プランや切符の手配を担当してくれた。音楽祭の参加日程はルッツエルンが2日間、ロヴェレートが3日間を中心に、全10日間の日程となっており、その概要は以下の通りであった。

   今回も豊富な写真を利用して、前半のルッツエルン音楽祭を中心とした、チューリヒ・ジュネーブの紹介を含む(1)スイス編と、ロベレート音楽祭を中心としたイタリアのボルツアーノ、クレモナ、ヴェネツイアなどの訪問都市を紹介する(2)イタリア編とに分割してご報告したいと思う。

●9月7日(日);スイス航空10:25成田発、15:50チューリッヒ到着、チューリッヒ泊、
●9月8日(月);午前チューリッヒ市内観光、M足跡探索訪問、午後14:00古都ルッツエルンへ、19:30アラン・ギルバート指揮ゲヴァントハウスO、マーラーの交響曲第3番、ルッツエルン泊、
●9月9日(火);朝から 船と登山電車を乗り継いで、リギ山(1750M)山頂の展望台へ、15:00よりしない散策、19:30ムッターとオーキスの演奏会、ルッツエルン泊、
●9月10日(水);特急列車でルッツエルン発9:00、11:45ジュネーヴ着、市内観光、M足跡探索訪問、19:30オペラ劇場で「リゴレット」、ジュネーヴ泊、
●9月11日(木);特急列車でジュネーヴ発7:42、ミラノ中央駅着13:00(1時間遅れ)、ダビンチの傑作「最後の晩餐」の見学(サンタ・マリア教会)、15:00、専用車でロベレートへ、 20:45音楽祭ピアノコンサート、ザルツ音楽大学演奏会K.375、K.414など(ピアノ、アンナ・ラヴィチェンコ)、ロベレート泊、
●9月12日(金);専用車で日中、ポルツアーノ観光旅行、17:00久元祐子リサイタル、モーツァルトとショパン、全員の夕食会、ロベレート泊、
●9月13日(土);専用車で日中、クレモナ観光旅行、夕刻ロベレート市内観光、ゲーテとモーツァルトの宿泊ホテルの銘板発見、20:30ターフル・ムジーク「ドン・ジョヴァンニ」、ロベレート泊、
●9月14日(日);専用車でヴェネツイアへ、ホテル到着後自由行動、15:00フェニーチェ劇場でオペラ「トロヴァトーレ」、最後の夕食会、ヴェネツイア泊、
●9月15日(月);ホテルからヴェネツイア空港へ、チューリッヒ空港経由で、機内泊、●9月16日(火);7:50成田着、


2、チューリヒの市内観光とモーツァルトの足跡探訪、 




    成田を発った9月7日(日)の午後16:00にスイスのハブ空港であるチューリヒ空港に到着し、この地が宿泊地であったため、通常、乗り継ぎに要する時間が節約でき、18:00には市内を見ながら、チューリヒ湖を眺望できるリバーサイド・レストランで、全員初顔合わせの夕食会をしようということになった 。明日は案内ナシの市内観光のため、ガイドさんが奨める市営の電車・船・美術館などの観光1日券を入手し、明るい夕刻にホテルを出発した。電車に乗って旧市街地に出て、リマト川沿いのボート乗り場から船に乗って、チューリヒ湖を眺望できるレストランに到着し、ビールやワインを楽しみながらリゾットを味わった。




    モーツァルトがスイスを訪れたのはただ1回だけで、あのロンドン・パリへの大旅行の帰路、1766年8〜10月ジュネーブ、ローザンヌ、ベルン、チューリヒの順路でスイスを通過し、11月にミュンヘン経由でザルツブルグに戻っている。チューリヒには、9月27日頃からおよそ2週間滞在したようであり、ミュンヘン発の1766年11月10日のハーゲナウアー宛ての手紙には、「二人の学識あるゲスナー兄弟が滞在を楽しませてくれた」という記述が残されており、また、聖母マリア教会の隣の音楽堂で10月7日および9日に音楽会が開催されたようである。ザロモン・ゲスナー著の「ゲスナー著作集」がモーツァルトの蔵書の中に残されており、その時の友情の証を示すものと考えられていた。




  これらのモーツァルトの史実を頼りに、父子が必ず立ち寄ったであろう旧市庁舎、大聖堂、聖母教会などがある旧市街地を散策するため、翌朝には新市街地にあるホテルから南北に走る市電に乗って、川沿いの旧市庁舎から歩き出した。旧市庁舎では議会が開かれていて入出が厳重であり、二本の塔のある大聖堂には入れず、シャガールの描いたステンドグラスや巨大なパイプオルガンで有名な聖母教会で写真を撮った。




      教会の隣のらしき建物に入って、親子の足跡がないかと聞いて、5階のらしき部屋に案内され、美しい天井画のある大聖堂が窓越しに良く見える眺めの良い部屋に案内されたが、ここだと決め手になるものは残されていなかった。一方、再び議会が開かれている旧庁舎を見学したり、その向かえにあるギルド会館を見たりしてから、その裏路地をウロウロしているうちに、写真のような1766年若きモーツァルトと、1779年ゲーテがこのザロモン・ゲスナーの館を訪問したことを記念するプレートを発見した。




      ゲーテ探求者の篠田さんが、歩いていて偶然、見つけたもので、その時はゲスナーがどういう人か知らなかった。大聖堂に向かう路地にプレートがあり、親子がこの付近をウロウロしていたことは間違いないと思われた。大聖堂の巨大なステンドグラスも立派だったので、記念に記録に残しておく。レオポルドの手紙、その地域の過去の記録、ゲーテに関する記録など、あらゆる情報を集積して、当時の事実関係を推察していく必要があるが、このような事実関係を実証したプレートの存在が、実に頼りになることが分かった。


3、ルッツエルン音楽祭のKKLコンサートホールで2つのコンサートを楽しんだ。

     音楽祭は8月15日から9月14日(日)まで約1ヶ月にわたって行われており、われわれが訪問した最初の9月8日のコンサートは、夜19:30から、アラン・ギルバート指揮ゲヴァントハウス管弦楽団で、マーラーの交響曲第3番が演奏されることになっていた。当初はこのオーケストラの常任指揮者シャイが振る予定であったが、急病のため、指揮者が日本にも良く来ているアラン・ギルバートに変更になっていた。コーラスも少年合唱団もライプチヒの皆さんがそっくり演奏していた。




夕刻になると、湖畔に秋風が漂い、湖の向こうには明日登山するリギ山がくっきりと姿を現していた。音楽祭のシンボル・マークが照らされており、会場付近の軽食堂で夕食を済ませて、今やNHKなどの放送でお馴染みになったKKLホールに入場した。マーラーの座席は前から4列目のほぼ中央で、オーケストラの一・二列目ぐらいはよく見えるが、舞台奥の木管・金管は見えず、もう少し後ろか二階あたりの方がよく見えるように思われた。6楽章のマーラーの交響曲は、第一楽章が長く、その後、特徴ある楽章が続き、アルトのソロが入ったり、合唱が入ったりしていろいろな様相を示すが、ライブの演奏を聴くのは初めてであった。一列目のコンサートマスターの次席に禿頭のズスケが目についた。モーツァルテイアンには、気が遠くなるような長い長い音楽であった。



      KKL内では写真が禁じられていたので、後ろのパイプオルガンと翌日のムターの舞台における演奏者のいないピアノの姿を乗せておこう。二日目の9月9日(火)のムターのコンサートの曲目は、ペンデレッキという人の作曲したヴァイオリン独奏曲で主題と変奏曲のようであった。第二曲目がモーツァルトのヴァイオリンソナタホ短調K.304であり、遠くて音が小さすぎたがまずまずの演奏であった。続いて、彼女の夫君であったアンドレ・プレヴィンのヴァイオリンソナタ第2番という初めて聴く曲。休憩後は、ベートーヴェンのクロイツエル・ソナタであり、堂々とした立派な演奏であった。




         また、市内を歩いていたら、ゲーテが1779年に滞在したホテルを示す絵姿が示されていたので、その建物と周辺の美しい飾りの付いた建物を示しておこう。

4、ルッツエルンで船と登山電車を乗り継いで、観光の名所リギ山(1750M)山頂の展望を楽しむ




     リギ山への船は中型の観光船で、登山電車の出発駅のあるヴェッキスというところまで、フィアバルトシュテッター湖を約1時間ほど進む。湖の沿岸にある途中駅は、もの凄く美しい。






      駅では1時間おきに出ている登山電車に乗り替えることになるが、4列の列車が15度くらいの傾斜の坂をアプト式の軌道で、ぐいぐいと力強く登り進むものであった。山頂まではおよそ30分ほどか。途中の車窓から湖を見渡す景色は絶景であったが、上手く写真が撮れない。標高が高くなるにつれもやがかかってきて、山頂での展望が心配であった。山頂1750m−湖水標高430m=1320mほど列車で一気に登ったことになりそうである。






山頂では、始めは霧で何も見えないようだったが、目を透かしてみると霧の晴れ間に下界が見えるようになってきた。日が射すようになると360度の展望が可能になるのであろう。われわれは、当初は絶望的であったが、時間とともに何とか少しでも遠望が出来るようになり、これなら見えないより良かったということになった。山頂で軽食を取っているうちに、少しは写真の写りが良くなりホットしているが、下山し始めた午後には雲に包まれていた。




        ガイドブックには、天気の良い日には、氷河と万年雪を抱いた山々が連なるアルプスを遠望できるという。最高峰のフインスターアールホルン(4274m)からユングフラウ、アイガーまでずらりと並んだアルプスのパノラマが壮観だとあるが、初めて登って全てを見るのは贅沢か。各頂の細かな名称を記載した看板があったので、その方向を並べてみた。見えないのは、真に残念であった。




      帰路は登山電車を中途で降り、ケーブルカーに乗リ替えて、急な山を一気に下り、再び船に乗って、ルッツエルンに戻ってきた。コンサートまで時間があったので、市内をウロウロしたが、一見の価値があるとされた瀕死のライオン像は、確かに見応えがあった。






       その他、湖に映えるイエズス教会、木造二階建てのカペル橋と水の塔など歴史的建造物が素晴らしかったし、一方では、音楽祭の会場となったKKLコンサート会場の近代的な美しさが強く印象に残り、夏のルッツエルンの素晴らしさを実感した。

5、初めての汽車旅で、古都ジュネーブを探索し、オペラも楽しんだ。

    ルッツエルンからジュネーブへは初めての列車での旅。山と湖が美しい車窓の風景を充分に楽しみながら約3時間で古都に到着した。スイスの各都市は、いずれも旧市街地と新市街地とに分かれ、戦災に遭わなかったところから、旧市街地が実に良く整備されている。ジュネーブもそのような美しい都市であった。






   ホテルに着くと、早速、レマン湖を望みながらモンブラン橋の方へと散策する。140mと言う大噴水があり、遠くにアルプスの山々が見えるはずであったが、天気が良すぎて、美しい雲の陰に隠れてよく見えない。オーストリアのエリザベート皇妃がイタリア人のテロリストに、あの建物から出てきて襲われたと言うあたりの写真を撮ったが、景色に夢中になって、いい加減にガイドの話を聞いていたので、さっぱり良く分からなかった。






      続いて、旧市庁舎やサン・ピエール大聖堂のある旧市街地へと町並みを急いだが、良く保存された町並みであった。大聖堂は宗教改革の殿堂だと言われているが、余り時間が無く、美しいステンドグラスとオルガンの写真を撮っただけで、次へと急いだ。モーツァルトのジュネーブ滞在はチューリヒのところで述べたように、大旅行の帰路、リヨンからジューネーブに入り、20日余り滞在し、市庁舎で2回演奏会を開いたことだけが、父親の手紙で報告されている。その旧市庁舎は戦災に遭わずにそのまま残されているが、現在でも、他の目的に利用されており、それらしきコンサート会場のような部屋が残されていたが、事実関係を説明するものは明らかでない。ガイドさんによると、あらかじめ部屋の所有者に事前に予約して、訪問しなければならないようだ。部屋のプレートから察すると、現在は知事室の事務局として使われているようであった。当時の建物が、今でも使われていること自体、驚くべきことであった。






        オペラ劇場は旧市街のど真ん中にあり、戦災に遭わなかった建物に見えたが、とても重厚であり、内部も余り大きな舞台でなく、5〜600人止まりの落ち着いたこじんまりした劇場に見えた。当初の紹介では、ジルダ役にエカテリーナ・シウリーナの名が挙がっており、彼女はザルツブルグ音楽祭でイリヤ(2006)やツエルリーナ(2008)を、またパリ・オペラ座でセルヴィリア(2005)やスザンナ(2010)を歌っていたので、心の中では期待していたが、残念ながら プログラムを見ると主役の方々は全てローカルな方々の入れ替えの配役となっていた。



      A4版の切符を手渡され、大きくて美しいのが珍しかったのでコピーすることにした。また、入場後に購入したプログラムがとても豪華で写真が豊富だった上に、場内では写真撮影が厳禁だったため、その一部をコピーすることにした。私はヴェルデイオペラは、殆ど伝統的な演出でしか見ていないが、幕が開いた途端にサーカス小屋のようなモダンな演出で、豪華なマントバー伯爵邸の舞踏会が、まるで田舎芝居で大勢が乱舞する舞台となっていた。伯爵が小柄な人で、同じような背広姿ではどこにいるのか見分けが付かず、道化のリゴレットが女性の裸の人形を残酷に扱うので恨みを増幅させるような下品な演出となっていた。




    演出者を見ると何とロバート・カーセンであり、つい最近HPにアップしたサイモン・ラトルとベルリンフイルによるバーデンバーデンにおける「魔笛」(13-6-3)の演出者であった。この「魔笛」は、冒頭で大勢の人々や森の中での出逢いの突飛さに驚かされたが、進むにつれて、「魔笛」の物語を借りて人間の愛の素晴らしさを強調しようとする演出者の考え方が見えてきて、伝統的な「魔笛」とひと味違う新鮮でモダンな感じのする「魔笛」となっていた。今回の「リゴレット」も、冒頭の突飛さに驚かされたが、私にはその構図が下品な形で現れ、それがこの舞台特有の復讐とか怨念の凄さに結びつくので、音楽以前に演出の嫌味について行けない感じであった。しかし、この怨念劇の凄さをモダンに演出しようとすると、きれい事では済まされないものがあることを感じさせた舞台であった。


       6、おわりに、 

      10月号の私のHPに間に合うようにと、取りあえず、前編の初めての国スイスの訪問記を大急ぎで取りまとめてみた。スイスは戦災に遭っていない国として、旧市街地は特に美しく景観が保存されていることを痛感した。それに加えて、アルプスの山や湖などの自然的環境も群を抜いており、また芸術や文化的側面からも、実に豊かな国であることを感じさせられた。4泊5日の短い駆け足旅行であったが、山にも登れ、オペラも見てきたのであるから、楽しかった実り多い旅と総括出来るものと思われる。


      (以上)(2014/09/19)


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